Neetel Inside 文芸新都
表紙

不忠の糸
どこにゆくか分からない舞台

見開き   最大化      


ホルヘ・ルイス・ボルヘス氏―「伝奇集」―「工匠集」収録―『隠れた奇跡』より

『 黒めがねをかけた司書が訊いた。何をお探しですか? フラディークは答えた。神を探しています。司書はいった。神はクレメンティヌムの四十五万冊のなかの一冊のなかの一ページのなかの一字のなかにおられます。わたしの父たちとわたしの父たちの父たちはその文字を探してきました。わたしもそれを探しているうちに盲目となったのです。 』
(鼓直ー訳)






テレーズに寝室の向かいの部屋のドアの鍵を閉めるように頼むと、快諾してくれた。

「この部屋はあまり生活に適さないので」
そういって中を一度も見ることなく鍵を回してくれた。
これで私はあのペンダントを封印したことになる。目をそらして鍵を掛ければ、一度そうすればふたたび血迷って目を合わせても、ドアが閉まっているから引きずり込まれることはない。あのペンダントだけは、あのペンダントだけは絶対にその中にいつまでも封じていなければならない。だって現実なんて、もういらない。

     

 朝御飯は、 空腹だったからこそ美味しかった。漢字四文字で表すと、無味乾燥。
食後のコーヒーはなかなか、甘くもなく苦くもなく。食事を終えて、今は角砂糖をはえて遊んでいる。
誰かのように器用なことは出来ないので、一段一段、堅実に角砂糖を積み上げていく。
私は昔からブロックなどを積み上げるのが好きだった。その課程より結果に重きを置く方だったと思う。
そして、出来たのはピラミッド――――シュガー・ピラミッド。まあ久しぶりの作品としてはこんなものだろう。・・・これだけあれば、蟻たちの一生分の食料は賄える。これを見て蟻たちがどう思うだろうか?

     

 そもそも、自然界に砂糖が遍く流爛していたら、蟻はあんなに苦労して隊列を作って大地で餌を探し回らなくてよいのに。更に、もし大地が砂糖で出来ていたら、食べ物が何処にでもあるというのは、蟻にとってどんなに天国だろうか。
 そう考えると、もともと土を食べて生きている生物、ミミズ、ハムシなどの姿は、アリ達にとってどのように映っているのだろう。自分たちは必死に地を駆けずり廻って食料を探している。大地の上で点のような食料を見つけては、巣に持ち帰り、貯蔵し、休む間もなく働く。食料が見つからないことだって、巣に帰れないことだってある。でも休み無く働く、全ては女王の為。・・・それに比べてあいつらはどうだ?ミミズは土を食べている。土を食うものは、決して食料が無くなるなんて事が無いじゃないか。こっちが必死で探している、取り合っている糧は少なすぎる。それに比べて大地は無限で尽きることが無く、奴らは一日中、飽食の限りを尽くし、深い土の底に潜れば生命の危険もなく、時にはしゃあしゃあと巣に潜り込んでくることだってある。いくら土を上腴にしていると言っても、なぜやつらだけあんなにも恵まれているんだ。
おかしい、不公平だ。どうして――

ニクイ・・・。ニクイ・・・。ヤツラガ憎イ・・・。

かくしてアリは生きたままのミミズに狂然と襲いかかる・・・・・というようなことはない。
 今考えたようなことは唯の愚かな思いつきで、誰かが既に考えている様なことの改竄であり、意味はない。そんな陳腐な考えをここまでさんざん空想してきたことに対し、慚愧の念が尽きないし、しかも上の様な考えはアリたちに失礼であり、卑しめ以外の何物でもない。私はため息をついてピラミッドを崩した。

     


その愚劣な考えと同列かも知れないが、アリたちは哲学的{若しくは宗教的(二つは表裏一体と思える)}に高度に成熟していて、上の様な思考は替壊している。彼らの哲学(宗教)は社会的生活に意義を求めることに成功し、ルーチンワークに快楽を見出す。エサを見つけること、それを巣に持ち帰ること、食事をすること、リスクが高いにも関わらす、彼らはそれを無上の喜びとし、充足と飢餓の波ですら、彼らの哲学に必要の存在である―というのは、アリたちにとってそれは儀式の様なもので、自分たちは空腹を感じるから生きているのだ、この二つの繰り返しがあるからこそ、巣から出て、外の世界を享受し、リスクに怯え、素晴らしい事々を繰り返す素晴らしい人生を送ることが出来るのだと思っているからこそ、それは彼らの哲学(つまり存在)の所以であり生存本能の意味であり― そんな彼らにとって、ただそこにある土を食い動くも動かない一生を送るミミズは、最高の嘲笑の的であって、反対に規則的で社会的な人生を送る存在、つまり人間、複雑怪奇極まりない社会をそれぞれがそれぞれのワークを持って送る人間は神と崇められる。彼らの哲学ではルーチンワークが複雑であるほど優れていてよいと考えるからだ。人間が全て同じ考えを持ち、その考えをもつ故に幸福であると他の全員が思っているが故に自分も幸福であるとするアリの哲学の前提をまったく有していない事は彼らに知られていない。また彼らは、人間を崇めこそするがその生活に決して近付こうはしない。なぜならその究極にまで神化されたその体系は形を変えることもなく、その本能はただ同じパターンで働き続けることに幸せを感じ続けるからだ。大いなる者を霄に奉って地を這うミミズをとことん嘲笑すれば、彼らはどこまでも平穏である。というのはどうだろう。これは生存本能に色づけをしただけで、根拠は全くない。私は幼少から考えることが好きだった。子供の頃から、地を這うアリはいったい何が楽しいんだろう?とずっと考えていた・・・。その答えを見つける手段として空想と直観しか使わないというのは昔から何も変わっていない。ミミズもアリも同じかも知れない。

     








9過去の花

 ・・・・濫觴の水に濡れて、この世に生を享けるとき、望まれて産まれてきたのだろう。
その時は、母がまだ生きていた。欣(よろこ)びのさ中、自分は欷(な)いていた。
母が死んだとき、父は狂ったように悲しんだ。  ここまでが概ねの想像。
本当は物心が付いたときから始めるべきだけれど、これだけは根拠も無しにそう思いたい。父がおかしくなったのは母さんが若死にしたせいだと信じている。でなければ、なぜ母さんが狂人と婚けたりするものか。
 とにかくきっかけはそれと父が昔ヨーロッパを回っていたころ、そこで吹き込まれてきた怪しい崇拝思想で、(この話は何遍も聞かされた)ただでさえ父子家庭であやういのに、直ぐにたたく、どなりちらす、そして邪教を崇拝する。本当に最低な父親だった。元来婬祠邪教というものは、叶わざる願いのために存在する。果たして、父は彼女(母)を蘇らせようとしているのだった。・・父が大嫌いだったから、私はその悪魔思想にのめり込まずにすんだ。
と言うよりかえってひねくれてこんな性格になってしまった。そして、自分は人より不幸だということに気付くと地獄だった。小学校では誰とも馴染めなかったし、中学校にいたっては殆ど通わせてもらっていない。小さな部屋に閉じこもりあの男に怯える毎日が続く中でやはり一番怖ろしいのは、理不尽な暴力でも不条理な猝嗟でもなく、  注射器だった。
            米
「マスター、トランプでもして遊びませんか?」
少し昔のことを思い出していたときに、テレーズが言った。
そう、このサナトジウムには気分転換の方法がいくらでもある、住めば意外とやすらかでいい、そう思った。



(次回へ

       

表紙

siso 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha