Neetel Inside 文芸新都
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 先日とある娘(こ)に、以前書いたチラシの裏2枚を見られた。

 その娘は小さな唇を精一杯斜め上へと伸ばしてニヤつき、私に子供じみた悪戯をすると言う。チラシを皆に見せると意気込んでいる。別にと言おうとするや否や、糊原にもみせると甲高い、しかし掠れることのない声で叫ぶ。確かにそれは困る。概して24時間のうち半分を共に過ごす者にわざわざ言う必要が無い、あるいは言いそびれて、これ以上伝える機会が無いからこそ書き付けておくのである。今のところまだ大した内容は無いが、いつ機密を守る必要が生じるかは分からない。今、この瞬間より見せられないことかもしれない。私にも人並みの羞恥心位はある。あの雛壇クイズ番組も少し位は見たことがある。

 そんなことを平易に伝えると、ただ一言、ドジとその娘は言う。これを否定するには、サイレントマジョリティを考慮するしか他に無い。理不尽に叱るしか打つ手は無いのかという考えが頭をよぎったその時、私のこともちゃんと書けば誰にも見せないのにと、明らかに拗ねた声でぐずった。仕方が無い。

 ――まなみちゃん――

 この娘について私が何か発話することは場の緊張を解くよいフラグとなる。子供嫌いの者さえいなければ。幼女特有のあどけなさ、無邪気さ、おぼこさ。これらが渾然一体となって、聞きし者の脳細胞の調子は確かに整えられるのである。フェロモン入り香水の処方を検討している者は、身の回りのクソガキ言行録でも一度話してみると良いだろう。

 しかし友人知人らが抱くこれらの感情——それらは所詮百聞して得た他人事に過ぎない。一見するだけではなお分からない可能性すらある。身内になれば初めて分かる。如何にして、この娘が、己の神経の働きを緩め、不愉快にしか感じられない存在であるかが。尤も友人知人らにしても神経の働きが緩んだ結果の和みであり、温もりでいっぱいなどと仰る御仁すら出現する要因となっているのではあるが。とりあえず今のところは、この娘はちゃん付けして呼ばないとすぐに泣き出す輩である、これだけは記しておきたい。

   [自己啓発書籍のチラシの裏より]



       

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