Neetel Inside ニートノベル
表紙

短編集『矛盾の町』
町の終わり

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 ニイズミという男が、町と町との境界に立っていた。
「ここから一歩前に進めば、もうこの町も終わりだ」
 ニイズミはあたりを見回した。当たり前のことだが、町と町との境界なんてあってないようなものだ。一歩踏み出せば住所が変わるというだけで、踏み出した先と現在地とで、街並みが劇的に変わるようなことはない。
 もちろん、全ての町境がそうなっているわけではない。どんな地域に属しているかが変われば割り当てられる予算も変わってくる。この町の場合はたまたまそうではないが、一歩隔てれば道路の舗装具合が変わっていることもザラにある。


 行き交う人々の顔つきは全くもって同じといっても過言ではない。食べている物も着ている服も、隣町とではほとんど変化がみられない。
 全て同じ。なのに、どうして人は境界線を引きたがるのだろうか。
「またその話か。君は懲りないねぇ」
 隣にいるフルイズミが嘲笑を含んだ顔でそう言った。
 フルイズミは、ニイズミの昔からの友達で、腐れ縁。何がきっかけで知り合うようになったかは覚えていないが、知らない間に二人はいつも一緒にいるようになった。


 ニイズミは語り出す。
「だってそうじゃないか。どうして人間は、くだらないことで人を区別したがるんだ? 本質的にはどれも大して変わらないのに」
「……本当にそうかな?」
 フルイズミは前方を指さした。おじいさんが血を流して横たわっていた。
「この町の人は、誰もこのおじいさんを助けようとしないんだよ。この町はやっぱり冷たいよ」
 したり顔でフルイズミはそう言った。
「いやいや、それが普通でしょ。こんな状態で倒れている人を見て、助けようと思う人なんてほとんどいないよ」
 ニイズミがそう反論すると、フルイズミはムッとした顔でニイズミを睨んだ。
「じゃあこれはどうだい」
 フルイズミは空き缶を指さした。
「この町の人は、空き缶を拾おうともしない。この町の人は、普段自分達が歩いている道にゴミが落ちていても何とも思わないんだよ。美意識……、いや、道徳に欠けていると思わない?」
 これならどうだと言わんばかりの顔でフルイズミは言った。
「ちょっと待て。この町にも空き缶は落ちているぞ」
 ニイズミは道端にある空き缶を指さした。
「ほらね。隣町だって道徳に欠けているんじゃないか? こんなのこの町も隣町も大して変わらないよ」
 ニイズミの反論を聞いたフルイズミは、途端に不機嫌な顔になった。
「やれやれ。君は批判してばかりだね。隣町に住んでから、君はやっぱりおかしくなってしまったんだよ。君は隣町に毒されてしまったんだよ。かわいそうに」
 フルイズミは語り出した。
「隣町に住んでから、君は全然会ってくれなくなったよね。隣町に住んでいると、時間に追われる生活になっちゃうのかな」
「いやいや、そんなことはない。隣町に来たとて忙しさは変わらないよ」
「ふーん。そうなんだ。ならなおさら不思議だね」
 そう言いながらフルイズミは空き缶を蹴るような所作をみせた。それを静止するようにニイズミは空き缶に手を伸ばした。
「……ポイ捨てするのはよくない。でも気持ちはわかるよ。この町にはゴミ箱が少ないからな」
「ゴミ箱がないならゴミを家まで持って帰ればいいんじゃないかな」
「そうかもしれない。だが……ちょっとめんどくさい」
「確かにそうかもしれないね。……はぁ。君は見知らぬ誰かを気遣うのに、一番身近な人を気にかけないんだね」
「どういう意味だ」
「……もういいよ」
 そう言うと、フルイズミはニイズミが持っていた空き缶を手に取り、路地に置いた。
「ポイ捨てされたゴミを元に戻すなんて……。どうしたんだよ」
「……違うよ。これはゴミなんかじゃない」
 そう言うと、隣町の方から男が歩いてきた。
 男は空き缶を手に取った。
「やっべー。飲みかけだったのに置いてきちゃったわー」
 男は空き缶を揺らした。カラカラ、という音がした。
「なんだ、俺全部飲んでるじゃん」
 そう言うと、男は空き缶を手に取って隣町の向こうに消えていった。
「空き缶じゃなかったね。飲みかけだったね」
 そう言いながらフルイズミは隣町の方を見つめていた。


 それからしばらくすると、先ほど倒れていたおじいさんのもとに、救急車が来た。
「隣町の人が呼んだのかな」
 フルイズミはそうぽつりと呟いた。
 目線の先には、救急隊員と話し込む人の姿があった。酷く気が動転している様子だった。
「もしかしたら、咄嗟の出来事で頭の中が混乱していたのかもしれないね。それで、おじいさんのもとを離れていたのを、たまたま私達が目にしまっていただけなのかもしれないね」
 そうかもしれないなぁ、という顔で、ニイズミは頷いた。
「まさかこんな結末になるとは思っていなかったのだが……」
 ニイズミは不思議そうな顔でそう呟いた。
「同感だよ。隣町の人は冷たいから、おじいさんを放っていたのだとばかり思っていたよ。でも、全然そんなことなかったね。隣町の人は、非情じゃなかったんだね」
 フルイズミがそう言うと、ニイズミはこくりと頷いた。


「ところで、だ。話ってなんだ」
 ニイズミはフルイズミに語りかけた。
「話? ああ、それはもういいよ」
「……一体何なんだよ。話があるからというから、こっちはものすごく身構えていたんだが……」
「ふふっ。君はやっぱり面白いね」
 フルイズミは笑みを浮かべた。
「もしかして、かまって欲しかっただけなのか?」
 フルイズミはニイズミの方に振り返った。
「そうとも言うね」
 フルイズミは少し満足げな声色でそう言った。


 この町も、隣町も、矛盾だらけだ。
 ――だけど、それでいいのかもしれない。ニイズミはそう思った。
 みんなどこか気分屋で、些細なことで不機嫌になることもあれば、その逆もまた然り。 その日一日を機嫌良く過ごせるかどうかは、意外にも日常な些細な出来事一つにかかっているのかもしれない。
 しかしそうはわかっていても、他人の行動の一貫性の無さだけは到底許容できそうにない。
 ニイズミは、そんな相反する想いを胸に抱いた。強烈な矛盾。
 とはいえこの矛盾は、心の持ちようだけでは到底解消できそうにない。
 胸の奥に渦巻く葛藤は、いつまでも心の中に残ったままだ。


 しかし、それでもニイズミにはただ一つだけ言えることがあった。
 ニイズミは立ち止まり、言葉をこぼした。
「やっぱり俺はここが好きだなぁ」
 するとフルイズミは振り返る。
「いきなりどうしたの? 君が物の好き好きについて言及するなんて……珍しいね」
 きょとんとした顔でフルイズミは言った。
「いいじゃないか。俺にだって、たまにはそういうことを言いたくなる日もあるよ」
 ニイズミなりの、精一杯の自己擁護だった。
「……それもそうだね。うん、そういうのもいいと思うよ」
 柔らかな笑みを浮かべながら、フルイズミはそう言った。


 この町も、隣町も、矛盾だらけ。
 ――それでも自分達は、こんな町が好き。
 そんな想いを胸にひそかに抱きながら、二人は今日も町を歩く。
 どこまでも矛盾を孕んだ、こんな町を。



<終わり>


       

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