Neetel Inside 文芸新都
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リベラル・ハート・ファミリー
第一話① リベラルハートファミリー

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第一話① リベラルハートファミリー

 
 朝は、戦争である。

「あー!!!」
 母は、叫んでいた。そして料理もしていて、同時に走ってもいて、着替えを手伝ってもいた。
「真奈ぁ! もう半過ぎたって! 起きて!! 顔洗って!!! 着替えて!!!! ご飯食べ
て!!!!! それから――!」
「お母さん、うるさいー」
 起き抜け、パジャマ姿の真奈が眼を擦りながら、呻いた。
「遅刻するよ!」
「走れば間に合うー」
 両親譲りの健脚を持っている真奈は、本気で走ればものの数分で学校に到着してしまう(それで
なくとも家から近い)。真奈にとっては、この時間に起きるのがベストなのだろう。真奈にとって
は――
「こっちは糞忙しいんだよ!! もうすぐ幼稚園の迎えのバスくるし、まだメシ出来てないし、
桜子におっぱいもって、あーそもそも雄馬の制服のアイロン掛けすら!」
「お母さん、必死すぎ」
 真奈は、母に引っ張られている弟を見た。
 雄馬は、この状態で眠っていた。

 母親は――特に、複数の子を持つ母は――戦士でなければならぬ。
 戦士であるためには、常にある程度の緊張感を保持していること必須。
 雄馬本日の戦いに一区切りつき、れいんは、ほっとした様子で洗濯物を干していた。
 しかし、家の中からぐずり声が聞こえた瞬間、また戦士の顔に戻る。
 素早く洗濯物干しを中断し、桜子の元へ駆ける。
 さながらメロスの如き彼女は、生まれて数ヶ月の可愛い三人目の次女を抱き上げる。
「どーしたのー? お腹空いたかな、それともうんち?」
 そう言いながらも、れいんには分かっていた。
 何しろ、三人目である。三回目なのだ。
 三回も体験すれば、もう忘れはしないものだ。
 桜子の下半身を覆う紙おむつを解き、臭いを嗅ぐ。そして、満足気に。
「うん、健康だね」

 生きることとは、常に判断を強いられることでもある。
 特に、母親はその傾向が強い。
 午後二時過ぎ、近所のスーパー。
「うーん……」
 駐車場。車の中で、れいんは唸っていた。桜子は、乳児用のチャイルドシートで、今はすやすや
と眠っていた。
 れいんの手には、数枚のチラシ。それぞれ、異なるスーパーのチラシだ。
「この店は牛乳が」
 れいんはちらりと窓の外に目をやった。この店は、今日牛乳が安い。一度頷き、叩きこむ。
「…で、近くの店は紙おむつが安くて、少し遠いけど、この店はバターが安い……蜂蜜も安いな
あ。今、切らしてたっけ……」
 たとえ夫の稼ぎが良かろうが、主婦は主婦。
 主婦は「いいものを、より安く」の精神が、何倍にも増す。
 れいんは、思った。「全部欲しい」と――
 しかし、現実的に、それは無理だ。れいんは、思いを打ち消した。
 今は、もう、二時過ぎなのだ。今日は色々と立て込んでいて、買い物に出るのが遅くなってしま
ったのである。
 恐らく、特売品のどれか一つを買い込めれば、儲けもの――
「よし」
 意を決して、れいんは呟いた。
 桜子を拘束具から解放して、背におぶせ、子守帯を身に付ける。
「行こうかね」

 この時間、店内はほとんどが主婦で占められている。
 れいんも、そこに同化した。
 とはいえ、人影はまばら。
 特売の牛乳も、まだそれなりに余っていた。
 というのも、このスーパーは他店に押され気味なのである。
 最初はこの店しかなかったので大いに繁盛していたが、最近になって、近隣に競合店が次々とで
き、それで客を取られたのだ。老舗は老舗。尊重はされるべきだが、消費者目線で見れば、「それ
はそれ、これはこれ」になってしまう。
 一番古くからあるこの店が、近隣のスーパーの中で一番売れ行きが良くない。勿論、れいんもそ
れを知っていて、まずここで確実に特売品を確保しようとしたのだ。
 牛乳は、一人当たり二本まで買っていい、と設定されていた。れいんは迷わず四本取る。
 そしてすぐにレジに向かい、少し体をくねらせて、背中で眠る桜子を見せた。

 その時、ちょうど真奈が帰宅途中だった。
 二軒目に向かおうとしていたれいんは、クラクションを鳴らし、端に停車する。真奈が駆けてき
て、れいんは窓を開ける。
「お母さん」
「買い物行くんだけど、真奈も来る?」
「うん! ね、あたしにさーちゃん抱かせて」
 真奈は、桜子をさーちゃんと呼ぶ。
「頼もしいね」
 れいんは嬉しそうに言って、子守帯を差し出した。
 ――本当は、自分が抱きたいのだ。
 幼児期は、そう長くはない。
 だからこそ、子供達に抱かせておきたい、というのも同時に心の中にはあった。
「乗って」
「うん」

 二軒目は、打って変わって、混み合っていた。
 こちらは、まだ新しい。なにしろ三日前に開店したばかりなのだから。
 背にさーちゃんを背負う真奈は、好奇心を弾けさせて、店内をキョロキョロと忙しない。
「こーら。あんまりウロチョロしないの! 桜子気を付けてよ」
「分かってるー」
 子供の「分かってる」は、分かっていない場合がほとんどであることを、れいんは経験則で知っ
ていた。
 視点の定まらなかった真奈が、止まった。
 そこで止まるだろうなあ、と、思っていた。
 お菓子売り場があった。
「…一個ね」
「はーい! さーちゃんいこ!」
「走るな! さー起きる!」
 聞いちゃいない。れいんは、深く溜息をつき、そして、ただ、見た。
 似るのかなあ。
 そんなことを、思っていたのだ。
 れいんは、ふっと息をつき、さ、と小さく声を出した。
 バターは、まだあるだろうか。蜂蜜は――
 もし、あったなら。
「明日の朝は、パンがいいな」

 バターも蜂蜜も、既になかった。
 しかし、れいんはどうしてもパンを食べたかった。
 食パンをキツネ色に焼き上げ、バターを塗り、いい具合に溶けたら上から蜂蜜をとろりと。
「おいしい!」
 帰ったら、雄馬はすでに家にいた。ポストの下にある合い鍵で開けたのだ。ちゃんと家に入って
から鍵もかけていたようで、れいんはほっとした。
 朝食の予定だったが、おやつに焼いてしまった。子供達は喜んでいる。しかし、本当はれいん自
身が食べたい気分だったのだ。
 明日の朝の分はもうない。
 明日になれば、後悔するのかもしれない。
「まあ、それはそれでいいや」
 人間、立場が変わろうとも、根元までは変わらない。れいんは、大きく口を開けて、蜂蜜のたっ
ぷりかけられたパンに噛り付いた。

 戦いに赴くには、息抜きも必要なのだ。

       

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