残暑の残る、そんなある日。
ムワッとした湿気が辺りに立ち込め、生きる気力を溶かしていく。秋時雨か。
放蕩に次ぐ酩酊の表情を湛え、俺の目の前で不気味なアルカイックスマイルを向ける女。その長い黒髪には艶があり、腰のやや上くらいまで伸びていた。それらは結んだりはせず、そのままダラリと、体へと垂らしている。こちらを見つめる漆黒の瞳は静かな闇を内包しつつも、情熱的な意志がその奥の瞳孔の中心にて燃えていた。
彼女は何故だか到底理解し難いような不確かな心情によって俺に惚れたようで、その心の動きのままにほぼ初対面で交際を申し込んできたというイカレた女だ。
一方、厭世的概念に巣食う演出的パノラマ劇場の茶番に辟易している俺は、この世に愛なんて代物があるということを認めてないが故に、そういったものに関わり合いになりたいとも思っていなかった。
そのため、一度は彼女からの誘いを断ったのだが、その後も彼女はそんなそっけない俺を心から愛し、その自らの愛を信じて欲しいと、しつこく何度も幾度となく骨の髄からおはよう、おやすみまで、隅々嫌になる程語りかけてくるのである。
「それで?あんたは、俺のことを何だって?」
「ううん。そうじゃなくて、逆なの。えっとね……『あなたは私のことが嫌い』でしょ?ってそう聞いたのよ」
「そう……で、そうだとしたら?ならばお前も俺のことが、いよいよ嫌いになるわけか」
「いや、違うよ!本当に、何度も言っているでしょ?私は、何があろうとあなたのことが大好き……」
俺の家の外のテラスにて、山中に位置する家は周りに何もなく、孤独に成り立つ立地にポツネンと佇むモダンな作りだ。そのテラスに設置してあるビーチチェアに寝そべる俺へ向かい、彼女はそう言って本当に幸せそうに満面の笑みを浮かべる。
「あなたが私のことをどう思おうと、それはあなたの自由だって言いたかったの。でも、『私があなたのことを好き』だってこと、これだけはあなたに信じて欲しい。何度も言うけど、私の望みはただそれだけなの」
彼女は真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。その純粋な瞳には一点の曇りもない。
「あなたは、愛を信じていないかもしれない。それも……それなら、それでいい。だけど……だとすればここにあるのはひとつ奇跡的に確かに存在する例外だと、それが私からあなたへの愛だと、わかってほしいの。それさえ認めてくれれば、私はもう他に何もいらないから──」
俺はそんな風に語る彼女のことを、実際これっぽっち、何ひとつも信用できていなかった。こいつは最低な嘘つきだと、直感がそう告げていた。こんな女の言葉なんか信じる価値はないと、心の中で確かな警報が響き渡る。事実、別に何をされたわけでもないが、その甘ったるい感情、ぬるい動機の上に成り立つ彼女の薄っぺらな愛には一つも賛同できなかったし、するだけの理由も価値もないと感じていた。だがしかし、彼女が大真面目に愛を語っているというこのパフォーマンス自体は現実だ、心底不気味ではあるが。
そこで俺は一つ、彼女の心を確かめる方法を思いついた。
そんなに信じて欲しいのならば、実証はそう、彼女には死ぬほど苦しんでもらわないといけない。
結局、人を愛するなんてものは楽しいからやってるだけで、楽しくなくなればすぐにでもその感情を反故にするというような、その辺の売女レベルの虫共が勘違いして行ってる程度の虚しい『愛』とやらをこの俺にさも自慢げに語るのであれば、その程度の感情、その程度の人間なのだろうと判断し、それならそんなものに信用なんてないと捨て去れるだけの確実な証明になる。
しかし、もし……もしもこの世の中で最大限の苦しみが自分へと与えられても、その心に灯る火を裏切らず、一本真っ直ぐに通った愛を貫けたのなら、その時は確かに彼女のことを、その愛を信用してやってもいいかもしれない。少なくとも、これまで口にしてきただけの揺るがない気持ちは確かだと感じざるを得ない。暴力的な理屈だが、僅かな筋は通っているだろう。そのことを彼女に伝えると、妙なことにこちらに向け嬉しそうな顔をしてこう言った。
「私なんかのために、そこまで考えて付き合ってくださるなんて……うれしいです。ありがとうございます。心から、頑張らせてもらいます。……ええっと、それじゃあ愛を確かめるとは言うけど、何をするの?とりあえず、殴ってみる?包丁なんかを刺してみてもいいよ。私に何をしてもあなたのことを裏切ることなんて絶対にないって教えてあげるから」
そう気味の悪い笑みを浮かべながら豪語する彼女の愛を確かめてやるべく、俺はまず彼女の後ろ手に手錠をかけた。
「へー、なるほど。拘束プレイね。そういうの好きなんだ。うん、私も結構好きだよ」
無視して彼女に目隠しをする。
「……あ、そ……こういうこともするんだ。視界を奪うことで、こちらの自由度と理解を遮断するってことだね。うん。たしかに、効果があると思うよ。今ももう少し怖いし、ね……」
彼女は一転少し不安げだ。
「……気丈に振る舞うな。これからもっと怖くて苦しくて、辛く痛いことが起こるぞ」
そう脅した後、俺はバトン型のスタンガンを持ち出し、彼女の首筋に押し当てた。
「!ッッッウグゥッ!!!!!?!」
彼女の身体がピンッと張り詰める。それからガクンガクンと激しく痙攣し始める。立ってられなくなり、床を転げ回る。
「あぁあああっ!!うぐぅぅっ!!」
バチバチという音とともに青白い火花が飛び散る。
「アッァグッ、ガアアア!!!!」
彼女の悲鳴が部屋中に響き渡る。しばらくすると静寂が訪れる。
「あぅ……グ……」
俺はまた別の角度から、スタンガンを押し当て無防備な体に電流を流す。
「ッンヒィイイッ!!!」
彼女は海老のように仰け反った後、ビクビクと震え始める。
「ハァーッ……ハッ……アァッ!」
息をするのもままならない様子だった。
この刺激は彼女にとって、まさに地獄そのものと言えるだろう。目隠しをされ、どこからスタンガンを当てられるかわからない状態で、いきなり思いもよらぬ箇所から強い電撃が体を襲うのだ。彼女は身体中をガタガタと震わせ、恐怖のあまり声すら出せない。
俺は何度も何度もスタンガンを用いて彼女の体を責め続けた。彼女が意識を失うまでずっとだ。
気がつくと辺りは真っ暗になっていた。
目隠しを外してやると、涙の滲む目を閉じ、気絶している女がいる。彼女の首筋に手を当てると脈はある。死んではいないようだ。俺は彼女の頬を思い切りビンタした。
「んんぅ……」
彼女はゆっくり目を開ける。焦点が定まっていないようで、まだ自分がどこにいるのかよくわかっていないようだった。
「おはよう」
「お、おはよう……えっと、あれ?ここはどこですか?」
「俺の家だよ。さっきまでのことは覚えてるな?」
「はい……あ!そう、だ。……あの、それで、えっとぉ、愛は……証明できたのでしょうか?」
おずおずと期待する彼女へ冷たく、「まだだ、そんなわけないだろ?お前にはもっと苦しんでもらう」と言い放った。
「う……いや、そ、そうですよね。私もこの程度で立証されるものだとは思ってません!で、でも、私はどんなことがあってもあなたを愛し続けるから、安心してください」
彼女の顔が強ばる。どうせ嘘だろうが、その言葉が本当かどうか、先程までの遊びのような心持ちではなく、本腰をいれて試す価値くらいはあるかもしれない。
「じゃあ、次は羞恥責めでもしてみるか?」
俺は彼女を立たせ、服を脱がせ始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!いきなり、そんなっ……恥ずかしいです」
「うるさい黙れ」
そう言って彼女の頬を思い切り引っ叩く。
「ヒッ!?」
俺は彼女の着ているものを全て脱がせて下着姿にすると、後は彼女に自分で脱いでもらうことにする。
「なんか、こう、もっと欲情的に脱いでみろよ。それ。愛がどうこう曰うなら、俺を興奮させてみたらどうだ?結局は、好意なんて生殖のための感情なんだからな」
「ち、違っ……それは……っ」
しかし、どうにも否定しきれないところもあるのだろう。彼女は顔を赤らめながら、ブラジャーを外す。その仕草はとてもぎこちなかった。そしてパンツもゆっくりと下ろす。俺はその様子をただ眺めていた。
「あの……やっぱりこういうのは、やめておきませんか?」
彼女は泣きそうな声でそう言う。
「ダメだ。愛を証明したいんだろ?男に媚びるのが女の務めだよな?だったらもっと色っぽく誘ってくれないと困るんだよ」
俺はそう言い放ち、彼女の胸を強く掴む。
「ひゃうっ!?」
俺はそのまま彼女の乳首を指先で摘んでコリコリと弄ぶ。
「あふっ、あんっ、やめてぇっ!」
「はあ、こんなに硬くしておいて何言ってるんだ?本当は興奮してんだろ?愛ってのは発情でしかないのか?」
「違うぅ、きもちよくなんかないぃ、あっ」
今度は思いっきりつねってやった。
「痛いっ!」
「嘘つくんじゃねえよ」
そう言ってさらに強く捻り上げる。
「いたっ、やめっ、ほんとうに、やめてくださっ」
「愛を、証明するんだろう?もっと頑張らないと終わらんぞ」
乱暴に言い放つ。しかし、彼女はそんな俺の行動に対し直接的な抵抗をしないままこちらに真っ直ぐな視線を向けると、諭すようにポツリポツリと語る。
「はい……で、でも、こういうのはあなたが愛を認めてくださった後にと考えてるんです……したくないわけではなくて、証明する前に、愛がないのに体をどうこうするのは私は反対なんです……ごめんなさい、あなたの言うことには従いますが、これだけはわかってください……」
「……へえ。ま、理由がなんであろうと、そっちがそこまで言うなら、無理矢理やらせても仕方ないな。方向性の違う愛を確かめても意味はない」
そう呟きながらも、これまでで唯一向こうからしてきた抵抗の理由に、少しだけ彼女のことを見直してしまった。俺はそのことにたまらなく苛ついてしまう。
「ならば、自分で誘惑だけでもしてみろ。俺は一切触らないが、相手をそのつもりにさせるのも愛の側面のひとつだろ?それくらいなら良いんじゃないのか」
「は、はい!そうですね……今度こそ証明させてください。私、がんばりますから!」
「ああ。やってみろ」
俺は腕組みをしながら見守る。
彼女は言われた通り、自分の身体を使って俺を誘惑し始めた。
まずは手始めに、自らの胸に手を這わせて、優しく撫でるように触ったり、揉んだりする。それからだんだんと激しく腕を動かし始めた。次に彼女はキスをするかのような舌の動きで扇状的なアピールをする。舌を入れられ口内を犯されるような激しいディープキスの『フリ』だった。最後に彼女は自身の秘所を開いたり閉じたりさせながら「ここが私の大切な場所です……♡毎日あなたのことを思って、オナニーをさせていただいています……♡どうか、好きになってください……」と囁くように言った。
「えっと、どうでしょうか?」
彼女は不安そうにこちらを見つめてくる。
確かに、馬鹿っぽくもあるが、思っていたよりエロティックに出来ていて感心した。が、ここで愛を認めてしまうのはなんだかプライドが許さない。だいたいこれで仮に興奮をし、勃起をしたとしても、それは愛なのだろうか?俺がやらせといてなんだが、疑問が残る。
「まぁ、こんなもんか」
俺がそう告げると彼女は肩を落とした。
「すみません……こういうのは慣れてないので……あまり上手くできなかったかもしれません」
「あー……いや、誘惑自体はそこそこよかったぞ。ただなんというか、思い切りが良すぎたな。もっと照れや恥じらいがあれば、逆説的に愛情を感じていたかもしれん」
「あ、ありがとうございます!命令に従わなくてはと必死で、でも、確かにいきなり媚びすぎても嫌な感じになりますよね……」
「はぁ、ま、こんなことをしてもお前を辱められないことはわかってたんだがな。やはり『痛み』じゃなきゃお前の心は折れないか」
「う、うう……わ、私は絶対に諦めたりなんかしませんよ……それこそ死んでもあなたのことを愛し続けます…‥」
「それは今にわかる」
俺は先程のスタンガンを取り出すと彼女の前でバチバチと電流を流して脅かす。
「ひっ!?」
やはりあの拷問はかなりの恐怖だったのか、トラウマにより、これまで常に冷静だった彼女ですら体を震わせた。
「もう一度聞くが、俺への愛を捨てるつもりは無いんだな?」
俺は彼女の髪を鷲掴みにして、丸出しの胸にスタンガンを当て問いかけた。
「はい……あなたへの愛は本物です。だから、信じてください……!」
俺はスタンガンをそのまま彼女の左胸に押し当てて、スイッチを入れる。
「!?うぐあああっ!熱いぃっ!!」
彼女は悲鳴を上げる。前回のように一瞬ではない。俺は何度も同じ箇所に当て続けた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!!!」
女は涙を流しながら絶叫していた。
今回は目隠しこそされていないが、体に当てられ続けていることを五感で理解できている分、逃れようがなくて辛いはずだ。俺は特に命令してないが、彼女はこの電流から逃げるということがすなわち、愛から逃げることなのだと、そう判断しているようでスタンガンを体から離そうとしない。
「あぐっ、もうやめてぇ!!お願いしますぅ……!」
彼女が涙声で懇願してきたところでようやく俺は電気を流すのをやめる。
「ひぃっ、ひぅっ、あぐぅ」
彼女は床に倒れ込み、過呼吸気味になっている。
「どうだ?愛を撤回するか?」
「はぁっ、はぁっ、いえ、私は、あなたを愛し続けます……!」
「そうか、なら同じことだ」
俺はまたスタンガンを手に取り、彼女に近づける。
「まっ、待って下さい……!もう少しだけ休ませて……ッ」
俺は彼女の話を聞くことなく、先ほどと同じく左胸に当て電流を流す。
「あっああああああぁぁぁ!!!」
そのまま一度目と同じように電流を流し続けていると、彼女は白目を剥いて気絶してしまった。
「……おい、起きろ」
俺は電源を切ったスタンガンで彼女の頬を何度も叩き、無理やり起こす。
「はぁー、はぁー」
「それで?」
「え?」
「愛を撤回する気になったか?」
俺は再び、同じ質問をする。彼女もその意図が流石にわかったようで、「うう……」と涙目になり唸るように泣いてしまう。
「……捨てるか。恥じなくても良い。それも当然の選択だ……」
「いやっ!それはないですっ、あなたを愛しています、これから先も、ずっと……!」
彼女はこちらのセリフに被せるように大声で愛の否定を否定した。
こいつは、何を考えているんだ?これからどうされるかわからない訳ではないだろうに。まさか、その殊勝な態度に感心して、俺が電流責めを取りやめるとでも思っているのか?それならそんな甘い考えはキッパリと、ズタボロになるまで否定してやらないとな。俺はまたもや左胸、同じ場所、彼女の丸出しの部分にスタンガンを当てると、同じように電流を流す。
「あがががががが!!!!!」
彼女は白目をむき、口から泡を吹き出して再び失神した。だが、すぐに同じように覚醒させる。そして、もう一度尋ねた。
「愛を、撤回するか?」
「し、しませえええん……!」
また電流を流す。
「ひいいいっ!!!」
彼女は体を痙攣させて悶絶した。しかし、まだ意識があるようだ。
「そうか」
俺はスタンガンの出力を上げて電流を流し続ける。
「あがががががががが!!!」
彼女は身体を大きく仰け反らせて、悲痛な叫び声を上げていた。何度も何度も何度も、それを繰り返す。
それが大切なことだ。やってる俺ですら『いつまでやるんだ』と考えてしまうが、電流を流される方にとっては、なおさらたまらないだろう。いつ終わるかわからない。それはある意味、目隠しを外されている状況だからこその恐怖。視界がない状態ならば、どこからか来るスタンガンのことを考え、その一瞬を耐えればいいが、目の見える今は愛を否定しない限り終わることのない同じ動作に苦しめられる。これで20回は超える電流責めだ。流石に彼女の精神も壊れかかっているはず、そのはずだった。
「うふふ……えへへへへへ……」
彼女は、笑っていた。
電流を浴びせられる度にビクンと体を跳ねさせながらも、それでも笑顔だったのだ。
「どうした?もしかして狂ってしまったか?いや、元から狂ってるようなものではあったが……」
「だ、だってぇ、嬉しいんですものぉ……いままでトコトン無視をされ続けてきた愛おしい人からこんなにも構って貰えるんですし……それに、単なる遊びじゃなくて、目的が愛を証明するためなんですから……これに耐えれば愛しているってことをわかってもらえるんですよね。それって辛くなればなるほど愛を強く証明できるということになるじゃないですか。それはもう嬉しくてしょうがないんです……」
俺はなんて強がりを、とも思ったが、それにしては確かに彼女の理屈は通っていた。もちろん狂ってはいたが、この地獄のような電気責めの中、彼女は自らの意志の元、気高く、本当に幸せそうに笑っていたのだ。
「そうか、なら、もっと強くしてやろう」
俺は更に電流の強さを上げる。
「ぎゃああああっ!!!」
彼女の悲鳴は部屋中に響き渡った。
「あぐぅ……!あぐっ、あぐぅ……!うぐぅ……」
彼女は全身汗びっしょりで、髪も顔も吹き出る脂によりグチャグチャになっていた。
「どうだ?」
「あぐぅ……愛して、ますよぉ。あなたのことが……だいしゅ、きです……」
彼女はそう言って笑い、また気絶してしまった。
「……」
俺は少し考える。この女はおかしい。普通ならもうとっくに愛想をつかしているはずだ。なのに、何故だ?
「お前、実はマゾなのか?」
俺はそう問いかけるが、彼女は答えない。
「まぁ……いいか」
彼女の異常性など、どうでもいいことだ。とにかく、俺は彼女が愛を撤回するまでしつこく拷問を続ければいいだけの話なのだから。
しかし、この電気責めはもうやめた方がいいだろう。この程度の威力ではそもそも意味がなかったのだ。何度やっても彼女の心が折れないことからも、それがわかる。むしろ、ならばこんな程度の物で愛が立証されてしまっては、たまったものではない。
だが、これ以上の苦痛を与えるとなると、いよいよ体に損害を与えなくてはならなくなる。手足を切り取ったり、お腹を開いて内臓を潰したり……しかし、軍事的な本来の拷問などでもそうだが、取り返しのつかない責めは逆に相手を意地にさせるという結果を産む。俺は意味なく苦しめて遊びたいわけではない。愛の確かさを知りたいが故に、愛などとうに無いにも関わらず、彼女の気色の悪い意地だけで好きだなどと言われても、それこそ何も意味のない事だ。
そう、ならばひとつだけ、ひとつだけそれを解決する方法がある。どれほど拷問しても構わない、むしろそれがプラスになるような方法が……一つだけ。
◆
彼女が目覚めると、そこは周りをコンクリートの壁で囲まれた地下室のような場所だった。辺りはボロく、古びていてそうなったのか最初からこんなものなのかはわからないが。彼女は椅子に縛られていた。木でできた、よく海外ドラマや映画なんかで見る処刑椅子のような作りの椅子で、しっかりとした造りは女性が多少暴れた程度ではビクともしなさそうだ。
ガチャリ、と目の前の扉が開いて男が現れた。病院などでもよく使われる、医療用具などを乗せるカートを押しており、その上にはさまざまな悍ましい拷問器具が積まれている。
「おはよう」
彼はそう言うと、彼女に近づいてくる。そして、首筋に手を当てた。
「脈拍は正常のようだな。良かった、目が覚めて」
男はそう言いつつ、運んできた道具を整理する。女の身体中、椅子のその周りにも装置をとりつけて、拷問の準備をする。
「まずは、これからだな」
彼が手にしたのは、摘む部分に鉄製の棘が付いている大きなペンチのようなもの。
「これは指を挟んで使うんだ。こうやってな」
彼は女の左手の小指を挟む。ミシミシという音を立てて、小指が押しつぶされた。
「あっあああっ!」
そのあまりの激痛に彼女は叫んだ。
「まだ耐えられるか?」
今度は人差し指を挟み、そして、また強く押し潰す。
「あぎッ!!ッッッああああああがああッ!!」
彼女は叫び声を上げ、涙を流した。しかし、ただ潰すだけではなく、針のついたペンチでぐちゃぐちゃと何回も挟み込みミンチのようにしても、指と爪の間に無理やり捩じ込んで、剥がした指の先をヤスリのような面で削り取っても、指からペンチの奥の刃の部分で、ネジ切るように少しずつ輪切りにしていったとしても、そうして全ての指をじっくりねっとり潰されてなお、彼女は俺への愛を否定しなかった。いつもながら特に、その事に感心しつつ、指を破壊した後は次の責めに移る。次は針金を使った体の締め上げ。これもまた相当な痛みを伴う。
「あああーっ!!」
彼女は叫び声を上げながら体を仰け反らせた。足、腕、胴、様々な部分を締め上げられるが、彼女はそれでも俺への愛を撤回することはなかった。
「素晴らしい」
俺は思わず感嘆の声を上げた。針金で締め上げられた体は鬱血し、ところどころ紫色に染まっている。このまま続ければ血が止まり、体が腐っていくことだろう。ここまでされてなお、この女は俺を愛していると言っているのだ。こんなこと、並の人間にできることではない。
俺はそんな彼女がどこまでの痛みに耐えられるのか、それが純粋に気になってしまっていた。次の拷問は、鉄製の調教用鞭による鞭打ち。縛られたまま彼女は背中を強く打たれる。
「ああっ!うぐっ……!」
流石の彼女も辛そうだ。
その後も、鞭で何度も叩かれ続ける。
「愛してますよ……」
彼女は、そう呟いた。しかし、その表情は苦痛に歪んでいた。
それから、俺は彼女を責め続けた。身体中が切り傷だらけになり、一番深い傷では骨まで見えていた。切り刻まれた胸からは黄色い脂肪がトロトロと垂れ流されている。
鞭を止め、代わりに始めた鉄パイプでの殴打は思ったより楽しかった。彼女の体のまだ白い部分を見つけて黝く染め上げていく。「ぐひゅう」「がはぁ」と呻くように叫ぶ彼女は俺と目が合うと淡い微笑みを返した。その薄気味悪さに俺は思わず二、三度頭を殴打してしまい彼女の頭蓋骨の一部が陥没したが、まだ殺すつもりではないのでこれ以上は自重した。焼ゴテを身体中に押し当ててもみた。熱した鉄製のブーツを自分で履かせる拷問は、相手に自発的に動かせる分、冗談で言っていた愛の証明には役立ったようだ。「愛してます……ッ好きです!大好きです!」と叫びながら真っ赤に染まった鉄のブーツに足を入れていく彼女は、そんなことでも言っていないと精神が保てないのだろう。俺は彼女の中でだけは、確かに愛があるのかもなと感じてしまっていた。その後、そのまま焼ごてで彼女の体に卑猥な文章を刻んでいると、「まるで私の体があなたのものになっていくみたいで嬉しいです」なんて気持ち悪いことを言ったので、思わず目玉に熱した焼ごてを刺してしまい、片方を潰してしまった。「ぎゅううっうううううう」と舌が絡まったように叫ぶ彼女はいよいよ限界のように思えた。電流責め……これは彼女のトラウマになっているらしく、長時間の拷問により心の弱った彼女は弱い電気を一瞬流すだけで大絶叫をして暴れ回る。俺は楽しくなってランダムに強かったり弱かったりする電気を何度も何度も何度も流して遊んだ。彼女は全身からねっとりした脂汗や失禁等、恐怖が限界を超え体液を撒き散らしながらも、楽しそうな俺を見て、まるで自分も嬉しいかのようにニヤニヤとした表情を隠せずにいた。それがたまらなくムカついたので十時間休ませずに、死なない程度に計算した高圧電流を流し続けた。
あらゆる手段を用いて、彼女に最大限の苦しみを与えられるよう、拷問し続けた。だが、その間も彼女は俺に愛の言葉を吐き続け、決して屈しようとしない。そのことに苛立ちを感じつつも、どこかで楽しんでいる自分がいた。
セーバーソーを吹かしベッドに縛られる彼女へと向ける。
「これから手足を切り取る。この拷問はメキシコの麻薬カルテルなんかでも行われているが、覚悟と薬のキマった大の大人でも泣き喚いて暴れ回るほどの痛みと精神的な喪失だ。お前に耐え切れるか?」
「え、えへへ……大丈夫ですよぉ」
見るに耐えない姿になっている彼女は、笑顔だった。
「そうか、手足がなければもう俺の元に歩み寄ることもできないし、二度と抱き合うこともできないぞ。俺がお前に飽きてどこかへ行っても、追いかけることすらできないんだ。そして誰からも愛されず、どっかの狭い病室で簡単な身の周りの世話だけをされて、自殺もできずに一人ぼっちで生きながらえてしまう、お前はそんな人生でいいのか?」
「……あなたが、……あなたがそれを望むのなら、私はその通りに生きます。私の手足を切り取ることがあなたにとって愛を証明する何かにつながるのですよね?だとしたら私はそれだけで十分です。もしあなたが私を捨てたとしても、あなたといられたわずかな時間、その幸せな時間を胸に抱きながらひっそりと生きていきます」
彼女の言葉には一片の迷いもなかった。俺は救えないなと思いながら錆びたステンレスソードの振動で、止血のため紐できつく縛り上げた彼女の手足を一つずつ切り落としていく。
「あぐっ!ぐぅ……うう……」
彼女の苦痛に耐える声が響く。
「どうだ?」
「あぐぅ!うぐぅ!ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!!」
彼女は叫ぶように痛みを訴える。
「愛していると言え」
「あい……しています……」
彼女は愛を囁く。
「もっと大きな声で言ってくれ」
「あぃ……じてましゅ!!」
彼女は大声を上げる。
「まだまだ足りねぇな」
「愛じでいます!!!」
彼女はさらに大きな声を出す。
「もう一度」
「愛いでいまひゅ!!!」
彼女の絶叫を聞きながら、俺は笑っていた。愉快な気分になっていた。おかしなことだ。愛なんて信じていないとあれだけ偉そうな態度をとっていたのに。手足を全て切り取られた彼女は息も絶え絶えで、今すぐにでも死んでしまいそうだった。俺は手足を焼きゴテで止血する。ジュウゥウッと美味しそうな匂いが漂った。
血が少なくなり、ブルブルと震える彼女の前に刃渡り20センチ程のサバイバルナイフを見せつける。
「これで腹を裂き、内臓を取り出す。心臓は最後にしてやるよ。それまでに生きていれば、俺も愛を認めてやろう」
そう言うと彼女は息も絶え絶えに、本当に幸せそうに微笑み、そして言った。
「あり、がとう……ございます」
「礼を言う暇があったら早く楽になれ」
俺はそう言って腹を切る。しかし、これほどの得物を使っても、そうそううまくはいかないものだ。人間にピッタリと収納された内臓はネットに上がってるような処刑動画みたいには、なかなか飛び出さない。
「クソっ!難しいもんで、中々出ないな」
「あぐっ!あぐっ!」
「チッ、ああ!もういい」
俺はまだ生きている女の体に直接手を突っ込むと、掻き出すように内臓を取り出した。女の体がビクンビクンと跳ねる。
「うぐっ……あぐっ……あがっ……」
「おい、まだ生きてるか?」
「あがっ……あがががが……」
「あ?……死んだか」
その死を確認するために顔を見ると、ギリギリで生きているものの、目は虚ろで口からは血の泡を吹いていた。
「うーん、まだ内蔵は残っているが……仕方がない。手を貸してやるか」
俺は彼女へと繋がれている装置のスイッチを押し、電源を入れる。ブウウンと低い音がしたと思うと、「カハッ……!」とほぼ死んでいた彼女が覚醒する。
「あ……あ?あ、あああがあああああっ!!」
目覚めた瞬間に襲ってきた激痛に悶絶しながら彼女は叫んだ。
「おはよう」
「あがっ!あががっ!!ああっ!あぐっ!」
「どうだ?苦しいだろう?」
「あぐっ!ぐぅ!うぐううう!」
「この装置は強制的に脳の機能を復活させる器具でな。まぁ、何度も使うことはできないが、ほんの数分程度なら死んだ後も活動させることが可能なんだ」
「あ、あ、あああありがとうござ、あああうぐううううッ!!!」
「礼などいらないさ。実際無理やり覚醒させているものだから、脳のいくつかの機能……恒常化した痛みなんかの感覚を誤魔化す効果とかが無くなってんだ。まあ、俺もあんたの愛を心から試したくなったんだな」
俺は残り時間を有効に使うため、喋りながら彼女の内臓を取り出していく。腸も胃も、卵巣や子宮もブチブチと引きちぎって体から取り外していく。
「あがっ!おえぇ……ぐげぼぉ……う、う、うえええええ!!」
胃を取り出す際に握りつぶしながら引っ張ったことで、彼女は逆流した吐瀉物を撒き散らす。しかし、俺はそんなことは気にせず彼女の体を解体していった。
「よし、そろそろいいか」
「えへ……えへへ……愛じでいます。愛じ……ます。愛して……いるんです……」
彼女が愛の言葉を口にする。
「いいか、よく聞け。結局お前は死ぬんだ。お前の愛は俺が暇つぶしに捨てるような、そんなものでしかないんだ。お前のガラクタみてーな心程度じゃ俺の愛は満たせない。わかるな?」
「はい……愛しています。愛し……あい……ま……」
俺はそんな彼女の喉にナイフを勢いよく突き刺す。ビクンと体が揺れ、ゴボゴボと血反吐を吐いて口をパクパクとさせている。
「最後だ、聞け。いいか?肺は片方まだ残してやっている。喉にナイフは刺さったままだが、これでまだ俺に『愛している』と言えれば、ま、お前程度のしょうもない命だが、俺もお前の愛を認め、……俺からも愛してやろう。わかったな?じゃあ、心臓を潰すぞ」
俺はそう言ってギッと心臓を握りつぶす。グチグチと潰れるその瞬間、体の機能として到底無理だと思っていたにもかかわらず、絞り出すように「愛ぎぃえでまず!!」と彼女は大きな声を上げた。
「ほう、言えるのか」
「あいじばぇず!!愛ぎがばぁうぐ!!!」
彼女は叫び続ける。
「ふ、驚いたな……いいだろう。約束は、守るさ。言った通り愛してやる」
「うぎゅ……あ……ああ」
俺は最後に彼女の頭を撫でながら、キスをする。
「……よく頑張ったな、愛してるぞ」
そう言うと血だるまになった女は涙を流し、そして動かなくなった。
◆
「はっ!?」
死んだはずの彼女が、ベッドから飛び上がる。全身が脂汗でベトベトだった。自分の体を確認する。お腹の中、内臓もちゃんとあるし、切り落とされたはずの手足もある。血の跡はない。まるで夢だったかのように……。
「あれは……夢……だったの……」
彼女はホッとする反面残念な気持ちもあった。いや、正直どちらかというと最悪な気分だ。確かに夢の中では死にはしたが、彼には愛を認めてもらえたし、キスまでしてもらい。『愛している』とさえ言ってもらえた。そんなことを言われたら、もう自分の人生や命なんてどうでも良い。あのまま死んでもよかった。死ねばよかった。でも夢だった。死んではないが、目的も何も達せていない。まさか夢オチだなんて。なぜ自分は死んでないのだろうと、どうしても己を責めてしまい、涙が溢れる。いや、命があると言うことはまたチャレンジできるということだ。ダメになったわけではない。絶望的な気分に苛まれながらも、彼女は自分にそう言い聞かせる。
「夢じゃないぞ」
不意に後ろから男の声が聞こえた。振り向くとそこには彼がいた。
「え……あなたは、いや夢じゃないって、どういう……」
「あんたは、眠っていたよ。確かにね。でもそこに置いてある機械を見てみろよ。頭につけるギアみたいなもんでな。これは脳みその、思考の世界を多人数で共有して見ることができる装置さ。夢の中だから整合性なんかはめちゃくちゃだけど、まぁ、夢と言っても、ある程度のシナリオみたいなものが目が覚めた後も理解できるものがあるだろ?俺ら二人くらいなら、お互いその程度の共有が出来るって代物だ」
「そ、それじゃあ……」
彼女は縋るように俺の方へと体を向ける。
「本来尋問に使うようなもんなんだよ。脅しの道具さ。ま、夢の中の出来事は、ほとんど現実で起こったようなものだがな。体が傷つかなかったり、死んでなかったりするだけで」
「えっと、だったら……愛の件は、そのっ……」
「勘違いするなよ。まぁ落ち着け、話そうじゃないか、ひとまずな。俺が愛していると言った件は、そうだな、残念ながら、ほとんど夢だと思ってくれ」
「えっ……?」
「この装置で見た夢はお互いに共有している状態にあるわけだが、あんたは気絶状態でより睡眠時に脳みそが近かった。俺はほとんど覚醒状態で夢の内容を支配できてたんだ。ただ、もちろん時間をかければかけるほど現実の肉体は睡眠時に近くなる、というか本当に寝てしまうし、あんたが死にかければ、脳も『死』に状態が近くなり、お互いが見ている世界に不調が生じる。認知の歪みだな。それで最終的にああいう展開になってしまったというわけだ」
「そ、そうですか……それは、残念ですけど……で、でも!数%は本気なんですよね!?僅かにも、可能性はあるんですよね?!」
「俺自身が、信じられないがね。まさか自分があんなことを言うとはな。夢の中とはいっても嫌悪感でいっぱいで、お前の愛とやらは死ぬほどの苦痛でも覆らないなら、さっさとあんたの記憶を消して、俺との思い出だけを取り除き、別れようと思ってたんだよ。いくらガタガタ言おうと、俺と出会いさえしなければ、結局他のやつと健全な恋愛をしちまうだろうしな」
「え?き、記憶って、そ、そんな……そ、や……いやです!それだけは嫌!あなたからされること、どんなことでも受け入れます。だけど、記憶だけは許してください……!そ、そうだ……拷問!夢の中でやってみて楽しくなかったですか?た、楽しかったですよね!?今度は現実でもやってみましょうよ!ほら、夢と同じ結果が出るとは限らないですし、今度は私からもアイデアを出すのでもっと苦しめてください!今度は、ちゃんと死にますので、記憶とか、そういうことは、やめてください……迷惑はかけないのでぇ……」
彼女は半狂乱の様子で、しくしくと泣きながら懇願する。
「ふん、おい。最後まで聞け。俺は確かに最初記憶を消そうと、そう思ったが、それはつまり、それって結局は心からお前の愛を認めていることになってしまうのでは?と考え直したんだ。だって愛が無いのなら記憶を消さなくても、いずれ何かしらの原因で俺から離れて行くことになるはずだろ?記憶を消さなくてはお前が居なくならないと思うことが、今あるその愛が本物だと認めていることになるんだよ。俺の姿勢はあくまで、愛されたく無いわけじゃなくて、愛を信じてないだけのはずだからな」
「じゃ、じゃあ……まだチャンスは……」
「というか、大体あんたの愛自体は、既に認めてしまってんだよ、俺は。これを見てみろ、あんたが夢を見ていた時の脳波の図だ。この機械、尋問に使うものだって言ったろ?よくFBIなんかが使うような嘘発見機で調べるやつよりも、まぁより詳細にわかる検査なんだが、これによるとあんたの発言に嘘はなく、全てが本心からのものだと出ている。つまりあんたの愛は、現状わかる範囲では、事実なんだろう。まぁ所詮機械のやってることだし、信用度としては多めに見て8割程度だが」
彼は紙を見せる。確かにそこには彼女の発言に偽りはないという結果が出ている。
「ええ、ええ、そうです。あなたを愛している、そこに嘘はありません。何ひとつ不純な要素がなく、あなたへの愛だけがあります」
「そこでだ、なぜ俺が愛を受け入れなれないのか。それについて思うのはいうならば、愛の不確かさ……あんたの愛に問題があって疑うわけじゃなくて、この世に存在する『愛自体』の信じられなさについてなんだ」
男はベッド横のパイプ椅子に座り、指先を合わせるようにして顔の前に持ってくる。思案に暮れるような神経質な姿勢で、前のめりになることでパイプ椅子がギシリと鳴った。彼女も真剣に聞き入っている。
「まずは、あんたが俺のことを好きだと思う根拠の弱さだな。どう考えても、あんたを一番幸せに出来るのは俺じゃ無い。俺より経済力もあり、容姿に優れ、社会的な立場や権力もある男も、あんたに惚れる可能性は十分にある。お前は外見が良いし、なにより行動の善悪に見境がないとはいえ、尽くすタイプだからな」
女は最愛の人に誉められたことによる喜びを隠しきれず、口元がニヤけそうになるのを抑えようと手で覆っている。その一方で他にいい男がいるという彼が自らを卑下する発言に不満もあり、話の着地点がわからない不穏な気配に警戒してもいた。
「あんたは記憶を消されることを恐れていた。つまり俺より先にそういう男に出会っていたら、またその別の愛に向かってしまうことが自分でもわかってたんだ。この世の恋愛は早い者勝ちなのは分かりきっていることだが、だとすればあんたが俺に執着する理由もわからない。単に最初に好きになった人間を離したく無いという、結局はどうしようもない意地でしか無いということになる。それに、愛の不確かさは人間の感情の不確かさにもある。これはそうなって然るべきな機能だが、人間は生きていれば考えは変わる。いつまでも悲しみに囚われることがないように、また同じ熱を持って愛も続かない。あんたが今俺のことを好きだということを認めたとしても、数秒後すらわからないなら、結局は確かなものなどないのも同じだ。そうだろう?」
「そ、そんなことないです!私はあなたのことが好きです!ずっと好きでいる自信がある!永遠にそれは変わりません!絶対に……!と、言っても、あなたには伝わらないことですよね。これは……」
「ああ、すまないが、夢でやったみたいな拷問や、それ以外の検査、例えあんたの頭の中をそのまま覗いたり同じ考えを共有できたとしても、不変であることの証明ができない以上、永遠の愛とは言えない」
「……まず、記憶の件ですが、たしかに、消されると困ります。私はあなたと会うまで特に他の人を好きになったり、付き合ったりということをしたことはありませんので、それが証明になるかとも考えたのですが……早い者勝ちというのもそうかもしれません。それは実際のところとても否定なんてできないですが、もしもあなたが少しでも、私の脳みそにあなたの記憶のほんの一欠片でも残してくれるのならば、私はその愛の違和感だけを信じて輪郭すら定かでは無いあなたを思い続けて生きると思います。他の男の人を好きになるというのは想像もできないので、記憶を消されてからの私じゃないとわかりません。でも、それならその私は、『あなたと出会わなかった私』は今の私とは全く別の人間……私ではない誰かだと考えてもらうしか無いです……」
彼女はベッドから上半身を起こす形でこちらに向き直すと、まっすぐな瞳で見つめてくる。
「愛の確かさの話は、その通りです。私の心も変わります。それは人間である以上致し方ないことで、今の私自身はこの愛が変わらないことを確信してます……が、それも結局今の気持ちでしかありません。これは生きている以上、避けられない心自体の変化なのですが、まぁどうしようもないのは確かですね。ただ、変化とは消えるわけではないと思っています。あなたは愛の変化を維持か消滅かだと思っているようですが、私の感覚では、また別の愛になると考えています。時間や、もっと直接的にあなたと関わる上での心情の変化はあるでしょう。しかし、その影響を受け愛が変わるとしたら、それはもっと深い愛へと変化していくものだと考えています。愛は不滅なんです。人が人を強く思う以上……消えることなく続いていくものだと思っています……もっとも、それを証明することなんてできないのですが」
そういうと彼女は何かを決めたようにその双眸に強い光を讃えると、俺の顔を見てニコリと微笑んだ。
「どうします?死にましょうか?私」
「……」
「あなたもわかっているはずですよね。心は生きている限り移ろいでしまうというならば、死んで仕舞えば不変であることに。現状あなたは今の私の愛は信じてくれているのだから、私がここで死ねば、あなたの心には、ここにいる一人の女性があなたを心から愛し、そして二度と変わることのない愛を抱えて死んだことが残りますよね。私はそれだけで十分なんです。あなたはこの世に愛が確かにあったことを信じながら、あなたの人生を歩んでくれればいい。きっと、愛から目を背けて生きるよりも温かい道のりになると思いますよ」
彼女はベッドの上で膝立ちになりながら、まるでこれから死のうとする人とは思えないほどに明るい笑顔で語りかけてきた。
「そうなのか、ここまでして……それしかないか、結局愛の証明なんて……」
「ふふふ、そうですよ。でも、わかってくれて嬉しいです。愛していますよ。あなたのことをずっと」
彼女はベッドの上に置いてあるナイフを手に取ると、それを自らの首に当てる。そのまま押し込みさえすれば、ここは夢とは違う、現実世界だ。必ず死ぬだろう。ここには一応の医療設備があるとはいえ、大きな手術は不可能だ。街から離れていることもあり、救急車も呼べないし、そもそもそんなことしても助からない以上わざわざ事件になるようなことする意味もない。
「私は、もうあなたに全てを伝えました。全ての愛を。思い残すことはありません。あなたは私に何か、最期に伝えるようなことがあったりしますか……?」
「……正直わからないな。まだ夢を見ているように思考がまとまらない。まだ何か考えないといけないことがあるだろうが、現状の情報だけ見ると、結局あんたの言う通り、不変を求めるなら死ぬのが正しいように感じる。……もしあんたが死んだ後その愛を認めるように頭で結論が出たら、墓にでも向かって『愛してる』と伝えるよ」
「……うれしい」
彼女は涙を流しながら本当に幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう。さようなら……」
俺は、彼女の愛が完成されるのを、黙ってみていた。これが正解なのだ。俺は認めざるを得ない。ここまでするからには、彼女の気持ちが確かなものであることに。本当は最初からわかっていたのではないか。愛のことを、彼女の愛を……愛?俺の心には、何が生まれていたんだ?他人の気持ちばかり思おうとして、自分の気持ちについては……何を……愛とは……。
俺は、気づいたら彼女が喉に突き刺そうとするナイフの刃の部分を掴み、それを止めていた。首を刺そうとする彼女の動きによって俺の手にナイフが滑る。
「きゃああああっ!」
彼女が叫ぶ。指は落ちなかったが、傷口からは止めどなく血液が滴り落ちる。彼女はすぐにナイフから手を離した。俺はそれを奪い取ると、すぐにベッド横の棚の上に置く。
「え!?な、なんで……?!」
「……これは、なんだと思う?」
俺は切れて血が滴る手を見ながら、彼女に尋ねる。
「なんで俺はこんなことをしていると思う?なぁ、これは……愛か?」
「……。い、いえ、きっと違うと思います……。私の……配慮が足りていませんでした……。私が死んだ後、その死体を片付けるのも、私が死んだ後の色々をこなすのも、そもそもこの場所もベッドも血で汚れるし、なんの役にも立たなくなった肉の塊の処理なんて、めんどくさくて当然なんです。私が全部準備してから死ぬべきでした。なのに感情に、雰囲気に任されて、この場ですぐに死のうとしてしまうなんて、あなたを好きと言う感情の不信にもつながる適当さでした……!すみません。反省しています……!」
彼女はベッドの上で正座をし、深々と本当に申し訳なさそうに謝る。
「……なるほどな、今わかったよ」
男はゆっくりと再びパイプ椅子に腰掛けると。赤く染まる手を抑え、彼女に語りかける。
「そうだったんだ。愛を疑っているのは君もだったんだな。今の俺の行動に、本当に愛は見当たらなかったか?死ぬのをナイフを掴んで止めるのが、片付けがめんどくさいからだと本当に思っているのか?そもそもあんたは自分の愛すら確かだと信じることができなかったから、俺に委ねたんだ。なぜわざわざ俺がお前を愛するようにではなく、お前の愛を俺が信じると言うことに執着したんだ?俺の沸切らない態度も、グダグダとした情けない思考も、普通の女なら呆れるところを、あんたは共感できたから、付き合えたんだ。愛がわからないのはお互いだったんだろ?それなのに、あんただけ好き勝手に『好き』を証明して死んでしまうなんて、狡いじゃないか」
「えっ?え、そ、そんなことは……決して……」
「じゃあ、あんたは俺が君を愛しているって心から信じてくれるか?あんたと同じことをしたっていい。ほら」
男はナイフを持ち出すと、同じように首に突きつけて、喉に刺していく。
「うああああああ!!!待って!やめてやめてぇ!!!!」
彼女はベッドから飛び出すようにしてナイフを掴み取ろうとする。俺はそれをヒョイと避けて、彼女に再び語りかける。
「で?君はなんで止めようとしたんだ?やっぱりここで死なれると片付けがめんどくさいから?」
「う、うううう……な、なんで、どうして……」
啜り泣く彼女、俺はその辺にナイフを捨てると、これまでを総括して考えを語る。
「結局、愛なんてこの世になかったんだよ。拷問の末、あんたの心に見た愛も、幻だった。所詮は俺たちは二人とも愛なんて知らなかったんだ。だからお互いにそれを証明するために、輪郭すら掴めてない『こんなもの』に固執していたんだ。でも、もう終わりだ。結論は出た。愛はどこにもなかった。俺たちの愛は死んでいたんだ」
「う、ちがう……私は、あなたを……」
「一つだけ、証明する手段があるとしたら、それは俺たちがお互いの心にある愛を認め合うことだったんだよ。あんたは俺を絶対に愛していると譲らなかったが、そんなことをしても意味ないだろ。あんたは俺の情を、俺はあんたの情を確かなものだと思うことで、ようやくそこに『愛』と呼べるものが生まれるんだと思う。どうだ?愛を信じられるか?」
「うう、愛は……ありますぅ……私は、あなたを愛してます……」
「俺があんたを愛していることも信じられるか?」
「う、あ、愛してます……あなたの心は……信じ、ます……信じます、けど、その……」
「ふ、無理なんだ、結局。お互いそんなものは何一つ信じていなかった。最初から何も意味がなかったんだよ。俺たちがしたことはな。くだらない幻、と言うか幻覚?追うこと自体がしょうもない代物だ」
俺は吐き捨てると、彼女の方を見た。彼女はいよいよ心が折れたようにベッドの上で声を上げて泣き出した。
「あぁあ、あ、あ……あ……」
「お前は、最初から自分だけが満足できればそれでいいという考えで、好き好きとアホみたいににほざいていたが、その気持ちは当然偽物だったと言うことなんだよな。本当の愛は相手を信じることだったんだから、お前はその基本すらできていない見せかけだけの愛情モドキを俺に押し付けていたかっただけなんだ。改めて考えれば、なんて全くクズな女なんだ?お前は。恥という概念を知らないよな?ま、こんな基本的な親愛すら知らない無知蒙昧な独善女なんて、わざわざ相手する価値すらない反吐みたいなもんだからしょうがないがな。これまで付き合ってやっていた俺が聖人というか、やっぱり茶番だな。最初に抱いた感情が全てで、もう触れたくもないよ。なぁあんた。最後に少しでも俺に対する気持ちが残っているなら、ここから……俺の目の前からすぐにでも消えてくれるか?俺の人生には二度と関わらないでもらいたい。そのナルシストで腐った思考が移りでもしたら困るからな。ああ、死ぬなんてのもやめてくれよ、今のお前が死んでも本当にただ迷惑なだけだからな。どっか別のところでその偽物の愛とやらを他の誰かに振り撒く迷惑を続けてくれ。得意なんだろ?そういう他人の気持ちを考えないクソみたいなお遊戯がさ」
俺はその後もしばらく、彼女の全てを否定し続けた。彼女の気持ちも、愛も、行動も、命も、目的も、これまでの全てを、生まれを、そしてこれからの人生を含めてどれほど価値がないかをじっくりと罵倒し、否定し、貶し続けた。ただでさえ心の折れた彼女はしばらくは嗚咽しながら俺の話を聞いていたが、そのうち限界を超え泣き喚きながら暴れるようになった。それでも俺は話を続け、抵抗してきたらその倍の暴力を振るい、しつこく彼女に向かってこれまで女が抱えてきた愛と存在に俺がどれほど興味がないかを親切丁寧に説明し続けたら、今は何も表情がないまま、ブルブルと震え出し、ついにはパタリと倒れてしまった。血の気の引いた青ざめた顔で、ブクブクと泡を吹き痙攣する彼女を見て、俺は初めて心から彼女のことを愛せそうだと思った。