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表紙

天文坂高校文化祭顛末記
二週間前

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  1 OPテーマは『2001年宇宙の旅』のアレ


 ◎

 秋風が色を変え始めた木の葉を揺らす頃。
 天文坂高校の部室棟、映画研究部に何やら怪しい2つの人影。昼をまわり、午後の
授業が始まろうという時間。普通の生徒なら欠伸をこらえながら眠たげに授業を受け
ているはず。
 ビデオカメラを持った人影は、パイプ椅子にもたれ足を机の上に投げ出している。
机の上には8ミリのカセットテープや文庫本、コーラの空き缶、弁当殻などが散乱し
ている。
 その人影の名を沢田康輔という。
 そしてその真向かいに座っている頼りない人影が、俺。真島浩。
「なぁ、ヒロ。いい案だと思わないか?」
「コースケよ。相手はあの女帝だぞ」
「なぁに、方法はある」
「それでも、俺は不安だな」
 コースケはビデオカメラを机の上に置き、足を床に下ろした。床にはセロファンラ
ップやら丸まったティッシュやらが落ちている。

 ここ映画研究部の存在を知るものは少ない。毎年500円という破格の予算を与え
られ、細々と存続――創部は20年ほど前と言われている――してきた。活動内容は
不明、部員数不明、顧問不明という謎の部活動。オカルト研究会よりも怪しく、科学
部よりも過激と――ごく一部の生徒に――思われることもあるが、実際はただの幽霊
部。
 天文坂高校の生徒は部活動に入ることを義務付けられている。それは創立以来変わ
らぬ教育方針のためだろう。

「和を尊ぶこと」

 みんなと仲良くしなさいってことだ。

 他にも数条似たような文言があるが割愛。まぁとにかく、全員何かしらの部活に入
っているわけだが、実際まじめに部活動に勤しんでいるのは半数というところだろう。
ほかは幽霊部員たち。目立たず活動も少ない部に籍だけを置き、校外にあるという青
春とやらに励んでいる。
 この映画研究部もそういった幽霊部員の受け皿となるのが普通なのだが、生徒に存
在を知られていないためか、そういった幽霊部員すらもいない。いるのは映画オタク
のコースケと暇人の俺くらいのものだ。

 ◎

「タイトルとオープニングテーマはもう決まってるんだ」
 コースケはそう言って学生服の胸ポケットからipodを取り出し、俺にイヤホン
を差し出す。イヤホンを耳に刺すと、やけに荘厳なテーマソングが流れてきた。俺は
映画のシーンよりも、どこぞの野獣格闘家を思い出してしまった。
「『2001年宇宙の旅』は傑作だよな」
 コースケは1人、うんうんと肯いている。俺はイヤホンを投げて返した。
「で、タイトルは?」
「『Yと青春の旅だち』」
 どこかで聞いたことのあるタイトルだ。そうそう、リチャード・ギアだ。
「Yとは彼女のことかい?」
「エスプリがきいてるだろう?」
「笑点じゃあるまいし……」
「まぁ、タイトルは(仮)ということにしておこうか」
 そう言ってコースケは笑った。
 チャイムの音。昼イチの授業が終わったみたいだ。それでも俺とコースケは動かな
い。授業なんて出ている場合じゃない。
 なにせ、文化祭まであと二週間しかない。

 ◎

 私立天文坂高校はとある地方都市の郊外にある半寮制――基本的に全寮制なのだが、
基本的に通える範囲に住居を持つ生徒は免除されている――の普通高校なのだが、あ
る一点において、近隣の高校に名を轟かせている。

 天文坂高校には生ける伝説がいる……

 通称『女帝』。

 誰が呼んだかは知らないが、みんなそう呼んでいる。

 スポーツ万能、眉目秀麗、おまけに金持ち。長い黒髪に滑らかにカーブした眉。星
のごとく輝く大きな瞳。髪に隠れた耳は芸術品のようで、風であらわになるたびに、
目撃した男子生徒が一日中耳のことを考え続けるほどの一品。モデルのごとき長身と
日本人離れした長い脚。

 と、ここまでなら普通の美女。

 彼女はこの学校の生徒会長でもある。

 と、これだけならまだよくある美人。

 武道に秀で、そこらへんのヤンキーよりも喧嘩が強い。町の暴走族をつぶしたのは
あまりにも有名。

 と、この変からちょっと怪しくなってくる。

 恐ろしく気が強く、教師ですら逆らえないほどの迫力がある。学校ではまるで皇帝
のごとき振る舞い。

 と、ここらへんまでくると、アニメ、漫画の世界。

 そして、彼女はこれまでの人生で1度たりとも彼氏を持ったことがない。

 多くの女帝ファンはここに食いつく。

 そうか、彼女はまだ処女なんだ……

 あり得もしない妄想をたくましくした紳士たちは熱い眼差しで彼女を見ている。そ
れでも難攻不落の要塞は、いまだ落ちる気配はない。

 彼女の伝説を挙げればキリがない。挙げる必要もない。なぜならみなが当然の知識
としてそれを備えているからだ。彼女は常に騒動の中心にいる。

 ◎

 我ら映画研究部は文化祭に映画を出品しようと目論んでいた。我ら、とは言っても、
コースケの独断だが。
 文化祭まであと二週間。この日数でまともなものが作られるわけがない。
 そう俺が言うとコースケは自信満々に答えた。
「女帝のドキュメンタリー映画さ」
「なるほど、だけど……」

 あの女帝の日常ならさぞ画になるだろう。それは疑いようがない。だが、問題はあ
の女帝がそれを承諾するかどうか。
「黙ってればいい」
「それって盗撮?」
「いや、名目上「文化祭のドキュメンタリー」だから大丈夫。その問題はクリアでき
る」
「なるほど」
「まぁ、実行委員にはもう企画書上げてあるからさ」
「やること早いな」
「まぁね。ほら、そろそろ始まるだろ。文化祭も近いし」
「何が?」
「予算戦争」
「あ、なるほど。面白い画がとれそうだな」
 コースケと俺は顔を見合わせて笑う。見る人が見れば悪だくみをしている三流悪役
のようだろう。

 チャイムが鳴る。ホームルームの時間だ。そして放課後がやってくる。文化祭前の
狂騒。学校中が無法地帯と化す、二週間。その初日。




     


  2 「予算戦争」と部活動


 ◎

 「予算戦争」の何たるかを語る前に、まずは天文坂高校について語ろう。

 天文坂高校は創立60数年を数える由緒正しい私立高校だ。創立者である森田恒三
はその著書――生涯でたった一冊の――『天文坂時代記』の中で、初めて天文坂を訪
れた時のことをこう語っている。

 ――かつて関所が置かれていた丘には、戦後娯楽もなく満足に食事もできない子供
たちの秘密基地があった。それ以外には何もなかった。わたしはそこで教育者として
の一歩を踏み出した。

 森田恒三は青空学校よろしく、子供たちに教育を施した。それが発展し、今の高校
があるわけだが、この森田恒三という男、かなり怪しい。略歴には帝国大学――具体
的な名称が記されていないところがミソ――の出であり、九州の出身とある。品物交
換で財を成し――そもそも品物交換なる商売がどういったものなのかわからないが、
ある種のわらしべ長者的なものであると推測する――学校を設立したという。詳細に
ついては嘘くさい言葉が並べられているが、要約すればこういうことだろう。戦後闇
市で無知な連中をだまくらかして金品を巻き上げ、学校を作り、町の権力を握った山
師、こんなところだ。

 出自、人格ともに怪しい男ではあったが、その教育理念はまことに立派。最大の特
徴は学校を「檻」と捉えたことだろう。以下『天文坂時代記』より抜粋。

 ――学校とは「檻」である。子供たちはその中で囚人の如く生活をする。教育とは
そもそも誰かが作り出した「常識」を懇切丁寧に押し付ける場であるのは言うまでも
ない。それはある一点においては間違いではない。社会性を身につける、という点で
は。
 わたし個人として、その事実に対して誤っていると声高に叫ぶつもりはない。問題
はやり方である。囚人として従うのが習い性になってしまえば、社会に適応はできる
が、人生を勝ち抜くには不十分である。だから、わたしは「自由」と「権利」を与え
る。「檻」があるからこその「自由」と「権利」は子供たちに「知恵」を授ける。そ
れ、人生を勝ち抜く「知恵」である。

 天文坂高校の売りは自由な校風。その最大の目玉こそ、部活動なのだ。

 @

 全ては学生が決定する。それが高校の方針。生徒の自主性を重んじているわけだが、
それだけなら別段珍しくない。ポイントは、意思の集約装置として部活動単位を採用
しているところだろう。全学生が何らかの部活動に参加しなければならないという理
由はここにある。
 部活動を政党、と言い換えると話しが早い。部長がその党首。定期的に行われる部
活動定例会議でそれぞれの部長が代表して意見交換を行い、学校を動かしていく。初
代学長森田恒三は人の和を尊び、和から生まれた意見こそ重要であると考えた結果、
部活動制民主主義が誕生したというわけだ。

 全ては部活動に……

 部活動は大まかにわけて4つの系統がある。まず、中央系と呼ばれる、スポーツや
文化系タイプの部活動とは異なり、主に学校行事等に直接的に関与している部活動が
そう呼ばれている。代表的な部は、生徒会、執行部、予算部の三つである。そうなの
だ、この高校では生徒会ですら部活動になるのだ。
 次にスポーツ系。主な部は県下でも強豪であり甲子園経験のある、野球部。そして
最大の部員数を誇るサッカー部。この二つがスポーツ系に君臨している。
 そして、武道系。部数こそ少ないが、全国大会常連の剣道部を初めとして、その戦
闘力と団結力は目を見張るものがある。
 文系――この高校ではブンケイといえば部活動の分類を指す――は、部数としては
最大だが、小粒な部が多く、部員数としてはスポーツ系武道系には劣っている。演劇
部が最大勢力であり、文系の仕切り屋でもある。
 最後に、アングラ系。知名度が低く、部員数も少なく、幽霊部員のみで構成されて
ような部活動がここに入ってくる。中には科学部やオカルト研究会などの、その道で
は知らぬものがないほどの有名な部もあるが、それは例外中の例外。ほとんどは一般
生徒に認知されないまま、予算500円を組まれて放置されているようなものばかり
だ。もちろん、わが映画研究会もここに入る。

 @

 さて、中央系についてはいくらかの説明が必要だろう。簡単に言えば他校にあるよ
うな委員会と同じような活動をしている、ということになる。ただし、他校のように
嫌々ながら強制されるのではなく、自らが進んで活動に参加するという点において、
趣を異にする。
 彼らは行事を司ることを楽しむ。生活を支えることを楽しむ。中央系の部活動にの
み許された立法権ならぬ、立則権が彼らを奉公の徒とする。無論、生徒総会を通して
可決する必要があるのだが、それを苦ともしない。この話は長くなるので、また後日。

 中央系のトップは誰が何と言おうと、執行部だ。何を執行するのかわけがわからな
いが、簡単に言えば、風紀委員だ。校内の風紀を守る集団。鉄の結束を持ち、ヒトラ
ー女史と揶揄される音楽教師、飯島さわ子を崇め、事のためなら実力行使も厭わない。
それが執行部。一部生徒からは忌み嫌われているが、それ以外の生徒たちにとっては
頼りがいのある存在として概ね好意的な評価を得ている。
 そう、これまではこの執行部が天文坂高校のルールだった。彼女がやって来るまで
は……
 それまで執行部の下部組織と馬鹿にされていた生徒会が彼らに叛旗を翻したのは、
女帝が生徒会長の座についてからだ。以来、この二つの部は犬猿の仲だ。
 
 @

 話は変わって、それぞれの部活動にとって何が一番重要だろうか? 部員の熱意? 
部の目標? もちろんそれもあるだろう。しかし、最も重要なのは、予算だ。活動費
がなければ、何もできない。部員から部費を徴収したところで、大した金にはならな
い。だからこそ、各部活動は、より多く予算を獲得したいと熱望する。無論、科学部
のように予算になど目もくれない連中もいるにはいるが……
 予算を司るのは予算部なのだが、実質的な決定権はない。予算配分の決定は、部活
動同士の競争によって決定される。つまり「予算戦争」で、だ。 

 二代目学長森田康人――森田恒三の実子――は、それまで無限につぎ込んでいた部
活動の予算に枠をはめることを考えた。主な理由は、膨れ上がった予算額を抑えるた
めだ。それまで各部活動は良かれ悪かれ、恐ろしいほど活発に活動をしていた。湯水
のごとく予算を使い、その勢いはとどまることを知らなかった。おかげで学校の財政
を圧迫するようになったわけだ。予算に枠をはめることを嫌った初代学長森田恒三は
息子を諭そうとしたが、逆に論されてしまう。そして森田恒三はそれを認めざるを得
なかった。なぜなら、森田康人は父の教育理念に相応しい考え方を提示したからだ。
以下『天文坂時代記』より抜粋。

 ――康人は引退して久しいわたしを前に、物怖じもせずこう言い放った。これは檻
なのだ、と。新しい檻を構築することによって、「自由」と「権利」を勝ち取ろうと
する「知恵」を用い、彼らは「競争」を覚えるのだ。
 康人は天文坂高校に競い合い抜きん出る、という蜜の甘さを知らしめようとしたの
だろう。

 森田康人の振り下ろした鉄槌ともたらした甘い蜜は、以降、天文坂高校の生徒たち
に最大の娯楽を与えることになる。

 @

 「予算戦争」は予算の決定権を得るための戦いだ。年に一度、文化祭期間の二週間
に、それは行われる。表の顔は文化祭、裏の顔が「予算戦争」。生徒たちにとってそ
の期間は、学校が何が起こっても不思議ではない、異空間となる。
 戦いの内容とルールは学長が予算部に伝え、予算部がそれを告示する。その告示日
が、文化祭二週間前の放課後なのだ。一昨年は二週間ぶっ通しの麻雀勝負で、昨年は
宝探しだった。各部はその目的のためにはなりふり構わず、動く。正攻法、搦め手、
根回し、賄賂……この二週間、学校は権謀術数渦巻く魔都と化す。ルールに違反しな
ければ何でもアリ。それが「予算戦争」の恐ろしいところであり、楽しさでもある。

 そして今年も「予算戦争」の季節がやってきたわけだ。 
 無論、期待を裏切らない開幕。告示直後の大騒動。主演は野球部と剣道部。俺とコ
ースケの目論見にとっても重要な一幕。


     


  3 中庭猫騒動


 ◎

 さて、野球部と剣道部のいざこざのあれこれを語る前に、今年の「予算戦争」のお
題を発表しよう。それは、「飲食店の売り上げ対決」だ。あまりにも単純な内容。近
年稀に見る正統派のテーマ。この内容だったら、例年通り野球部の優勝はかたいだろ
うと誰もが思った。だが、問題はルール。

 1 勝敗は投票により決せられる。

 2 投票資格者は天文坂高校の生徒を除く一般来場者とする。

 3 原則1人につき持ち票は1票だが、学長が指定した100人の一般来場者に限
   り、1票を10票と数えることとする。

 4 飲食物なら何を供しても良い。

 5 店員はみな異性の(女装および男装)服装を着用することとする。

 注目すべき点は一つ。女装あるいは男装をしなければならないこと……ではなく特
定の来場者の得点が十倍だということ。この点が今回の「予算戦争」の鍵になること
は言うまでもない。

 @

 張り出された「予算戦争」の内容を仔細に点検しながら、コースケは、ふむ、と腕
組みをした。
「どう思う?」
 俺が尋ねると、コースケは手に持ったビデオカメラで張り紙を撮り始めた。
「なんにせよ、一筋縄じゃいかないな。ある意味ここ数年で一番難しいテーマかもし
れないな」
「どうして?」
「このテーマじゃスポーツ系お得意の人海戦術も意味ないからな。それに、部員数の
少ない弱小部でも勝つチャンスがある。本命馬、対抗馬だけに注意を払っていればい
いってことにもならない」
「なるほど」
 俺はもう一度張り紙を眺めた。たしかにルールがシンプルなだけに、難しい。さて
どうなることやら……無い知恵を搾って方法をあれこれ考えていたところに、文化祭
期間の始まりを告げる声が耳に飛び込んできた。

「野球部と剣道部が中庭で揉めてるぞ!」

 ほら、きた。そう思って俺がコースケの方を見ると、ビデオカメラがこっちを向い
ていた。その先の顔はにやけている。
「俺を撮るなっつーの」
「いや、いい顔してたよ、ヒロ」
 そして、俺たちは中庭へ走る。

 @

 野球部主将、柴崎大地は芯のある男だ。同輩からは信頼を得、後輩からは慕われ、
尊敬されている。成績も常に上位で、太く濃い眉毛の古風な顔立ちとがっしりとした
熊のような体格。また、秋の県大会では打率4割5分を記録し、頭脳的なリードによ
って全国から注目されている捕手でもある。スポーツ系の盟主である野球部のトップ
に相応しい人格者、というのが大方の評価。
 
 その男が中庭で、野球部の面々を従え、剣道部のメンバーと睨み合っている。

「平木、正々堂々といこうじゃないか」
「それを野球部主将であるお前が言うかね」

 対する、剣道部主将は平木大介。悪い噂が絶えない男だ。剣道の腕は大したものら
しいが、素行に問題があるそうだ。曰く、獣のような男らしい。本能のままに生きる
男。町に出れば喧嘩、教師陣には歯向かう、毎晩寮を抜け出し悪い仲間とつるんでる
という話。

「俺たちはいつもルールに則っている」
「けっ、あってないようなルールだろうが」

 一触即発。張り詰めた空気。今にも爆発してしまいそう。

 最初から見ていたというブンヤのカクイチによると、発端は平木が柴崎に手を組も
うと言い出したことから。平木の申し出はこうだ。今回のルールは野球部に不利であ
り、このままでは予算は別のどこかに持っていかれる。もちろん、剣道部とて、この
ルールで勝つことは容易ではない。だから手を組んで勝ちにいき、予算は二つの部が
主導で決めれば良い。互いに悪い話ではないだろう、と平木は誘ったそうだ。だが、
柴崎は首を縦に振らなかった。

「平木、貴様も伝統ある剣道部の主将ならみっともない真似はよせ」
「伝統もへったくれもあるか! 要は予算だ、金だ」

 最初は柴崎と平木の二人だけだったらしいが、いつの間にやら互いの部員が集まっ
てきて、野次馬が取り囲むことになったそうだ。
 乱闘騒ぎにゃならんと思うよ、とカクイチは言う。
「共倒れはしたくないだろうしね。ただ、平木のヤツが無茶したら、わからなくなる
な。背負ってる竹刀がちょっと気になる」
 平木は竹刀を背負ってる。獣に武器を持たせるなよ、とカクイチ。

「ともかく、話は終わりだ。平木、そこを通してもらおうか」
 柴崎が一歩前に出る。その瞬間竹刀に手を伸ばす。
「話はまだ終わってないね」
 柴崎は強張った表情で平木を睨んでいる。平木は柄に手を掛けたままにやにや笑っ
ている。さらに一歩、柴崎が足を踏み出す。平木は楽しそうに竹刀を抜く。
 その時、まるで冗談みたいに、二人の間に猫が飛び込んできた。白と茶とこげ茶の
愛らしい猫が。

 @

 人は、本当に驚いたとき、感情を忘れただのカメラとなり事象を観察することに集
中する。きっと、その場にいた全員の眼がカメラとなり、その光景を注視していただ
ろう。
 何が起こったのかを簡単に書こう。猫が飛び込んできた。愛らしい三毛猫が。猫は
二人の間をくるくる回り、柴崎の足に擦り寄った数秒後、熊のような男に抱え挙げら
れ頬ずりをされていた。抱え上げ愛撫したのは、そう、柴崎大地その人。

「あぁ~ぬこ~、ぬこ可愛いよぅ」

 それは、眉毛が濃く太く古風な顔立ちの熊男が上げるべき声ではなかった。素の自
分を臆面も無く曝け出した、無類の猫好きがそこにいた。 
 それまで唖然としていた平木が思い出したように笑い出し、それが伝染し、中庭は
爆笑の渦に包まれた。主将の似つかわしくない姿と、野球部全体に向けられた笑いで、
丸刈りの部員達は顔を真っ赤にして立っている。
「こんな主将じゃ野球部も終わりだな」
 平木の言葉に我に返った柴崎は、置かれている状況に気付き、猫を抱えたまま立ち
上がる。
「ぬこが好きで何が悪い!」
 そう、柴崎はあまり人に知られてはいないが、天然だった。彼の言葉にさらに火が
ついたように笑う平木。柴崎は顔を真っ赤にして平木に殴りかかろうとするが、部員
達に制止され、そのまま――猫を抱えたまま――連行されていった。勝ち誇った平木
の笑い声が中庭に響く。

 この放課後の出来事は、後に「中庭猫騒動」として語られることになる。

 @

 コースケと俺は部室に帰り、撮影した分の映像を見ることにした。掲示板が映り、
そして生徒の叫び声が入る。そこで一度映像は切れる。そして中庭のあの場面に飛ぶ。
そこでコースケは一旦停止をする。
「さて、文化祭期間初日に相応しい場面だったわけだが……俺達の期待にもばっちり
応えてくれたな」
 そう言ってコースケは早送りをして、柴崎が猫を抱え笑われているところで、再生
する。
「最高の画はここからだ」
 柴崎を映し、平木の笑い顔を映し、そして周囲の人々へとカメラは移っていく。そ
して、「それ」が一瞬映る。カメラはそれを見直すために、素早く戻ってくる。カメ
ラが映していたのは、輪になった人だかりの外にいる、女。ベンチの上で腕組みをし
ながら仁王立ちをしている、しかめっ面の美女。女帝だ。人ごみを掻き分けて揉め事
に首を突っ込む機会を窺っているように見える。
「これは、気付かなかったな」
 俺がそう言うとコースケはにやりと笑う。
「主役を見逃すカメラなんてないよ。それに映像はまだ終わっていない」
 野球部が引き上げ、野次馬たちがはけていく中、カメラはその様子を映している。
いつの間にか女帝は消えている。生徒たちがほとんどいなくなった中、目立つ緑の腕
章をした男が、両手を腰において立っている。カメラは男を中心に捉えて動きを止め
た。数秒後、男は中庭を立ち去っていった。そこで映像は終わる。男の名を平井剛と
言う。肩書きは執行部、部長。『冷血の平井』と呼ばれる男。
「なるほど、これは面白い映像だ」
「だろう?」
 女帝が立っていた場所から見て、平井は正反対にいた。女帝が気付いていたかどう
かはわからないが、おそらく、平井は確実に気付いていたはず。そこに女帝がいたこ
とに。でしゃばりの平井が柴崎と平木の間に入っていかなかったのは、おそらく女帝
がいたからだろう。野球部と剣道部が角を突き合わせていた影で、生徒会と執行部も
互いに牽制し合っていたことになる。俺は急に楽しくなって笑う。そう、これこそが
我々が望む、楽しき文化祭期間なのだ。


     


  4 情報と技術と


 ◎

 部室から寮の自室に戻ったのは午後8時過ぎ。閉まりかけの食堂に滑り込み、すっ
かり冷えたエビフライにありつく。食堂にいるのは数人。みなそれぞれ部活後の滑り
込み組みだろう。
 コースケはまだやることがあると言って部室に残った。手伝おうか、と言っても首
を振るだけ。なにやら気になるが、空腹には勝てない。
 最後のエビフライ――三尾載っていた――の尻尾殻を咀嚼しながら、プラスティッ
クの湯のみを握り締めていると、誰かが俺の肩に手を置いた。
「よう」
 振り返るとそこには、双眼鏡とトランシーバーを首から提げたカクイチがいた。
「ブンヤも飯か」
「ちげーよ。お前に伝言を頼まれたんだ」
「え、マジで? 女?」
「んなわけねえだろ。コースケだよ。飯食ったら部屋に来いってさ」
 はぁ、とため息をつき、俺は視線をテーブルに戻した。カクイチが俺の反対側に座
る。
「お前に女は寄り付かん」
 カクイチは双眼鏡とトランシーバーをテーブルに置いて、両肘をついて手を組み、
その上に顎を載せた。
 まぁ、何と言うか、見れば見るほど、イケ面だ。整った顔立ちとパーマのかかった
長髪。髪の隙間から光る銀のピアス。歯痒くなる。神は無情だ。不公平だ。イケ面贔
屓だ。お願いだから寝てる間にカクイチと俺の顔を取り替えてくれ……
「その目は俺の美貌に嫉妬してる目だな。よせよせ、持って生まれたモノを比べあう
なんて、品性の下劣なヤツがすることだ」
「別にいいさ。どうせ俺は女にもてん」
 俺は茶をすする。カクイチは両手を挙げて、やれやれ、とジェスチャーをする。
「それにしても、コースケとお前、面白いことやってるな。目の付け所がグッドだ。
あの女帝をテーマにするなんてな。喜んで協力させてもらうよ」
「コースケが頼んだのか?」
「まぁね」とカクイチは髪をかき上げて、にやりと笑う。「我が新聞部の情報網は世
界一だからな。あの子のスリーサイズと乳首の色から、米国国防総省の重要機密まで、
何でもござれの新聞部。どうぞ一つよろしく」
「それで、報酬は何をねだったんだ?」
「まぁ、なんだ。この映画のマスターテープだよ。ノーカットのヤツ。女帝の動画を
毎晩楽しめるようになるって寸法さ。なんならビデオ屋で小遣い稼ぎしてもいい。女
帝の動画だ。売れるぞ~」
「下衆め」
 でへへ、とカクイチは笑う。どうしてこんなヤツが、と俺は思う。イケ面なんだ、
神様。不公平だ!

 @

 天文坂高校男子寮。大学の無いこの町で1960年代には学生運動の中心地となっ
た場所として有名だ。その頃はバリケード張って立て篭もったり、火炎瓶が飛び交っ
たりと中々華やかな日々だったそーだ。今ではそんな気合の入った学生なんて皆無だ。
だが、平穏な寮になったかと言われると、まぁそうではない。全国どこの高校の寮で
も似たようなものと思われるが、それ相応に爛れた青春のゴミ捨て場になっているの
が実情。
 5階建てで、100室以上の部屋に――四人部屋、二人部屋、一人部屋がある――
高校の約7割の男子学生がここで生活している。俺やコースケもここで寝泊りをして
いる。通常寮生以外は立ち入り禁止なのだが、文化祭期間ともなると、有象無象が集
まって徹夜で作業している。学校での寝泊りが禁止されているからこんなことになる
のだが、寮母は注意するつもりはないようだ。
 寮母のトメさんは80近い老婆なのだが、寛容なところがあって、たいていのこと
は許してくれる、とゆーか、見逃してくれる。本音と建前というやつだ。トメさん曰
く、若者は若者らしくすればよい、ってところらしい。なんでもトメさん、初代学長
と昔から親しいんだそうだが、その影響なのかもしれない。

 コースケの部屋は4階の西の端。俺とカクイチは小汚い廊下を通り、ダンボールや
らベニヤ板やらを押しのけながら階段を上がっていく。この男子寮、上階へいくほど
汚染度が増すと言われている。1~2階は1年、2~4階は2年、4~5階は3年が
住んでいるのだが、年を重ねるに連れて、この男子寮の雰囲気にのまれて、堕落して
いくことになるからだ。入学当初は可愛らしい新入生だったのに、出る頃になるとす
っかりとやさぐれた不健康学生の見本のようになる。まぁもちろんそうならないヤツ
らもいる。だが、おおよそ8割はそういうふうになる。
 寮内は文化祭の準備に揺れている。これからここは不夜城となるのだ。

 @

 コースケの部屋は整理整頓されている。がさつでずぼらな男とは思えないほど清潔
な部屋だ。置かれた棚には映画雑誌のバックナンバーがずらりと並び、透明のアクリ
ルケースの中にはビデオテープとDVDが収められている。この妖気が臭い立つ城の
中では異様とも言える。
「相変わらず整頓されてるな……今度はここで麻雀をやろう、そうしよう」
 俺が映画雑誌をぱらぱらめくりながらそう言うと、コースケは、駄目に決まってる
だろう、と俺から雑誌を取り上げた。
「俺は他人の部屋は汚すが、自分の部屋は汚さない主義でな」
「あぁ~いるねえ、そういう嫌なヤツ」
 俺は窓を開けて、窓枠に腰を下ろした。背中をくすぐるのは秋の涼風。実に文化祭
期間らしい。
「コースケ、始めろよ」
 カクイチはそう言ってベッドに腰を下ろした。コースケは椅子に座ったまま腕組み。
「まぁ、とにかくあれだ、今後の作戦会議をしたいところなんだが、俺達に最も必要
なモノ、それはなんだ、ヒロ」
「う~ん、情報……かな」
「その通り」
 コースケは椅子から立ち上がり、両の拳を握り天に突き上げた。
「現代は情報を制するものが世界を制する。常に情報を握り、敵より先に動き、仕掛
ける! それが我々に必要なのだ! そして、そのためのブンヤ、そのためのカクイ
チ! 新聞部員が身内にいるということはそれはもう、勝ったも同然!」
 カクイチににじり寄るコースケ。カクイチは壁際に追い詰められている。
「な、なんだよ……」
「新聞部が仕掛けたという盗聴器を最大限に利用する方法だ!」
 なるほど、あの噂のことか。

 @

 新聞部の耳の早さは世界一、というのはまんざらブラフでもない。どんな事件が起
こっても、一番先に現場を押さえるのは新聞部だ。生徒達はそれをフットワークの軽
さだと考えているが、一部の生徒の中では別の見解が通説となっている。

 新聞部はあらゆる場所に盗聴器を仕掛けている……

 新聞部の部室は部外者以外立ち入り禁止となっている。報道の自由を守るため、と
いうのがその建前。部室を検査することもできないからその噂は確かめようもないの
だが……
「今更そんなものはない、とは言わせない。証拠はあるんだ……そろそろもう一人の
ゲストが来る頃だ、お土産を持ってな」
 と、その言葉を待っていたかのようにドアをノックする音。
「入れよ」
 ドアがゆっくりと開く。現れたのは意外な人物、科学部部長、真田秀成だ。
「サナダ、持ってきたか?」
「ああ、これだろ」
 サナダは大きめのラジオのようなものを机の上に置いた。とゆーかいつの間にサナ
ダと手を組んだんだろうか。まぁサナダ自身に理由を尋ねたところで、マッドな気分
屋の返答には期待できそうもない。たぶん、暇だったから、とか、気が向いたから、
とかそういうのだろう。
「さて、お立会い。これから新聞部の暗部を暴く。サナダ、頼む」
 サナダは肯き、機械のスイッチを入れる。
 ノイズが流れだし、サナダがしぼりを調節すると、何やら人の話し声が聞こえてき
た。中年の男二人の話し声がする。

 ――しかし、中野先生、今年も始まりましたな。
 ――ええ、教師としては胃が痛くなる季節ですな。それに今年は山岸がいる。
 ――ああ、あの美人の……
 ――大田先生も好きですねぇ。
 ――中野先生も嫌いじゃないでしょ。強気な美人。
 ――いいですよねぇ……

 中年達の猥談は続く。
 中野というのは現国の中年教師、大田というのは地学の教師だろう。二人の会話が
聞こえてくるということは、職員室の会話を盗聴しているということになる。
「カクイチくん、電波というのはこうも簡単に盗めるものなんだよ」
 サナダは眼鏡を中指で持ち上げる。
「新聞部のやることなんて所詮、オママゴトさ」
 カクイチは肩を落としてお手上げ状態。落ち込んでいるカクイチの肩に優しく手を
置くコースケ。
「まぁまぁ、それでも新聞部の権威は堕ちちゃいないさ。それにすでに完成された盗
聴網を持っているわけだからさ。科学部だってそこまで大規模なことはできやしない」
 何か言いたそうなサナダを、まぁまぁと抑えるコースケ。
「サナダが拾えるのは新聞部が音を拾っている時だけだ。新聞部は任意で盗聴する場
所を選ぶんだろ? だからさ、俺たちが聞きたい場所の音を拾ってくれないかな。頼
むよ。迷惑はかけないから」
 カクイチは、はぁ、と大きくため息をついた。
「報酬のこと忘れるなよ」
「決まった」
 コースケとカクイチはがっちりと握手。サナダは、ふん、と鼻を鳴らし、機械のス
イッチを切った。
「サナダも頼むよ。協力してくれよな」
「わかっている」
 サナダはそう言って、機械を持って部屋を出て行った。
「コースケ、よくサナダを引き込めたな」
「ま、色々な」
 その言い方が気に入らないが、まぁ良しとしよう。とにかく我が映画研究部は一夜
にして新聞部の情報網と科学部の技術力を手に入れたことになる。滑り出しは快調、
というところか。
 そんな風にして、文化祭初日は幕を閉じた。




       

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Neetsha