草原に佇んでいた。上は青。下は緑。
空気は澄んでいたし、見渡す限り草の色ばかりで目にも優しい。
うんざりするようなコンクリートジャングルなどカケラも存在せず、ただその空間には俺と、彼と、風だけがあった。
しばらく何も喋らなかったが、心地よい風の流れに乗るように、彼に話しかけた。
「大人ってなんだろうな。俺は今、一体何になったのだろう。今、何をしている事が大人であることの証明なんだろうか。この草原の中にいて、走り回らずにただ立ち尽くしている現状は大人になれたって事になるのかな」
彼は笑った。フフッと、キザに鼻を鳴らして。
「大人だ子供と言うけどね、違いなんて何もないよ。どれほど歳を重ねたかなんてものさ。
素晴らしい人間は子供だろうが素晴らしいし、くだらない奴は幾つになろうとくだらないままだ。
君がここでボーッと突っ立っているのはただ君がそう言う人間だってことで、恐らく子供の時からそのままなのサ」
やけに鼻に着く語尾のサの言い方にイラっときたがまぁ大方その通りなのだと思った。
それでも俺は彼の言葉を否定したかったのでいっそ走り出そうと思ったが、それよりも彼から影響を受けたと思われる方が癪なのでただ立ち尽くした。
風が吹いていた。頬を撫で、髪を持ち上げ後ろへ流す。心地よい風だ、全身で、頭皮で感じていた。
ふと、死ぬときもこんな感じがいいなと思った。
ただ黙って草原の中に、立っていた。
彼は座り込んでいたが片膝を立ててカッコつけている。子供の時から。彼は。
まぁいつだって、そうなのだけれども。
黙っていても始まらない。これも大人になって理解したことの一つだ。
俺は、彼に話を振ることにした。自分から。これは子供時代と比較して珍しいことであった。
「久しぶりに見ても、やっぱりそんな態度なんだな?変わらないのか?ここにいると」
彼は、座ったままこちらに振り返った。
俺は続けて言った。
「俺は変わったつもりだったが、今でも同じみたいだ。君といるからか。本当に、久しぶりだ」
彼は何も言わずこちらを見つめている。
俺も、もう何も言わず彼を見つめた。目線の違いで彼を見下ろす形になる。見下ろされるのは気に障るのか、少しムッとしていた。
彼は、すぐに表情に出すなぁ。君は変わってない。俺は変わったけど。変わったけどなぁ。
かなりの間黙っていたはずだ。
風が吹いていた。心地よい風だ。
「死ぬってなんだろうなぁ。変わっていくと最終的に動かなくなるんだ。
なんのために変わっていくのだろうか。
俺は、何のために」
彼はまた笑った。ニヒルに。カッコつけて。
「終わらなかったら君は何になる?君は今現在、何も変わってないようだが。まぁ、不死であれば、いずれ変わるとしよう。しかし、そうしたらもう、君ではなくなるのでは?
君が君であるために死ぬんだよ」
そうだなぁ。俺は最後まで俺でいられるだろうか。
彼は、変わらないなぁ。
俺は彼を見つめた。
彼は上から見下ろされるのがいよいよ気に食わなくなったのか、少しでも差を埋めるべく立ち上がった。
目線は合わなかった。彼の方はずっと下に。
俺が見下ろす形は変わってない。
風が吹いていた。
心地よい風だ。その風に身を任せていた。
彼は変わっていなかった。
この草原はどこに通じているのだろうか。
彼は子供のままだ。俺は……
「俺は、俺は変わったんだよ。君は……」
彼はあの日と同じ顔で同じように微笑んだ。
「走ろうか。君が鬼だぞ」
彼は後ろを振り向き、そのまま走り去っていった。
俺も走った。あの日のように。
風が吹いていた。
歩幅の違いを感じさせないほど、彼は早かった。走るのが好きだった。俺は嫌いだった。
今も嫌いだ。やっぱり俺も同じままだ。
「なぁ、君は、なんで、ここは……
おい、俺は変わってなかったんだ。俺も、俺も同じだ。置いていかないでくれ。
なぁ!おい……」
彼は走り去っていった。あの日と同じだ。
俺は何をしているのだろうか。
このままだと彼に置いていかれる。
ここで見失うと、もう二度と会えない気がした。
必死に追いかけるが、しかし離される。
あの日と何も変わっていないのだ。
風が吹いていた。
どんなに追いかけても彼はいなくて。
いや、違うな。
俺は立ち止まり、振り返った。
遠くに彼がいた。草原の、あんな遠くに。
彼がいた。手を振っていた。そうだ。
置いていったのは俺だ。彼は子供のままなのだ。俺は大人なのか。
彼が歪む。顔が歪んで認識できない。彼はどんな顔だっけ?名前は?姿は?
風が吹いていた。俺は草原に佇んでいた。
彼は手を振っていた。彼が歪んだ。空間が歪んだ。もうなんだかわからなかった。
空間は歪んで歪んで、俺はそれをただ眺めていた。
パッと空間は戻った。彼はもういなかった。
俺は、大人になれているのだろうか?
風は止んでいた。