一
白金の風が吹き荒れる。
真紅の月が昇り、灰色の街を真っ赤に照らす。路地裏はうってかわって青白い光が差し込み、地面に散らばる凄惨な事件の血の色を明確に晒していた。
それも、やがて襲いくる月の光の赤に混ざりドロドロに溶けていく。
現在時刻は13月13日の金曜日、深夜2時96分頃の事であった。
二
「この国では半分程も、凶悪事件の真相が解明されてないんだ」
透き通った声が響く。
それほど大きな声ではないが芯があり、アンニュイだが気の強い、そんな雰囲気のする女性の声だった。
「それは、未解決ってことですか?被害者の勘違いだったり捜査前に発覚してたり、なあなあで加害者と被害者が話し合いをして収まったとかではなく、単純に事件の解明ができずにいるということでしょうか」
「未解決ではない。解決してるんだ。ただそれは別の事件の犯人と司法取引をしたり、無理矢理押し付けたりしてその事件の罪も被ってもらうことで、解決したかのように見せかけてるだけだ。そうやって世の中を円滑に回してるのさ。バレないように少しずつ足しているが、調べようとする人間がいれば不審な点には気づく。気づいたところで何ができるわけでも何かする必要のある事でもないがな」
「へぇそんな陰謀論みたいなことが……」
疑わしい会話の相手をしているのは、少し神経質そうな目つきをした青年だった。
髪は伸ばしっぱなしにしており、肩にギリギリかからない程度の長さだ。黒いズボン、白シャツ、黒ネクタイ、そして黒い上着と制服のようなファッションをしているが、学生という年齢ではないだろう。服装はどれもきちんと着るのではなく着崩していて、それが若く見える理由の一つでもあった。
彼は驚いたかのように、それでいてどうでも良さげな素振りで女の話を聞いている。
それでもなお、こんな与太話に耳を傾けているのは彼にとって女は、話を聞くだけの必要がある立場の人間だからだろうか。
女の方は黒いレザーワンピースに身を包み、黒いヒールブーツを履いている。
特殊な結び方のポニーテールをしており、ピッタリとした服に浮き出るボディラインや冷やかな目つきを含め、全体的に怪しい大人の雰囲気を醸し出していた。
「陰謀ではある。証拠も特にないが、真実はそれぞれが判断すればいいことだ。自分の頭で考えることは大切だが、賢さは行動であり思考能力のことではない。君には私の仕事について来てもらう。つまり先程の話は正確には陰謀ではなく、これから私と仕事を行う上でのヒントということになるな」
「あなたの中では結論が決まってるのでしょうが、正直今の話も含めて掴みどころがありません。ですが仕事というのなら、もちろんご一緒させてもらいます」
女は特に何も返さず、いそいそと出発の準備を始めた。
男はそれを見て初めて、仕事は今から行われることなのだと知った。
男と女のいる場所は狭い事務所のような作りをしているが、その内装は質素で安いソファと資料棚の他には電気ケトルといくつかの粉末飲料が置いてあるくらいで、ただの待機室のような感じだ。入り口には事務室と書いてある。
出入り口の近くに傘立てとコートハンガーが用意してあり、男はそこへ向かうと傘立てに立てかけてある日本刀とコートハンガーに引っ掛けてある帽子を手に取った。帽子は目元あたりまで隠れるバケットハットで色は黒い。それを被ると男の準備は終わったようで忙しなく動く女を見つめる。
女は茶色い、どこにでもありそうな旅行用トランクに部屋中からかき集めている『何か』を詰め込む。
狭い部屋に何を置いているのかパタパタと動き回っては適当にカバンに詰め込み、無理矢理閉じると鍵を掛け、準備万端といった様子でさっさと部屋を出てしまった。
男は特に動揺もなく、部屋を見渡した後電気を消し、自分も事務室の外へと出た。
男の名は南雲。
女の方は病海月と言った。
三
しんしんと静寂が重くのしかかる深夜。
時刻は2時を回っていた。
月は雲に隠れ、僅かな街灯が深く沈んだ町を照らす。
ここでは夜間に営業をするような施設はないらしく、町全体が眠っていた。
闇に紛れ、一組の男女が町を駆ける。
相当な速さだがその歩行は静かだ。走っているのではなく飛ぶように歩いていた。
これはそういう技術だった。
「病海月さん。後方から来てるものはどうします?」
「あれはいい。それよりあと数十秒で入るから、それだけを意識して。死ぬから」
「わかりました」
僅かな会話だが、それが彼らの仕事のやり方なのだろう。必要なことだけを行うのだ。
そうでないとやっていけないのかもしれない。
女の発言通り28秒後二人は『赤い世界』へと突入した。
時刻は38万22時5分7002秒の事だった。
まず男の体が捻れた。
女がいつの間にか鞄から取り出していた小さな容器に入った水をかけると、その体が少しばかり歪み、男が元通りになった。
後方から追って来ていた存在は粘土の塊を無理矢理繋げて人型にしたようなものだった。
治った男が日本刀で真っ二つにすると、不完全な人間体は動かなくなった。
男が「良かったんですよね?」と尋ねると女は「ああ」とだけ言い、赤い夜を見渡した。
そして鞄からネックレスのようなものを取り出し、男に手渡すと男は表と裏がひっくり返った腕で受け取った。
首にかけることで男の体は再び元通りになった。
「はっ、これは……ここが例の場所ですか。すみません、今意識が戻りました」
男は女に語りかける。
どうやら突入時から既に自分を保つことができなくなっていたようだった。
女はそれに返事することなく、黙ったまま赤い夜の奥へと足を踏み入れていく。
男も、何も言わずそれに続いていった。
道中、世界が歪むと女が修復した。
男の体が捩れることはもうなかったが、ふとした瞬間体に穴が空いたり、腕が捩じ切れて吹っ飛んだりした。
しかしその度にネックレスの効果なのか自己修復し、構わず先を行く女へなんとかついて行った。
奥に進むにつれ、少しずつ町は赤で縁取られ抽象化していった。
そして段々とその輪郭も赤に埋もれていき、やがて真っ赤なだけの世界となった。
女はそれでも先へ進んでいく。
男はすでに、その後ろを追うだけで精一杯だった。
ひたすらに進む赤の奥、何もない空間の中心に誰かがいた。
その姿は齢6歳前後の女児に見える。
子供用のシンプルドレスを身にまとい、大きめのポンチョのような外套を羽織っていた。
「カルテ通りだな」
女が呟くと男は佩刀に手をかけ、動向を見守る。
女児はこちらに気がついていながら、その反応は無関心だった。
女はスピードを落とさず女児へ近づくと、歩きながら鞄を開け、中から到底カバンに入りきりそうにない程の巨大斧を取り出し鞄を閉めた。
刃は広く、反対側はピッケルのようになっている。柄の部分がやたら長いためハルバードのようにも見えたが、その無骨なデザインは消火斧などが近いだろう。
男は意識を赤い世界に向けつつも、女児と女を見守った。
女は全く同じスピードで女児に歩み寄っていき、フッと消えた。瞬間的に最大加速し女児の首元へ斧を振るっていたのだ。
しかし斧は女児の首元でピタリと止まり、赤く染まっていた。
それは血の色ではなくこの世界の赤だった。
「物理的なダメージは通らず……か、ならばこれはどうだ?」
女は斧を捨てると、また鞄を開き中のものを取り出した。
捨てられた斧は全体が赤く染まっていき、やがて完全に周りの赤と同化して消えていった。
女はオイル缶とライターを取り出し、素早く女児へとオイルをぶっ掛けると火を灯した。しかし既に赤く染まっていたオイルに火が広がることはなく、ライターもやがて赤く沈んでいった。
その際ライターを掴んでいた女の右手も、小指から中指までの三本が赤く染まり無くなった。
男は居合いの構えのまま女の様子を見る。
命令があればすぐにでも女児の元へ飛び、刀を振るいそうな気配だ。
世界へと意識を向けていなければならないので、本来隠すべきはずの殺気もダダ漏れであった。
女も当然それに気づいていたが、女児への対処に思考を割いているようで「むーっ」と軽く唸りながら残った人差し指で頬を掻きつつカバンの中身を思案している。
拳銃を出したが赤く染まった。
ミサイルを出したが赤く染まった。
爆弾も丸鋸もナパーム弾も赤く染まった。
彼女は対策として、あらかじめ赤いインクを被ろうとしたが、赤いインクが赤く染まったのを見てそれも捨てた。
黄色いインクや白いインクを周りにぶちまけて染め直そうとして、赤くなったインクを撒いてしまった。
「てへぺろっ」と男にいうと彼は「大丈夫です」と返した。
女は鞄からショベルカーを出したが、乗り込む前に赤く染まった。
ロードローラーもタンクローリーも赤く染まり、リムジンもロケットもザクも赤く染まった。
この世界に入って最初に、男にかけたものと同じ水を取り出し女児にかけたが何も起こらなかった。
そうこうしてるとやがて、鞄もなにも全て赤く染まってしまったので、女は成す術なくなってしまった。
男が「赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤」と喋り出し、女が振り返ると既に体のほとんどが赤く染まった彼がいた。
「もうだめね」
呟く女に「大丈夫です」と男が返した。
女は女児にキスをした。女児は無関心な反応を見せた。そのまま女児の体を撫で回しながら舌を入れ口の中をかき回した。お互いの唾液が行き交ったがその唾液が赤く染まることはなかった。手のひらを胸に当て、乳首を指で優しく挟みながら揉みしだき、クリトリスを下着の上から軽く圧迫するように刺激を加えたが女児の反応は無関心だった。
唇同士で糸を引きながら女が「君もやってみろ」と男に声をかけたその瞬間、とんでもない速さで赤に染まっている男は抜刀し、日本刀で女児を頭から真っ二つに切断した。
パッと世界は暗い夜に戻り、そこにはまだピクピクと痙攣している女児の断面が流す赤だけが残った。
女はそれを見て「ん?ああ終わったのか。君がうまくやったみたいだな」と虚ろに呟くと
「え?意識がなかったんですか!?」
と男は驚いた。
四
ここは怜染総合医院。
周りの景色は歪で言葉にし辛い。診療所はマインクラフトを始めたばかりの人間がとりあえず建てる家のようなデザインをしており、無機質がすぎて逆に現実世界だと芸術的にも見える。
その中に、彼ら二人がいた。
簡素な事務室ではなく、レントゲンを貼るような光るボードが壁についている、医務室だ。
「うーむどうしても傷跡は残っちゃうなぁ」
死体を置く安置机に、真っ二つの幼女が座っている。
女が縫合したのか乱暴に糸で縫われており、スニーカーに通す紐のようなもので結ばれていた。
「治るなら安いもんでしょう。でも俺が死んだ時はちゃんと埋めてくださいね」
「おちんちんだけ貰っていい?」
「ちゃんと埋めてください」
ここは医療施設で、彼らは医者だったのだ。
女はベテラン看護師であり薬剤師でもあった。
女児を切った日本刀はメスであり、男は執刀医だ。
真っ二つの幼女はまだ生きているようで、時折うーとかああーとか声を漏らす。
「この子はナースにしましょう」
病海月が言うと男は
「ちゃんと亡代さんに伝えたんですか?」と聞いた。
「大丈夫だっぽ!」
女は紐をギュウギュウ縛り、繋ぎ目をピッタリ合わせると「完成!」と叫び立ち上がった。
「お疲れ様です」
この病院はそう言う場所だった。
この世界には凡ゆる『統治する』機関が存在する。
政府から医療機関、軍隊、宗教、オカルト的なあれこれまで、それらが治せないものを治療するのが彼らの仕事なのだ。
「君はこれからナースとして働いてもらうよ」
男が告げると女児は無関心に
「うー」
と呟いた。