Neetel Inside 文芸新都
表紙

夜のユーフォリア
2話:久方振りの無酸素運動

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<2005年7月31日>

 街灯の住宅街を通り抜けて、深夜の商店街の入り口でもう一度地図を広げた。確かに道は合っている、と地図を指差す。顔を上げ、商店街を見つめた。人の居ない商店街。地図によると、この先のタバコ屋とパン屋の間の小道に階段があるらしい。

 アスファルトを踏みしめて、商店街の奥へと足を進めた。建物の間を歩けば足音が深く遠く響いた。ふと奥に、不審な人影を見つける。

 ――何だ?

 僕は少し足を速める。人影は、足を横へ向け、建物と建物の隙間へと姿を消した。駆け寄って、見失わないよう意識を集中させる。人影が入った隙間を凝視すると、奥に階段が見える。
 もしかして、と左右の建物を確認した。予想通り、それはタバコ屋とパン屋であった。そうなると、あれが向かってる先は僕と同じなのか? 天国に続くようなその石階段を見上げ、一歩階段へと足を掛けた。
 一歩一歩階段を進むうち、次第に早足になっていることに気付いた。もしかしてあの人影は昨日遭遇した老人か? と思考をめぐらせた。とうとう交互に踏みしめる足が、自らの限界まで早くなる。息が切れ始め、ぜぇぜぇと肩で呼吸しながらも、僕は足を止めなかった。

 月がだんだんと近くなってくる。

 こんなに走ったのは何ヶ月ぶりか、と僕は頬を緩めた。今までの昼夜逆転生活には考えれなかったこの無酸素運動。止まっていたギアが突如目覚めて過激に稼動するような僕の体は、汗にまみれていった。

 「何か用か」

 足を止めて、荒く呼吸しながら目線を上げた。まだ高く連なる階段を背に先ほどの人影がこちらへ体を向けて見下ろしている。

 「ハァ……ハァ……ゼェ……あの……この先の……ゼェ……ハァ……」

 「あ?」

 唾を飲み込み、一度視線を落として呼吸を落ち着かせてから再度視線を上げる。男をよく見ると、自分とそう歳も離れていないであろう若さと、丁寧にヘアーワックスで整えられたであろうその髪形が特徴的だった。

 「……アンタも、この先の老人に用が?」

 「アズマのことか?」

 アズマ? と脳内で復唱し、事情の説明をどう簡潔にするかを考えた。そして僕はおもむろに尻ポケットに手を突っ込み、あのくしゃくしゃの地図を取り出した。「昨日、ここに呼ばれて」

 男は乱暴にそれを受け取り、広げて見つめた。そして眉をしかめ、幾度か頷き、それを僕に返した。

 「お前が昨日会った老人、アズマって名前だ。覚えておけ」

 「は、はあ」

 「そしてこの先、何があると思う」

 首を傾げた。そして眉をしかめ、恐る恐る口を開く。

 「……神社とか?」

 石階段の先は神社や寺が待ち構えているものだと僕は勝手に先入観を抱いていた。長い長い階段の先、鳥居が両手を広げて待っているような概念。

 「残念ながら、もっと良い所だ」

 彼の想像する“良い”と僕の想像する“良い”は価値観が違う限り重なり合うことは無いだろう、と僕は頬をかいた。顔の汗が鬢から頬へ、頬から顎へ伝っていく。階段の上にぽたりと落ちた。

 「良い所?」

 「お前、本は好きか」

 男は背を向けて、再び階段を上がり始めた。僕も後に続く。

 「うん」

 「好きな作家は?」

 僕は指を折りながら名前を挙げて数えていく。

 「……ドストエフスキー、スティーブン・キング、夏目漱石……あとは……」

 「十分だ」

 ひっそりと微笑んだ男は、突如足を止めた。思わず僕も足をとめて、目を細める。男はそのままの体の向きで、顔だけ僕へ向ける。

 「茨」

 「いばら?」

 「俺の名前。名乗ってなかったろ」

 そしてまた歩き出した。ふと背後を見ると、いつしか小さくなった建物たちが僕らを見上げている。このまま重力に身を任せて背後に倒れれば、何よりも早く天国へと辿り着くだろう、と思った。

 「山田だ」

 「有り触れた名前」

 グラスに注げばこぼれるような日本国内の僕と同じ苗字の多さは、逆に極めて特殊であると思う。

 「それが良いのさ」

 僕は苦笑した。

 「もうすぐ着く。ここから先は、お前の知らない世界だ」

 振り向かず茨はそう言った。僕の知らない世界? …確かに、僕はこんな場所に階段があるなんてことは盲点であったし、この先何かあるかなど知る由も無い。あまりにも広大なその表現に、僕は清々しさを感じた。今はただ、茨の背中を追って階段を踏みしめていく。



 絵本で見たような、はたまた映画のワンシーンで見たようなその景色。街全体を見下ろせるような場所が、階段の上に位置するなんて僕はこの街で生まれ育っていても知らなかった。
 映画のラストシーンを飾れるようなその丘の上で、僕は呆気に取られていた。

 「おい」

 こちらを振り返る茨に意識を戻された。僕は目線を茨の方へと向けた。茨の背後に、巨大なドラム缶のような白い円柱状の建物が見えた。

 「え、ここが?」僕は目を見開いて、それを指差した。

 「そう、ここが」

 茨は踵を返し、その建物へと足を進める。そしてドアを開け、建物の中へと姿を消した。もう一度街を見下ろした。風が僕の背中を押す。

 建物の前に立ち、それを見上げた。全て真っ白で、所々蔦が絡まっている。ドアの隣に、赤い郵便受けがあった。白いドラム缶にシールを貼り付けるような要領で窓を付けたかのように、一見簡素な建物に見えた。僕はドアノブに手を掛けようとした瞬間、ドアが乱暴に開いてびっくりする。茨の顔が目の前にある。

 「早く入れよ」



 建物の中は極めて簡素かつ神秘的だった。あるものは、本と椅子と、小さなテーブルのみ。
 円状の床と天井の淵に沿って本棚が天井まで陳列していた。簡単に言えば、中心に置かれた二つの椅子と一つのテーブルを囲むように本棚があった。壁がほぼ本で埋め尽くされていた。
 天井の中心には、オレンジ色の照明が一つあった。そのオレンジ色の灯りは部屋の温かみを強調しているように思えた。
 床には本棚に入りきらなかったのか、本が積み重ねられている。広さは走り回るほど広くはないが、狭いというにも言葉に困る広さだった。人間が数人集まるなどには十分な広さはあった。
 風呂も、トイレも無い。生活を主とするには難しい場所だろう、と僕は鼻を鳴らした。茨が中心の椅子に腰掛け、テーブルに足を乗せて両手を天井に向かって伸ばして、溜め息を吐いた。

 「あー……疲れた」

 「階段が?」
 僕はもう一つの椅子を寄せ、腰掛けた。

 「いや、仕事が」

 「仕事? 同い年ぐらいだと思ってた」

 「あ? いや、お前高校生だろ? 俺も高校生だよ」

 「へ? じゃあアルバイトとか?」

 茨は力強く首を横を横に振る。頬を掻き、悪びれる様子も無く答えた。



 「空き巣だよ」


 あたかもそれが人間の当然の行為であるかのように、茨は顔色一つ変えなかった。僕が通報するはずないと何か確信したのか? 僕は言葉に困る。

 「空き巣?」

 「ああ、空き巣」

 君はどうやら空き巣が正当な国から来たんだね、と肩を落とした。馬鹿野郎。それは犯罪だろう。目の前の犯罪者は人差し指を立てて話を続けた。

 「いやでも物は盗らないんだ」

 「は?」

 じゃあ不法侵入者だ、と頭が混乱する。物を足らないで何故自ら空き巣と名乗る? と前髪をかき上げた。それを察したかのように、茨はこう答えた。

 「俺は動物しか盗まない」

 「動物しか? 猫とか犬とか?」

 「そう、猫とか犬とか」

 「何で。そんなに動物好きなの?」

 「うん」

 溜め息が出た。盗むほど動物が好きならば、保健所の野良犬でも引き取ればいいだろうと叫びたくなった。それとも盗まなければならない理由があるのか? それも、動物だけを。

 「だってよ、今の飼い主は無責任だぜ」

 「え?」

 「最初は可愛がっていて、世話に飽きたら可愛がらなくなる」

 「あー、確かに」

 「それなら俺が引き取るって話だ」

 だが不法侵入は犯罪だ。いや動物の窃盗も犯罪だ。ああ認めよう、お前は空き巣だ、と脳内で両手を上げる。

 「……僕はなぜここに連れてこられた?」

 「まぁそう急ぐな」

 茨は背もたれによしかかり、手のひらを突きつけた。彼の脳内には、会話の手順が描かれているのだろうな、と僕は想像する。

 「はあ」

 「まずは俺がアズマに出会ったきっかけから話そうじゃないの」

 聞いてません、と僕が言ったにも関わらず、茨は話を始めた。

     

<2005年6月31日>

 電柱に貼られた「猫探しています」のポスター。茨はそれを見つめていた。見つけたら10万円のお礼を差し上げます、とも書かれていた。
 溜め息が出た。この写真に写る黒猫を見つければ10万円……そうなれば中には血眼に探す人も現れるだろう。そんなことに繋がって、猫はどんな心境なのか、と思考をめぐらせた。罪を償わず国境を越える賞金首のようなその猫の扱いに、茨は同情した。

 さて、と顔を上げる。日はとっくのとうに沈み、時刻は深夜の二時を指していた。民家の立ち並ぶ住宅街へと足を進めた。基本的に深夜にも関わらずカーテンのかかっていない家は留守の可能性が高い、と脳内で復習した。品定めをするかの如く、家々の窓を凝視する。

 あるアパートの一階の窓で、カーテンが閉まっていないものを見つけた。試しに数回窓をノックし、様子を窺う。人の気配は無い。早速窓に小さな穴を開け、内鍵を開けて進入してペットの散策にあたった。まず台所に入った。

 「うわ……」

 思わず声をあげた。人が居たのだ。女性だ。
 だが人は茨を見ることはない。悲鳴を上げることも逃げ惑うことも憤怒もしない。では今目の前の人はどうしているのか? 横たわっている。その長く美しい黒髪の流れに合わせるように、首から血を垂らしながら。

 「もしもし? あの、大丈夫ですか?」

 肩を揺さぶるが、応答は無い。頬に人差し指と中指を当てると、無機質な冷たさが伝わってきた。

 ――死んでいる。

 どうする? 警察を呼ぶべきか、いや空き巣の自分が警察を呼んで過去の不法侵入とペット窃盗の意味を問われたらどうするかを考えると、それはできなかった。
 それ以前に窓を割って小さな穴を開けたのは自分である以上、自分が殺人を疑われるのもまた当然。ますます通報は出来ない状況にありながら、その死体を放っとくわけにもいかなかった。

 どうする、考えろ。頭のギアを回転させるんだ、と茨は自らに暗示をかけ、脳のギアを稼動させる。どうするべきか、死体は何を見たのか……。

 「死体は嘘つかねぇ」

 体を震わせて声の方向へと鼻を向ける。奥の居間のソファーに、誰か座っている。白髪だけが茨を覗いている。主人か? と思ったが、それにしては歳が離れているように見える。

 「あの、俺、その」

 「知ってる。おめぇ、この辺漁ってる空き巣だろぉ?」

 「………」

 力ずくで口止めを考えたが、それは事態の混乱の渦を深くすることになる。だから、ぎゅっと拳を作った。悟ったかのように、茨はこう訊ねる。

 「ご主人で?」

 「んにゃ、ただの通りすがりだぁ」

 家の中なのに通りすがりとは、なんとも奇怪な話。恐らく、この男も何らかの事情があるんだろう。

 「通りすがり、か」

 男は立ち上がり、こちらに顔を向けた。そのまま歩み寄り、死体の頬を撫でた。

 「止められなかったぁ」

 「止める? 自殺か何か?」

 「違ぁう」

 「?」

 「この世の憎悪を、だァ」

 何かの比喩かと思った。男は遠い目で、雨を受け取るように両手を出して、こう言った。

 「脈打つ生命の、リズムは人間のユーフォリアに繋がるわけねぇんだァ……間違ってんだァ………」

 「何のことだ?」

 男は尻ポケットに手を突っ込み、不器用に輪ゴムで止められた紙の中から一枚茨に突きつけた。

 「ここに来りぁ、いずれわかんだろぉ」

 男は歯を見せて、自らを「アズマ」と名乗った。

       

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