尻込む彼女の手を引いて、屋根へ昇れば例年通りに、夜空の花が咲いている。
港祭りの目玉として毎年行われている花火大会のそれだった。祖父の代に建てられた家は
大分古いが、港を見下ろす立地のお陰でこの日ばかりは素晴らしい特等席となる。わざわざ
他県から足を運んで人混みに揉まれているだろう人々の苦労を想像すると、労せずして絶景
の場所を確保できる事に優越感を抱かずにはいられない。地元万歳、爺さん万々歳である。
「屋根の上なんて普通昇らないって、瓦がズレたらどうするのよ」
口ではそう言いつつも、その目は既に釘付けで、すっかり楽しんでいるようだ。
「大丈夫。もう何回目か忘れたけど、一度も落ちた事はないよ」
棟の部分を跨ぐようにして用意していた座布団を敷き、腰を落ち着けてから彼女の事を抱
き寄せる。一人で見ていた時は何ともなかったが、二人だと何故か不安になるものだった。
「こんなにゆっくり見られるなんて、初めて」
感慨深げに彼女は呟く。隣の市出身だからこの花火での思い出も少なからずあるだろう。
「女から初めてって言葉を聞くと嬉しくなるのは、何故だろうね?」
「それはアンタがバカだからでしょ……あ、ほら、綺麗」
中心から緑・青・赤、綺麗に色を分けられた三つの円で彩る、癇癪玉だった。夜空の黒い
カンバスにその身を張り詰めて咲かすのは一瞬、それを過ぎれば枝垂れの如く散っていく。
「そう言えばアンタとこの花火見るの初めてじゃない? なんか今更で、すっごい不思議」
「ん……そうだったかな」
「毎年ここで見てたの?」
彼女がそう言って少し、花火からはおおよそ三秒後、腹まで響く音が届いた。
「一度だけ、高校の時にさ、女の子から呼び出されて港まで出たんだけどね」
彼女の表情に不穏な色が産まれたのは、気のせいでもないし、十分に読めていた展開だ。
「ブッチされたんだよ、今考えてもひどい女だよね。帰り道では犬のウンコ踏んづけるし、
向こうとは次の日になっても連絡取れないし、最悪だ」
彼女は冷めた目でこちらを見ているが、溜息を吐く権利は僕の方にこそある。あの夜踏ん
づけたウンコの感触、鳴らない電話を待ち続けた不安、今に至って最悪の思い出なのだ。
「へえ、そう。……初耳なんだけど、何それ」
平然とのたまう彼女に僕の被虐願望は満たされる。全く以てベストパートナーだ。
「ふん、まあもう良いけどさ、昔の事だし。それに良かったじゃない。最悪の女だって気付
けたなら、正解だったのよ」
割と良い所もあると弁護するべきなのか、場は何とも珍妙な判断を求めてきた。
「ところがさ、この話には続きがあって。あんまり惚れてたから、結局別れなかったんだ」
たとえば、振り返った記憶にはいつだって彼女がいるほどで、全く恋患いは不治の病だ。
「それ、何年生の時の話よ。もし、万一にも、浮気してた時期があったってなら、もう終わ
ったとかそういうのとは関係ないからね。私を騙してたって事が重要なの」
彼女は事と次第によってはただでおかないといった雰囲気を滲ませて、ここまで来て有り
もしない浮気の経験を疑っている。僕の日頃の行いが悪いからなのか、それとも彼女があま
りにバカなのか、どちらとするにも難しい問題である。
「その女も、今頃何してるのかしらね」
「花火を見てるんじゃないかな、それどころじゃないのかも知れないけど」
「何よ、それ。今でも連絡取ってるみたいな口ぶりじゃない」
「会ってるよ、毎日。ちなみに最後にエッチしたのは三日前で、今日のパンツは赤の紐だ。
週二回の間隔から言っても今晩辺りだろうけど、そういう日の彼女はそれとなくエロイ物を
選ぶんだ。ただ、僕としてはもう少し純粋な、処女的な物を想起させる方が好ましい」
男からすれば妙に凝った下着よりも純白こそがエロの真理であるのに、女はそれを理解し
ようとしない。彼女はジーンズのボタンを外してその中を確認すると、怪訝な顔で言った。
「いつ見たのよ……っていうか、全部嘘でしょ?」
「さっき着替え覗いただけだよ、それに全部本当。本当だけど、これから色気の無いパンツ
に履き替えてくれれば全部許してあげる。……パンツってのは直球の方がエロイよ」
なんか苛めがいができるんだよねと言うと彼女は溜息を吐いたので、きゅんとした。了