Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

(四)

 こそこそと人目を避けて家に戻り、駐車場に車がないことを確かめたときには日が高かった。
 あのあと、宿泊を取り付ければ用済みとばかりに、女の子の饒舌はなりを潜めていた。初対面の相手に黙られると僕からも話しかけづらい。だから長いこと太陽とにらめっこしていたのだが、玄関に入ってようやく口を開く機会がきた。
「待って待って、靴!」
 女の子は、ブーツのまま上がり框を超えようとしていた。
「ああ、日本では脱ぐんでしたね」
「頼むよ」
 本気の勘違いなのか冗談なのか、貼り付けたような無表情からは読み取れない。
「ついてきて」
 訝しみながら、二階の自室に案内する。
 自室は4.5帖と手狭で、来客を迎える準備もない。女の子には学習椅子を使ってもらい、僕はベッドの上の置時計に目をやる。
「取りあえずは部屋でおとなしくしておいて。僕は学校に行くよ。歳は同じくらいみたいだし君も本当は通ってるだろ、学校」
 すでに授業の大半は終わっている。徹夜の頭で残りに挑んだところで成果はないだろう。しかし、志麻子に大口を叩いたからには全休は避けたい。
「学校。わかります。ネアリオにも同じような施設がありますから。大勢の子どもたちを集めて、共同体の一員としての思想教育を施す。要するに、テイの良い洗脳ですよね。知恵づく前に首輪をかけるという意味では、うってつけだと思います。傍から見れば、同じような立場の大人と子どもが首を絞め合っているんですから滑稽ですけど。気づいていますか、あの箱のなかは、恐怖の循環によって規範が成り立っているんですよ」
「急に早口になったな。まあ、うん、いろいろ察するけど。ともかく、今日に限らず平日は学校に行かなくちゃいけない。留守番は頼んだよ。あと、物盗りは勘弁してくれ。信じてるからね」
「あ、待ってください」
 釘を刺してから部屋を出ていこうとすると、呼び止められる。
「なに? 学校までついてくるなんて言わないでよ」
「あなたを見張りたい気持ちはありますが、やめておきます。でも、約束してください。わたしの存在や話した内容を、他の誰かに言いふらさないと」
「はいはい、言いふらさないって」
「……本当ですか? 信じられません」
「またそれか。そんなこと言ったってどうすればいいんだよ」
「口約束では信じられないんです」
 言って、女の子は椅子から立ち上がった。既視感のある、野良猫のような忍び足で距離を詰めてくる。
 僕は混乱する。いまは奪い取られる食糧も持っていないはずだ。
 至近距離で向き合う。伸びてきた両腕が僕を通り過ぎて、肩の辺りに絡みつく。
「ちょ、ちょっと?」
 女の子がつま先立ちになる。そのまま、鼻先が触れようというところまで顔が近づく。
 甘い匂いがする。体温が伝わる。吐息がかかる。
 負荷の大きい情報が一気になだれ込み、脳がパンクしそうだった。そして、一切の抵抗もできないまま、僕は侵略を許してしまったのである。
「ん……」
 唇に弾力のある感触。押し付けられて、わずかに唾液が混ざる。
 ――――――――。
 ホワイトアウトした世界が戻ったころには、事が終わっていた。
「ど、ど、どうして」
「こちらで男女が重要な約束を交わすときには、唇を合わせるものと」
「いや……」
「約束を守る気になりましたか。なっていないのなら、もう一度します」
「なった、なったから! 約束する!」
「よかったです」
「うん……」
 動揺を抑えつつ、逃げるように部屋を出ていこうとする。しかし、ノブに手をかけたときにふと思いついた。
「そういえば、大事なものを聞いてなかった。君、名前は?」
「フウリナ・メイクゥルネア・エピネスです」
 淀みなく言われて、渋顔になるのが自分でもわかった。まあ、予想の範疇ではある。ここでいきなり山田花子とか言われたら笑ってしまう自信がある。とはいえやはり、問わずにはいられない。
「それ、本名?」
「はい。フウリナ・メイクゥルネア・エピネスです」
「繰り返されても覚えられないけどね。わかったよ。じゃあ、短くしてフウリって呼んでもいい?」
 女の子は一瞬、虚を突かれたような表情をした。
「あれ、だめだった?」
「いえ、問題ありません」
「それはよかったよ」
 僕は今度こそ部屋を出る。
 後ろ手にドアを押し、しっかりと閉まった音を確認してから、
「キスしてから名前を聞くなんて、ぜったい順番間違ってるよなぁ……」
 呟いた声が、無人の廊下に吸い込まれた。

       

表紙
Tweet

Neetsha