Neetel Inside 文芸新都
表紙

花咲け大樹
四話『小さなおうち』

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【急募】163センチ90キロのブサイクがアイドルになる方法
【答え】今世では諦めましょう。

……なーんちゃって。
ボクを放って、アンディさんはうーんと考えこむ。
「いまが七月だから、冬までには最低限の韓国語を学習してもらう」
「は、はい」
「じゃあ知ってる単語を言ってみろ」
「えーっと……キムチ、カルビ、プルコギ……」
「食いものばっかりだな!」
「だって焼き肉店の息子だもん。料理の名前なら一通り言えます!」
ドヤるほっぺたを、アンディさんは怒りにまかせてむぎゅーっと引っぱった。

「大樹、お前……韓国語を話せないのか?一言も?」
アンディさんはいまさら気付いて、はぁー……と深いため息を吐く。うぅ、挨拶もできない国に来たボクがアホなのはよーく分かってますよ。でも連れてきたのはあなたなんですからね!
「ハングルも読めない?お前のお母さんも“日本同胞”なんだろ?」
「にほ……なんですか?」
「日本に住んでる韓国人って意味だ。まあ……お母さんは三世だし、亡くなったお祖父さんは日本人らしいから」
「詳しいですね……」
「ああ、ここに載ってるからな」
アンディさんはほれ、と自動翻訳をかけたスマホの画面を見せてくれる。韓国映画のデータベースだ。出演作は四つ、エキストラに毛が生えたみたいな役しかない母ちゃんも、しっかり載ってた。どうやら出演作の中に、超有名な恋愛映画があったおかげらしい。母ちゃんは白血病で余命わずかなヒロインの看護師役で、台詞もちょっとしかないみたい。でも嬉しい!
「ホン・ユミ……今村優海。わあ、すごい!母ちゃん芸能人みたい!」
「みたいじゃなくて、マジだろ」
アンディさんは冷静にツッコんだ。
「このページはブックマークして、毎日見なきゃ。もちろんこの映画も!うわー、勉強のモチベができたぞ!」
スマホ画面をなむなむと拝んだボクに、アンディさんは「幸せな脳みそだな」と目を細めた。

「よ、よし。いきなり計画が狂ったが……始めよう」
アンディさんはホワイトボードに『TOPIK』と書いた。
「TOPIK――”韓国語能力試験”を突破する。アイドルとしてデビューするなら、会話が一通りできる。歌詞を理解できる。これで十分。つまりCEFRで言う所の”A2”。初級が終わるくらいでもうデビュー可能だ」
しーいー……なんだろ?また怒鳴られそうだから聞かないでおこう。
「まずは、TOPIKの三級に合格するのを目標にしよう」
「が、がんばります!」
うぅ、できるかな?英検も四級しか持ってないのに……たぶんできる!ボクは心の針を、強引にポジティブへかたむけた。
「ちなみに三級は、合格率は70パーセントくらい。中級って所だ。真面目にこつこつやれば、半年くらいでみんな受かる」
「よかったー」
ほっと胸を撫で下ろしたボクのほっぺが、またぐいっと引っぱられた。

「なーに、のんきにしてやがる?――三ヶ月だ」
「へっ……?」
目を点にしたボクに「一年しかねえんだぞ」と念を押す。
「丸一日韓国語の勉強しろ。お前は英語も苦手みたいだから、たっぷり猶予を空けて三ヶ月、待ってやる。毎月終わりに一級ずつ受験しろ。もちろん、ダンスやボーカルのレッスンも同時にやるぞ」
「えっ、えっと……」
ためらうボクをよそに、アンディさんはホワイトボードにかりかりと円を描いて、その中に予定を書きこむ。
「朝は六時半に起床。朝食をすませたら韓国語の勉強を『八時間』みっちりやるぞ。15時からは俺がダンスを教える。ちょっとだけ休んで、18時からボイトレ。21時からは……」
「やった、夜は休める……」
「そうだな、仕事にしよう」
「えぇっ!?」
「お前も練習生として、バナプロを支えてもらう。……そうだな。一年間のチャレンジを動画化して、公式のYoutubeチャンネルに投稿しよう!コメントによってお前の方向性が決まり、投げ銭で応援できる。視聴者と一つになった企画は、のびるぞ!!」
アンディさんはうきうきと、ボクを客よせパンダにする計画をたて始める。ああ……ボクの恥が世界中に晒されるのか……。
「とりあえず今日は、韓国語の勉強だけ始めよう。動画は明日からだ」
「ふぁい……」
明日からの地獄を想像して、ボクは口から魂が出そうだった。今までがんばったことがないツケは、こうして払わされるんだな……。



「うぅ、ボクってほんとにバカ……」
ボクは床に座って、アンディさんが壁に貼ったハングル表とにらめっこしていた。頭の中を暗号みたいな文字がぐるぐる回ってる。アンディさんは『カシコは一日。アホは三日で覚える』って言ったけど……スーパーなアホは永遠にダメってこと?
「ちょっと休もう……頭痛い……」
ボクはハングル表から離れて、ふらふらと水分補給に向かった。

男子部屋の冷蔵庫を開けると、紙パックの1Lジュースがあった。りんご……かな?肉料理のお友達だ!これは甘そう!
「でっ、でもっ……誰のだろう?」
ふと見ると、アンディさんの字で『冷蔵庫の中のものは自由に食べていい』とあった。つ、つまり……これもOK?
「だめだ、もう我慢できないっ……!」
気が付くとボクは紙パックを破いていた。両手で持ちあげ、口をつける。紙パックをかたむけると、冷たい甘みが喉に勢いよく流れこんだ。ごきゅ、ごくっと喉が鳴った。紙パックはどんどん軽くなって、あっというまに空になった。
「……っ、ぷはぁーっ!生き返る!!」
満足げに息を吐く。紙パックをかたむけると、ちょんっと甘い滴が舌に落ちた。お腹がふくらんで、頭はすっきり。あー……最高っ!

「……」
こっそり覗いていたアンディさんが、まっ青になっていることは知らなかった。



水分補給をすませて、一階に下りる。スタジオでは、ハヌルさんたちが練習していた。ガラスの前に一列に並んで、手拍子に合わせてステップを踏んでる。
(わあ、やっぱり上手だなあ)
ボクは邪魔しないようにそっと覗く。ハヌルさんのほかに二人、知らない女の子がいた。SUNDAYのメンバーかな?

「スリー、フォー……はい、ターン!」
ハヌルさんが手を叩くと、二人は脚を交差させて、両手を広げる。くるっと一回転した瞬間、ボクとばっちり目が合った。二人は練習をやめて、きゃーっと騒ぎながら、ボクをもみくちゃにした。

「オンニ~、この子すごい!ほっぺたがチーズみたい!」
ボクのほっぺが、ぐにーっと思い切り引っぱられた。二人ともきゃあきゃあと楽しそうにはしゃいでる。ハヌルさんが止めると静かになったけど、四つの円い瞳が、きらきらと好奇心で輝きながら僕を見つめる。ボクは体が熱くなって、さっと顔をそらした。

「大樹。私、メンバー。これ、アリン」
ハヌルさんは、まだボクのほっぺに執心な子を紹介してくれた。
「こんにちはー!アリンだよ!」
アリンはボクの手をとって、ぶんぶんと上下にふった。声にも瞳にも、明るさが隠し切れない感じ。ふっくらした丸顔が、にこにこ笑ってる。ゆるくカールした茶髪をおさげにしていて、素朴な感じ……。
「私、君と同じ十六才だよー!日本語は中学校から勉強している。助けてあげるから、元気して♪」
アリンはすらすらと話す。すごいなぁ……。韓国に来てからボク、がんばりやさんにばっかり会ってる。

「この子、本当名前、クムジュ」
「ええー!?ひどいよオンニぃ、恥ずかしい!」
アリンはがっくりと肩を落とす。アリン……可愛くて今風の名前は、芸名らしい。アリンはボクの手のひらに『李錦朱イ・クムジュ』と書いた。錦……上品でいいと思うけどなぁ。
「嫌い。おばあちゃんの名前。クムジュ呼んだら絶交する!」
「は、はいっ」
きっとにらまれて、思わず背中がのびた。んん?『絶交』ってことは……もう友達なの?ボク。

「この子、ソナ。日本語、苦手。私同じ。にじゅう……」
ハヌルさんはまた考えこむ。数字がとっさに出ないみたい。指で『21』と出した。えっと、同じって……年?そっか。ハヌルさんは今年で21才なのか。早くすらすら話せるようになりたいなあ。
「こんにちは……」
ソナさんはそれきり黙った。もじもじと自分の指先をいじりながら、目をふせる。肌がまっ白で、首も手足も細くて。すらりと背が高い。動物にたとえたら、白鳥かな。モデルさんみたいな美人だ。言葉の壁だけじゃなく、人見知りだ……。



「大樹、韓国語教えてあげるよ!」
アリンはうきうきと、男子部屋に入ってきた。男子の人権がない事務所だ……。アリンは倉庫から持ってきた小さな黒板を壁に立てかけて、先生気分でにこにこ笑ってる。アリンが楽しいなら、付き合うよ……。

「あのね、日本の文字は”か”だったら”か”でしょ?」
アリンはホワイトボードに『か』と書いた。
「でもハングルはちがうの。アルファベットを一つにまとめて、四角形にした。みたいなもの」
『か』の横に『가』と書く。
「左が"K"で、右が”A”。合わせて”か”になる。ね?難しくないでしょ?」
なるほど。つまりハングルは、母音と子音を一文字にして書くんだね。だいぶ暗号のことが分かってきたぞ!
「この部品を組みあわせると……”안녕하세요アンニョンハセヨ”。こんにちは。まずは部品を覚えようね」
「ありがとう、がんばるよ!」
ボクは机に向かって、母音と子音の書きとりを始める。アリンは横について、見てくれる。
「えーと……は、ぬ……る」
ハングル表とにらめっこで苦労して書いた『하누르』に、アリンは「うーん……」と困ったように笑った。
「オンニの名前はこうだよ」
アリンは鉛筆を取って『하늘』と書いた。まだパッチムを知らないボクは急に、騙されたように思った。
(うぅ、難しいなぁ……)
ボクは練習しながら『ハヌル』のハングルに目を落とす。その二文字は、ボクのつたない字の横で、きらきら光ってるみたいだった。思えば初めから……特別な、二文字だった。



「……ふうっ、母音はなんとか覚えたよ!アリ……」
ふり向いた壁にアリンはいなかった。
「そっか。アリンも用事、あるよね」
何だかちょっと、さみしいかも。ボクはびっしりとハングルが書かれた裏紙を広げて、満足げに息を吐いた。
「……ん?」
机のはじっこに、小さい付箋が貼られてる。ぴらっとめくれば『チェクサン』とカタカナで書かれてる。その下にはハングルと『机』とある。
「うわ、いっぱいある……!」
よく見たら、部屋中のあらゆるものに付箋が貼られていた。壁、床、天井……家具にも。カタカナの読み方とハングル、覚えやすいように気を遣ったのかな。漢字でも書いてくれてる。

「じゃーん!びっくりした?」
アリンは両手を広げて、にこにこ笑った。
「したよ!これ、君が……?」
「うんっ。アイデアは私。みんながやったよ!これでどこにいても単語の勉強できるよ♪早くいっぱい話したいから!」
後ろから、夏偉とハヌルさんがひょこっと笑顔を覗かせた。ソナさんも顔を赤くして、もじもじしてる。胸に、じーんと熱いものがこみ上げてきた。どうして君たちは、こんな親切を、何でもないことみたいに……。
「かっ……」
だからボクも勇気を出して。今日覚えた言葉を伝えることにした。
「カムサ……ハムニダ」
つたない発音に、みんな目を丸くして。ケンチャナー、と気安く返した。



夕暮れの屋上では、ガーデンライトがやわらかく光っていた。手すりのそばを縁どるように置かれたプランターの野菜が白く照らされて、何だか幻想的だ……。オムさんは夜になっても行方知れずなので、六人で食べることになった。

「あっ、テーブル綺麗になってる」
ソナさんは座ってから気付いた。
「誰が掃除したの?」
ボクがはいっと手をあげる。ハヌルさんは泥汚れが落ちてまっ白になったテーブルに「新品みたい」と目を丸くする。
「よき、よきにはからえ」
ソナさんはそう言って、ボクの頭を撫でる。学習元が気になるなぁ……。

せまいテーブルで顔を突き合わせて食べると、家庭の温もりを感じる。ここに来てまだ二日だけど。バナプロは血のつながりがないみんなで集まった、小さな家みたいだと思う。
ボクが作ったキムチチゲを、みんなお代わりしてくれた。唐辛子粉は入れてないし、豆腐と卵もぶちこんだので、あんまり辛くない。それでもボクにはきつくて、舌がぴりぴりする。口から火が出そう!
「うん。おかずなら、これぐらいが美味しいかもね」
ハヌルさんは豆腐をすくって、喉につるんと流しこむ。
「おいしいよ!大樹はうちの料理長だねぇ」
夏偉はご飯をチゲに落として、雑炊みたいに食べていた。自分では分かる。粉だしが瓶にほとんど残ってなかったから水で薄めたし、塩も入れすぎてる。なのに誰も『まずい』と言わなかった。ただ『こういう味もあるんだ』って感じだった。

ボクは何回、母ちゃんのご飯に『まずい』って言ったかな……。

「大樹。あれはビョル。星」
ハヌルさんは食べながら、夜空を指さした。
「ビョル」
真似して言うと、嬉しそうだ。次々に「月はタル」とか「雲がクルム」とか教えてくれる。ボクの発音はまずまずみたいで、ハヌルさんはますます気をよくする。あ、と思い出したように、自分を指さした。
「ハヌル。……ハヌル、言って」
次に夜空を指さして、ほらほら、というように目を輝かせる。
「は、ぬ……うぅ、やっぱり無理!」
顔をまっ赤にしてうつむいたボクに、ハヌルさんは不思議そうに首をかしげた。



「大樹。お風呂、入る。やる?」
単語の書きとりをしてる後ろに、夏偉がひょこっと顔を出した。彼が抱える洗面器にはタオル、石けん……あの薄黄色の水が入ったボトルはなに?……色的に……アレじゃない、よね?
「う、うん。えっと、タオルは……あれっ」
スーツケースに入れてきたはずのタオルがない!困ったなあ……。
「俺の使う。いい」
「ありがとう……何から何まで」
「なにまで……?」
夏偉は理解できなかったみたいで、ゆっくり瞬きをした。
「ところで、お風呂って何階にあるの?」
「こっち」
夏偉は一階のスタジオに下りて、ロッカールームの扉のそばにある、謎の扉を開けた。小さめの換気用の窓。蛇口と、お湯を沸かす用のストーブがくっついたバスタブ。床は板張りで、排水口はついてないみたい。壁はカラフルなタイルばりだけど、目地のあたりがあちこち黒ずんでた。死んだお祖母ちゃん家と同じくらいの古さだ。築年が気になるなぁ……。
(よかったー。さすがにドラム缶風呂じゃなかった)
ボクは心からほっとした。野外じゃ女子たちが心配だもんね。夏偉はきゅっと蛇口をひねって、勢いよく水を出す。水が溜まったら、このストーブで沸かして、熱かったら水で薄める……か。背中がぶるっと震える。このお風呂、古いせいかすごく寒い!床板もひんやりしてるし、今から冬が不安だ……。

「はぁー……生き返る……」
ボクは肩までお湯に浸かって、深く息を吐いた。全身から力が抜けていく……日本人のDNAに刻まれてるよね、このリラックス感……。視界に入るのは湯けむりと、小窓から見える夜空。いいなあ、こういうの。

夏偉はバスタブからお湯をくんで、石けんで頭をごしごし洗っていた。オシッコかと思ったあれは、お酢だったみたい。洗面器のお湯に溶かすと、酸っぱい匂いが鼻をつく。きしむ黒髪を浸すと、やわらかい艶々の髪になった。まさか夏偉のファンの子たちも、推しがこんなオフロで貧乏生活なんて思ってないよね。
(ハヌルさん、シャンプーは作れないのかな。さすがに無理か……)
何かここに来てから、貧乏ライフハックを色々と覚えた気がする。
(明日からは本格的な練習か。ボク、どうなっちゃうんだろ)
バスタブのふちにもたれて、きらめく星を見ていると。どうにかなりそうな気がしてきた。苛められてすっかりいじけてたけど。ボクは元々楽天家なのだ。
(明日はまた、新しい子に会えるかな……?)
ボクは目を閉じて、またふうーっと深く息を吐いた。

渡韓三日目。新しい仲間にも会って、生活のやり方をたくさん教わった。ハングルの母音は全部覚えた。すごく久しぶりに、女の子の友達もできた。

正直、それが一番嬉しい……かも。

       

表紙

しろはなるい [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha