Neetel Inside 文芸新都
表紙

シヴァリー
終にして序『葛藤』

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 チュールの格好も、神々の中でよく摩訶不思議といわれるものだった。眉目秀麗であるだけ
に、それは尚更の事。
 足に履いている軍靴――そう言うモノなのだと、シヴァリーは彼から教わっていた――は、
何で作っているのか肉厚で、紐を通す形。それに、細身の袴のようなものの裾を入れている。
上衣とその袴は同じ若草色で統一されており、生地はきめが細かくありながら、肉厚だった。
 前が開くようになっている上着はぴったりと首まで閉められており、首周りはバジレオが着
ていた服と似たような構造をしている。

 シヴァリーは、彼を上から下まで見て、今一度顔に焦点を持っていった。
 奇怪な格好の神は、挨拶をするなり、その後に何を言うでもなく、凝っとシヴァリーを見つ
めていた。
 整った造作に、月が複雑な陰影を刻む。それは確かに神ゆえの美しさを持っていたが、同時
に何か、得も知れぬ緊張感を発散していた。
「……何の御用でしょうか?」
 沈黙に耐え切れなくなったシヴァリーは、口を開いた。先程まで安堵に緩んでいた顔が、
今は戦闘前の様に緊張している。
 彼がこの部屋を訪れることは、決して珍しいことではない。事務的な理由だけでなく、彼は
シヴァリーに興味があるようで、こうして夜に尋ねてくることもしばしばであった。
 だが、今日の彼は明らかに――
「……ああ、すまんな。朝の戦いの見事さを思い出して呆としていたようだ。いや、なに、今
日訪れたのは只の様子見さ。お前、観戦時間に居なかったじゃないか」
 そう言って彼は、無表情だった顔を少し緩めた。
 少し前にも書いたが闘士には、その日、己が出た試合以降の観戦が許される。それは敵を知
り、戦術を立てる、生き残る確率を高める重要な仕事なのだが、あろう事か第一試合である今
日のシヴァリーは、それを放棄して自室へと向かったのだった。
「申し訳御座いません。先の戦いでの消耗が激しかったため、休息を優先させていただいた」
 しかし、それも仕方の無いことだったと言える。バジレオとの戦いは熾烈を極め、殊に神技
を出したシヴァリーは、立つことが難しいほどに満身創痍だった。
 ……ああ、いやそれでは語弊がある。満心創痍、と言った方が正しいだろう。
 体の傷などというものは、試合後に配られる果実――肉体時間遡行性能力のある林檎――を
食べさえすれば、たちまち治ってしまう。
 これは神々が寿命を永らえる為に食べているものと同じで、不具にさえならなければ、どん
な傷であってもたちどころに直す。であるから、この闘技場では、闘士はまず死よりも、体の
一部を失うことを恐れるし、相手に神技を出される前に倒したいから、先手必勝を常とした。
「そうか……それで、明日の戦いに支障はないのか?」
「無論」
 即答するシヴァリーに、チュールは笑みを溢した。
「うむ、いい返事だ。安心したぞ。……そうそう、今日の試合でも――」
 そして、上機嫌で続けるチュール。しかしそれを、
「チュール殿」
 シヴァリーが、強く断ち切った。ぎょろり、とシヴァリーを見つめるチュール。
 流れる沈黙は、先程よりも密度を増していた。切れることのなかった緊張の糸が、シヴァリー
の中で最高潮に張り詰めていくのを感じる。
「貴方は本当に、それだけを言いに来たのですか?」
 かさかさに乾いた唇を舐めると、シヴァリーは単刀直入に切り出した。
「……ふふ。化かし合いは嫌いか、シヴァリー?」
 止まっていたチュールは、もう一度口元に笑みを浮かべる。しかしその笑みは、先程の柔和
な、いや、少なくともそれを装っていた笑みとは、似ても似つかないものだった。
「いいだろう、こちらも用件を単刀直入に言おう」
 そこで一旦言葉を切り、
「俺はな……お前と、戦いたい」
 勿体つけるように言い放った。
 言われた瞬間、シヴァリーは心臓がひっくり返るかと思った。それほどの殺気が、その言葉
には含まれていた。
 そして、その意味を理解して、さらにシヴァリーは驚いた。
「拙者と……ですか?」
 震える声で、シヴァリーは返す。

 このヴァルハラにて、エインヘリアル――闘士が自由になる方法は、大きく分けて三つしか
ない。
 勝ち続けて、観客の支持と主神の祝福を受け、第二の人生を送る事を許してもらう方法。
 全ての記憶を手に入れ、このヴァルハラから脱走する方法。
 どちらも可能性は低く、成功したものはほんの一握りである。
 しかし、その中でもさらに成功率の低い――いや、言ってしまおう、成功率が『未だ皆無』
の方法があった。
 それこそがこの、戦いの神チュールを倒して自由を勝ち取ると言う、玉砕覚悟の方法である。
「なんだ……不満なのか?」
 からかうように、嬲る様に言うチュール。先程まで被っていた仮面は既に捨て去っていて、
今では鋭利な殺気しか感じられない。
「……なぜ、私のような、まだ六勝しか上げておらぬ新米に、そのような提案をしてくださる
のですか?」
 シヴァリーは必死でその殺気を押し返しながら、尤もな質問をした。
 方法がある、と先程言ったが、しかしそれはチュール自らもその戦いに賛同したときのみ、
その方法があるのであって、普通、五・六十勝した者でないと、チュールはその提案をするこ
とすら許さない。
 なればこそこの誘いは奇怪で、唐突であった。
 しかし、そんなシヴァリーのごく一般的な問いに、チュールは天を仰いで呆れ返る。
「なんだお前……そんなことを言われなければわからないのか?」
「……」
 答えないシヴァリー。
 チュールは鼻を鳴らすと、馬鹿にするような蔑むような視線を向ける。
「そこまで阿呆か。お前……」
 言って、ため息をつくチュール。しばし顔に手をやって、さも呆れたという様子であったが、
ふと、今気が付いたように、軽く言った。
「まあいい、ところで、俺はいつ剣を構えることを許した?」
 叱るような言葉に、シヴァリーは一瞬はっとなった。
最初に膝立ちになってからこっち、かれはずっと構えを解かずに居たのだった。それはまさし
く、チュールの殺気によって取らされた構えであったが、かといってそれが礼を失していい理
由にはならない。
「失礼仕った。これは――」
 慌てて刀を放そうとして、しかしそれをなせず、シヴァリーは固まった。
「俺がお前と戦いたい理由はな」
 耳元近くで囁く様にチュールが言う。
 いつの間に間合いを詰めたのか、まるで知覚出来なかった。彼が動いたという気配すら、
シヴァリーには感じ取れなかったのだ。
「お前が、勝つたびに弱くなっているからだよ。シヴァリー」
 そんなシヴァリーを見て、尚可笑しげにチュールは微笑み、小さく唄うように告げる。
「……っ」
 その言葉。その微かな言葉に、シヴァリーは頭を思いきり殴られた様な衝撃を受けた。


 『どうするかはお前次第だ』とだけ残して、チュールは扉から出て行った。
 チュールが去った静寂の中でシヴァリーは、喉元を掻き毟りたいほどの怒りを感じていた。
 それは図星を差されたものの怒りであり、己に己で隠し通してきた事柄を、暴露されたもの
の空しい憤りだった。
『お前が、勝つたびに弱くなっているからだよ』
 その通りだ。わかっていた。今日の相手バジレオも、ここに来てすぐの自分であったならば、
初撃に後の先を取るだけの力があっただろう。
 なにより、一度十間越えの『黒踊り』を放っただけで、精神が参ってしまったのは、己の意
思と刀の意思に微妙な齟齬があり、それが使い手の精神を圧迫しているが故だ。
 そして、そして朝の扉に残った傷。あれは、決定的に自分が何かを読み違えている証ではな
かったか――
 それは塵芥の様な微小な誤差だった。まさしく傷の大きさのごとく、浅く、小さなものだった。
 しかし、その塵芥のような微小の誤差は、これから先の戦いで、彼を負かすのに充分な時を
待ちながら確実に、狡猾に、少しずつ積もって大きくなっているように、シヴァリーには思え
てならなかった。現に、今日の勝ちでさえ、紙一重で拾ったのだ。バジレオの姿が、明日の自
分でないとは言い切れない。
「……何を、馬鹿げた、ことを」
 不意に現れた弱気を、吐き捨てるように否定した。
 勝負の機運は、貰うものでなく掴むもの。バジレオの負けは、彼自信の驕りから来るもので
あって、シヴァリーとはまるで関係ない。

 ない、はずだ。

 振り払うように目を閉じ、数瞬後に奥義を放った。流れる白刃が、闇に半円の軌跡を作る。

瞬間的に黒い面が現れたが、それはひどく頼りなく、空気に負けて波打っているようにすら見
えた。深い深い黒は暫くそうしていると、あっけなく夜の藍に侵食されて消えた。後には、闇
に均一化された、独房の景色しか残らない。
「くっ」
 微動だにせず見守っていたシヴァリーは、血でも吐くように声を漏らした。
 認めざるを得なかった。今しがた空気に溶けたそれこそが、強烈に、明白に、真摯に証明し
ていた。
 間違いない、自分は、過去を取り戻すたびに、
『――お兄様』
 ……いや、この声を、己の内から聞く度に弱くなっている――

『どちらを選ぶのかは、お前の自由だ』
 懊悩するシヴァリーに、チュールの別れ際の言葉が蘇った。
それがもしかしたら一番可能性の高い方法なのかもしれない。勝つたびに弱くなる自分では、
きっとヴァルハラで生き残ることなど出来ない。
……かといって、かといって今の自分は、あの神に、あの力に勝てるというのか――?

 月光で照らされるだけの洞穴の、出口に当たる部分を、ジレンマに苛まれながらシヴァリー
は凝視し続けた。そこに何かしらの啓示があるかのように。
 しかし、扉に刻まれた傷は暗いだけで何も語らず、逆に、まるでそこから全ての闇が広がっ
て、世界を、シヴァリーを包んでいく様にすら感じられた。



 ……その名に武士道(シヴァリー)を持つ男は、名の持つ意味とは裏腹に、自らの力に疑問
を抱き、そしてそれに溺れそうになっていた。
 彼がどのようにしてこの窮地を乗り切り、そうしてどのようにして終末を迎えるのか。それ
はしかし、この機会に語られるべきことではないだろう。

       

表紙

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Neetsha