泥沼の提案




 ヴェムコットには手札が見える。
 ――で、そんなもの、俺に見せてどうしろと?
 ヴェムコットはこの蒸気船の造船主に、そう尋ねてみたことがあった。
 所詮、自分はこの賭博船の舞台装置でしかない。プレイヤーの手札を透視できたところで、それを伝えることもできなければ、ゲームに反映するような行動も起こせない。一度、勝負が始まってしまえば、ディーラーとしての役割を果たすだけ。
 だが、造船主は笑ってこう言った。
「楽しめよ、ヴェムコット」

 なら、俺は今、この状況を楽しめばいいのだろうか。
 ヴェムコットは、自分が配ったばかりの五枚をテーブルに伏せて散らした男を見る。
 すでに4万点を失った挑戦者は、自分の手札も、積み上げた10枚の電貨も、見えていないかのように沈黙している。すでにカウンターの反対側には最高額まで重ねられた相手の電貨が照明の下で淡い光を吸っている。
 あとは、それを受けるかどうか。
 ヴェムコットは凍結されたような無表情さを保ったまま、慶の手札を見下ろした。そこに、かつて斬首された古代の王の顔が見える。
 すべて同じ、五枚まとめて。
 ――何かに期待するなんてことは、ザルザロスに出会うまでしたことがなかった。
 あらゆるバラストグールは、結局はこの船の積荷でしかなかった。どこへも運ばれることなどない、この船の、処刑官の前が終着点。
 だが、真嶋慶はザルザロスを倒した。
 そして今、二連敗した直後にも関わらず、最強の手札を引き寄せて、平気な顔をしている。
 だからどうしたとばかりに、そんなことより大事な切符をなくしてはいないかが心配だとばかりに、ただ光の集まる地点を見つめている。
 これが、この引きの強さが、ザルザロスを倒せた理由なのだろうか。
 だが、それだけならばザルザロスにもあった。ヴェムコットは船医として、処刑官を補助する介添人として数多くのバラストグールが、処刑官に消滅させられていくのを見てきた。あの男こそ、ヴェムコットの胸の虚空に存在しないはずの好奇心を植えつけてくれたたったひとつの存在だった。
 なぜおまえは負けないんだ、と尋ねたヴェムコットに、ザルザロスはとうとう答えをくれなかった。今はもう、別の疑問が胸に満ちている。
 なぜ負けたんだ、ザルザロス。
 誰にも負けるはずがない、おまえが――

「レイズ」

 慶が電貨を10枚掴み、それを照明の下に置こうとした。その手が、クレーンのように中空で動きを止める。視線は、冷たく見つめ返してくるリザナに注がれていた。

「提案がある」

 そして慶は、スプリットを申し出た。





 ――そして、

「真嶋、……それは」

 言いかけたヴェムコットを、慶は手で制した。わかっているよ、とまるで安心させようとしているかのような微笑を浮かべて。だが、その目ははっきりと語っていた。
 黙っていろと。

「もうすでに破っちまったルールだ。この場にいる俺達で決めようぜ。有りか、無しか? 外野にゴチャゴチャ言わせる筋合いはない」

 リザナを見、

「おまえがいいなら、それで済む。だろ?」

 ヴェムコットは、慶の対角線で闇に包まれ黙考しているリザナに伝えたかった。

 スプリット?

 次戦持ち越し?

 そんなものは誤魔化しに過ぎない。リザナの手札に頭部があれば、最低でも今回の2万点は引分になる、そんなものは詭弁だ。受けて、分割札をすべてオリたとしても、ここまで積み上げられた4万点の札は下ろせないのだ。たった一枚同士の、一枚勝負。
 叫びたい、
 気をつけろと、
 どうするというんだ、



 もし、そこで追加ドローされたら?



 ヴェムコットにはリザナの伏せた五枚が見えている。
 当然、慶の頭部五枚よりも弱い手だ。ここでの敗北を回避するために、このスプリットを承諾してしまう可能性は高い。もっと悪く考えれば、今、リザナの手札には頭部以外の札があるが、「自分は頭部五枚だ」と申告している真嶋慶の発言をブラフと判断、――ほかの分割札に乗ってしまうことも、ありうる。もし、相手がほかのバラストグールであれば、ヴェムコットはリザナの勝利を疑わなかっただろう。通常人がこのポーカーをやれば、願望を持たない彼女の前で無様に踊り倒して自滅するだけだ。しかし、
 今、彼女と戦っているバラストグールは。

(……リザナ!)

 慶が電貨を20枚まで積み上げた。
 かちゃり、と錠の回るような音が鳴り、どこかで降った雨について語るような静けさで慶は問う。

「どうする?」

「いいでしょう」

 リザナはふっと息をつき、頷いた。

「ただし、条件があります」

「……条件?」

「あなたは、その、手札を五つに分割して、結局は4万点を賭ける。そういうことですよね」

「ああ」言いながら、気が早い慶はすでに伏せた残りの四枚の上にそれぞれ電貨5枚ずつをぱたぱたと零し落としている。

「合計、4万点だな。おまえが全部、受ければ……だけど。でも、いいのか? 俺の手は、頭部五枚。べつに信じなくてもいいが……」

「いいえ、信じますよ」

 その時、初めて慶の表情にわずかな困惑が混じったように見えた。

「……何がやりたい?」

 ストレートなその慶の質問に、
 リザナは自分の手札を、卓に開けて答えた。






 頭部、右腕、左腕、右脚、左脚。

 ――役なし。


sage