Neetel Inside 文芸新都
表紙

桜島少年少女
4話 なぜ理不尽なのか

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 高崎と共に約一時間かけてサウナを堪能し、その後はのんびりとテントを撤収した。
 全身に浴びた川の水が生乾きのまま、二人で荷物を手分けして抱えてバンガローへ向かった。
 しばらく歩いてバンガローが見えてくると、その周囲にはワンゲル部の面々だけでなく、まるで見覚えのない男達も立っていた。
 誰かの友人だろうかと思ったが、近づいてみると男達の年齢は三十代くらいに見えるし、何となく険悪な雰囲気も感じて、何となく不審に思えた。
 更に歩み寄ると、俺達の姿に気づいた山中が駆け寄ってきた。
「大変だよ」
 山中は不穏な表情を見せる。
「どうしたんだよ」
「それが。みんなでバドミントンをしていたら、私達が通行の邪魔をしているって、あの人達に注意されたんだ。一応、バンガローから少し離れた所でやっていたから大丈夫だと思っていたけど、悪い事をしたと思って、ちゃんと謝ったんだけど。その後も説教みたいな事が続いて、最終的にはお詫びに何か寄越せとか言われたんだ」
「理不尽すぎるな」
「うん。理不尽がすぎて、直井君と長瀬君が我慢できずに怒り出したんだよね。特に長瀬君はムキになっちゃって、今にも爆発しそうなんだ」
 俺は同情しながらも、もう少し我慢できないものかと思ってしまった。
「とにかく早く来てよ」
「ああ」
 立て続けに問題が起きるとはついていない。
 山中についていくと、話の通り長瀬と直井は血気立った様子で、理不尽な要求をしてきたという長髪の男とその取り巻きを睨みつけており、いまにも取っ組み合いが始まりそうな雰囲気である。
 しかし、どうしたものか。
 腕っ節に自信は無いし、この場を和ませるような話術もない。そんな俺が、どうやってこの状況を打開すればいいのか。
 山中の方を見ると、彼女は、「お願い」と言って手を合わせる。
 どうすればいいのか見当のつかないまま、とにかく声をかけてみる事にした。
「落ち着けよ、二人とも」
 直井と長瀬はこちらを睨みつけてくる。
「隼人か。悪いが落ち着いていられない。散々、虚仮にされたんだ。落ち着いていられるか」
 長瀬は言った。
「関係ない所にいたのに巻き込んですまないが、ここは引き下がれないよ」
 直井もやる気十分な様子だ。
 まるで取り付く島がない。それに対して難癖をつけてきた連中は穏やかな涼しい顔をしていて、この温度差は違和感があった。
「管理人を呼ぼうか」
「それは駄目だ」
「何故だ」
「誰にも邪魔はさせない」
 じゃあどうするのか。このまま殴り合いでも始めるのだろうか。
 俺の疑問を肯定するように直井と長瀬は相手を睨みつけていた。
「山中、相手は何を要求してるんだ?」
「アウトドア道具を譲れとか、このバンガローを無償で貸せとかそんな事を要求してる」
「それは滅茶苦茶だな」
 この場を収めるために多少の要求を飲むべきかと思ったが、流石に無理である。山中には悪いが、早くもお手上げだった。
 いまにも飛び掛かりそうな直井と長瀬、一方でじっと動かない長髪の男と取り巻き。膠着する状況にもどかしさが募った頃、長髪の男が口を開いた。
「睨みあっていても仕方ないし、何かで勝敗を決めればいいと思うけど、どうかな」
「勝敗を決めるって何だよ」
「うん。何で決めようか」
 長髪の男は辺りを見渡す。
「そうだ。石の水切りで勝負をしようか」
「水切りって、石を投げるやつだろ」
「そう。川に石を投げて水面を跳ねさせる遊びだよ。石が跳ねた回数を競う奴さ。負けた方は相手の命令に従うっていうのはどうかな」
「ふざけてるのか」
「真面目に言ってるよ。それとも、暴力沙汰を望んでるのかい。君達は大学生なんだから、そんな事は絶対できないと思うけど」
「それはそうだが」
 直井は言い淀む。
 勝敗をつける必要があるのかさえ疑問だが、そうでもしないと直井と長瀬は納得しないだろうし。彼はそれを見越して、直井達に勝負を持ちかけているのだろう。
「君達が勝てば望み通り、僕達は謝罪して、ここから消えるからさ」
「本当かよ」
「うん。ただし僕達が勝った場合、アウトドア用品とバンガローを引き渡してもらうよ」
 長髪の男が言うと、直井達は黙り込む。
「迷っていていいのかな。みんなに、格好良い所を見せないといけないんじゃないかな」
 丁寧な口調に挑発の言葉を組み合わせる事で長瀬達の感情を強く揺さぶり、冷静な判断を失わせようとしているように思えて、嫌な予感がする。
「分かった。勝負をする」
 不安は的中し、長瀬は相手の要求を承諾してしまう。
「おい、俺のアウトドア用品だろ、それにバンガローまで譲るなんておかしい」
「大丈夫だよ」
 直井が落ち着いた様子で言う。
 何か考えがあるのだろうか。
「じゃあ、行こうか」
 長髪の男が歩き始める。
 俺達は連中の後を追って、バンガローのすぐ下を流れる川へ向かう。
「あんな条件を飲んで、本当に大丈夫かよ。あいつら勝つ自信があるんじゃないのか」
「そうかもしれないが、大丈夫だ。負けたからといって本当にアウトドア用品を渡す必要はないだろ」
 直井は言った。
 意外に冷静なようで驚いたが、確かにその通りだ。卑怯な考えに思えるが、理不尽な連中には丁度良い対応かもしれない。
 川辺に到着すると、長髪の男は俺達の方を向いた。
「それでは始めようか。さっき話した通り、勝負の内容は石の水切りだ。投げた石が水面を跳ねた回数の多い方が勝ちという事で、いいかな」
「ああ、それでいい」
 長瀬が答えると、長髪の男は屈んで地面の小石を一つ選び右の手に取った。
「じゃあさっそく始めるよ」
 そう言って、彼は石を掴んだ右腕を軽く背面へ伸ばし、そのまま腕を前方に振るった。
 瞬間的にこれは駄目だと思った。体幹を屈ませることもなく、高い位置から投げて石が水面を跳ねる訳がない。
 想像通り、放たれた石は水面に突き刺さり、一度も跳ねることなく沈んでいった。
「あれれ」
 長髪の男は首を捻る。
「おい、木村。やる気あるのかよ」
 彼の失態を見兼ねた取り巻きが声をかけた。
「ううん。もう少し身体を倒して、投げないとだめかな」
「そうだよ。どうやったら水面を跳ねるか考えて投げないと駄目だぜ」
「分かった」
 これはどういう状況なのかと長瀬や直井らと顔を見合わせる。
 連中は水切りに自信があるのだと思っていたのだが、これなら普通に勝利して、問題を解決できるのではないかと思った。
「ごめん。もう一度投げさせてもらえないかな」
 木村はそう言って手を合わせ、頼みこんできた。
 一度目が散々な状況だったから、何回投げたところで勝負に影響は無いように思える。直井と長瀬も同じように判断したのだろう。木村の頼みを易く承諾した。
「あと一回だけだ」
 長瀬が言う。
「ありがとう。じゃあ投げるね」
 木村は右手に石を取ると、再び腕を後方に伸ばす。先ほどと比べ、体幹を前屈させる事ができている。だが、それでもまだ投げる位置は高い。そのまま投げた石は水面を一度だけ跳ねて沈んでいった。
「一回か。これは厳しいかな。残念だけど、君達の番だね」
 木村は項垂れながら言う。
「じゃあ、俺がやるよ」
 直井が手を挙げる。
「木村とかいう男の記録は一回だけど、大丈夫だよな?」
「ああ。二回や三回くらい、簡単にできるぜ」
 堂々と言い切った直井は平らな石を探し出して右手に取った。人差し指で石の淵を覆うようにつまんでいる。そして左足を川の方へ踏み出すと、体幹を大きく前屈させながら右腕を後方へ伸ばし、そのまま水平に右腕を振るう。水切りに慣れている様子で見ていて安心できる動作だった。投げられた石は、緩やかな弧を描いて着水し、宣言通り水面を三回跳ねてから沈んでいく。
「よし」
 直井は小さくガッツポーズをする。
 無事、木村に勝利したが、相手の結果が散々なものだったので達成感がなく、ワンゲル部メンバーの反応は薄かった。
 敗北した木村は川の方を見て、頭を搔いていた。
「負けたんだから。約束通り、さっさと謝ったらどうだ」
「うん。そうなんだけどね。君の投げ方を見てたら、僕ももう少しできそうに思えてさ。もう一度、勝負してみないかな」
「何言ってんだ」
「君の成績は三回だよね。それくらいなら、簡単にできる気がしたって事だよ」
 木村の挑発する態度を見て、直井は、「ふざけるなよ」と小さく言った。
「勝手な事を言ってるのは、分かってる。だから今度はお金をかけるよ。社会人だからね、お金は結構、持っているんだよ」
「お金をかけるって何だよ」
「そうだね、君達が勝てば謝罪に加えて十万円をあげる。良い条件だと思うけど、勝負するかい。それとも、尻尾を巻いて逃げるかな」
 そう言って、木村は自身の財布から数枚の紙幣を見せびらかしてきた。
 俺は直井の肩に手を置き、「口車に乗るなよ」と耳打ちする。
「駄目だ。また虚仮にされたんだから。このままでは引き下がれないだろ」
「そうだけどさ」
「さっきの結果を見ただろ。あの男に負けるわけがない。それに、金なんかが欲しいわけじゃなくて、これは俺達のプライドの問題だ」
 直井が言い、長瀬も頷く。
 確かに二人の譲れない気持ちは分かるし、直井が木村に負けるとは思えない。だが違和感はある。
 木村は勝算があって、俺達に言いがかりをつけている筈だ。それなのに得意でもないもので勝負をしかけてくるのはおかしい。そう考えれば、まだ何か隠している事があるのではないだろうか。
「じゃあ、もう一度勝負だ。今度は金を貰ってやる」
 俺が考えている内に直井達は木村の提案を承諾してしまった。
 止める間もなく、話が進んでしまう。
 今度は直井が先攻で、さっさと石を投げた。
 石はさきほどと同じ軌跡を辿るように、水面を三回跳ねる。直井がうっかりミスしてしまうなんて事を心配していたが、杞憂に終わった。
 続いて、木村は無言で石を手に取った。
 直井の結果を見て微笑む彼の様子は不気味だった。木村もすぐに、投石の動作を始める。先ほどより深く身体を屈めて、石を持つ右腕を後方へ伸ばすと軽く体幹を捻りながら右腕を振るった。先程までとはまるで異なるスムーズな動きだった。
 放たれた石は短い間隔で、計五回、水面を跳ねてみせた。
「あれ。なんか、上手く行ったみたいだ」
 木村は無邪気に笑った。
 直井と長瀬は目を見開いて、視線を合わせている。
 俺の隣に立つ山中は、「嘘でしょ」と呟いた。
「君の投げる姿を真似してみたんだよ。そのおかげで無事に勝てた。ありがとう。じゃあ、アウトドア用品を置いてここから出ていってもらえるかな」
 嫌な予感はしていたが、それが実現した時の衝撃が強く、落胆してすぐには言葉が出せない。
「悔しいが、無視して逃げよう。さっき言った通り、本当に渡す必要なんて無い」
 直井が俺に耳打ちすると、木村は俺達に身を寄せてきた。
「無視するなんて、無理だよ。負けても従う必要はないなんて言っていたけど、君達が賭け事の約束をした証拠は全てスマホで撮影してあるからね」
 木村はスマホを見せつけてくる。
「録音したからなんだ。警察にでも行くのか。それとも裁判でもするのかよ」
 直井が声を荒げる。
「そんな突飛な事は言わないけど、賭け事をしようとした証拠をネット上に拡散してみるのはどうかな」
 木村の脅しに対し、全員言葉が出なかった。
 彼は再び薄笑いを浮かべており、その不気味さから寒気がする。
「それに僕達はお金まで賭けたんだ。ここで逃げるのは、あまりにも卑怯すぎるんじゃないかい」
「卑怯だと」
「そうだよ。あと、アドバイスしておくとね。そんなんじゃ、連れの女の子達に呆れられちゃうよ」
 木村はひたすら小賢しく、直井達の怒りが膨らむように悪態をついてくる。
 その狙い通り、直井と長瀬は表情を歪め、拳を握り締めている。
「でも、よく考えてみれば。ここで僕達の勝利が決まるのは、不公平かもしれないね」
「不公平って、どういう意味だ」
「君達に負けた後、僕はもう一度勝負を挑む機会をもらったんだ。だから、今度は僕達がその機会を与えるべきだと思うんだけど、どうかな」
「いいのか」
「いいよ。やっぱり勝負は公平であるべきだよね。もちろん、次は君達にもお金をかけてもらうけど。金額は十万円でいいよね」
 木村は両手を広げて十の数字を表した。
 卑しく口元を歪める彼の表情を見て、そういう事だったのかと俺の中でようやく合点がいった。
 彼はもともと石の水切りが得意で、最初の二回はわざとミスをして俺達を油断させた。そして金銭を絡めた所で本気を出してきたのだ。そして俺達も金銭を賭けなければならない状況に持ち込む。これが木村達の狙いだった理由なのだろう。
 バンガローやアウトドア用品だけじゃない、俺達から全てを毟り取る気だ。こんな勝負に乗るべきでないのは明白だが、怒りに震える直井と長瀬を止める方法は見つからないし、今では俺自身もアイツらの事を許せなくなっていた。
 だから俺達は勝負を受ける事を決めた。

     

「いいね。それじゃあ、お互いに十万円を賭け合うって事で」
 木村は既に石を手にしていて、余裕のある様子で微笑んでいた。
「今度は僕から行くよ」
 そう言って木村は身体を屈め、より滑らかに石を投げた。ほぼ水平に投げられた石は川の水面を転がるように跳ねていき、勢いが衰えないまま反対の岸に着いた。
石は小刻みに水面を移動していったため、もはや跳ねた回数を数えられなかった。
 ただただ、愕然とする。まさか、これほどの熟練者だとは思わなかった。
「おい、こんなのどうすればいいんだよ。対岸まで飛んでいったのに、どうやったら俺達の勝ちになるんだよ」
 直井も同じ気持ちなのだろう。青ざめた顔でこちらを見てくる。
「分からないが、木村と同じ位の結果を出すしかないんじゃないか」
「そうか。じゃあ、隼人がやってくれないか」
「なんでだよ」
「正直俺には無理だ。長瀬はどうだよ」
「俺にも無理だな」
「ほら。もし自信があるなら変わってほしい」
「確かに川にはよく行くし、暇つぶしに水切りをする事はあるけど。本当に俺で良いのか」
「勿論だ」
 直井と長瀬は頷いた。
「じゃあ、やるよ」
 直井では勝てない事は明白だったし、俺も怒りを晴らしたい気分だったので、この頼みを承諾した。
 俺は薄く平たい石を見つけて拾い上げる。
 木村に勝つ自信はある。サウナで心身を整えたばかりで、桜島にも力を貰えば、負ける事は無いだろう。
 さっそく桜島に力を貰う準備を始める。ここから彼の姿は見えないので、瞼を閉じてゆっくりと息を吸う。桜島の姿と溢れ出るエネルギーを感じ取り、この身に吸収する。サウナで温まっていた身体の熱は更に強くなり、皮膚の表面からオーラが漏れ出てくるのが分かった。
「よし」
 これなら、問題ないだろう。
 俺は身体を深く屈めて、できる限り低い位置で腕を振るう。瞬間的に石が水面を駆けていく様子がイメージできた。
 これならいける。
 俺は気を楽にして飛んでいく石を目で追った。
 思い通り、石は地面の低い位置を横向きに回転しながら飛んでいき、ゆっくりと水面に着き、そのまま転がっていく。
 いける。
 これなら、木村と同じ結果を出せるだろう。
 そう確信したとき、投げた石が水面を大きく跳ねた。
「え」
 声が漏れた。
 一体、何が起きたのか。石が跳ねた辺りをよく観察すると、そこには水面からわずかに流木が突き出している。俺が投げた石は運悪く、そこに衝突してしまったのだ。
 俺は放心して、「ごめん」と謝る事しかできなかった。
 直井は何も言わず、首を横に振った。隣に立つ長瀬は、静かに俯いていた。
 何故、失敗したのか、桜島の姿を視認できなかったせいだろうか。
 俺が思い詰めていると、木村が手を叩いた。
「あそこに障害物があったなんて、運が悪かったね。でも、それも勝負のうちだ。素直に負けを認めてもらえるかな」
「待って」
 気落ちした俺達が言葉を返すより早く、これまで静観していた高崎が木村の前に立ちはだかった。
「もう一度、やり直しさせてもらえますか」
「いや、それは流石に駄目じゃないかな」
「貴方も二度、やり直しましたよね。だから私達にも、もう一度だけ投げさせてもらえませんか」
「ううん。それは、そうかもなあ」
 木村は腕を組んで悩んで見せる。
「今度は私が投げて、貴方は投げ直さなくて構いません。それで私が勝てば、何もいらないので、黙って帰ってください」
「分かった、それでいいよ。ただし君が負けたら、お金だけじゃすまないかもしれないよ」
「問題ないです」
 木村の卑しい脅迫に臆することなく高崎は承諾する。
「高崎、本当にやるのか。というより、水切りに自信があるのか」
「初めてだけど。あの人だって真似しながらで出来たんだから、私にも出来るかもしれない」
「いや、アイツは俺達を欺く為に下手なふりをしていただけだぜ」
「え、そうなの」
 高崎の様子を見て不安になる。だが、不安以上に期待感があった。それは彼女がこれまで積み上げてきた成果のおかげだろう。
「あの人達の事は、私も気に入らないから。早く居なくなってほしい。だから、がんばるよ」
 高崎は真剣な眼差しをみせる。
 その時、「あとは彼女に任せるんだ」と、桜島の声が聞こえた。
 俺は慌てて桜島の方に目を向ける。彼の姿は見えないが、噴煙が空に上がっているのを確認した。
 桜島が高崎の気合に応じたのだろう。
「とりあえず、どの石を使えば良いのかな」
「そこからかよ」
 やはり不安だった。
 俺は丁度良い石を見つけて高崎に渡した。
「じゃあ、やってみるよ」
 高崎は指先で石を摩りながら言った。
 あとは高崎を見守るだけだ。
 木村達も息を呑んで高崎をじっくりと監視している。この女はそんなに自信があるのかと、疑問に思っているのだろう。
 そんな中、高崎は動き始めた。しっかりと上半身を屈めてから、右腕を後方に伸ばす。俺達の動作を巧みに模倣しているようだ。感心している内に、彼女は石を放った。
 動作は完璧だったが、信じがたい事が起きた。
 放たれた石は川を横断する方向ではなく、川の上流に向かって飛んで行ったのだ。
 これでは川の流れに逆らう事になり、水面を跳ねる事は難しい。
 水面に石が着いて、小さく跳ねる。そして同じような間隔で二回、三回と跳ねていく。そして四回目の着水をした後、小刻みに跳ねながら川を登っていく。
 俺の不安を吹き飛ばすように、石の勢いは止まらない。十回、十五回と跳ねる回数を重ねる度に、俺の心は高ぶっていく。
 いつしか回数を数えるのは難しくなった。石は回転しながら川を数メートル登り、沈んでいった。
 跳ねた回数は分からなくとも、石が跳ねた距離を見れば、高崎が木村の記録を超えた事は明白で、勝利を確信した。
 全員が一瞬沈黙した後、直井が喜びの声を挙げた。長瀬も飛び跳ねて喜び、俺も釣られて叫び声を挙げた。不安な気持ちを堪えていた山中や満重は恐怖から解放されて涙を溢していた。高崎はそんな俺達の様子を見て微笑んでいた。
 木村達は敗北を認めたのか、静かに顔を強張らせている。
「私達の勝ちですよね。約束通り、帰ってください。それともまた、やり直ししますか」
 高崎は木村達に訊ねると、彼らはそのまま何も言わずにさっさと立ち去って行った。
「本当に凄い、感動的だったぜ。甲子園の土を拾うみたいに、記念に川の石を持って帰ろうぜ」
 俺が石を手にして興奮気味に言うと、高崎は、「やめた方が良い」と言った。
「川の石には神様が宿るから、持って帰ったら罰が当たるよ」
「何だよ、それ。昔の迷信か」
「うん」
 もしそうなら、俺達はひたすら神様を投げてきた事になる。それだけで罰が当たりそうだ。
「あいつらの謝罪を見られなかったのは心残りだけど、それはまあ仕方ないか」
 長瀬が言った。
 彼の言う通り、あれだけ酷い事をしておいて、一切のお咎めなしというのは、納得がいかない。だが、それも仕方ないと諦めるべきだろうか。
 いや、それでは駄目だ。
 高崎の活躍を見て、何もしないでいるなんて、おかしいだろう。
 俺は手に取った川の石を見て、ある事を閃いた。そして、去ってゆく木村達のもとへ駆け寄り、声をかけた。



 祝勝会とも言えるバーベキューは大いに盛り上り、それに飽きると全員、バンガローの中へ戻ってトランプで遊んでいるようだった。
 俺は穏やかに燃える焚き火を眺めていて、その向かい側には高崎が座っていた。
「さっきの水切りは、凄かった」
「うん」
「それでさ、気づいていたか。高崎が石を投げる前に桜島が噴煙を上げ始めていたんだ。高崎は桜島の力を貰ったんだって気づいたよ」
 あれ程の力が発揮できたのは桜島のおかげでもあるだろう。
「力なんて貰ってないけど」
「いや、そんな事はない。気づかなかっただけだろう」
「ううん。そもそも不思議な力なんて、私は信じてない」
 不敬である。高崎は桜島を愛し、その力を身に授かる同志だと思っていたのに。幻滅してしまう。
「ただ、みんなの為にがんばろうって思っただけだよ」
「そうか」
 素晴らしい心意気だ。そして気恥ずかしい事をはっきり言える奴だと驚かされる。
「あと、まあ。桜島の事は好きだよ」
 そう言って高崎はスマートフォンを取り出し、画面を見せてきた。ホーム画面の背景では『さくらじまん』が笑いながら手を振っていた。
「それなら、良いか」
 幻滅したのは撤回する事にした。
「そういえば。隼人君はあの人達の方に駆け寄って何をしてたの」
「ああ。挨拶をするフリをして、あいつらの鞄にこっそり川の石を入れてやったんだ。あのままお咎めなしなんて許せないからな。川の石を持ち帰った罰が当たるんだ」
 俺が言うと、高崎は笑った。
 彼女が声を出して笑うところを始めて見た気がする。そして、笑わせたのが俺自身だというのは不思議と嬉しかった。
 いつの間にか俺は、高崎の事を仲間として認めているのかもしれない。

「高崎は悪い奴じゃない。そもそも私を愛してくれる者に悪人は居ないだろう」
 桜島の声が聞こえてきた。
「確かに、その通りですね」
 俺は小さく呟いた。
「全く、そそっかしい奴だな」
 桜島はやれやれだという感じで言った。

 高崎の心意気と才気を尊敬して、俺の気持ちは変わったのだろう。
 そんな分かりやすい気持ちの他に、まだ形を持っていない何かが、俺の心の中にあるような気がした。それが何だか分からないが、俺は高崎に何かを語りたくなった。
「俺の家はさ、両親が共働きなんだ。まあ、そんなのは俺達の世代では当たり前なんだけど。俺の家の場合は両親ともシフト制の勤務で、土日に親が居ないのはよくある事でさ。それで、家でゲームをしていたりすると妹にダサいとか馬鹿にされるから、何だか家で過ごすのが窮屈で、いつしか一人でアウトドアをするようになったんだ。そのうち、あの感染症が長く流行していただろ。そんな状況だから、誰かと楽しむような遊びを始める機会はなくて、何でも一人でやるのが当たり前になった。他人からどう思われるかなんて知らないけど、俺はそれで楽しかったんだ」
「そうなんだ」
「だけど、ワンゲル部のメンバーと過ごしているとさ。誰かとアウトドアをするのも、悪くないと思えるんだ」
「それは、良い事だね」
「ああ。そう思う。それで、高崎は、楽しいか?」
「まあまあかな」
 高崎はポツリと言って、焚き火台に薪を足した。

       

表紙

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Neetsha