あなたは炎、切札は不燃
読めていたはずの、誤算
夕陽が差し込む舷廊の途中で、いつもリザイングルナは座り込んでしまう。客室にお戻りになっては、とエンプティがいくら諭しても、そこから動こうとしない。定位置のショーケースとサイドテーブルの間に挟まって、休憩時間を過ごす。人には好みというものがあるから、そこが彼女の落ち着く場所なのかとエンプティはいろいろとクッションなども渡してみた(受け取りはした)。だが、ふいに、なんのきっかけもなくエンプティは理解した。
動けないのだと。
真嶋慶と向かい合い、あの刃物のような眼差しの前にいれば、心身ともに損耗する。負ければ消滅、何も残らない。そんな心理戦のあとで、自室に歩いて戻れる余力などあるわけがない。椅子から立つのもやっとだったはず。それを気丈に、素振りさえ見せず。彼女もまた、この蒸気船に囚われたバラストグールの一角なのだ。今となっては。
だからこそ、エンプティは思う。聡明な彼女だからこそ、あの真嶋慶と渡り合えるリザイングルナだからこそ、突破口はある。
本当はどうすべきなのか。
何を望むべきなのか。
エンプティはその場に膝を突き、壁にもたれて雲霞のごとく双眸を曇らせて休息するリザナに語りかける。
「リザナ様、ちょっと、よろしいですか」
「ええ、どうぞ」
リザナは決して、人形ごときとエンプティの言葉を邪険にしたりはしない。だからエンプティも安心して、話しかけられる。
「……驚きましたか、ご自身のこと」
「ええ。ですが、最初は信じませんでした。あなたが本当だと請け負ってくれなければ、今でも信じていなかったかもしれません。……あなたは知っていたんですね。いつから?」
「途中で、教えてもらいました。この船に、大事な人を探しにきたんだって」
「そんな言い方はしてないでしょう」リザナは微笑み、
「生き返らせたいやつがいる。そんなふうだったのでは?」
「……すごいですね、当たりです。いやその、慶様はああいう人ですから……きっと本心では、うん、それはもうミユ様への愛情がたっぷり……」
一言ずつ進むたびにリザナの目に冷気が充満していき、エンプティはギブアップした。
「はい、あの人は、素直じゃない、ろくでなしです」
「よろしい」
「でも、……頑張り屋さんの、ろくでなしです」
エンプティは懸命に言葉を紡ぐ。
「わたしは、ずっとあの人の背中を見てきました。ずっと、この蒸気船で目覚めてから、今までです。だから、わたしは思うんです。あの人の願いを、叶えてあげたい。あの人がそこまで欲しいと望むなら、わたしはそれを見捨てられない。だから、だからミユ様――もう一度、生きてはいただけませんか?」
リザナは沈黙する。エンプティは固唾を飲んでその答えを待つ。
心の底から信じて。
悪い夢など忘れて。
リザナが言った。
「ミユ、と呼びましたね」
「……はい」
「その名前、……嫌いです」
リザナとエンプティの視線が交錯する。
よく似た瞳――そうして眺めていると二人は姉妹のようにも見える。
「エンプティ、あなたも、私に彼を赦せというのですか」
嘘はつけない。
それは、そういうこと。
「はい。……それが、たとえ、ミ――あなたを傷つけることだとしても」
「真嶋慶は頑張ったから。ここまでよく戦ったから。だから、報われてもいい。そう思いますか?」
「はい」
「エンプティ」
「はい」
「結局、あなたはやっぱり人形なんですね」
リザナが、とん、とディーラー服を身につけた少女の胸を二本の指で突いた。
少女の表情は動かない。
ガラス細工みたいに。
「あの男も、バカです。赦せ、赦せと――なぜ気づかないんですか? あなたたちはこれまで、五人の敵を超えてここまでやってきたのでしょう? 誰にだって、あの狭山新二にだって、あなたたちは出会ってきたはずです。他人はただの道具ですか? 自分の想いを遂げるためのパーツですか? 違う――それは絶対に、違う」
「…………リザナ様」
「ねぇ、エンプティ。忘れてしまったらね――もう赦すこともできなくなってしまうんです」
リザナは立ち上がりざまによろけた。それを咄嗟にエンプティが支える。
「リザナ様!」
「さあ、エンプティ。続けましょうよ」
亡霊が振り返る。
「悲しい時間を」