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ダレカよりもワタシである事は
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/モノローグ 異邦人の声

 遠く、潮騒の音を聞いた気がした。
 寄せては返す、波の音を。
 感覚は不時着に似て、亡羊。
 溶け出す思惟の先端を掴み取るように現実感はある。
 現実感と現実が同一に至ったとき、私は、私である事を思い出す。
 
 開幕のベルが鳴る。遅れてきた来訪者が形を成す。

 ――さて、今ここはどこなのだろう?

1、喪失する昼

/1

 意識が生まれたのだと解ったのは、ほんの一瞬のこと。
 してみたのは、ぼうと景色を眺めること。
 何故、その景色を眺めてみようと思ったのかはわからない。
 けれど、ただその光景を眺めることにした。

 真新しい白を記帳した教室が、眼前に広がっている。
 そしてその教室にはざっと数えて三十五~六人ほどの女子生徒たち。
 私はその中に混じり、かつ中心から辺りを眺めている。
 自分の席はちょうど教室の中ほどの位置にあった。机の上には教科書と何も書かれていない真新しいノート。筆箱の中にはシャープペンシルと消しゴムとボールペン、そして少し使用感のあるリップクリーム。
 教室の前側には、黒板ではなくホワイトボードが広がっており、その前に上からぶら下がったようにして液晶画面がある。
 液晶画面には初老の男が何やら対称Xの云々と説明をしており、どうやら何かの授業中であることがわかる。そして、周りにいる生徒たちはその画面に向かい朴訥に教科書とその画面に視線を行き来させている。
 (ああ、数学だ。)
 呟いて見ると自分から音が出ることに、音があることに感動した。
 耳を済ませると様々な音が聞こえた。教室にいる人間の息遣い、教科書を捲る紙の音。時折ノートをシャープペンシルの先端でこする音。空調があるのか、空気が鳴っている気もする。
 音たちは私に安心を与えてくれた、しかし同時にその安心は確かに私をこの教室から孤立させている。

 五分程だろうか、あたりをただ眺めてはその孤立具合に半ば感動を覚えながらその場にただじっと座っていたのは。
 そしてその頃によくやく私は思い出す。
 何よりまず確認しなければならないソレを、忘れていることに。
 私は、膝の上に規律よく乗せられていた自分の手を眺める。
 そして動かしてみる。
 ・・・・・・動く。
 うねうねと動かしてみると、思ったとおりに動く。
 当然のことなのだが感動を覚えてしまう。
 そのまま手首をひねって自分の手を観察してみる。
 整えられた爪先に血の通った肌の健康さが際立つ。肌は白くきめ細やかだ、なかなか綺麗な手先をしている。うん、これが私の手だ。
 私がいる。そして体がある。
 私がある、私がいる。
 体がある、身体は動く、考える、結果にたどり着く思考ができる、意思がある。
 私が私であることがわかる。

 しかし、さて困った。私は、誰なのだろう?・・・ ・・・・・ ・・ ・・・・・・・

 比喩でもなんでもなく、思春期特有の自己に対する承認欲求でもない。|
 
 本当に自分は何者であるかを無くしてしまっているようた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 とりしも、何を思い出せるか考えてみるが何もわからない。恐怖すら出てこない。

 恐怖? 何を恐怖に感じることがある。
 だって、わかることはわかるのだ。この場所だって、私が何故ここにいるのかだって凡てわかる。
 思い出したわけではない。ただ知っている・・・・・のだ。
 まるで自分の名前を言うように、さも当然のことのように知っている。この学園のことも、私が今どこにいるのかも。
 今この場は授業中で私はその授業に参加している。
 この女学園は全寮制で名門のお嬢様学校。教師とのありがちなトラブルを避けるためになのか、はたまた単にお嬢様ということで飼いならされているのか、この学園に教師はおらず幅が有に二メートルを超える液晶画面でもって今日の授業内容が垂れ流される。
 私たち籠の鳥はその授業内容を淡々と受け続けている。
 単に授業中だ、授業なのだ。
 だから、恐怖に感じることはない・・・ ・・・・・・・・・・・
 
 ただ、本当にひとつだけ。
 この空間の中、あるいは私の体の中に『私』という一つのファクターだけが欠けている。
 
 そして、きっと無くなっているソレは、再び浮上することがないだろう。
 まるで明晩みたの夢のように、儚く霧散して、そして今消失感でさえ消えかかっている。
 夢だから、夢のようだからだろうか、喪失したものの重要性がわからない。
 本当に喪失したのだろうかとも思うが、だが私は確かに授業に参加していてこの場所に座っている。それはつまりどうやって座ったのか、朝どうやってこの場所に着たのか、そもそも私はどんな部屋で暮らしていたのかがわからないということだ。
 何度今朝のことを思い出そうとしても一向に記憶の戻る気配はない。
 不思議を通り越して不気味だ。
 そして不気味なことがもう一つあるとして、ソレはきっと、私が混乱もせず叫びだしもせず、まるで何のことない日常のように落ち着き払っていることだろう。
 私は私がわからないが、対したもんだな私。
 感心したところで、何をどうすることもできないのだが。しかしまぁ、どうするか。
 授業の内容はスラスラとはいってくる。本当に可笑しな物で、受けた記憶のない授業の内容が、なんとなく不確かな復習でもって理解できる。
 記憶にはないが知っている。本当に奇妙な感覚だ。気味が悪いといってもいい。
 だが、己の境遇に叫びだすほどではない。
 きっと叫びだした方が後々得することも多いんだろうな、なんて、そんなことさえ過ぎる。 しかし、落ち着いてしまうと・・・・・・というか最初から取り乱してもいないのだが・・・・・・なんだかそれは滑稽な所業のように思えて、解かりもしない自分のプライドが邪魔をしている。
 いやしかし、本当に。
 困ったなあ。

 試しにもう一回、辺りを見回してみる。
 横参列ほど離れた場所にある窓を眺める。窓のから向かいの校舎が見える。校舎の上には空、疎らに広がっている雲と青い大気が続いている。

 そして窓の上から、体が降りてくる・・・・・ ・・・・・・・
 
 ――その光景はあまりにもゆっくりで、そして淡白な現象だった。そして私の『自己』は空を眺めるという何気ない行動の延長線でソレを行う

 それは残酷な空中遊泳だった。
 だらんとしなだれた体がこちらの教室の窓に近づいてくる。
 距離的に相当の速度で近づくその体に、かなりのエネルギーがかかっていることが伺える。

 ――脳の躍動する感触と、バキキ、と音の鳴るような瞳孔の拡張。
 ――思惟と視野角が繋がっている様だ。肌の毛穴という毛穴がさわだち、酸素を取り込もうと息を大きく吸った。

 落下しているからだろうか、スカートは捲りあがり、そこから純白の下着と生気の通っていない太ももと灰色のニーソックスが見えた。
 そしてその足が窓ガラスに当たり、ガラスの割れる轟音からグキリ、と鈍い骨の音を聞いた気がした。

 ――そして、先ほどまでの自分の思考を捨て、あらゆる思惟をひとつのことに向ける。

 窓ガラスを裂いて現れた身体は、女生徒の間を縫うようにして教室に飛び込んでくる。
 そして何かが引っかかるような挙動を見せ、今度は割れた窓ガラスより少し先の天井に向かって進んでいく。

 ――現れた死体・・を、やってきた奇妙な現象を。

 つぶれるような音を出して私の左斜め前の天井を叩き、再び窓のほうに戻っていくが窓の外に出ることはない。その代わりに、先ほどは届かなかった机を巻き込むようにして、ほどなくその体は分離して・・・・教室の床に落ちた。

 ――予知も違和感もなく突如現れた異常を。

 窓の外に去っていったのは一本の茶色いロープ。
 先端が輪になっており、べっとりと赤黒い血液がこびりついている。
 輪の向こうに断首台の影を見る。

 ――何よりも先に、『自己』より先に記憶しようと勤めたのだ。

 窓ガラスを吹き飛ばし、生徒たちの間を縫うようにして現れた死体は、巻き込んだ机を背にして此方を向いている。
 そして、ちぎれた首の口には一枚のカードが咥えられていた。
 内容は、何か暗号めいた一文が書いてあり、距離もあってかよく読むことが出来ない。
 凝らすようにして眺めると、彼女と目が合う。

 生首になった彼女は此方を向いている。

 血を噴出しながら、此方を見ている。
 此方だけを。
 何も語ることもなく。
 生の遠くを見ている。

「ひっ・・・・・・いぎゃあああああああああああああああ、きゃああああああ!」

 怒号と嬌声が響き渡る、空気が震えるほどの生徒たちの悲鳴が教室に木霊している。
 けれど、私には彼女が見えている。生気を帯びていない、死の結果がそこにある。
 砕かれた骨、飛び散った血肉に、ありえないほどに力の加わった皮膚、そしてその断面。
 私は静かに立ち上がり、彼女の傍らに歩き寄る。
 そして、見開いている瞳に手を伸ばし・・・・・・

「何してるのよ、あなたも逃げましょう?!」

 そこで手首を掴まれ、はっと気がついたときには自分以外の全員が通路側の教室端に逃げていた。もしくはこの教室から逃げようとしていた。
「え? あ・・・」
「良いから早く逃げるのよ!」
 突然声をかけられ戸惑う私に女子生徒は構う様子もなく、強引に腕を引っ張って教室の出口に連れて行こうとする。
 しかし何人かの生徒たちが扉の出口に挟まり多数の女子生徒が外に出ることができず、逃げ遅れた女子生徒はこの世の終わりのような叫びを発している。
 叫び声を上げている生徒たちの後ろ、私の腕をつかんでいる女子生徒は目の前の集団を押すようにして強引にでも外に出ようとしていた。その必死な形相を他人事のように思いながら眺めて、そしてもう一度死体になっている彼女を見る。
 彼女はまだ、遠くを見ていた。
「何やってるの! あなたも手伝って!」
「あ、ああ」
 腕を掴んでいた少女の気迫に押されとりあえず彼女の行動を見様見真似に手伝ってみる。
 しかし
「・・・ん? あれ?」
 まったく力が入らない。
 まるで血液を失ったかのように体を使う接続が曖昧で、節々に明らかな違和感がある。
 ひょっとしてすくんでいるのかとも思ったが、別段パニックになっているわけでもない。目の前の彼女たちのように認識もできない程の恐怖にストレスを感じているわけでもない。
 なんだかおかしいな、とも思いつつ力を入れ続けるが全く手ごたえがなく、諦め掛けていたそのとき。きゃあという悲鳴とともに、目の前の女子生徒たちが将棋倒しに出口から倒れこんだ。どうやらつっかえていた人間がようやく外に出れたらしい。
 倒れこんだ人間をよそに、生徒たちは教室を駆け足で後にしていく。
 逃げようとする人間の壁を押していた少女は――自分だけ逃げればいいのに――律儀に私の腕を再び掴み外に飛び出そうとした。
「走るよ! 早く逃げなきゃ」
「いや逃げるって・・・」
 そんなことを言われても、どこに逃げるって言うのだ。そして何から逃げるのだ。そんなことを思いつつ、しかし彼女に合わせる方が面倒がないような気がしたので、従って走ろうとすると、また先ほどの違和感がやってくる。
 そして、目の前の床に向かって盛大に転んだ。
「ふざけてる場合じゃないでしょ!?」
 まるでギャグ漫画を連想させるような前のめりの転げ方に、彼女は怒号を上げる。
 どうしたというのだろう? 別段ふざけているつもりはない、しかし
「良いから走るの!」
 本当にどういうわけか、足を踏み出そうとすると力が入らない。
 歩くことはできても、走ろうとすると体が脱力したようになってしまい、へたり込んでしまう。
 二度も三度も、そんなことをしていると女子生徒は一瞬苦虫をつぶしたような顔をした後、
「先に行くから、・・・行くから!」
 先ほどまで嫌というほど掴んでいた腕を離し、逃げていく少女たちの後を追うようにして、廊下の先に消えていった。
「あ、」
 と、思わず声が出るが、まぁ致し方ないかなあと納得しとりあえず自分の体を見る。
 どこにも怪我をしている様子はない。ましてや、先ほどから思うようにパニックを起こしているわけでもない。
 なんだか、これは・・・走り方まで忘れてしまっているような気さえする。
 自己の事についてまさかそんなにまで忘れる事例なんてあるのだろうか?
 大体、この学園のことは大体がわかるのに、何故自分に関してはここまで曖昧なのだろう。 ひょっとすると今なら絶望に身を任せて叫びだすこともできるかもしれない。
 いや、ははは。なんとも馬鹿馬鹿しい思考だ。
「ううぅ」
 思考をめぐらせているうちに後ろからうめき声が聞こえる。
 振り返ると、先ほどまで扉を詰まらせいたうちの一人が、床に倒れこみ体をよじらていた。
 ほかの人間は立ち上がって既に逃げているのに、倒れたときに打ち所が悪かったのだろうか、未だ痛みに顔を歪ませている。
「大丈夫?」
 へたり込んだ体を起こし、彼女の傍により手を差し出して言葉をかける。
 彼女は未だううぅとうめき声を上げるばかり。
 どうしたものかと嘆息し、とりあえず彼女を(体に力が入らないので、余程苦労しながら)仰向けにし、どうやら気絶しているわけではないが、しばらくじっとしたそうに呻いていたので、膝をたたんで膝枕をしてやり彼女がおきるのを待った。

 生首が眺める教室の前。静かな時が流れていた。
 狂気、と人によっては思うだろう。

 彼女の顔を眺めていると、時折痛みに眉を歪ませたり、かと思えば急に脱力して眠ったように無表情になったり、中々愉快に顔を歪ませるので見ていて飽きなかった。
 首より短い後ろ髪に、眉辺りで切りそろえられた前髪。そして、すこし脱色している髪色。
 そういえばと、私も自分の髪の毛を掬ってみると、黒々とした輝きが合った。
 そして、気がついてみるとどうにもうっとおしいのだが、私の後ろ髪は腰まで生えていて直毛らしい。先ほどまで上手くいかない筋労働をしたせいか、長く伸びた髪が掛かる背中にじっとりと汗もにじんでいて不快だ。
 額に滲んでいる汗をペタペタと拭いつつ、もう一度寝ている彼女に目線を移すと今度は歯軋りをしていた。
 思わず笑ってしまいそうになるが、よくよく見てみると可愛らしい顔をしている。
 お世辞ではなく顔立ちも整っている。なんだか、羨ましいと言うのか、憧れるというのか。この感情は不思議な感じだ。
 いや、というより。
 私は私の顔さえわかっていないのだが。
「うううぅ・・・・・・はっ!」
 ぼんやりとしていること30秒ほどだろうか。
 突然彼女は目を開き、此方を数秒きょとんと見つめた。
 そしてその可愛らしい顔立ちからは似合わないほど躍動感のある動きで飛び上がり周囲を見渡すと、此方に身をすくませながら
「な、何奴です?!」
 と聞いて来た。
「さあ? こちらが聞きたいよ」
 皮肉めいてそう返すと、彼女はうう、と口から漏らし
「確かに、礼儀ではありますね・・・?」
 と、答えた。
 何が礼儀なのか。私としては彼女の言葉のとおりの意味合いで返したつもりだったのだが。
 どうやら彼女は名を名乗るのなら自分からという意味合いに聞こえたのだろう。
 まぁ狙ったのだが。
 おどおどと身を震わせながら名前を吐き出そうとしている姿に妙な可愛さを感じ、じっと見つめる。
 すると、名前を催促されたと思ったのか、視線を感じた後搾り出すように
「私は八峰ゆず、です」
 と、名前を言った。
「い、いいましたよ。あのぉ、貴方は」
「私? 私は・・・うーん」
「い、言わないんですか? 私、勇気出していったのに!」
「いや、名乗るくらい別に勇気とか要らない気がするけれど」
「でも、名乗らないんですか?!」
「いやあ、名乗るほどのものじゃないというか・・・」
 そもそも、名前がわからないんだけれど。
 というかなんかこのままだと私すごい嫌な奴だなあ。
 とりあえず、どんな勇気かはわからないが、それでもその勇気に答えてあげることをしてあげようと思ったので、頭をひねって名前を搾り出す。
 でも思いつかない、思いつく術もない・・・・・・・・
 うーん、江戸川コナンとでも言えれば、中々ウィットの聞いた冗談になるだろうか?
 ああいや、なんかめんどくさいなソレ
「まぁそんなことより」
「そんなこと!」
 素っ頓狂な声を出す彼女は、信じられません! っと地団駄を踏む。
 気弱そうな形の割りに、彼女の行動は多彩だ。見てて面白い。
「そんなことより、君は逃げなくていいの?」
 見てて面白いのだが、こんな死体の鼻先で気軽に談笑というわけには行かないだろう。
「そんなことなんて、言われたら私の精一杯の勇気が・・・、え? いやあああ!? そ、そうでした。に、逃げないと!」
 だだだーっと駆けて行く彼女の背中に、なんとなく微笑みながら一息。
 いやさてしかし。
 彼女たちはどこに行ったのだろうか、――いや、違うそうじゃない。
 このまま一人にされても困るのだけれど。――返って都合がいい。
 思わず、私は、死体を見る。――翻って私は、彼女を見る。

「「いやあ、いいなぁ」」

 私は自分の声とは思えない声に、驚く。
 あれ、私今なんか言った?
 というか、あれ、何でだろう。何でだろう
 何で私はこの場から離れたくないんだろう? 
 離れたくない、離れたくない? 
 ふと、気がつく。それは自分の片腕が当たり前のように肩口から伸びているのを確かめるような、当然の確認作業だ。
 どうして彼女の傍にいないといけないと思うのだ。
 どうして彼女のことを理解しなければならないと思うのだ。
 私は私さえもわからないのに、何故、死体に成った彼女の事を誰よりも先に知らなければ成らないと思っているんだ? そして、何より
 
 何故私は、この死体現場にワクワクしているのだ?

 静かに立ち上がり、私は再び教室の中に入っていく。
 むせ返るような血の匂いと、吐き気を催すような人間の中身の匂い。
 倒れこんだ椅子、机を分け入るようにして大分血の流れた彼女に再び見舞う。
 相変わらず、彼女の目は健在だ。
 その目は変わらず何かを伝えるようにして、そこにある。
 彼女の気持ちを代弁していると、暗示しているようにある口元のカードも一緒に。
 そのカードには、何者かによって作られた創作の詩が書かれている。

 『 ヘのハジメ 』
『 したんだおなら
  つよきなおばば
  よわきなままに
  おきがえするか
  おとめこうりん 』

 馬鹿馬鹿しい。
 あまりにも馬鹿馬鹿しい内容。
 コレは自己顕示欲であり、挑戦でもある。
 なにより、こいつは自身を神にでも思っているんじゃないかという驕りさえ見える。
 私は内心、煮えくり返るような苛立ちに見舞われながらも、
「ははは・・・」
 と思わず声が漏れてしまう。
 顔を恐る恐る触ると、やはり、私の口角は釣りあがっている・・・ ・・・・・・・・・・・・・
 そして、私は初めて、このトラブル続きの現在に対して恐怖する。
 私、私って

「死体が好きなのかな?」

 背後から風鈴の煌く様な声がする。振り返るとそこには一人の女子生徒。風紀警鐘と書かれた腕章にオリビアと書かれている――が私に向かって声をかける。
「そこで、何をしていたのかな」
「特に何も?」
「そう? 何も・・・ね」
「そう。そっちは何をしているのかな」
「僕は・・・」

「お、おねえさま! な、何しているですか!」
 と、先ほど逃げていったはずの八峰ゆずが突如現れ、会話を遮る様に私と風紀警鐘の腕章をつけた女子生徒の間に滑り込む。
 そして、強引に私の腕を掴むと
「お、お友達もおまちですのことですよ!」
 といって、私を強引に引っ張って教室から引きずり出す。
「え? おおぉ、ちょっと」
「それじゃあ、お騒がせしましたです!」
 八峰は腕章の女子生徒にそういうと、ただでさえとんでもない力で掴んでいるのにも拘らず、さらに力を加えて走り出した。
 去り際、入り口の間から此方を眺めている女子生徒の顔を見る。彼女は此方に気が付いたのか静かに微笑み、声には出さず唇だけで
「また、あとで」
 と、そう告げた。

「あ、ちょ、痛い痛い!」
 八峰ゆずに余程力を込めている様子もない、こんな小さな身体に、どれだけの力を蓄えているのか、というかどこまで出力できるのか、まさに戦慄であるが、彼女は私のそんな思考を他所にずるずると引きずっていく。
 引っ張られているこっちは、抵抗しようにも力が入らないし、何よりとても痛い。
「痛い、痛いって八峰さん! おい、おいおい! バカいい加減にしなさい!」
 と、そんな風に叫んだからだろうか。急ブレーキを掛けられ突如浮遊感が襲う。気が付くと、私はいつの間にか八峰ゆずを追い抜いている、
 というより、慣性の法則で吹っ飛んだだけなのだが。
 そして、なんとなく下を見るとその先には階段。
 いや、それは流石に、と青ざめると腕を引っ張られ階段の手前に引き戻された。
 どすっと腰を強か打ちつけて、ついでに手も離されたので、ごろごろ階段前の廊下に転がる私。
「殺す気か!」
 思わず叫ぶと、八峰さんは頭をポリポリかきながら
「いやあ、力の加減を見誤ったです」
 なんにせよ無事でよかったです。と、手を差し出して気楽に言って来る。
 とりあえず、あの教室から大分離れた場所に連れて来させられた。位置的に言えば同じ階下の一番遠い場所。
 別に、離れる必要もなかったんだけれどなあ。そんな不満顔をして手をとったせいだろうか、八峰さんは私にずいっと顔を近づけ、イラついた表情をまざまざと見せ付けるようにして言った。
「それはそうと、まったくなんつーノロマですか。あんな所に居ても良いことなんて一つもないのですよ?」
「はあ・・・」
「ウチが帰って来たからいいものの」
 そうだ。どうして、彼女は帰ってきたんだろう。
 てっきりあのまま逃げ出すと思っていたのに。
「そういえば、どうして帰ってきたの?」
「え? ああ、あう」
 彼女はしばらく、しどろもどろとしつつ、その後顔を逸らしながら
「いえ、あのそれは。貴方が介抱してくれて、なのにウチが逃げちゃうのは違うのかなって、思っただけです」
 と、言う。
 私はそれを聞いて、正直眉唾だったのだが。まあそれは後にするとして。
「でも、なんで態々教室に戻るんです? あんな事件があったのに!」
 がーっと、かみつく八峰さん
「まあ、興味があったからかなあ」
「かなあ、って自分のことなんですから、しっかりしてくださいです」
「それに、別段逃げる必要性も感じられなかったしね」
「なんでです!?」
 人が死んでるんですよ! と、叫ぶ姿にまあ確かにそうなんだけれど、と今更私は人が死んだと言う事実にいまいち実感が持てないでいることに気が付いた。
「死体が落ちてきただけの話であって、犯人が落ちてきたわけじゃないからね」
「まあ、それはそうかもしれませんですが・・・」
 いまいち釈然としない表情の八峰さん。
 しかし、・・・
『死体が好きなのかな?』
 いや、そんな筈はない。もし、そうなのだとしたら自分が死体を作っても可笑しくない。
 ここでひとつ不安が出てくる。そういえば私が今朝の記憶がない。
 もし、あの死体が今朝に作られ、時限式のトリックでもってあの時間帯に落ちてくるように設定されていたのなら。
 私が、作ってない記憶はどこにもないし、作った記憶もどこにもない。
 私が私のアリバイを証明できない。
 ・・・いや、まあ。
 馬鹿馬鹿しすぎて、どうにもならない想像だけれど。
 ただ、記憶喪失に死体落下。偶然にしても、出来すぎたタイミングの一致である。
 何か、関連しているとしても不思議ではない。どんな関連があるかは、想像も付かないが。
 ただ、この私が私のアリバイを証明できないというのは、後々面倒なことになりそうな予感がする。死亡事件と記憶喪失。響きだけでも妙な親和性があるからなあ。
 閑話休題。
 今は、一先ず。
「ここまできちゃったからには仕方ないね。とりあえず、みんなが居るだろう場所に行こう。たぶん食堂だよね」
 本当に、すらっと『たぶん食堂だよね』なんて言葉が出てくる。自分のことは判らないのに、本当にこの学園のことばかりは頭に残ってるんだもんなあ。
「あのう、ウチ・・・聴きたいことがあって・・・」
 歩き出そうとすると。少し遅れて八峰さんが聞いてくる。
「ん、何?」
「いえ、あの」
 先ほどの、快活快気な彼女とは想像出来ないほどオドオドとしていて、うーん、トイレかな? なんて一つも気の利かないことを考えるが、そんなこんなを考えているうちに、彼女は「やっぱり、なんでもないです」といって先に行ってしまう。なんなんだ?
 ああ、それと一つ忘れていた。
「ああ、そういえば八峰さん。私の名前知ってる?」
「え? いえ、知らないです」
「そっか」
 ふうむ。となると、一応他の人間にも聞いてみたほうがいいかな私の名前。
 やっぱり、どうにも自分の名前がないというのは、色々と面倒だ。
 まあ、先ほど考えていたように、名前を作ってもいいのだけれど、私も今まで生活してきているわけだろうし、これから新しい名前で呼んでね? なんて、ちょっと気持ち悪い感じだ。
 ただ、この学園のクラスが存在しない・・・・・・・・特色上、果たして私の名前を知っている知り合いが居るのか、不安ではあるが。
 出来ることであるのなら、そんな人間が居てくれないことを望む。
 面倒だしね。

       

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Neetsha