Neetel Inside 文芸新都
表紙

クーライナーカ
『八』

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初めは素直に信じていた。
自分が生徒会長の書記であって生徒会長はつばめという女子に間違いない。
でもつばめがどういう人だったのかだんだん思い出すことができなくなっていく。

背は高かったのか低かったのか。
髪は長かったのか短かったのか、
黒かったか少し茶色かったか。

どちらだったかを決める自信が日ごとに小さくなっていく。
目を閉じてこまちがつばめを思い出そうとしても、
毎日見ていたはずの彼女の顔には靄がかかっているようで、
それを晴らすことができないでいた。
その靄は日ごとに濃く、そして広がっていく。
どうにかしようとしてもどうすることもできなくてそのまま毎日を過ごしていた。

「二次は漢字にすると虹だ。三次は惨事だ。
 よって二より三のほうがすばらしいという命題は真である。」

「しかし先生。DQ、FF共に三は傑作として誉れ高いです。そこはどう説明するのですか?」

「甘いな。DQ、FF共に難易度は二が最高だ。よって二より三のほうがすばらしい。」

先生がよくわからない命題を証明しているのをこまちは意識を半分休めて聞いていた。
しかしただ聞いているだけで覚えようという気もなければ
書き留めることもしない。

授業に対しての至誠を完全に失って表情もどこかさめていた。
ぽつんとクラスの中で何もせずに座っていて少し浮いている存在になっている。
先生の話を聞かなくてはいけない自覚はあるのに鉛筆を握ることができない。
手から離された鉛筆は真っ白なノートの上をころころと転がっていく。

鉛筆よりも真っ白な自分のノートにこまちは悲しさを感じていた。
このノートのようにつばめを忘れていき何もかも白紙に戻っていくのが悲しい。
残り半分の意識も薄れ、狭まる視界の中で
こまちはなんか入学したての自分に戻っている気がした。

何もかもにつまらなさしか見出せないで学校に失望していた昔の自分が徐々に蘇っている。




 入学式も無事に終わり、新入生も新しい学校に馴染んで一段楽したある春の日のことだ。扉も窓も完全に締め切られた生徒会室の中でつばめは腰に手を当て仁王立ちをしていた。

こまちは窮屈そうに背を丸めて黙っている。
これから何がおこるのか予想できない不安がこまちを動けなくさせていた。

「あなたが気に入らないのよ。」

こまちに背を向けてつばめはぴしゃりと言い放つ。
放課後になったとたんにつばめはこまちの教室に乱入しこまちを捕まえると
生徒会室まで強制連行したのだった。
こまちは前から学校の生徒会長にまつわる良い噂も悪い噂も聞いていた。
破天荒な行動力と発想で生徒だけではなく先生たちまでも振り回しているらしい。

学校の名物とも迷物とも称されているぐらいだから
彼女がどれほどぶっ飛んでいるかはこまちの及ぶところではないとこまちは考えていた。

それにこっちからしてみれば生徒会長という唯一人の存在なのかもしれないけどあっちから見れば全校生徒約八百人の中の一人なのである。
自分には関係ないというのが正直な感想だった。
だから彼女が不機嫌なのも自分とは関係ない。
こまちはなぜつばめが苛立っているのかその手がかりさえつかめなかった。
つばめと近くで顔をあわせるのはこれが初めてであって、
こまちは生徒会長の悪口を言った覚えもないし、
神経を逆なでさせるような挑発行為をした覚えもない。

しかし振り返ったつばめの顔には純粋な怒りがにじんでいる。
まぎれもなくこまちへと矛先が向けられている。
扉の向こうからは何も聞こえない。生徒会が学校のはずれにあるためか、
誰も生徒会に立ち寄らないためのか。
窓の外からも何も聞こえなく、その分こまちはなぜ自分なのかということを
よく考えることができた。

でもどうしてつばめがそんなに怒っているのかはいくら考えてもよく分からなかった。

「そんなにつまらなそうな顔して、
 まるで私の仕切っている学校がつまらないとでも言っているみたい。」

つばめは生徒会の机に寄りかかりながら机の上に座ると
足を組んでこまちを睨み付ける。
こまちは下を向き前髪で目を隠す。確かに学校はつまらない。

進学先関係で中学の頃の友達とはあっさりと別れ、
まだ上手くクラスに慣れることはできない。
劇的に変化した環境に追いつくことができず不安と焦りが毎日追いかけてくる。
クラスメートと自分の違いが顕著に見えてくる中で
元々小さい自分が余計に小さく感じていた。

高校になってからというもののこまちは日々を苦しめられていた。
人にも相談することはできず、
水の中でもないのに息苦しさで一人もがいている。
どうすればこのつまらなさから解放されるのか
一筋の光明も見つけられないでいた。

けど突然頭の中で結論が組みあがってしまう。
裏返しになっている回答を裏返すのごとく、簡単に気づいてしまった。
そう。学園生活というものは元々つまらないもので
学校は面白くなるものだと決め付けていたのは間違いだったんだ。

そう考えると全てが気楽になっていく。そしてこまちは何もせず、
部活にも入らず毎日をすごろくのように、
さいころという自分とは無関係な何かに従って過ごしていた。
そしてつばめはそんなこまちの生活が気に入らなかったようだ。
自分がそう思っていることを知っていることに驚きはせず、
そんなことでつばめが怒っていることにこまちは理解できなかった。

誰にもしゃべったことのない自分の本音を他人に、
しかも生徒会長に知られることになるとは夢にも思わなかった。
しかしつばめならこまちの心を満足感で満たしてくれるのか。
いかに超人的とはいえ目の前にいる生徒会長にそれができるとは思えない。

こまちが平べったいまなざしをしているその先で
つばめは自信に満ちたまなざしでその笑みには大きなふくみを含ませた。

「だからあなたに生徒会の書記を任せるわ。
 最近忙しくてね。ちょうど手ごろな右腕を探していたの。ちなみにこれは命令よ。」

今度は腕を組んでまるで独裁者の肖像画のようなポーズを決めて足を組みなおす。
そして悪巧みを考えてついたかのように唇を薄く開くとそこから赤い舌を覗かせた。
こまちはつばめの言葉を聴いていたがどう反応を返せばいいのか迷っていた。
それにこの生徒会長と毎日顔を合わせるというのはいささか億劫だった。

「まぁ私に任せなさい。あなたの学校生活を面白くしてあげる。
 私の言うことを聞いておけば間違いなくあなたのスクールデイズは一転するわ。」

勢いよく手を天井へと振り上げ、
自身の魂を鼓舞させるかのような大きな一声と共に
つばめが手を振り下ろし机に叩きつける。

「会長」と書かれてあるそばに立てかけてあった
小さい三角塔が揺れて机の上から転げ落ちてゆく。
こまちはうんともいやともいえずにつばめの命令にただ従った。
それはこまちにとって別に苦ではないことである。
もともとそうやって今まで生きてきたからだ。




 机から筆箱が落ちるのとこまちの目が覚めたのはほぼ同時だった。
一瞬で明白になった意識で気がついたのは
周りのクラスメートがこまちを見ていることだった。
筆箱が布でできていたおかげでその音が先生にまで届かなかったことだけが
唯一の救いだっただろう。

周りの視線を一点に集めたこまちはいたたまれない心地に陥った。
なるべく周囲の視線を気にしないようにして筆箱を拾い、
身をかがめて床に落ちている筆箱まで指を伸ばす。
そのときに指の先に鉛筆や消しゴムの感触とは思えない硬いものが触れる。

「ん……」

鉛筆や消しゴムなどいろいろなものを吐き出して
空になった筆箱の奥底に最近見なかったものがあった。

「これは……」

こまちは鉛筆とか消しゴムを集めるのを忘れてそれを取り出す。
それは手のひらに収まる大きさで変な形をした金属片のようだ。
南京錠を開けるための鍵だとすぐに分かった。
鏡のような光沢を持つその鍵にこまちの顔が面白く変形されて映っている。

夢の中で聞こえたつばめの叫び声を思い出して、
こまちはその鍵がどういうものかもすぐに思い出した。
そして興奮がこまちの中で激しく煮沸される。
周りの視線も忘れ、こまちは自分の席にじっとして座っていても
体の中は熱くなっている。

落ち着こうとしても落ち着けない。
それくらいこの鍵の発見はこまちにとって大きかった。
つばめがいたというのとこまちが書記として活動していた二つのこと。
それを証明するたしかな証拠がひとつあった。
忘れていた自分を頭の中でなじりながら目はしっかりと先を見ていた。
握り締めた鍵から伝わる冷たさにこまちはその存在を確実に感じている。
つばめは絶対いる。確信と共に会いたいという思いがこまちの中で膨らみ始めていく。

「ところで先生。FFの最高傑作は何だと思いますか。」

「無論五だ。これは覚えとけよ。」

「この話はテストにでますか?」

「でない。話が脱線しすぎだな。」

     





 昨日から降り続いている雨は勢いを抑えるということを知らないのだろうか。
学生食堂の入り口であるガラス張りの扉に雨粒は模様をつくり、
秒単位でさまざまな形を描いていく。
食堂のカウンターにできた長蛇の列、
その最後尾であさひは冷え切った指先を擦り合わせ温めていた。

食堂は校舎の一階の中央に位置している。
その利用しやすい距離から学年、生徒、教師を問わず誰もが立ち寄る場所になっている。利用する人と時間が限られている学食という性質において
これは一つの強みになっているだろう。
難点といえば学食を通るには一旦外にどうしてもでなければならず、
この冬ではわずかな時間でさえ体は一気に冷えてしまう。

とはいうものそのようなことを気にする人は
所詮少数派にしかすぎないので、
今日も繁盛している様は変わっていない。
老若男女問わず、皆が箸かスプーンを片手にわいわい騒いでいる。

皆が皆騒ぎ立てるからその音量は上がり続けて止まることを知らない。
おまけにありとあらゆるところから音源が湧き上がっているから
蛙の合唱でもあさひは聞いているような気分に陥った。

なんとなくリズムは刻んでいるはずなのだけど何がなんだか混沌としているその歌は
あさひの頭の中できんきんと響いている。
やっぱり学食を使うのはこれで最後にしよう。
そう誓いながら自分が注文する番になるのを待っていた。

学食はあさひにとってはいづらい場所である。
それは誰よりもまずあさひが一番知っていたから
いつもはパンを立ち寄るために目と鼻の先にある購買部に行くだけだ。
けどこの学校二年に入学してからそろそろ二年にもなって
一度も試してみないのはいくらなんでももったいない。

だから今日はここに立ち寄ってみようと思い立ったという風の吹き回しだった。
一歩一歩カウンターへと近づいてゆき、
とうとうあさひが注文をする順番まで回ってくる。
から揚げ、コロッケ、とんかつ定食にうどん、そば、
そして日替わり定食となかなかメニューは豊富のようだ。

あさひはメニュー表を右から左に流し読みした後でカレーライスを頼んだ。
数あるメニューの中でもこれなら早く出される上に早く食べ終わるだろう。
威勢のいい店員の声が厨房内に響いて
あっという間にカレーライスがあさひの前に現れた。

こぼさないようにゆっくり歩きながら騒いでいる集団から
一番遠くなる場所に窓際の隅を選ぶ。
できたてで湯気が上がっているカレーに銀色のスプーンを差込み
口に運んでゆっくりと噛み締めた。

どの程度の味かを確かめる最初の一口はどうしても緊張してしまう。
具がないけど辛さはあさひの好みだった。
コストパフォーマンスに優れた学食の料理ならこれぐらいが平均点だろう。
一人勝手にうなずいてその辛さを楽しみつつ外を眺めていた。

地面にところどころに水溜りを作っているのが見える。
そこへと降り落ちる水の粒が波紋を作っていく。
あさひは今日の正午までには晴れるでしょうという
機会音声のようなアナウンサーの声を思い出していた。

本当に天気予報と占いだけは当てにならない。
昼には晴れるということを信じて屋上にいけると
朝には安心していたのに時間が進むにつれて強くなる雨に
あさひの不安感も大きくなっていた。

窓に映る自分の顔から屋上にいけないこの雨のおかげで
自分が不機嫌になっているのがよく分かる。
だけど屋上でもここでも一人でいるのには変わらない。
ならここでも屋上でも変わりない。

「んっ?」

せわしく動いていたスプーンがぴたっと止まる。
そういえばあおばはどこにいたのだろう。雨の時にはあさひは屋上へ行かなかった。

あおばは昼になれば屋上にいたとずっと思っていたけど
そういっていた記憶もないし、
あさひがそのことに尋ねたこともない。
あおばは濡れない便利な体をしているから雨の日に屋上に飛び出しても
かまわないような気もする。

しかしあおばはそこまで大胆ではないだろう。
寧ろそういうことを誰よりも気にしそうな性格をしていた。
じゃああおばは雨の日の昼にはどこにいたのだろう。
そんな素朴な疑問を消しきることができなくて
あさひはカレーに手がつかなくなった。

食べることはせず動かないまま無心で外を見続けていた。
そばに誰かが近づこうとしても気にしなかっただろう。

「こんにちは。」

横槍のようにあさひの思考に割り込んでくる一つの声があった。
あさひはその声には反応しなかった。

聞こえてはいたがそれが自分に向けられているものではないと
決め付けていたのだ。
けどあさひの対面に人が座ったときにやっと自分に向けられたものであることを知って
顔を上げる。
それは聞きなれていない声だったがどこかで聞いたことのある声だった。
カレーうどんがのったトレイを
両手に持ちあさひの目の前でその人はあいさつがわりににっこりと笑う。

人が大勢いるこの場所でこいつだけ背広を着ている。
おそらく範囲を学校全体に広げても背広を着ているのはこいつだけだろう。
彼はためらいもなくあさひの対面に座ると
熱さや辛さを感じていないようなそぶりでカレーうどんを食べ始めた。

いつも目にしているのに緊張感があさひの中でやや強くなる。
あさひのクラスの担任である谷川はカレーうどんを涼しげに食べていた。



     

「わざわざここを選ぶなんて俺に用があるんですか。谷川先生。」

あさひが座っている場所は隅なためか薄暗い。
その上にカウンターから一番遠い場所にある。
人気がないのが当たり前のここまでわざわざ谷川が訪れた理由と
すればそれぐらいしか考えられなかった。

なにしろ谷川は『ど』がつくほどのお人好しである。
それがクラスの女子にとってありがたいらしくて
谷川の人気はうなぎのぼりのようだが、あさひとしてはただのおせっかいにしか見えない。

「そうだね。」

「そうですか。」

あさひは簡素な言葉を返す。
用というのはあさひが一人でここに座っているのをたまたま目にしたから
生まれた用なのだろう。

「邪魔だったかな?」

「そういうわけではないです……」

あさひは谷川が苦手だった。嫌いとまではゆかないが
付き合いづらいというところまできている。
谷川を前にして何を話したらいいのか分からない。

谷川を見ているとあさひの人格が否定されているような気分になるからだ。
ようするに自分と谷川を比べて谷川に少し嫉妬してしまうのである。
嫉妬は醜いとは思うがそう感じてしまうのだからしょうがない。
できることは谷川から避けるぐらいのことだ。

谷川があさひのことをどう思っているかは
あさひには関係ない話だが頼んでもいないのにこうやって
やってきたのは先生としての使命感か、
持ち前のおっせかいかどちらかだろう。

しかしどっちにしろあさひにとっては迷惑だった。
谷川をなるべく見ないように努めながら時折その食べている様子を観察する。
生徒と先生が二人向かいあって食べている光景は第三者の目から見ると
滑稽な感じに解釈されているかもしれない。
麺類を食べているはずなのに谷川が食する音があさひにさえ聞こえない。
上品なのは認めるが、そんな食べ方をするのは谷川以外学食のどこにもいなかった。

二人でもくもくと食べ物を食べ続ける。
カレーの辛さに飽きるのと、沈黙に我慢できなくて
あさひは水を飲み干す。
冷たい感覚が腹の中にたまって、同時に少しだけ気も重たくなる。

谷川と会話するつもりはないが話がないというのもつらい。
黙っていても伝わってくる谷川の雰囲気をひしひしと感じるからである。
谷川は何も話さない。さっきからずっとカレーうどんを食べている。
しゃべろうと思えばいくらでもしゃべるだろう谷川がずっと黙っているのは
あさひがしゃべりだすのを待っているからだろう。

谷川の思うがままにされるつもりはないが、
めったにない機会だからあさひは谷川が食いつきそうな話をすることにした。

「この学校の七不思議知っています?」

「知っているよ。でも教えてくれるかな?」

谷川は手を差し出しあさひに話すことを促す。
あさひは小さい咳を一つつくと途切れ途切れにしゃべり始めた。
雑音にも似た生徒たちの話し声にあさひの声が混じり始めた。
七不思議をひとつひとつ指折り数えて列挙する。
谷川は目を閉じてあさひが一つ語るたびにうなずいて相槌を打っていた。
あさひが最後まで語り終えると谷川は手を口に当てて窓の外へと目線を流す。

「とまあこんな感じですよ。間違っていましたか?」

「いや……たしかにそんな感じだったね。」

谷川は目をあさひに戻し口をわずかに膨らませる。
その微妙な変化に、あさひは谷川が何か知っているのではないかと勘ぐった。

僕の知っている正しい七不思議とは違う。

谷川の顔はそう言いたかったかのように見えたからだ。
正しいという部分はあさひの思い込みだが、
それより前からの発言から谷川は七不思議について熟知しているように取れた。

誰でもない谷川のことである。
生徒間の話題に精通しているから生徒だけの内輪話に詳しいのだろう。
そう思ってあさひは七不思議のことを谷川に振ってみたけど
まさか知っているとは思わなかった。

「先生はどこで七不思議を聞いたんです。」

「今年担任しているクラスの生徒から。学校で噂になっているよ。」

つまりあさひのクラスで聞いたということか。
谷川に七不思議を教えたやつとは一体誰のことだろう。
真っ先にあさひの頭に思い浮かんだのはのぞみだった。
しかしのぞみはあさひが七不思議を調べる前に帰っていった。

わざわざその後から調べなおすとは考えにくい。
それならこまちだろうか? 
頭の中に浮かんだこまちの像をすぐにかき消す。
谷川はあさひのクラスだと言った。

こまちは学年まで違っている。
谷川が嘘をついているということも考えられるが
そこまで疑うと何がなんだか分からなくなってくる。

「学校で噂になっているって本当ですか?」

自信ありげに谷川は大きくうなずいた。

「そう……ですか。」

「そうだけど。何か気になることでもあるの?」

あさひは答えなかった。カレーを食べて落ち着こうかと考え
スプーンを持ち直す。
さっきまでは好みの辛さだと感じていたカレーが今は少し甘ったるいように思えた。
あさひのスプーン使いの音だけが不規則に何度も流れる。

「あさひ君はいつも一人で食べているのかい?」

興味津々の様子で谷川はあさひに聞いてきた。
口の中でカレーをもぐもぐさせてあさひはなんとなく返答を遅らせる。
この谷川の疑問に対するあさひの返しは一つしかないけど
すぐに言い返すと自分がむきになっていると誤解されてしまうかもしれない。

「昔はもう一人と一緒に食べていました。」

「今はもうそのお友達とは付き合わないのかい?」

「もう会えないですから。」

箸をそばに置くと谷川は丼を両手に持ちカレーうどんの汁を飲み始める。
音がしないのを除けばその動作は豪快で男らしい飲み方だった。
そして丼から手を離した谷川は椅子に深く座ってあさひへ優しい笑みを見せてくる。

「本当にそう思う?」

一番近くにいた関係のない別の団体が笑い声と共に立ち上がりどこかへと消えてゆく。
それに従ってあさひと谷川の二人が占めている空間というものが
広くなったように感じた。
静けさもうっすらともう一層積もったかのようだ。
その中で谷川の存在感はあさひのなかで肥大化していく。
さっきまでと表情を一切変えない谷川の口から出された一言は
その場の雰囲気をさらに重たくさせたであろう。

     

あさひは平静を装いながらも足の貧乏ゆすりを止めるはできなかった。
これから谷川が言い出すことは
自分にとって耳が痛いことになるであろうことを予感していた。

「例えばだよ。ある二人が限りなく近づいて、
目の前まで寄り添うとしても、その二人が出会える……見つけあうわけはない。
なぜだと思う?」

「二人の間に大きな壁があるとしたら会えませんね。」

なんだか引っ掛け問題のように思えたからあさひは屁理屈で答えた。
しかし谷川はあさひの答えに満足そうにうなずくからそれが正解だったのかもしれない。あさひは拍子抜けて口を丸く開けてしまった。
谷川は右手の人差し指をぴんと上に伸ばす。
さきほどよりも滑らかさを増した口調で谷川はしゃべリ続ける。

「同じ場所にいるのに会えない。近いようで遠い。
 二人を阻む壁はまるで山のように高く聳え立っている。」

谷川の口から流れるその文字の衝撃に
あさひは持っていたスプーンを危うくカレーの中に落としそうになった。
言っていることは脇をくすぐられるような寒気を帯びているし、
カレーうどんを食べながらしゃべっているその様子が滑稽さを増している。
どっちにしろかっこ悪い。

谷川の言葉にあさひがたじろいでいるのを本人は気づいていないようで、
谷川はしゃべるのをやめない。
棒読みではなく抑揚をつけている辺り
本人が本気で言っていることを思い知らされる。

あさひはこの話をもうやめて欲しくてたまらなかった。
やはり谷川といると自分が否定されている気がしてならない。

「けどそれだけなのか。二人を隔てているものはそれだけなのか。考えてみるのさ。」

「会えないと思っていたらいつまでも会えないでしょうね。
 でも会いたいと思っても会えるとは限らない。そんな都合のいい話はない。」

あさひは語尾をわざと強調した。
左手でスプーンの淵をつまむとカレーのライスに突き立てる。

会いたいと思っていればいつか会えるのなら誰だってそうしている。
そんな甘い奇跡のような物語は虫唾が走る。
谷川が言いたかったのはそういうことだろう。
そしてあさひの考えは間違っていると分からせようとしたのか。
本人にそこまで言うつもりがあったとは思えなかったけど
あさひはそう取ってしまった。

そう遠くない場所の机にまた誰かが座り始める。
さっきと違う顔ぶれだが騒がしいのは変わりない。
あさひはやっと落ち着きを取り戻した。
一気に熱を増した自分の体が徐々に冷えていく。
感情に任せて言ってしまったあさひに戻ってきた感情はカレーよりも辛く、
そして辛い後悔の念だった。

なんというか……自分の本音を言ってしまったことにひどく嫌悪している。
やっぱり谷川の思うままに誘導されているのかもしれない。
谷川はあさひの口調が変わったことに少しだけ口を開きあぜんとしたが
すぐにまた前の笑顔を作り始めた。

「でも本当はすぐ後ろにいるのかもしれない。君の待ち人は。」

「けど俺の友達はもうこの学校にはいません。」

拳を固めて答える。あさひは固めた拳の力を抜くことができなかった。

「本当にそう思っている? もしかしたら同じ場所にずっといるかもしれないかもよ。
 手の届かない、目には見えない場所に。
 この学校のどこかで待っているのかもしれない。」

苦し紛れのあさひの言葉に谷川は即効で返事を返す。
その素早さはあさひの返答を予想しておき、
どう答えるかも考えておいたのだろう。
谷川は脳みその中心までまさぐられるようなねっとりとした気持ち悪い視線を
飛ばしてくる。

その視線が谷川の表情を全然合っていなく、
あさひはだまし絵を理解できないときに感じるようなもどかしさを抱えていた。
あさひは顔をひきつらせたまましゃべらない。谷川は笑っていてしゃべらない。

「って今までのは僕が昔目にした詩の引用しただけなのだよ。」

手をパンと叩き、谷川が愉快そうに笑う。
あさひは谷川の視線のほうが問題だったが
谷川の目はここに来たときのものにいつの間にか変わっていた。
もう谷川からは何も感じない。それでもあさひはまだ気持ち悪さが抜けなかった。

「その詩には続きがあるんだ。聞きたいかい?」

あさひは首を横に振る。そして空の皿を持つと勢いよく立ち上がった。
谷川にどう思われてもいい。見栄とか関係ない。少しでも谷川の遠くに行きたかった。

「またいつか続きを教えてあげるよ。」

背後から聞こえてきた谷川の言葉はそのような感じだったと思う。
大きく叫んだわけでもないのに騒がしい学食で聞こえたのは
あさひが谷川の声に耳を澄ましていたからだろう。
谷川から遠ざかった後も谷川の声がずっと反芻していた。

会えないと思っていたらいつまでも会えないのはなんとなく分かる。
キザな詩人がニヒルな笑いを浮かべて言いそうなせりふの一つだ。
しかし分かることとできることは必ずしも一致しない。

会いたいと思ったら会えると言っているのはそういう幸運にありつけた勝者のはずだ。
谷川は会いたいと思っていたら絶対会えると思っているのだろうか。
あさひは谷川がどう思っているのかを結局聞けなかった。




 学食を出る前に一度だけ谷川の方へと顔を向けたら
あさひの次に別の生徒が谷川と向かい合って座っていた。
こちらからでは後ろ姿しか見えないがすらりとまっすぐに伸びた黒い髪の毛が
椅子の背もたれを隠している。
その髪の毛は薄暗い学食の角よりもさらに黒かった。

髪の長さからして女なのは間違いないがあそこまで髪が長いのも珍しい。
確かにあいつがあさひの教室で座っているのを見たことがある。
なんというか他の女子どもより落ち着いているという印象があった。
他の女子がはっちゃけているということもあってか
彼女の落ち着きさ加減はさらに深みを強め、その姿は定期的にあさひの目に付いていた。

そのたびにあさひはのぞみもあれくらい静かにしていればいいのにと
彼女を哀れむのだった。
そういえばあいつがのぞみの近くにいるのを再三見た。
谷川はあいつから七不思議のことでも聞いたのだろうか? 
芽生えた疑問をなかなか消すことはできなかったが
わざわざもう一度谷川のところまで行く気にはなれなかった。

       

表紙

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Neetsha