Neetel Inside ニートノベル
表紙

あなたは炎、切札は不燃
真嶋慶

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 船は死んでいる。


 機関室は葬儀のように静まり返っている。あれほど騒いでいた動力部が、ピストン1つ稼働していない。
 これでは燃焼は回転につながらず、ゆえに蒸気船は走らない。たとえ亡霊船であろうとも、ルールは存在する。これが誰かの描いた個人的な夢でない限り。

 慶は誰かが放り投げたのか、それとも争ったのか、脚の折れかけた椅子に腰かけていた。
 よく見れば機関室は足の踏み場もないほどに荒らされている。
 家畜を細切れにして燃焼室に投げ込む肉切り包丁が血も瑞々しいまま放置され、火夫たちが顔に嵌めていた仮面やら頭巾やらが打ち捨てられているか、粉々に破壊されている。
 バラストグールの末路――食用獣に受肉させられた者たちは一匹もいない。
 それを探す者もいない。全てまやかしだったかのように――
 燃料切れだ。
 もう船は走らない。
 そして、俺自身も――

 足音がする。気のせいだ。
 もう誰も真嶋慶を探しはしない。
 誰にも会いたくないから、こんな竜骨まで降りてきたというのに、それを追いかけられては世話がない。
 だが、足音は、慶のすぐそばで止まった。

「よう」

 慶は首だけで振り返り、それが誰か認めると、一つ重い溜息を吐いた。

「おまえの幻覚を見るようじゃ、俺もいよいよ終わりだな」
「そうらしいな」

 アルクレムは、よいしょ、とおじさんっぽくその場に座った。服が汚れても気にならないらしい。

「まさかおまえがこの船に乗るとはな。驚いてるよ、真嶋」
「笑いたければ笑えよ」
「なら遠慮なく」

 バカに指を差してケラケラケラと笑い倒す、そんな愚か者を見て、慶は首が折れそうになるほど項垂れた。

「……変わってねぇな、おまえは」
「おまえは変わったな。……誰かのために戦うなんて、おまえらしくもない」
「俺もそう思うよ」
「狭山にもメチャクチャ笑われただろ?」
「それがわかってて、俺があのクソに言うと思うか?」
「だよなぁ」

 遠足にでも来ているかのように、アルクは後ろ手を突いて、よもやま噺に花を咲かせるつもりらしかった。

「あの狭山を倒してまで、どうしても、生き返らせてやりたかったのか? 深癒ちゃんのこと」
「ああ。たぶん、そうだったんだろうよ」
「嘘をつけよ」

 アルクレムはヘラヘラと笑った。

「おまえはただ、赦して欲しかっただけだ。自分がやったことを帳消しにして、チャラにしたかった。自分の汚点を綺麗に拭き取って、やれやれ大変だったでもなんとかなったな、って自己満足に浸りたかっただけなんだよ」

 慶は何も言わない。アルクレムはそんな慶の横顔を見上げながら続ける。

「あの子が怒るのもわかるよ。たとえ、なんの事情も聞かされてなかったとしても、な」
「……そうか?」
「逆の立場ならどう思う。なあ、真嶋。おまえは自分の親父に『生かしてやったんだから感謝しろ』と言われ続けてきただろ。おまえがやってるのも、それと同じなんじゃねぇか。おまえは、それに物凄く反発したよな。生まれ育った屋敷を飛び出して、地下賭場なんかに棲みついてさ」
「……俺は」
「おまえ、ちゃんと聞いたか? 生き返りたいですか、って。それも聞かずに、いきなり命なんて始末に困るものを一方的に押しつけられたら、そりゃ嫌がるよ。特に、それと上手く付き合えなかったおまえなんかにやられたら、さらにムカつく」
「……確かに、おまえにはそれを言う資格があるよな」
「ああ」アルクは笑った。
「俺はおまえのせいで死んだ。ああ、赦せなかったぜ。俺を死なせたおまえを。だが、そんなことくらいで……おまえが負けていい理由になんて、ならない」

 慶は顔を上げた。地べたに座るアルクを見下ろし、

「気づいてたのか」
「負ける気だって? わァかるに決まってんだろォがァ、どんだけウンザリするほどおまえと一緒にいたと思ってる。あの子ですら気づいてたぞ」
「さっき、面と向かって言われたよ」
「それで言葉に窮して逃げてきたか。本当におまえは、博打は一流なのに人間関係は見るに堪えないガキそのものだな。困りゃ逃げる」
「うるせぇな……」
「で、どうするんだ?」

 アルクレムは燃え殻の欠片を拾って、まだ温熱の残る機関部へと放り投げた。

「どうするって?」
「もうすぐ次のゲームだろ。作戦ぐらい立てろよ」
「そんな必要ねぇよ。放っておけば勝手に負ける。せめて気持ちよくあいつに撃たれてやるさ」
「本気か?」
「ああ」
「そうかい」

 アルクレムは立ち上がった。煤で汚れたズボンを叩く。

「なら、これでいよいよ真嶋慶の物語も完結だな。死んだっつのに大暴れしやがって」
「おまえにゃメーワクかけてねーよ」
「ふざけてやがんなァ……俺はここまで泳いできたんだぞ? いったい誰のために苦労したと思ってんだ」
「頼んでない」
「出前じゃねぇーんだぞ! はいそうですかと引き下がれるか、あん? ったくよぉ……ほれ、早くしろ」

 催促するように前に立つアルクレムの影を、鬱陶しそうに慶は見上げた。

「なんだよ。まだなんかあるのか?」
「負けるんだろ? だったら俺から伝えておいてやるよ、エンプティに」

 アルクは笑っている。
 人の好さそうな顔で。

「これまでおまえをず――っと信じてきたあの子に、『真嶋慶はそれを裏切ります』って代わりに教えてきてやる。はっきりと。さぞや自分じゃ言い難いだろうからな、え、俺はいいやつだろう、なあ真嶋」
「……………………」
「さァ言えよ。どう言うんだ? 項垂れて、自己憐憫に浸って、ああちくしょうなんてこった、こんなことになるなんて思わなかった! 俺ってやつはなんて可哀想なんだ! ……そうやって言いたいこと片っ端からのたまえよ。全部聞いてやる。頷いて、そうだそうだと囃し立ててやるから、さっさと言えって言ってんだよ」

 立ち上がりもしない慶の椅子を払って、よろけた慶の胸ぐらをアルクが掴む。そのまま絞め殺しかねない勢いで、それでも人当たりのいい、糸のように細い目をしたあの笑顔のまま、アルクは呆然とする慶に言う。

「俺はおまえが羨ましかったよ。俺には勝てない。俺は、おまえのようには生きられない。ずっとそう思わされてきたからな。俺ができないことを、おまえは大したことじゃないと言いたげにあっさりやってのける。さぞや気持ちよかっただろうな? ……俺には地獄の気分だったがな」
「……そんなこと」
「ないってか? よく言えるぜ、どの口が利いてんだ? たまには胸襟ってのを開いて本心を語ったらどうだ? 親父に殴られすぎて腰が抜けたまんまになったか、ん?
 おまえはな、期待させたんだ。
 おまえなら、本当に、誰にも負けないかもしれない。
 どこまでだって勝ち続けるかもしれない。
 最後まで――いけるかもしれない。
 たまたまだ、まぐれだ、偶然だ、
 そんな御託に用はない。
 おまえは夢を見せたんだ、真嶋。俺にも、あの子にも。
 俺が巻き添え食って死んじまったことなんかいまさらどうでもいい。
 正しいとか間違ってるとか、そんなこと構やしない。
 おまえは俺たちに夢を見せた。
 俺はな…………
 その夢から、覚めたくないんだ」

 手を離されたことにも、気づかなかった。
 アルクは一歩離れて、ずいぶん遠くにあるものを見るような目で慶を見ていた。

「もう電車は到着してる。本当はもう、わかってんだろ? おまえが乗っていいのはグルグル回る環状線なんかじゃねぇよ。おまえには、終わりがある。あとはもう、突っ走ればいい。いつもみたいに。……おまえは、ずっと考えていたはずだろ? その『終着駅』を、さ」

 それきり、もう声はしなかった。






 足音がする。気のせいだ。
 だが、足音は、座り込んだ真嶋慶のすぐそばで止まった。
 見上げれば、おそらく時間になって、迎えに来たのであろうヴェムコットが、処刑紳士のように一切の隙もなく凛と立っている。
 冷たい――冷たい目で。それはあの日の、盗み手を掴んできた老人と同じ。
 為すべきことをせず、手だけ汚していく人間を見る、目だった。



 ○



 すぐにわかった。

 船室の扉が開いて、探しに行ったヴェムコットに連れられて、真嶋慶が入ってきたとき、エンプティですら気づかなかった。
 それは、おそらく、本当に真嶋慶の敵になった者にしかわからない気配だったのかもしれない。
 一歩ずつ、一歩ずつ、ちょうど十三歩で辿り着き、
 大儀そうに、対斜面の席に座った慶にリザナは言った。

「わざと私に直撃させないようにするのは、大変でしたか」
「ああ、大変だった」

 首を振り振り、もう慶は取り繕わなかった。

「しんどかったよ」
「それで……もう、償いにも飽きましたか」

 ここに戻ってきたということは、
 素直に白状するということは、

「あなたは結局……戦うのですね。自分の欲しいもの、手に入れたいもの、成し遂げたい欲望のために……すべてを犠牲にするのですね。ほかの誰でもない、自分のために。それだけのために」
「いや」

 慶は、ふいにリザナを見た。
 おそらく、この船に乗って、再会してから、本当の意味で初めて、リザナの目を真正面から見た。
 見れるはずもない目、
 償えるはずもない相手に、
 それでも、伏せたカードに手を伸ばし、


「おまえのためだ」


 最後のゲームが、始まった。

       

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