Neetel Inside ニートノベル
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夏の日のカーミラ

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 伸ばした腕の先が霞むような白いしろい夏。刺さるような陽射しが外気にさらされた肌を焼く。
 一歩進むごとに身体中の穴という穴から汗が吹き出て、口のなかがしょっぱくなる。
 平日の昼間ということを差し引いても人間に遭遇しないのはこの暑さのせいだろうか。
 腰の後ろの肩掛け鞄を前に持ってくる。中からお茶の入ったペットボトルをとりだし、キャップを回す。口をつける。春の雪解け水のように清みきった冷たさが口の中に広が――りはしなかった。
 生ぬるい液体に口内を蹂躙されるだけだった。
 気持ち悪さに、口に含んだお茶を吐き出す。熱された鉄板のようなアスファルトの上に落ちると、踊るような音をたてて消えた。
 手でひさしを作ってみるが、案の定効果はなかった。
 少しするとふたてにわかれた道にでた。
 右か、左か。目的があるわけではなく、あるわけもなくたださ迷っているだけ。そうだからどちらを選ぼうと意味はない。
 右は商店街に通じ、左は住宅街の奥まった所に通じる。
 商店街にでればクーラーのきいた冬の厳しさとは違った快適な寒さにありつけるだろう。
 右のほうに行きたい気がするから左を選んだ。
 禁欲主義でもなければマゾヒストでもない。気分の問題だ。体が右を求めるから心は左を選ばせたくなる。
 左の道を行きしばらく、後悔していた。
 熱い。暑いでも厚いでもなく熱い。
 フライパンの上に乗せられたようだ。いや、フライパンより酷い。フライパンは下からの熱だけですむ。しかし、太陽とアスファルトの照り返しの二重苦だ。
 自らの決断で至った左の道だ。それでも、それだからこそ右に行っていれば今ごろ風鈴の鳴る喫茶店で腰を落ちつけアイスティーを飲んでいたかと思うと暑さが二倍にも三倍にも感じられた。
 朦朧とする意識で街をさ迷っていると何か聞こえた気がした。
 足をとめてあたりを見回してみても声の主らしき人影は見当たらない。
 空耳と判断して、歩きだそうとするとまた聞こえた。
 暑さに頭がやられてしまったのか。しかし、どうやらそういうことではないようだ。
 よくよく観察してみるとほんの数メートル先にうっすらとした人影が、小さな人影が揺れていた。
 近づいてみると、黄金色の艶やかなロングヘアー、鋭い金眼、筋の通った鼻、まるで洋人形のような顔立ちをした少女がいた。
 ぐったりとした様子で地面にへたりこんでいる。どうかしたのか、と声をかけようと口を開くより早く少女が言った。
「やっと気づいたか、このとんまが」
 すきとおるように綺麗でありながら、威厳を失わない彼女の声は格調高い英国家具を思わせる。
 その声で何という暴言を吐くのだろう。予想の斜め上をかっ飛ぶ発言に二の句が継げない。
「なんだ? その顔についている不恰好な二枚の蓋は飾りか? それとも私の言葉が高等すぎるか? あ?」
 なんなんだ。口を開けば次から次へと暴言がマシンガンのように撃ち出され、体を貫く。こちらの状況処理能力の限界を超える攻撃に明後日の方向にむかった反応をしてしまった。
「異人さんだのにずいぶんと流暢な日本語を使いますね」
 違うだろう。なんでこんなこと言ったんだ。もっと他に言うべきことがあるだろう。なんだその口のききかたはとか、あんまりそういう言葉遣いはしないほうがいいよとか。
 すっとんきょうな失言に少女は肩を震わせている。見た目から察するに十やそこらの少女に笑われている。ついには腹を抱えて声をあげて笑い出した。
「あれだけ馬鹿にされて日本語が上手ですねとな。どれだけ寛大なんだ、お前は。それとも神経が通ってないのか」
 どうやら汚い言葉ということを自覚のもと使用していたようだ。たまたま教わった日本語の講師が悪かったわけではなく、少女の性格の方が悪かったのだ。
「まあなんだ。寛大ついでに頼みがあるのだがきいてくれ」
 少女は苦しそうに息継ぎをしながら、お腹をさすっている。
「なにか飲み物をくれ。こんなに暑いものとは知らなんだ、日本の夏が。昔はこんなではなかったような」
 フロンだとかオゾンホールがどうとかとどこかで聞きかじった言葉を少女は並べる。
 ひどく不躾ではある。けれど、彼女の顔は表情ほど元気のあるものではなかった。彼女の言うとおり暑さにやられたのだろう。
「持ってるのだろう? そういうはずだ」
 何を根拠にそんな自信たっぷりな表情ができるのだろうか。確かに彼女の言うとおりではあるが。
 鞄からペットボトルを取り出し「ぬるいけど」とことわってから少女に手渡す。少女は渡されたモノをまじまじと見ている。
「なんだ、この茶色い水は? 私に泥水をすすれと言うのか、貴様」
 眉をつり上げて怒鳴る少女の力強さに気圧されてしまう。相手は小さな子供だというのに。
「麦茶だよ」
「麦とな? 小麦か?」
 答えに詰まる。改めて訊かれるとそれを知らなかった。小麦か大麦かそれとも別のなにかかなんて気にしたことはない。麦茶は麦茶で、麦の茶だ。
「泥じゃない。飲めるよ」
 諭すように優しく伝える。少女は訝しげな視線を向けつつも、乾きに耐えられなかったようで麦茶を口にふくみ、その瞬間吹き出した。少女の口から発射された麦茶と唾液の混合溶液が顔にかかる。
 意外にも少女は申し訳なさそうに言った。
「すまぬ。ぬるさが気持ち悪くて」
「だから注意したのに……」
 麦茶がまぶたをつたい目に入る。微妙な痛みを感じて右目をつむった。
 鞄の中をあさりハンカチを取り出す。それで顔をふこうとしたとき、少女の口元が目に止まった。
 小さく息をついた後、彼女の顔に手を伸ばす。
「ふけよ」
 少女の口元をぬぐってやる。初めは抵抗してみせたが、すぐにあきらめた。恥ずかしいのか頬を染めながら手の動きを静かに見つめている。
 そう思った次の瞬間、少女の八重歯がきらりと光り、親指に噛みついてきた。
 言葉を失うほどの激痛が走る。叫び声をあげることもままならない。ふりほどこうと試みるが、十の少女とは思えない剛力で押さえつけられ、そうすることもできない。少女がちいさな口をもぞもぞと動かす度にちうちうと音がする。血を吸われているのか。彼女はうっとりと恍惚の表情だ。
 情けなくもされるがままでいると、視界がまわり、頭が揺れ始めた。吸血鬼。そんな単語が頭に浮かぶ。
 ようやく少女は口を離すと彼女の唇から親指をつなぐ糸がたれる。それを手の甲でぬぐうと満面の笑みで言った。
「美味であったぞ」
 それはどうも――じゃあない。なんだ。なんなんだ。なんなんなんだ。なななんだ。
 親指を見るとくっきりとはっきりと穴があいていた。指の内側と股のあたりに二つ。痛々しくて目を逸らす。
 それから少女の口に手をやり、無理やり開く。それはきらりと光った八重歯なんて可愛いものではなく牙だった。
 少女は不快そうに手を払いのけた。
「何をする」
「それはこっちのセリフだ! いきなり何すんだよ」
「いいではないか、減るもんでもないし」
「減るわっ。現にふらふらだわ! てか、痛えんだよ」
「なあに痛いのは最初だけですぐに気持ちよくなるわ」
 くすくすといやらしく笑みを浮かべる。
「女じゃあないんだよ」
 すると凍てつくような眼で睨まれる。
「下卑たことを言うな」
 彼女が先に言ったのに横暴だった。
「だいたいなんなんだよ。吸血鬼かよ」
「そういうお前はなんなんだ? ここにいるのは人間か、化物か」
 妙なことを言い出す。意図はわからないが、それでも自分が人間であるということははっきりとしていた。そう答えると少女は意味深に笑った。
「私は……そうだな。カーミラ。カーミラだ」
「てことはやっぱり吸血鬼じゃないのか」
「耳はないのか? 頭はかぼちゃか? カーミラだと言ったんだ」
 カーミラと名乗った少女は強い口調で言う。
 しかしカーミラといえば小説に登場する女吸血鬼の名前だ。それに事実として血を吸われている。
「確かに血を吸い夜は見も軽くなろう。しかし、私は私だ。お前は人間か? と問われ、そうだと答えたがお前はお前ではないのか」
 そういうように問われれば頷くしかない。
「同じように私は私であって吸血鬼やヴァンパイアではない」
 カーミラはそう言い切るとそれ以上この話をしようとはしなかった。
 ある変化に気づく。今まで気付かなかったことがおかしいくらいの大きな変化だった。
「……背が伸びてる?」
 カーミラは口の端を持ち上げた。
「目を見開いてアホ面をさらに醜くして何を驚いている? 人の子だって丈くらい伸びるだろう」
 そんなレベルの話ではなかった。十の子どもが二十四の女に一間でなるなんてことはありえない。
 さっきまでぺたんこだった体のラインは妖艶な曲線を描き、胸はこぼれ落ちそうなまでに実っていた。
 どうせ噛み付くのならこっちの姿がよかったと思った。
「こっちのほうが好みか」
 その問いに自然に頷いてしまった。カーミラは少しの間押し黙った後。
「真面目に答える奴があるか! 恥ずかしい」
 しかし微塵もそんな様子はなく、逆に胸を押し出してきた。顔を赤らめながら身を引くと、それを見てカーミラはおかしそうに笑った。
 流れが悪いと思ってこの話を打ち切り、別の話をふる。
「それでその『カーミラ』はこんなところで何をしてるんだ」
 彼女は一度何か言おうとしてそれをやめた。それから少し考えた後答えた。
「暑くてへばっていたのだ。お前の血のおかげで姿を変えられるほどには回復した。礼はいっておくさ、一応 な」
 軽く頭を下げた。実際は下げたと表現できるものではなく揺らした程度だったが。
 その後だ。
「な、なんだよ」
 カーミラの金眼にじっと見つめられれば身構えてしまう。
 カーミラはおもむろに顔を近づけてきた。じゅうぶんによける時間はあったのに身動きがとれなかった。とらなかったのかもしれない。
 カーミラの吐息が鼻にかかる。彼女はじっと目を見つめたまま唇を重ねた。突然と言えば嘘になるだろう。じゅうぶんに予想はできた。それでも黙っていたのだ。カーミラの温度が唇を介して伝わってくる。
 ゆっくりと離れる彼女の唇が口惜しく感じた。それと同時に意識が自分の体から離れていくのを感じた。
 最後にカーミラは耳元で何かをささやいた。

 暑さにまぶたをあげると白い太陽が輝いていた。
 霞がかかったようにぼんやりとして頭が働かない。よくないことがあったような気がした。その逆のような気もした。けれど何も思い出せなかった。
 無意識に唇に指をあてた。口にあてた指に二つ黒い点がついているのに気づいた。
「………」
 よくわからないもやもやを抱えたまま歩き出した。
 少し歩くと分かれ道があった。右か。左か。あてのない散歩だ。なにとなく左を選んだ。
 左に折れる。暑さで首をさげながら歩いているとどこからか声がした。それはすぐ目の前にいた。
 長いブロンドの綺麗な女性が座り込んでいた。その女に駆け寄り、側にしゃがんだ。
「どうかしましたか」
 女の手をとり訊く。彼女はほんのりと頬を朱に染めていて、何も言わずに見つめられる。
 そんな彼女を見て、自分の頬が熱くなるのは太陽のせいではないようだ。
 彼女の顔が近づいてくる。自然と目を閉じた。しかし、彼女の顔は唇を通り過ぎ耳の横でとまった。
 耳にかかる息がくすぐったく感じられる。消え入りそうな甘い声が耳に囁かれる。
「待っていたぞ、お前のことを」
 既視感を覚える。いつかこんなことがあったような。少し前。ずっと昔。それとも気のせいなのか。
 その既視感のせいなのか自然に彼女の肩を抱き寄せていた。
 こうして白い夏の日、カーミラと出逢った。

       

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