Neetel Inside ニートノベル
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 二二〇〇時、予定通り一つ目のバッチファイルを手動により起動。起動から終了まで問題なく実行され、のちの確認作業でも不具合は確認されなかった。ログファイルでもエラーメッセージは出力されておらず、データの正常性確認班からも問題なしという報告が上がってきた。
 岩倉のチームからの報告が遅れたため、二つ目のバッチファイル手動起動は二三〇〇時からとなった。誰も口に出して文句をいうものはいないが、報告に来た吉川は非常に申し訳なさそうな顔をしていた。おそらく、岩倉が何らかの問題を起こしたのだろう。ただ、報告遅延の理由が報告書には書かれていない。
 どうしたのか尋ねてみると、どうやら岩倉がわけの分からないことを言ってメンバの作業を妨害したようだ。これ以上じゃまをするようならどこかに縛り付けておいてくださいねと言ったら、吉川は苦笑いをして謝っていた。彼も苦しいのだろう。
 二三〇〇時、当初の予定より十五分遅れて二つめのバッチファイルを手動起動する。このバッチファイルは実行終了までに非常に長い時間がかかる。バッチファイル実行中は本番機操作端末から離れるわけにはいかないため、数人が交代してモニタを監視する。本番機の監視は赤坂のチームが担当しており、約六十分の監視時間のうち、赤坂、依代、上中里の順で監視人員を交代する手筈となっている。
 本番機操作端末にはバッチファイルの実行状況が表示されている。バッチファイルを実行すると、コマンドラインのウィンドウが表示され、%と視覚的に進捗状況を確認できるプログレスバーが表示される。
 問題は、上中里が端末の前に座っている、バッチプログラム進捗状況九十二%の時に発生した。上中里から赤坂へのPHS着信により、騒動は始まる。
「あの、コマンドラインに『タイムアウトにより処理を中断しました』って出てきたんですけど、どうしたらいいですか?」
「なん……だと……?」
 頭が真っ白になった。個別起動すれば問題ないと思っていた今回の対応で、障害が発生したのだ。赤坂の表情に異変を感じた依代が声をかけてくるが、言葉が頭に入ってこない。
(やばいやばいやばいやばいどうしようどうしようどうしようどうしよう)
 非常事態に気が動転した赤坂は、突然たったり座ったりを繰り返したり、廊下の橋まで歩いて行っては帰ってくるという行動をとり始める。依代がどうしたものかと思案にくれて床を見つめていたところ、スラッとした長い足がすべるように移動して赤坂に近づいていくのが見えた。金髪の女性はあさっての方向を向いた赤坂の肩を掴むと自分の方へぐるりと向き直させ、頬をおもいっきり引っ叩いた。
「殴っ」
「殴ってなぜ悪いか!」
「最後まで言わせてやれよ。重要なシーンじゃないか」
 舞浜がツッコミのようなものを入れているが、依代には彼が何を言っているのかわからなかった。
「とりあえずこれ飲んで落ち着きなさいな」
 金髪女こと埠頭がどこから取り出したのかわからない湯飲みを渡すと、赤坂は湯気の上る湯飲みを口に当てた直後に一気に傾け始めた。あんな熱そうなものをそんなに早く飲んだら火傷しちゃうんじゃないかと周囲は心配するが、なぜか赤坂はけろりとしていた。表情にも落ち着きが戻ったように見える。
「失礼、取り乱しました」
「ん。で、なんかあったの」
 赤坂から返却された湯飲みに急須からお茶を注ぎ、ちょびちょびとすすりながら埠頭が尋ねる。
「はい、二つめのバッチファイル実行処理に失敗したみたいです。今上中里さんから連絡がありました」
「マジかよ!うわー帰れねーじゃん」
 舞浜が現状で一番認識したくない事実を持ち出したのにはうんざりした。
 だが、今は彼に不平不満をぶつけている場合ではない。原因究明と対策を早急に講じなければならない。
「上中里さんはなんて言ってるの?」
「えーと、バッチのメッセージでは『タイムアウトが発生』したみたいですね」
 上中里からの情報によると、画面に表示されているエラーメッセージ以外の情報は皆無らしい。エラーログは取得できず、イベントログは出力されていないということだった。
 報告を一通り聞いたところで、埠頭が疑問の声を上げる。
「エラーログが『取得できない』って何?どういう事?」
「気になるけどとりあえず現状確認。私は上中里さんのところへ行ってバッチファイルの進行状況を確認してきます。依代さんは状況を岡野さんに報告したあとバッチファイルの保守担当者と連携して対策を検討してください。埠頭さんはさっき上中里さんから聞いたプログラムの該当行の調査。舞浜さんはここに残って何かあったときに私か依代さんに連絡してください。以上質問は」
「ない」
「ありません」
「おk」
「十分後にここに再集合してください。できない場合はPHSで連絡。それでは各自行動開始」


 本番機操作端末の前にいる上中里の元へやってきた赤坂は、改めて現状の確認を始めた。上中里の報告事態に誤りはなく、バッチファイルも彼女が言った通りの状態で異常終了しているようだった。問題は、ログファイルを参照しようとして開いたファイルブラウザが真っ白になっていることだ。コントロールパネルで確認すると、『応答なし』が表示されている。
「真っ白だからアドレスバーが表示されないな。これってどこを見ているかわかる?」
「えっと、確かこの資料の……ここですね」
 上中里が示した資料には、IPアドレスを含む絶対パスが書かれていた。ファイルブラウザを開いて同アドレスにアクセスしようとすると、やはり『応答なし』になってしまう。
 コマンドラインを開いて当該サーバのIPアドレス宛にPingを打つと、画面には「Request timed out」と表示された。
「ログを保存するサーバが落ちてる?うーん」
 赤坂が上中里と一緒にうーんうーんと首をひねりながら唸っていると、PHSの着信音がなった。液晶画面には埠頭と表示されている。
「赤坂です」
「もしもしー。調べたんだけどさー。これ書いたやつ頭おかしいわ」
「感想はいいから、事実を正確に報告してください」
「こんなクソみたいなコードを見せられる私をかわいそうに思うならちょっとは付き合ってよ!」
 トラブル続きの現状にあって、火に油を注ぐかのような埠頭の発言に、赤坂は継続させてきた緊張感を失いそうになるが、となりで事の成り行きを心配そうに見つめている上中里の顔を見て、この対応を開始する少し前のことをようやく思い出した。

 どんなに現場が混乱しようとも、どれだけ状況が絶望的であろうとも、あなただけは常に、氷のように冷静でいなければならない。あなたがすべきなのは、現場で燃え盛る火を消すことじゃなくて、ファイヤーマン自身が生み出した不可視の炎上を鎮圧すること。

       

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