Neetel Inside 文芸新都
表紙

金色のくびき
第一話(表)

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 草原に冷たく乾いた風が吹き、頬を撫でる。
 背の短い草木がどこまでも広がるフォーグル族の領域は、目を細めても永遠フォーグルと続いている。
 物音を立てないように気を付けながら、矢筒から矢を取って弓弦につがえた。
 視界には風に揺られる草木しか動くものが見えなかったが、小さな動物が草を食んでいた痕跡があり、草を食む獣特有の小さく丸い糞や、掘られた穴もそこらじゅうにあった。草以外に動くものがあれば……。
精神を集中させ、オドを読み取る。
 この世界は気に満ち溢れている──とは、死んだ母が言った言葉だ。
 草の気、風の気、そして獣の気。
 草や風以外の気があれば……。
 そこか。
 矢を放つ。
 すとんと小さな音を立て、切ない呻き声が響いた。
 朝からずっと飲まず食わずで獲物を求めて相棒のフフと共に走ってきたが、ようやくその苦労が報われた瞬間だった。
 狩ったのはマモットという上顎に大きな一枚歯を持つ小さな獣だ。
 一匹を狩ったことで、周囲に潜む他のマモットの動きも明らかとなった。逃げていく姿を視界に捉える。
 今度は矢を三本同時に取り出し、同時に放つ。
 三本ともが吸い込まれるようにマモットの肉を抉る。
 更に矢をつがえようと矢筒に手を伸ばすが、マモットの気が引いていくのが分かった。もう土の下に逃げられてしまったようだ。 
 一息つくとしよう。
 俺はフフに吊り下げていた革袋を手に取り、白く濁った馬乳酒アイラグを喉を潤す程度に一口だけ飲んだ。
 マモットが四匹。まだ少ないが、ここ数日、獲物が不足して肉にありつけていなかったので、部族の者たちも喜んでくれるだろう。日が暮れるまでにもう少し狩っておきたいところだが……。
 ぶふぅ、と低く不機嫌そうにフフが嘶いた。
 どうした?と聞くまでもなく、その嫌な気は俺も知るところだった。
 フフの方が少し先に気づいたが、遠目にぞろぞろと馬に乗った一団が見える。
 遠征隊が、フォーグル族の領域の隣にあるベルゴード王国まで出かけていたのが帰ってきたらしい。ただこのつまらない道端の石ころに似た気は、同じ部族の者でも嫌なやつが率いている遠征隊だ。
 ここは見なかったことにしてさっさと立ち去ってしまうか。
 そう思ってフフの背に飛び乗ろうとしたが、普段は大人しいフフが一際大きく嘶いた。俺は少し焦ってしまって、フフの背に乗るのをしくじって転んでしまう。
「何だよ! どうしたってんだ」
 抗議の声をあげると、フフは申し訳なさそうに項垂れて鼻先を俺にすりよせた。青鹿毛だから全身殆ど黒色だけど、目や鼻周りは褐色になっている顔には愛嬌があって、こっちもそんな顔を向けられては怒れない。俺が十歳の頃に生まれたフフとはもう五年の付き合いだが、こんなに急に嘶くなんて初めてのことだ。
 でも、フフが嘶いたせいで、向こうにもこっちのことが気づかれてしまった。
「おう、アモンじゃねーか!?」
 人を舐めた感じの声で呼びかけてきやがった。
 くそ。心の中で悪態をつきつつ、俺は努めて何でもなさそうな顔でやつの石頭を睥睨した。やつの名前はチョローという。俺の名前よりはましだが、まぁ酷い名前だし、名前通りのやつだ。
「ま~た狩りで小さな獣を狩ってるのかよ? もういい歳だろうにそんなことしかできねぇとは情けねぇ野郎だぜ。なぁ、アモン!?」
 何が悪いってんだ。
 そっちは人を殺して物を奪ってばかりだろう。弓の腕が悪いからって、部下を使ってばかりで自分は矢の一本もまともに放てないくせに!
 子供の頃からそうだが、俺の何がそんなに気に入らなくて食ってかかるんだ。フフに愛嬌の一つでも教えてもらったらどうだ!
 ……そう言ってやりたいが、生憎とやつに逆らってもいいことは何もない。あんなやつでも兄貴だから、仲良くしておかないと、部族での俺の立場が悪くなる。
「そっちは何を狩ってきたんだ?」
「けけけ、驚くなよ」
 ごつごつした石みたいな頭をふらふらと馬上で揺らし、奪ってきた戦利品を見せつけようと、チョローは顎で後ろをさした。
「……!」
 思わず瞠目した。
 女、それも闇夜に輝く月のような女だった。
 見事な黄金色の輝きを放つ髪をしていたので、そう感じたのかもしれない。
 肌も馬乳酒みたいに白いが、まったく濁っていなくて透き通っている。
 俺たちのような毛織物ラシャや獣皮の服とは全然違う、シルクのタイツや見慣れない異国の装飾が施された高価そうな服。
 鉄のくびきを首に巻き付けられ、手足を鎖でつながれている。
 フォーグル族の者とは明らかに違う風貌に、一瞬それが同じ人間なのかと疑った。何というか、遠目にも存在感がある。
 女が俺に気づき、青い宝石アグナイトのように綺麗な瞳をこちらに向ける。微かに笑っているようだ。白い首は捻れば簡単に千切れそうだし、ほっそりした体つきなのに、その目には強い力があった。くびきで奴隷にされているというのに、ちっとも俺たちを恐れていないように見える。むしろ、ふてぶてしさすら感じる。
 そうか、フフはこの女のただならぬ気配に驚いて嘶いたのだ。
「ベルゴードの貴族の女らしい。俺の後妻にするつもりだ」
 そう言って、チョローは自慢気に高笑いして、女を引き連れながら部族の集落の方へ向かっていった。
 妻にするだって……?
 あの美しい女を石頭が抱く様子を想像しようとしたが、どうしても想像がつかない。
 それは何だか、気持ち悪いし…。
 テングルに唾吐くことのように感じたのだった。

       

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