第五皿目 カレー味のナニカ、ナニカ味のカレー

 週末に市内の大型ビルの書店を訪れる俺。俺は最上階の参考書コーナーに置かれたCAD入門の本を手に取った。そしてその分厚いページを捲りながら溜息をついた。

――先日、夕飯時に食卓で嬉々として最近のインドマン状況を話していたら決定的なひと言を一家のあるじに言われてしまったのだ。

「でさぁ、千我がサァ、白木屋がサァ」俺が妹の六実と母の清美と楽しげに話しているとダン!と食卓の向かいの席でコップが強く叩きつけるようにして置かれた。

 口をつぐんで顔を向けると俺の父親の英作が酔って赤くなった顔の眉を吊り上げながら俺を睨みつけた。

「それで、お前はいつになったら働くんだ?」「そ、それは…」

「お父さん」母さんがすかさずフォローに入ってくれた。「英ちゃんだって頑張ってるのよ。ほら、こないだ動画の広告収入とかいうのでお金が入ったからってお家に入れてくれたし」

 親父は少し驚いた顔を浮かべたが甚平の袖に通した腕を組んでその口を真一文字に結んだ。沈黙に耐えかねて俺は口を開く。

「ほ、ほんの少しだけど。先月撮ったインドマンの動画が再生数伸びたから口座に金が入ったんだ。これからも続けていくよ」

「前に話していたユーチューバーという奴か?フン。そんなモンは働いた内に入らん。お天道様の下で汗を流して一所懸命に働くのが労働というものだ。もう寝るぞ」そう吐き捨てると親父は立ち上がって寝室へ向かって歩き出した。

 親父は30年来の公務員務めということもあり、昔気質でユーチューバーなどと言う俗に染まりきった職に理解を見出せるとはとても思えなかった。入り口で立ち止まって親父は俺に言った。

「今みたいに食わせてやるのも今年中だけだからな。年明けに仕事を見つけてこなかったら知り合いのヨットスクールにぶちこんでやる」

 親父がスリッパを突っかけて消えると六実が含み笑いを堪えて俺を振り返った。

「うわ~英造、大ピンチ!あそこのヨットスクール、絶対死ぬヤツだよ」「大丈夫よね英ちゃん。お母さんはあなたのやりたい事で生きてゆけるように応援してるからね」

 六実と母の表情を見比べて俺はただただ「頑張るよ」としか言い返せなかった。確かに年末に行われる『アクター・ロワイヤル』で優勝すれば大物YouTuberとして一生分の金が稼げるだろう。が、もし敗れた場合は…

 決して親父のいうヨットスクールにビビった訳じゃない。ただ、なにか自分に自信を付けられるモノが欲しいと思って俺は動画編集ソフトに操作方法が似ているCADの資格を取ろうと思ってこの書店を訪れたのだ。

 ぎゅるる。本を読み進めると突然腹が下の方で鳴りはじめた。本屋に行くとトイレが近くなる現象――。確か人の名前が付けられた突発的な症状だというのを昔バラエティ番組で見たことがある。

「今日はこの辺にしておくか」俺はそう呟いて本を元の場所に戻した。俺は今日、本屋に来て資格の勉強をした!最初の一歩ではあるが脱ニート成功である。

 俺はその後、地味にトイレを探しながら最上階から一階ずつエレベーターで下りて興味のある本を探しながら店内をうろついた。


 おかしい。書店の全ての階の男子トイレを覗いたが個室がどこも開いていない。入り口を出て本のインクの匂いが消えたというのに下腹部の痛みは強さを増してきている。

 ぐるるる。腹の音もさっきよりアラートを強めている。「あっ、日比さんじゃないっすかー」腹に手を置くと向かいの通りから野太い男の声がした。顔を上げると千我と白木屋のふたりがキャップを被り、最近流行の太ももまで肌を露出した短パンを履いて歩いてきた。遠目から見たらホモカップルにしかみえない。

「こないだ言ったとおり部屋借りて動画撮りに来たんすよ」千我が事情を説明すると白木屋が肩にかけたリュックを担ぎなおした。

「ここ、向陽町でしたっけー?ほんっと何もないっすね~あまりに撮るものが無さ過ぎて日比野さんの社宅、ドローンで撮影して周ってましたよ」「やめろ。今すぐにその動画を消せ!」

 俺がリュックを掴むとヘラヘラした表情で「取れ高ないんであげませんよ」と白木屋が俺に言い返した。ぼーん。頭の上で12時の鐘が鳴る。

「あっ、ここのラーメン屋美味いって評判の店じゃないっすか!」千我の声で俺は通りのラーメン屋『ひいらぎ』の看板を振り返る。いつもはそれなりに並んでいるのだが今日は何故か店内は空いているようだった。

「せっかくだから行きましょうよ」千我に促されてやや強引に店内に連れ込まれた。俺は年下のふたりにナメられるのが嫌だったから麺固め、味濃い目、油多目の全アゲをバイトの店員に向かって頼んでやった。


「ふー美味かった!…でもさすがに食い過ぎましたね」麺増量、全部乗せをたいらげた千我が膨れた腹を叩きながら店の暖簾をくぐる。どるるる。腹の音が危険水域を越え始めて、額に軽く脂汗がこみ上げてくる。

「いや食った食った。腹痛くなったからうんこしてーな」デリカシーのない白木屋を見てたしなめる気にもなれず俺は静かにその場で頷く。すると耳をつんざくような金属音がして俺は顔に手を伸ばした。横のふたりもそれが聞こえているようで同じように手の平で耳を塞いだ。

「ヨー、中堅YouTuberのちがちゃんとしろきー。向陽町へようこそー。これはアクターの素質を持つオマエラにだけ聞こえるメッセージだぜー」

「なんだ?」「敵アクターの襲撃っすよ」千我が俺に向かって声を出す。「オレ様は向陽町の隣の光川町にいるぜー。そこでタロットのカード持って待ってるぜー。ほらほらせっかく都内から来たんだからここまで来て見ろよー。来れるもんだったらよー」

 間の抜けた口調で俺たちを煽る敵アクター。「来れるモンなら来て見ろ、か」俺は腹に手を置いてゆっくりとその場から歩き出す。「あの、日比さん。先に言っておきますけど、俺」「大丈夫だ。わかってる。みんな同じだ」

 俺たちは腹痛に耐えながら腸に留まる便をイメージしながら内股で隣町まで行ける駅の改札をくぐった。するとちょうど良く目的地側の線路に電車が止まった。

「お、ラッキー。これですぐに行けるぜ…?」ドアが開いて白木屋と俺は閉口した。止まった車両にはジャージを来た中学生がみっちりと乗り込んでいた。引率の先生らしき女性が俺たちに向かって手を合わせて謝った。

「ゴメンなさい!この子達今日が部活の試合でこの電車を逃すと時間に遅れちゃいそうなんです!」「どうするよ?日比野さん」白木屋が俺に訊ねる。「ご…ごめんなさい。ここはもうひとり、いえ…どうつめてもふたりまでです!!」引率の先生が俺たちに言う。

 俺は車内の学生たちを見渡した。その通り、どう考えてもこの車両にこれ以上の数を載せるのは不可能だ。でもこの腹じゃ次の電車まで待てそうにない…諦めかけたその時、突然背中がドン、と強く押し出された。

「千我ちゃん、な…なにを!!」白木屋が驚いて振り返るとプシューと電車のドアが閉まり、車内の俺と白木屋が外に居る千我の名前を呼んだ。

「ダァシャッス レシャウゴキヤス」車掌のアナウンスが流れると千我の口が『後は任せましたよ』と静かに動いた。「千我、お前の犠牲は忘れない」列車がホームを離れると千我の短パンから勢い良く汚物が飛び出しその足元に汚れた水溜りを作った。

「終わったぜ。俺の人生」真っ白に燃え尽きた千我の目が列車が見えなくなっても敵アクターが待つその方角を見つめていた。