Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 二一〇〇時、バッチファイル緊急対応チームが、会議室兼用の食堂に全員集合した。人員や作業の割振りは既に終わっているはずで、これから全員が集まってこれから行う作業内容が再度説明される。
 ホワイトボードを背にした赤坂は、カッチカチに固まっていた。これほどの人数を前にして話をするということは非常に神経をすり減らす行為だ。
 プレッシャーに耐えきれず、赤坂は依代に泣き言を漏らす。
「ど、どうしましょう依代さん。人がいっぱいいます!」
 依代はいつもどおり、ニコニコ笑顔で赤坂をなだめる。
「大丈夫よ。みんな赤坂さんをとって食おうってわけじゃないんだから。打ち合わせ通り話せば問題ないわ」
 岡野から「早く始めて欲しい」という催促があり、赤坂は慌てて進行表を手にとって、かすれた声で話し始めた。
「えーそれでは、本日のバッチファイル緊急対応についての打ち合わせを始めます。まず私赤坂の方から本日のタイムスケジュールについて説明し、そのあと弊社依代より作業内容についての説明と諸注意があります。大変な作業ではありますが、みなさんどうぞよろしくお願いします。」
 赤坂は懐から指示棒を取り出し、ホワイトボードに書かれている文言をなぞりながら読み上げる。
「二二〇〇時、一つ目のバッチファイルを起動。実行時間は15分を予定しています。15分の実行時間と30分の確認作業の時間を考慮して、二二四五時に二つめの半期起動バッチを起動させます。このバッチファイルは実行時間として55分を予定しています。各バッチファイルの実行終了後、正常終了の確認作業を行ないます。全作業終了は翌零時を予定しています。この予定は各作業の進捗状況により多少前後する可能性があります。以上が本日のタイムスケジュールです」
 説明を終えると、赤坂は指示棒を置き、一度深呼吸をした。
「それでは、弊社依代より、本日の作業内容及び諸注意について説明します」
 赤坂が「お願いします」と言いながら指示棒を渡すと、依代は赤坂の労をねぎらうかのように笑顔で頷いて、指示棒を受け取った。
「それでは本日の作業内容について説明します。主たる作業はバッチ起動終了後の確認作業になります。一応バッチ異常終了時の事態も想定していますが、同件数のテストデータが正常終了することは確認出来ているため、データ量での不具合はないと考えていただいて結構です。実働班以外の方は、本対応時にイレギュラーな事象が紛れ込んでいないかどうか監視するようにお願いします。詳しくは配布済みの資料をご覧ください」
 依代は指示棒で、ホワイトボードに書かれたタイムラインについて一通り説明していく。聞いていて非常に分かりやすい、明朗な声質のため、話していることがなんだか頭に入りやすいような気がする。
 タイムラインの終端の説明を終えた依代は、指示棒を短してテーブルに置いた。
「説明と諸注意は以上です。何か質問があればこれより受け付けます」
 依代が質問を受け付ける発言をしたと同時に手が上がったのを見て、赤坂は肝を冷やした。しかも手を上げたのは、万物がその不快感を認めるトラブルメーカー、いや、トラブルクリエイターこと岩倉であったから、これはなにか起こらない方がおかしいと思わざるを得ない。
「結局俺らは、何をすればいいわけ?」
 打ち合わせ参加者全員の頭上に感嘆符が見えたような気がした。
(スニーキングミッションのやり過ぎかな)
 カモフラ率を上げようとするどころか、自ら自己の存在を敵にアピールしてはばからない岩倉に、「空気」と書かれた本を渡して「リード・オア・ダイ」と言ってやりたいところだが、読んだところで死んでほしいことには変わりないので、赤坂はおすまし顔で両手を膝において座り続けることにした。
「すいません、実作業についてはすべて配布資料に書いてありますのでそちらを読んでいただいて、あとは各作業班の班長に確認していただくようお願いします」
 依代がまるでこんなアホな質問すら予想していたかのように完璧な回答を岩倉に告げると、岩倉は不服そうにしながらも以降口をはさむことはなくなった。
 実は、打ち合わせが始まる直前まで、打ち合わせに岩倉らが緊急対応チームのメンバであることを赤坂は知らされていなかった。岡野指揮下のメンバ選任については赤坂らの管轄外のため口を出すことはできないのだが、岡野が別会社の人間をメンバとして選択しているとは思わなかった。ましてや、岩倉である。赤坂には岡野の意図がさっぱりわからない。
 岩倉の気配に気づいた赤坂は、咄嗟に打ち合わせの進行順序を変えるよう依代に相談した。岩倉が依代に弱いのは知っていたから、依代に質疑応答の司会まで請け負ってもらうことで、岩倉の暴走を食い止める算段をとったのである。
 場は一時的に凍りついたものの、岩倉は比較的あっさり引き下がったので赤坂の作戦は功を奏したと言って良いだろう。赤坂は冷や汗を垂らしながら、難局を乗り切ったと心の中でガッツポーズをした。
 まだ何も始まっていないというのに。
「質問がないようでしたら、各班持ち場で待機してください。一刻も早くこのくだらない問題に終止符を叩きつけて、木曜洋画劇場のエンドロールを見ながらおいしいコーヒーを楽しむ時間を取り戻しましょう」
 依代は最後に外人がよく言いそうな冗談を付け加えたが、参加者は依代に一瞥をくれただけで、ジークジオンとシュプレヒコールを上げるでもなく、配布資料を綺麗にまとめて席を立つだけだった。


 システムインテグレーションの肝はソリューション、つまり問題解決にあるが、自分がシステムインテグレーションに一から携わったときに最初にすべきソリューションが岩倉の排除という悲惨な未来を想像した吉川は、打ち合わせ時の岩倉が放ったマヒャドについてどういった具合に釘を刺せばよいか思案に暮れていた。
(普通のやり方じゃ駄目だよな。後ろからバットで殴り飛ばしたあと、耳に音叉を突っ込んでブブゼラを咥えた10人くらいの人に『お前は単細胞生物にも劣る糞野郎だ』と叫び続けてもらうか)
 障害対応の本作業時間まで若干の時間的余裕があるため、吉川は資料に目を通している。依代が作成したのであろう作業手順書は非常に見やすく分かりやすい。岩倉が依代に一方的な好意を抱いているのは知っているが、こういった仕事内容を一ミリでも見習ってくれたらと常々思う。そうなることがなく、そうなる気配が微塵もないのは、彼自身が依代に対しての優位性を脳内で勝手に構築しているからであろう。
「おい吉川ァ、準備できてんのかぁ」
 後ろにだれかいることは気づいていた吉川だが、後ろにいたのが予想通り岩倉であってもそれが嬉しい感情につながったりはしない。ただ、いくら岩倉を否定しても事態が変わることがないから、いかに彼の存在を考えずに幸せに過ごすかをまずはじめに考えるようになった。
「はい、できてますよ。バッチリです」
 本来は「なんの準備ですか?」と質問に対して質問で返してしまうような場面だが、吉川はそんなことはしない。岩倉を喜ばせるでも、怒らせるでもなく、ただ『会話を迅速に終了させる』ことが精神汚染から身を守る唯一の手段だと悟った吉川は、ベストエンディングへの選択肢の最適解を比較的高速に判別する手段を身につけた。
「ハァ?何ができてるんだ?」
 吉川にとってはこの『質問者の言葉不足からくる再質問』ですら、想定の内だった。この手の質問をしてくる人間は『質問の回答を得る』ことではなく『相手をやり込める』のが目的であるから、相手の思考を読んで正答を予測することに意味などない。この場合に吉川にとって最も精神的被害の少ない選択肢は、自らを卑下し、相手を必要以上に持ち上げることである。
「すいません、作業の勢いで生返事をしてしまいました。お忙しいところで気を使っていただいているのに非常に申し訳なく思います。ところで、質問を質問で返すようで恐縮ですが、なんの準備のことでしょう」
「お、おう。今日の障害対応の準備だよ」
 偉そうに聞いてきた割には、ひどくざっくりとしたいい加減な質問だった。
 吉川はここで初めて、具体的な話を持ち出す。
「作業割については既に把握しました。作業内容の把握状況についてもほぼメンバに確認済みです」
「ほぼってなんだ?」
 吉川の発した言葉の一端に、岩倉が食いついてきた。まるで窓枠のかすかな埃をなぞる姑のような顔で、吉川を睨みつけている。今にも「これがあなたのいうお掃除ですか?」とでも言わんばかりだ。
 しかし、岩倉の圧力に吉川が動じることはない。
「岩倉さんの分ですよ。岩倉さんの作業内容の把握状況が確認取れれば完了ですが、大丈夫ですよね」
 岩倉はぎょっとして、その後眉間にシワを寄せて吉川を凝視した。。
「あ、あたりまえだろうがボケが。そんなもん完璧に頭に入ってるっつーの。バカにしてんの?」
「いやいや、とんでもない。単なる確認ですから。簡単に私に作業の実施内容について話していただければ終わりです」
「ふん、そんなもんすぐ答えてやるよ。えーと、ちょっとまてよ、えーとだな。俺はメンバの作業補助と作業完了確認だろ」
 段取り表を見ながら答える岩倉に、なんの感情も見せることなく吉川は答える。
「はい、ありがとうございます。これでメンバ間の情報連携は完了しましたので、本対応のリーダーさんに報告してきますね」
「む、ちょっとまて」
 席をたとうとした吉川を、岩倉が制止する。いつになく難しい顔をしている岩倉の顔を見て、吉川は嫌な予感がした。
「なんです?」
「誰に報告すんの?」
「リーダーさんなので赤坂さんですけど、今いないんで依代さんですね」
 特定の文字列に反応した岩倉が、破顔して言う。
「俺が行くわ」
 岩倉は吉川から報告表を奪い取ると、スキップして依代の方へ向かっていった。
 吉川は、あのクソみたいな表情が有情破顔拳の結果ならいいのに、と思った。


 一九三〇時、埠頭は自席でぼーっとしていた。
 今日の作業ノルマは一昨日完了しているし、舞浜の作業もここ数日のスパルタでようやく線表に乗りつつある状況まで持ってきた。舞浜の作業については油断できないが、所詮他人のことだから自分が必要以上に気負う必要はないと思っている。コーヒー片手に定期的に舞浜の方を睨んでいればそのうちなんとかなるんじゃないかという考えである。
 座り心地の良い椅子の背もたれに完全に身を預け、席の真後ろを逆さに見ていると、資料を片手にドタバタとしている集団が目に入った。
「なにしてんだーあれわ」
 何気なく埠頭がつぶやくと、となりに座っていた依代がそれに気付いたようで、キーボードをたたきながら回答をくれた。
「あっちの島は別の機能担当なんだけど、今日は大規模なシステムテストがあるんですって」
「えっ、じゃあこっちの対応とバッティングしたりしないんですかね」
 埠頭の疑問は当然湧いてくるものであった。もし本番機を使用したノンデグテストが行われるのだとしたら、今日の緊急対応に影響が出る可能性がある。
 その可能性について、依代が否定した。
「テスト機でのテストだから大丈夫なんじゃないかな。端末使用要望のファイルにもそう書いてあるし」
 依代の言うファイルを覗くと、確かに本番機の使用予定にそれらしき記述はない。依代の言うようにテスト機のみ使用するようだ。
「なら安心。おなかすいたのでパン買ってきますね」
 じゃあ私は焼きそばパンね、と買ってくるのが当然のように言った赤坂を小突いたあと、埠頭は一階のコンビニエンスストアに向かった。

       

表紙
Tweet

Neetsha