Neetel Inside ニートノベル
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@ccess to you.
心の声、送心。(下)

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 次の定期検査入院日を僕の命日にする。

 僕は心に決めた。逝くための方法については、おなじみのものからお初のものまでひととおり調べてみた。シンプルに首をくくりたいところだったけれど、今の僕には難しいかもしれない。右腕が使い物にならなくなってしまっただけに、いろいろ絶命の工程にほころびが出そうだ。できるだけ苦しむ時間を短くしつつ死を迎えたい。
 生きたいと思わなくなって、僕は死ぬことに対する恐怖の輪郭が徐々にぼやけはじめていた。目に映る景色ももとの鮮やかさを失って色褪せてみえる。時間の感覚もおかしくなり、日中急に眠くなって寝てしまったりすることや、夜更けに突然動悸がして眠れなくなったりもした。これまで通りの心身状態で最期まで過ごしたい思いとはうらはらな状態でくるくると死に方を検討していた僕だったのだが、入院の前日を迎える頃になると、もう自分の人生の終わりをきちんと結論づけることができていた。
 
 
 僕はこの世を飛び降りる。
 

★ ★ ★


 当夜丑三つ時。
 屋上に到着して空を見上げると、ほんの少しだけ欠けた月が映った。雲は晴れてたくさんの星も空にまとわっており、それぞれがまばゆかったりささやかだったりにきらめいている。最期の景色にしては上出来かもしれない。恐怖心は全くない。飛べばすむ。痛みもひとときだろう。声も出ないのだから誰もすぐには気がつかない。だから僕が発見されたとき、きっと僕はちゃんとあの世に到達できている。
 柵の外側を背にして、僕はゆっくり瞳を閉じた。夜の風がほどよく身をつつんで通り抜ける。名前も知らない虫たちの声がきこえている。それ以外の世界は整然と寝静まっているように感じられた。
 《さて、いきますか》
 いよいよお別れだ。もたれていた背中を離し、数歩進んで病院の渕に立った僕は、ついに僕の重心を前へ傾けた。均衡を破って下り始めるジェットコースターに乗っているような感覚が体を包む。ああ。さようならだ。
 

 しかし。
 走馬灯はみえず、すぐに僕の体は静止した。
 《えっ》
 訳がわからず目を開ける。と、暗がりごと視界が勢いよく後方に引っ張られて、再び僕はさっきまでたたずんでいた場所に帰還した。ここは屋上、間違いなく屋上。
 《何だこれ》
 時間が巻き戻ったとでもいうのか。しばらく、いやどれくらいの時間が経過していたのかわからなかったが、呆気にとられていた僕の心がそうつぶやいた矢先、強烈な衝撃が後頭部あたりを襲った。


 目が覚めた。
 《空が暗いということは……まだ生きてるってことか》
 どうやら気を失ってしまったようだ。ゆっくりと意識が覚醒していくにつれ、頭の裏側全体に脈打つような痛みを自覚する。かなりしたたかに殴られたみたいだ。
 《しかし、なんだか首筋と肩が妙にあたたかくて、やわらかいぞ……あ、え》
 驚くべきことに、僕は知らない女性に膝まくらされていた。視界の左側をふたつのふくらみが覆っている。
 《この人に引っ張りあげられたんだ》
 他に人気はないと思っていただけに、これは完全に想定外だった。すると、空を見上げていた女性がゆっくりと向き直ってくる。肩口ほどの長さの髪が僕のほおをさらと撫でて、ほのかにシャンプーの香りがした。視覚、触覚、嗅覚をいっしょに刺激されるこんな状況、一般男性であれば即座に至福と定義するところだろうが、現状そんな気はみじんも起きない。当たり前だ。なぜならば、自分より少し年上、大学生くらいに映る女性の、眉を吊り上げて顔をしかめた表情をひたすら見せられているからだ。まさに鬼のような形相とでも言おう。
 正対に耐えられず目を逸らそうとすると、顔をつかまれてほおを叩かれた。たいして痛くはなかったが驚いて目線を彼女に合わせなおす。そうして憤怒の勢いを崩さずに女性が僕に見せてきたのは、携帯電話のメール画面。暗闇を照らす文面はこう綴られている。
『どんな理由があろうとも、自分で死ぬのは見過ごせない』
 あなたに僕の何がわかるんだ、と返答したいところだ。でもそれを伝えるすべが今の僕にはない。仕方がないので彼女の携帯を取り上げて返信文を打とうとしたが、メールを打つ途中で再び彼女に携帯を取り上げられた。問答無用ということか。
 そうして彼女はまっすぐ僕の目を見ながら両手を動かしてみせた。その仕草を見て、僕は彼女の特徴を直感した。ひとしきり手を顔や胸に当てたり近づけたり遠ざけたりしながら盛んに動かしていたが、やがて手を止めた彼女はまた電話を手に取って、素早い動作で作成した文面をこちらに向けた。
『あたしは耳が不自由で、人の声はきこえない。でもそのかわり心の声はきこえんの。昼間すれ違ったとき、あんたから声がしたよ。孤独だ、死にたいって。甘すぎ。人生ふざけんなって感じ』
 いつから僕の行動に気を払っていたかとか、この人も入院しているのかとか、どうしてこの時間とこの場所に居合わせられたのかなどと疑問も湧いていたが、もうそんなことはどうでもいい。こざかしい。
 
 僕は、自分をわかってくれる人に自分を伝えたかっただけ。
 
 死のうとしていた僕自身忘れかけていた思い。心の声。それを受け止めてくれる人が、いた。
 《この世もメールも、すてたもんじゃないのかな》
 あいかわらず怒りに顔を上気させている彼女を見上げて、僕はつぶやいた。

       

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