Neetel Inside 文芸新都
表紙

夜のユーフォリア
1話:僕の夜、彼の昼

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<2005年7月30日>

 ヤカンを持った老人が公園を徘徊していた。

 それだけならばそこまで記憶に残る出来事でもないであろうが、ところがそれだけではない。ヤカンの筒の部位の先端から、太い線を描いて光を発している。良く見ればヤカンの蓋から、木漏れ日の如く光が僅かに漏れているのが見えた。それを片手に、老人は深夜の公園を徘徊していたのだ。
 だが、歩き方や素振りを見る限りでは正常にしか見えない。意味不明に奇声を上げるわけでもなく、千鳥足でおぼつかなく歩き回っているというわけでもないのだ。光を発してるヤカンを手にしているということを除けば、ただの老人にしか見えなかった。

 「やっぱ使えねぇなぁ」

 蚊の羽音ほどの声量で老人はそう言って、ヤカンの蓋を開けた。円状の穴から光が射した。その中に老人は手を突っ込み、ライトを取り出した。そしてスイッチを切り、ヤカンをそっと地面を置いた。
 そのまま地面に胡坐を掻き、尻ポケットからしわくちゃの煙草を一本取り出し、マッチで火を点けた。煙を吸い、深夜の蛍光灯の灯りに向かって吐き捨てた。煙は夜空へと溶けていった。

 公園には僕と、その老人しかいない。僕は茂みで丁度隠れる場所に位置するベンチに腰掛けており、老人が此方に気付くことは無いように思えた。案の定、老人は此方に気付いていない。 
 もしここで気付かれれば、面倒になりかねない。先ほどの意味不明なヤカンライトも、理不尽に高額な金額を添えて薦められる可能性だってゼロではないのだ。

 ふと街灯に照らされて、蛾が集る公園の時計に目をやる。針は深夜の2時を指していた。まだ帰る時間には早い。
 普通の高校生ならば今頃夢を見ている頃であろうが、僕は夜に寝るという習慣が身についていなかった。不眠症というわけでも、昼夜逆転生活を送っているというわけでもなく、ただただ単純に寝る時間が遅く、睡眠時間が人より少なくて平気というだけであった。


 中学の頃は、理科の教科担当の先生にそのことを言うと「草食動物というのは、肉食動物に襲われることを警戒しているから睡眠時間が少ないのです」と答えた。そして、こうも続けた。

 「もしかしたら君は、何かに怯えて睡眠時間が少ないのかもしれませんね」

 当時僕は、神村が恐ろしかった。確かに元を辿れば、中学1年生のときに神村と同じクラスになり、精神的に追い込まれる仕打ちを受けたことから神村が夢にまで出ることを恐れて睡眠時間が減ったことが習慣と化した。それが原因なのかもしれない。
 神村という少年がやることが極めて幼稚であれば、彼をただの『いじめっ子』と区分出来たのかもしれない。だが彼は幼い頃から心の奥底におぞましい何かを飼っているような少年で、やることは極めて合理的に、精神的に追い詰められるものであった。彼の中学生らしからぬ生まれ持った血肉を食らう殺人鬼のような風貌と思考は、担任も進路担当の教諭も重々理解していたため、大人さえも近寄りがたいものとなっていた。神村という少年はブレーキの効かない犯罪者となりかけていたのだ。

 「彼が死んで、とても哀しいです。大切な友達でした」

 彼がニュースのインタビューで演じた演技は、彼の本性を知らないテレビの前の誰もが疑わなかったことであろう。クラスメイトの一人が、教室の窓から落下して重傷を負ったという事件。そのニュースの主題は『学校という施設の子供たちに対する安全性とは』というものであったが、何よりも安全性を失わせているのはこの神村なのだ。

 僕は目の前で、クラスメイトが神村に落とされるのを見た。

 「俺はな、人の骨が折れる音が聞きたいんだよ」 

 え? と窓際のクラスメイトは声をあげる。すると神村は「骨だよ。骨の折れる音」とあたかも当然かのように続けた。僕はそのとき、忘れ物のリコーダーを取りに教室へ戻ったときに、最高の最悪のタイミングでそれを耳にした。

 「骨の折れる音? どういうこと?」

 「わっかんねぇかなぁ」
 神村は後頭部を掻いて数歩歩み寄り、クラスメイトの髪を乱暴に掴んだ。クラスメイトは体を小刻みに震わせた。蛙へ牙を向ける蛇のように威嚇する神村に、僕らは成す術は無い。そして、こう口を開いた。

 「落ちろ。って言ってんだ」

 クラスメイトの位置的に、それの意味がわからないわけが無かった。何といっても、現在クラスメイトは窓際に座っているのだから。だからこそ、クラスメイトは目を丸くした。嫌な汗が吹き出ているのが、開いたドアの、僕の場所まで伝わってくる。

 「し、死んじゃうよ……」

 窓際の彼は、さらに震えだす。神村は、玩具を手に入れられない子供のような、それに重ねて残酷な顔で「うん、死ぬね」と口にした。そして、満面の笑みでこう続ける。

 「人が死ぬときの音、聞いてみてぇんだ」

 その声の無邪気さが、彼の狂気を強調していたように思えた。気がつくと、僕も足が震えていた。目の前で、落ちる? 人が? もしくは、神村に落とされる? 殺されるのか。
 助けようにも、成す術は無い。ただ白く揺れるカーテンが二人の近くの机を優しく撫でた。クラスメイトは、ふと窓の下を見つめる。落下したら、死ぬのかという確認であろうか。

 「や、やっぱり死んじゃうんじゃ……」



 その直後、



 「さあなら」

 神村が、クラスメイトを突き落とした。




 力も全然込めず、何の迷いも無く神村は両手でクラスメイトの背中を押した。クラスメイトは、そのまま窓の向こうの景色の下へ、姿を消した。
 肉を乱暴にまな板に置くような音が、校舎内に響き渡った。ぐぅひゅ、と肺の空気が絞り出されるような声が聞こえた。

 「うーん」

 神村は愛くるしい動物を撫でたかのような顔を浮かべている。かつて無い幸福感を噛み締めたような、少なくとも正常な人間が人を4階から突き落とした直後に浮かべられる顔ではない。そのまま踵を返し、僕と目が合った。僕は思わず、後ずさりする。

 「なんだ。見てたのか」

 何も答えなかった。とにかく、クラスメイトの安否が気になる一心だが、今は目の前の神村がこの上無く恐ろしくて仕方が無い。「あ…」だとか「いや…」だとか、繋がらない言葉しか喉に残っていない。それを見た神村は、にやつきながらこう言葉を発する。





 「たまんねぇなぁ」




 背中に氷が走るような寒気と、鳥肌が駆け巡った。この目の前の男は、単なる自分の我が侭と気紛れで人に危害を。
 クラスメイトは現在入院中で、未だ目を覚ましていない。結局その件は、クラスメイトの自殺という形で片付けられた。これが神村の仕業であることは、校内中の噂となっていた。だがこの事実の他言は、神村の攻撃の矛先を自らに向けることを意味する為、暗黙されてきたのである。いま神村は、県内で最も優秀な高校にて普通の人間を装い、影で色々やっていると、風の噂で聞いた。

 ――そんな昼夜逆転生活を送っていた。老人は茂みの向こうに見えるが、帰るにはまだ早い。どうするか、と顎に手を当てた。
 老人が去るまでベンチに座るか、時間はあるんだと僕は空を見上げた。星空も見えない住宅街の夜空。僕はすぐに視線を落として正面のブランコに目をやったが、それを見て水をかけられた猫のように跳ねてしまった。
 老人がいつのまにか、ブランコに乗っている。

 いつこちら側に回りこんだのか、なんて不毛なことは考えなかった。とにかく、出来るだけ関わらないようにしようと公園を後にしようとベンチから腰を上げたとき、夜の静かな公園に声が響いた。

 「少年」

 声の方向へ、首を回す。老人がブランコに乗りながらこっちを見ている。僕は溜め息を吐き、「何でしょう?」と返した。

 「こォんな深夜に、何をウロウロしてんだぁ? おめぇ、高校生だろ」

 老人は不恰好に伸びた髭を指でいじりながら、目を真ん丸くしてそう尋ねた。
 説明が面倒だ、と僕は適当に嘘をつくことにした。

 「なかなか寝付けなくって。深夜の散歩ですよ」

 僕がそう言うことを想定していたかのように、すかさず老人が平手を僕に向けた。
 しわくちゃの、染みだらけの腕がまっすぐ伸び、何処か力強さが残る手の平が見える。

 「嘘だな」

そう言って老人は肺に煙が詰まったかのような笑い方で歯を見せた。
 時計の針をふと見上げる。まだ三十分しか経っていない。

 「何でですか?」

 老人は人差し指を僕に向ける。

 「それぁ、学校行ってない顔だ」

 顔? と聞き返すと、また老人は笑った。もしや勘で言ってるのではないか、と疑いたくもなる。言ってることは理に適っていないが、言葉自身の説得力は才能的なそれを感じた。

 「顔……そんな顔してますか」

 図星だった。僕はかれこれ1ヶ月学校に行っていない。原因は極めて下らないものだが、その下らない理由で僕はもう進級出来ないほどの欠席日数を通知表に刻んでしまったのだ。こうなれば、学校に行く意味も無いと、僕は学習というレールから足を踏み外したのだ。

 「安心しろォ。説教なんてしねぇ。行きたくねぇヤツは行かなくたって構わねェんだ」

 平手を目の先で扇ぎ、弾む声で老人はそう言った。確かに教育の義務を終えた自分が半強制に学校へしがみ付く理由も無い、が暗黙上の常識によって高校を卒業しなかったものは社会的に劣化しているとみなされ、大学へ行かなかったものも社会的に評価されにくい現実も存在する。
 今の時代を社会のレールに沿って歩くならば、高校へ通うに他方法は無い。それの皮肉を、僕はぶつけられているかのように思えた。

 「何なんですか?」

 「知ってるかぁ?」

 「は?」

 「渡り鳥は星を見て空を飛ぶんだぞぉ」

 鳥目という言葉があるように、渡り鳥は夜空へ羽ばたくとき星の明るさを頼りにする。聞いた事があった。

 「知ってます」

 「お前が渡り鳥ならよぉ。星が無ぇ状態だ」

 何が言いたいんだ、と僕はわざとらしく溜め息を吐く。それを察したかのように老人は、声を出して笑った。そして立ち上がり、僕のもとへ歩み寄る。少し僕が警戒すると、老人は「なに、取って食おうってわけじゃねぇ」と歯を見せた。目の前に立つと、老人との身長差や老人の体格や肌がよりよく見える。僕と肩を並べるほどの身長に、ぼうぼうと伸ばした髭と髪。そして猫背。
 おもむろに目の前で尻ポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。なんだ、くしゃくしゃにしわだらけの紙と僕は不審気にそれを見ていると、老人はそれを僕に手渡した。

 「ここに来い。お前の中で何か変わるからよぉ」

 紙を広げると、地図が描かれていた。

     

<2005年7月27日>

 信号機が点滅し、赤へと色を変えたときに、神村は横断歩道の手前で足を止めた。ふと辺りを見渡すと、夕方であるためか自分と同じ学校帰りの生徒が多い。友人と帰路を共にする者もいれば、恋人と肩を並べる学生。もしくは仕事を早めに終えたサラリーマン。様々な足音が交差している。だが、誰もが自らのことで精一杯で周囲に気を配る気配も無い。
 良いこと思いついた、と上唇を舐めた。周囲の人通りの少なさを確認した後、そっと前に立っている高校生のブレザーのポケットに手を伸ばし、携帯電話を取り出した。念のため周囲に気を払う。
 神村が携帯電話を取り出すと、それを道路へと放り投げた。

 「え」

 何故道路に自分の携帯電話が、と目の前の高校生が一瞬だけ身を前へ乗り出したとき、神村は強く背中を押した。
 前に身を乗り出したとなれば、体重の殆どを前方へかけたということ。その状態で無防備な背中を押すと、前方へと身を揺らしてしまうことは必然であった。わけもわからず、高校生は走ってきたバイクと衝突した。

 神村はその光景の一部始終を見て、勃起していた。嗚呼、人が危められる瞬間。生命の鼓動を感じ、生きることの実感を噛み締められる音はこの上無い興奮だ、とひっそりと神村は微笑んだ。

 女性の悲鳴が聞こえる。すぐにバイクの運転手は救急車を呼んだ。神村は偶然その場に居合わせた通行人を装って、その場を後にした。

 「おめぇがやったんだろぉ?」

 神村が現場から離れようとしたとき、確かにその声は聞こえた。

       

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