Neetel Inside 文芸新都
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【大山-2-】


 翌朝は二日酔いになることもなくさわやかな目覚めを迎えることができた。
携帯を開けて時間を確認すると、朝七時五分だった。
土曜日で非番の日だったので二度寝をすることもできたが、
あまりに目覚めが爽やかだったからベッドから起きることに決めた。
顔を洗って、なんとなくテレビをつける。いつもは目覚ましテレビがやっている時間だが、
土曜ということもあって他の報道番組が流れている。
番組では、特に報道すべき事件はないようで、「実録・裏サイトの闇」という
委託殺人だとか、危ないビジネスの温床となっているサイトについての問題を
知的ぶったコメンテーターが熱弁していた。
「子供に携帯を持たせなければいいんです。そもそも私たちの時代には携帯電話なんてなくて、
外でサッカーばかりしていた。その頃に戻ればいいじゃないですか」
黒で縁取った眼鏡に、整えられた眉毛。
でも、言っていることはそこらへんのサラリーマンと大差ない。
嫌気がさして、朝食でも作ろうとキッチンへ向かう。
冷蔵庫を開けると、卵と牛乳があったので、オムレツを作ることにした。
大学は自宅から通っていたため、社会人になってから始めた一人暮らしだが、
今では簡単な料理なら作れるようになった。
このオムレツも、それなりの形と味はできているはずだ。
冷凍していたごはんをチンして、どんぶりによそう。
そして、作ったオムレツをその上にドン、と置き、ケチャップをかける。
一人暮らしの男の豪快な、いや手抜きごはんといったところか。
そのどんぶりを居間に持っていって先ほどのテレビを見ると、
高校生で億単位の金を稼ぐプロゴルファーの不調を伝えていた。
…彼みたいな人生を送ることができれば、幸せと言えるのだろうか?
ルックスや才能に恵まれた、神から微笑みかけられた人々。
その点で言えば、僕は神に見放されているのだろうか。
見放された人はどうしたらいい? あがいたら神の気持ちも変わるのだろうか?
なんだか嫌気がさして、テレビを消す。食べ終わったどんぶりをキッチンに持っていくと
携帯のメール着信音が鳴った。


 朝早いのに、なんなんだろう。どんぶりを流しにほったらかして、
携帯を確認してみると山本だった。
―きのうはお疲れ。まったく上司っていうのは最悪だよな。俺今日出勤の日だって言うのに
思いっきり二日酔いだよ。取引先にビール臭いのばれないかな。
と、そうだそうだ。昨日言っていた俺の後輩、紹介するよ。
恵子ちゃんっていうんだけど、今はおおぞら銀行のウチの会社の近くで銀行員してる人だよ。
俺の三つ下だから、二十三歳だな、確か。あっちには今日の午後位には言っておくよ。
彼女にお前のアドレスを教えるから、たぶんメール来ると思う。
来なけりゃ、ドンマイだなwww
おっと、こんな時間だ。じゃあな、健闘を祈る。


 覚えていてくれたのか。ってか二十三歳か。二十三歳と言えば、スザンヌとか北川景子と
同じ歳だ。仮に僕がその子と付き合うことができたとしたら…
話は合うのだろうか? 嫌われてしまわないだろうか? 彼女を楽しませることはできるのか?
違う、「できるのか」じゃない、やるしかないんだ。
一度大きく深呼吸をしてから、目を閉じて、もう一度深呼吸をする。
変わる、変わるんだ。

 
 ユニクロで買ったジーンズ、インナー、パーカーを着て僕は颯爽と家を出た。
着替えている時に姿見に映った自分はなにかどんよりとしていた。
会社でスーツを身にまとっている時こそ、それなりに見えるが、
映っていた僕はユニクロさえ着こなせていなくて、センスのかけらも感じられなかった。
センスなんて一朝一夕で身につくものじゃない。だとしたら、他人のセンスを利用すればいい。
休日でもやっている銀行のATMで百万円を下ろし、開店直後のブランド専門店街に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませー」
僕でも知っているような有名ブランドの名を汚さないような、清楚な店員さんが言う。
開店直後だから僕以外の客はいない。…言うとしたらいましかない。
置く手だった僕が言うなら、少なくとも他人の目は少ない方がやりやすい。
僕は入店するなり、いきなりカウンターに向かうが、いざ言おうとすると
いつもの悪い癖が出て言えない。
「どうかされましたか?」
と洗練された笑顔で店員さんは聞いてくれる。
それでも僕が何も言えずにいると、彼女の顔に陰りが見え始める。
言えよ、俺。言うんだ、俺。
「あの、上から下まで、いろいろ服を揃えたいので、どういうのがいいか選んでもらえませんか?」
蚊の鳴くような声でしか言えなかったが、店員のお姉さんには聞こえたようで、
また洗練された笑顔で、「はい、じゃああっちのコーナーに行ってみましょうか」
と言ってくれた。
その後僕はメジャーで体のサイズを測られたあと、お姉さんが提示するものを次々と「買います」と言った。
お姉さんはそれらを次々と腕に抱えていくが、いくつも抱えるとその華奢な体には手に余るようで、
もう一人の店員の人にヘルプを頼んでいた。
僕はその二人の腕いっぱいの服を選んだあと、レジで会計を済ませた。
「八十六万九千円になります」
いくらあのブランドの店でもいきなりこの額のお金を使う人は少ないのだろう、
お姉さんは少し引き笑いをしながら、「お支払方法はいかがなさいますか?」
と付け足した。
「キャッシュで」と僕が行って、札束を出してそこから十二枚を数えて抜き取り、
レジに優しく置くと、お姉さんは丁寧に一枚一枚数えていった。
数え終わると、お姉さんは「千円のお返しです」と言うとともに、
少し好奇の目線を僕に送った。
「あの、大変失礼だとは思うんですが、なんでこんな買い方されるんです?」
申し訳そうな言葉と裏腹に、視線にはなにか痛いものすら感じる。
まぁ、普通に考えればおかしい買い方だろうからな。
「なんていうか、イメチェンです。これまでの僕を払拭したかったんです。
ただ会社と家の往復で、女の子と遊ぶチャンスもなくて、お金を使いたくても
使えなくて…っていうのが嫌になったんです。ははっ、変なこと言ってますよね?
でも、僕にもチャンスが来たんです。今回ばかりは、逃したくないんです」
女性と話し慣れていないものだから、変なところで声が大きくなったり、
抑揚がおかしくなってしまう。
きっとひかれてしまうだろう、と思ったが、お姉さんは微笑んで、
「そうでしたか。全然変だとは思いませんよ。あなたの新しい門出をご多幸をお祈りします。
あと、これはお節介かもしれませんが、イメチェンという意味でもし、美容院もお探しでしたら、
私の知り合いが経営している美容院を紹介しましょうか? なかなか高いですが、
多くの有名人が利用するくらい実力は確かです」
と優しく言った。
僕がお願いします、と言うと
お姉さんは携帯電話を取り出して電話をし始めた。
「―はい。はい。それで、そのお客様なのですが、こちらからご紹介させていただきたいのですが。
…えぇ! そうですか! では、聞いてみます」
通話中の携帯を耳から放し、お姉さんは僕の方に向き直る。
「今日の午前の予定がキャンセルされて、今なら入れるらしいです。もしよかったら、どうですか?」
あまりにうまくいきすぎていて、少し怖いくらいだったが、僕は喜んで頷いた。
お姉さんはその後相手に丁寧に挨拶をすると、
自分の名刺の裏にその店の地図を描き始めた。
「この店に行って、三浦に紹介されたって言えば通じますから。
それと、もしまた服を選ぶときは是非またこのお店をご利用くださいね」
お姉さんから名刺を受取ると、巨大な紙袋に入れられた服たちを
店の入り口まで運んでくれる。
僕は礼を言って、地図の店に急いだ。
そう、ちょっとでも早く変わりたい。

 店は、意外にも裏通りの目立たないところにあった。
外観は落ち着いていて、七十年代のイギリスを彷彿させた。
店に入って、「三浦さんの紹介なんですが」と言うと、
オダギリジョーのような髪型をした男性が、
何も言わず、僕を案内してくれた。
普通ならここで、「どのような髪形にしますか?」
と聞いてくるところだろうが、この人は何も言わずに僕に前掛けをして、
髪を切り始める。
戸惑う僕を尻目に、作業は進む。少し長めで野暮ったい髪形は一瞬で崩れ去り、
控え目だが存在感のある前髪が構成されていった。
―実力は確かです。
あのお姉さんの言葉を信じよう。僕は静かに目を閉じた。
そして、まだ見ぬ恵子ちゃんをなんとなく想像しながら次はどうしようか考えていた頃、
ダンディな声がする。オダギリさんの声らしい。
「できたよ」
目を開けると、そこにはまるで別人の僕がいた。
爽やかにまとまった短髪。これならどんな服を着ても着こなせそうな気がする。
前掛けを取り払われ、会計をするころ、次の客だろう人が入店してくる。
その人は会計中の僕を見るなり、小さく笑い始めた。
そして、わざと僕に聞こえる声で言った。
「は、この店も堕ちたもんだな。こんなダサい服を着ている奴も客として扱っているんだから。
はぁ、違う美容院見つけようかな」
オダギリさんにもそれは聞こえたようで、オダギリさんのお札を数える手が止まる。
そしてダンディな声で静かに、しかし意志をもった声で言う。
「そう思うなら帰ってもらって結構です。あなたは有名なタレントだかなんだか知らないが、
あなたには彼を馬鹿にする権利はない。彼は確かにダサいが、今変わろうとしている。
それを揶揄するというなら、私は激怒せざるを得ません」
静かな言葉に、客は黙り腐ってしまった。そして足早に店を出ていく。
僕は驚愕し、感動した。おそらくは先ほどのお姉さんが僕のことを言ったのだろうが、
初めて会った人にまで、肯定されているというこの状況に、だ。
両親にすら否定されることから始まった僕にとって、この上なく嬉しいことだった。
会計を済ませ、店を出るときに
オダギリさんはまた静かに言う。
「頑張れよ。キミが変わろうとする限り、私は何があっても、陰ながらだが応援するよ」
笑みを浮かべ僕は礼を言いった。
なんだか行けそうな気がする―。
店を出て大通りへと戻ると、携帯のメール着信音がした。

       

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