Neetel Inside 文芸新都
表紙

シヴァリー
伍『震動』

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 霧の奥で、何かが自分を諭している。
「刀躰如一、と言う言葉の意味が解るか?」
 巌を削りだしたような、重厚な声。聞いたことなどないはずのその声が、シヴァリーにはな
ぜか、涙が出るほど懐かしく感ぜられた。
「とうしんにょいつ?」
 首をかしげる、元服したばかりの頃のシヴァリー。正座がしっくりこないらしく、しきりに
足を組み替えている。
 光りをやけに含んだ目は宝石のように輝いていて、剃ったばかりの月代とは不釣合いだった。

 好奇心を露に足をもぞもぞさせる様は、子供というより小動物で、人を殺す業を教わり続け
て来た者とは思えない。
 そんなシヴァリーが気に入らないのか、■■は、一つ咳払いをした。
「……御主、もう少し剣術道場の息子らしくできぬものか?」
 苦虫を噛み潰したような顔。そう、いつもこんな顔をしながら、■■はシヴァリーを叱った。
無論、彼は彼なりに本気であったから、
「せっしゃ、けんじゅつに命を懸けております」
 と言って頬を膨らませた(これが武家らしからぬ行動だとわかっていたのであろうか)。
 無言で睨み合う二人。暫時、彼も■■もそうしていたが、とうとう堪え切れなくなったと言っ
た風情で、■■は吹き出すと、
「だがしかし――それがお前の、良いところなのかも知れぬなあ」
 そう、雪解けのように、厳しい顔が綻んだのが解った。顔の造作はまるで焦点が合っていな
いというのに、彼が笑っている事だけは解る。
 何故■■が笑ったのかまるで解らなかったシヴァリーは、再び首を傾げた。
 そんな彼に再び苦笑しながら、■■は話を本題に戻す。
「刀躰如一とはな。刀と躰が一つの如く、意思の閃きと剣術の閃きが、少しの間隙もなく同時
であることを示す」
「それは、どういうことですか?」
「例えばだ、御主が何かを斬ろうとした時、先ず御主はその何かを斬ろうと考え、しかして刀
を疾らせるだろう?」
「はい」
「それが自然である。しかしな、実はそこに無駄があるのだ」
「無駄、ですか?」
「そう。無駄だ。本来人が何かを斬ろうと思うた時、それはすでに思うた時点で斬れている」
 ■■の教えをただ聞いていたシヴァリーであったが、これには疑問を抑えられず、
「それはおかしいです。ならば刀を持たずして人を切れると言う事ではありませんか」
 と、食って掛かるように言った。
「よく気が付いた。そうなのだよ。本来、人は人として生まれた以上、世界に多大な影響力を
持つ。それは物を触れずに動かしたり、火種を用いず炉に火を入れたり、刀を使わずにモノを
斬ったりする力だ。故に、人は思った時点で本来ならばその思ったことを成している。しかし
悲しいかなその力は時と共に忘れ去られ、失われた。替わりに人は道具を用いる事を覚えた。
これは誰にでも使えるものである一方、心の中でした行為を、もう一度模倣するという二度手
間をもたらした。それは、人が道具を手に入れた時点で、無くすことの出来ないものだった」
 一気にまくし立てると、■■は一旦息をつき、
「そうして、我らは二度手間を許容してきたわけだが……あるものが気が付いたのだ。意志の
代行をさせいている道具に、意思は宿らぬのかと。そう、人が二度手間だと思っていたのは実
はそうではなく、道具の意思と、人の意思が離別しているが故だったのだ。すなわち、人の意
思と道具の意思が一つでありさえすれば、かつて人が持っていた力を使うのと同じではあるま
いか。こう、そのものは考えたのだな。そうして、我らの開祖は悟り、柳流抜刀術は成った。
その中の奥義、道具を使いこなすことによって、始祖――昔の人々の事で、前述の力を持って
いた人を示す――に近づく行為の一つを、刀躰如一というのだ」
 さらに難解な言葉で、シヴァリーの質問に答えた。
「……まるで解りません」
 精一杯頭の中で処理しようとしながら、シヴァリーは哀れっぽく弱音を吐く。
「……言葉で言っても解るまいか。ならば、取って置きの説明法をしてやろう」
 言うなり■■は目を閉じ、傍らの大刀を手に取った。シヴァリーに、嫌な予感と恐怖が、青
天の霹靂ほどの唐突さで訪れる。
「いや、あの、えっと……■■? やはりもう一度口で……」
「いいか、つまりな……」
 弱々しいシヴァリーの提案を断ち切るように、瞬間、空気が凍った。
 先程まで、背中を流れていた冷や汗すら、それを受けて凍ったようだった。当然、言葉など
発せられるはずもない。シヴァリーは、自分が死んだと思った。
 そうして、永遠のような一瞬に、暴虐が、疾る。
「……こういう、事だ」
 いつの間にか■■が目を開けて、同時に口をあけたとき、空間に些細な、しかしひどく特異
な変化が現れていた。
 ■■から扇状にシヴァリーまで、黒い面が広がっていたのだった。黒い面は、浮いていた。
 ただ、浮いているだけだった。いや、むしろそうであるが故に、それはひどく異質だった。
 その黒い面は、シヴァリーの髷の緒に触れていた。はらり、と彼の髪は解け、落ち武者のよ
うな髪形になる。
 それを見て、■■は満足げな顔で続けた。
「わかるか? これが柳流抜刀術、刀躰如一が一、『黒踊り』だ。これは刀と己の意思を空間
に敷衍することによって、間合い以上の斬撃を行うことが出来る奥義だ。黒く見えるのはな、
これが光をも断ち切っているかららしい……と、おぬし、聞いておるのか? ……おい?
おい!」
 聞いているわけがなかった。このとき既に、シヴァリーは失神していたのだから。
 叱る声は、次第に焦りを帯びてきた。■■が、彼に手を伸ばす。
 自分がそこにいるにもかかわらず、事態を俯瞰して見られるというこの不思議な世界で、
シヴァリーは己の滑稽さに笑いを抑えられなかった。笑いと同時にこみ上げてくる涙も、また。
 ――そうだ、この頃が一番幸せだった。己の剣術の腕は最悪であったし、教えも厳しかった。
だが、■●がいた。■■もいた。■●はシヴァリーを生み、育ててくれ、■■はシヴァリーを
人間にしてくれた。そして何より、
「――お兄様」
 そう、彼女が――

 人の気配に、シヴァリーの理性は正しく反応し、覚醒した。悪夢を見ていたように頭が重かっ
たが、素早く思考を整える。
 最初に知覚したのは、洞穴に差し込む淡い月光だった。闇の藍で統一された室内は、輪郭を
黒で滲ませている。月明かりの差込具合から見て、時刻は子三つ程か。
 眠ったときと、何の変化も感じられない部屋。静寂の所為で、逆に耳鳴りがする程だ。だが、
確かに、確かに何か、居る。空気とは異質な何かが、この部屋の中に、蟠っている。
 彼は素早く仰向けから立膝の形になると、枕元の得物を引き寄せた。ひどく寝汗をかいてい
たようで、空気に触れた背中が冷える。
「……何用だ?」
 扉の横にじっと立ち、こちらを窺う、ひときわ濃い闇――人影に、声を掛けた。正体の解ら
ぬ訪問者に、シヴァリーの声は硬くなっている。
人影はそれに反応すると、月明かりに向かって動き始めた。
 淡い明かりを受けて、黒一色だった影が所々青白く塗り直される。徐々にあらわに成ってい
く姿に、シヴァリーは安堵の声を漏らした。
「貴殿であったか……」
「夜遅く済まんな、シヴァリー」
 ざっ、と軍靴をならして、影であった人物は、全容を露に、差し込む光の真下で立ち止まる。
 そこに居たのは、審判兼闘士管理人、戦いの神チュールだった。

       

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