春の文芸ミステリー企画
妹事件/顎男
<問題編>
妹に彼氏ができたらしい。
まことに由々しき事態である。
この俺が毎日毎日鬱々とネットラジオに耽っては小説の愚痴をこぼしているときに、いつの間にか湧いた新人が女性作家とラジオでイチャイチャしてたり、同期がついったーを始めて女性作家とイチャイチャしたりして憤激のあまりキーボードぶっ叩いてるときに――あのガキは一個上の先輩と知り合っただの家に呼びたいだのああだこうだとウルセェんだ!
許さん。
俺よりも幸福なやつは皆死ぬべし。
てめえもおまえもあんたもユーもみんなくたばりやがれッ!
俺は真っ白なメモ帳を閉じ、重い腰を上げた。
まずはベランダからだ。
俺の妹は虚弱体質で、長いこと外にはいられない。
だから野外で事をイタすのは不可能なはずだ。
相手の家に転がり込むかもって?
俺をどこの誰と心得る。天下無敵の新都作家だぜ、嫉妬こそガソリンよ。
やつが下校時刻になった途端に三年の教室(3F)の窓からダイブ。
今は緑の桜の木の枝に着地し、一年の教室(1F)へ飛び込む。無論窓からだ。ここまで直角の三角飛びはなかなかできまい。
驚愕のあまり顎が外れかかっている妹の腕を引っつかんで寄り道させずにGO TO HOUSE!
青春? 人権? なんだそりゃあ喰えるのか。
俺はただ、妹が、楽しそうに生きているのが我慢できねえ。
それだけよ!
じゃあ夜中、たとえば俺がラジオをしている間に家の窓とかから連れ込むかもって?
まァ俺も夜通し起きっ放しってのは無理だし、うちの親父もオカンも放任主義だからなァ。
だが安心しとけぃ、全部ガムテで封鎖した。
びっくりしただろ、開かないんだぜこの窓。隙間にはアロンアルファも流し込んどいたし多分イケるだろ。
洗濯物が干せない?
うちの母ちゃんは洗濯なんぞしねえ。全部各人でクリーニング屋にポポイのポイよ!
玄関口からの来客は俺が確認して若い男なら居留守を使う。若い女は来ない。
おい! 俺をそんな眼で見るんじゃねえ! 張っ倒すぞ!
そんなこんなで、うちの妹は俺に対する家庭内暴力に明け暮れているわけだが、俺の心は鋼よりも硬い。
妹よりも経験が遅いとか、笑い話にもならねえんだよ。切実なんだよ。俺に彼女ができたら解放してやるよ。
いいか、俺に彼女ができねえのが悪いんだ! 俺は悪くねえ!
そう妹に叫んだところ、やおらコップが飛んできた。よけた。割れた。片付けるのはもちろん俺だ。ちょっとだけ泣いた。
今日も今日とて俺は空を舞う。ハッ!
最近では2Fの二年生が写メで俺を撮っている。ちょっと嬉しい。
だが、その日の妹の様子はおかしかった。毅然とした顔で俺を見てきやがる。
んだコイツ、腹立つわ。爆発すればいいのに。
「ちょっときて」
舌打ちでビートを刻みながらくっついていったら、二年の教室に連れて行かれた。
俺は部活動をしていないから後輩に知り合いなんぞいないのでアウェー感がバリバリ。
引きずるように俺を2-Fに連れ込んだ妹は、窓際まで進んでようやくその侵攻を止めた。
なぜか周囲の連中がにやにやしている。
くるりと妹が振り返る。
「紹介する。あたしの彼氏」
にへら、と席に座った男が笑う。
俺はキレた。
五、六人が俺に覆いかぶさっている。ええい、離せ、離しやがれ!
頭上から甲高くてイラつく声が降ってくる。
「もう兄貴にはウンザリ! ちゃんと話もしたことないくせに、だめ、だめ、ってアンタ何様なの? 今日という今日はハッキリさせてやるんだから!」
「何をだ!」
「今から、あんたたちにはゆっくりがっつり話し合ってもらうわ!」
「話し合うことなんぞはねえ!」
「お兄さん!」
芝居がかった口調でにへら顔が言う。
俺の血管がさらに数本ブッち切れた。
お、お、お兄さん? ああ? 殺すぞ?
その後、保険室まで連行され俺は保険医に鎮静剤を打たれた。
「聞き分けのない兄貴を落ち着かせたい」で注射ブッ刺したウチの校医は外科手術を受ける必要があるだろう。脳の。
ふらつく足取りで、俺は妹と彼氏と我が家に帰った。
あいまいな記憶しかないが、普通に歩いていたし、時間も飛んでいないのは確かだ。
俺の腹時計はデジタルよりも正確なのだよ。
両親は不在だった。
昨晩から夫婦で高校時代の同級生たちと麻雀に興じているらしい。
「ははまけたもうかえれない」とメールが入ったのが今朝。もう帰ってこなくてよい。
「お邪魔します!」
威勢よくいった彼氏くん。殺してえ、煽ってんの? 律儀に四十五度頭下げやがって。にやにや顔に腹が立つ。
居間の座布団に座るとき、当然のような顔をしてあぐらをかく彼氏の面構えを見てつい殴りそうになったが、妹の視線がスペシウム製だったので我慢した。超こええ。だが負けるか。
俺と彼氏はテーブルを挟んで向かい合う形になった。
妹はお茶と菓子を粛々とした態度で持ってくる。
いったいどこで花嫁修業を積んだのだかしらねえが、どうか夢叶わぬまま爆発してほしい。
「今日はみーくんと兄貴に思う存分語り合ってもらいます。男同士、水いらずで」
「はァ?」と俺。
「んでそんなことしなくっちゃいけねえんだ。俺ァ嫌だぜ」
「ちゃんとした批判は、実物を見てから言ってください」と彼氏。俺の拳があがる。
「そうやってすぐ暴力に逃げるの、兄貴、かっこ悪いよ」
俺は拳を下げた。別に妹の言葉にひよったわけじゃねえが、まァ道理に沿ってるっちゃあ沿ってる。
殴るのは簡単だが、もう少しがんばってみよう。
実生活が甘ったれてると、書く小説の中身も甘ったれてくる。そいつァいけねえ。
「じゃあ、あたし、上にいるから。あたしが戻ってきたときに、答えを聞かせて、兄貴」
「もう決まってらァ」
はいはい、と知ったような顔をして妹が居間を出て扉を閉めた。
うちの裏にある線路を列車が通過していく、ごとんごとんという音を聞きながら、俺は気まずい空気に頭痛がしてきた。
にへら顔は相変わらずにへらっているが、ちょっとだけ眉根が下がっているあたり、こいつも困っているらしい。
気が合うな。早く死ね。
黙っている俺に痺れを切らせて、彼氏がぽつぽつと喋り始めた。
いわく、妹さんとはミステリ研究会で知り合った。
自分は幽霊部員だったので、妹さんの方がミステリに詳しくお世話になっている。
今度文化祭で文集を作るから読みにきてくれ。
妹さんの話では小説を書くそうですがよかったら文集に、
「俺はミステリは書かない」俺は一蹴した。
「はあ、じゃあ何をお書きになられるんで?」
「学園モノだな」
「へえ。やっぱり好きですか、そういうの」
「そういうのってなんだよ」
「ライトノベル系っていうか」
「ライトも糞もあるかよ。大昔から娯楽小説ってのは存在したし、小難しい話を書けばいいってもんじゃねえ。
おもしろいものを書けばいいんだ。それだけよ」
「すごいですね、なんか、熱意が伝わってくるっていうか。
でも、娯楽ならミステリだっていいじゃないですか。
学園モノもミステリも、娯楽でしょう」
「まァ書いてもいいんだが、俺はプロを目指してるからな」
「ミステリじゃデビューできないと?」
「いいや。俺はね、金を稼ぎたいんだよ」
「金――」
「今売れるのは間違いなく学園モノだ。
学園ミステリなら書くかもしれんが、大学生のミステリ研究会が孤島で殺人事件に巻き込まれるのは売れないからね」
「いいものを書けばいいってさっき仰ったじゃないですか。矛盾しますよ」
「それは本当だよ。いいものを書けばいいんだ。
ただ売りたいなら、読者のことを考えなくちゃいけない。彼らが何を求めているのか?」
「はぁ……」
「たとえば、おまえ、スレイヤーズを知っているか」
彼氏は斜め上を見やって、生返事をした。まァ名前ぐらいは、ってところだろう。
「昔はファンタジーがたくさんあった。オーフェンとか、ゴクドー君とか、ゲームでいうとドラクエ、FFとかだな。
それがめっきり減ってきた。最近はRPGまで学園モノをやるんだ。ペルソナとかね」
話が深間に入ってきて、彼氏はついてこれていないらしい。
「ふうん……まあお兄さんの言いたいことはなんとなくわかります」
「お兄さんっていうな」
「へへへ、すいませェん。
でもファンタジーが最近少ないってのは、単なる流行り廃りなんじゃないすか?
学園モノはその反動で流行ってるだけですよ。
すぐにこれも廃れます。そうしてまたファンタジーの時代だ」
「俺はそうは思わん――」
「なぜです?」
「昔はな、現実はつまらなかったが、大人の真似事をしていりゃあそれで済む世界だった。
高度経済成長期で、失業とか年金とか、そんな遠くて珍しい不幸に包まれた将来のことは考えなくてよかった。
今はどうだ? 明日への希望なんかちっともない」
「それで学園モノが流行る?
むしろ、現実逃避でファンタジーがもっと隆盛するんじゃないですか?」
「逆だよ――」俺は居住まいを正した。
「あまりにも辛く薄い現実ってので、みんな手一杯になってしまったんだ。
絶対に起こり得ないファンタジーの妄想なんかしたって仕方がない。
自分は伝説の剣士リカルド・クオーサなんて名前じゃなくって日本のどっかで生まれた漢字の名前をした一般人なんだからな。
みんな、スカッとする空想の世界なんて求めちゃいない。
自分の手でも届きそうな、そういう幸せを求めてるんだよ、娯楽に」
ハハァ、と彼氏が手を打った。ノリのいいやつだ。
「なるほど、どっかに転校生として編入して、そこで隠された血族であることが判明して覚醒してドンパチってんなら、ひょっとすると、自分に起こるかもしれない。
そう思える『余地』があるってことですか。
それが学園モノ隆盛の原因だと?」
「ああ。最近じゃもっと烈しいぜ。
『とらドラ』とか『けいおん!』とか見てみろよ。超能力者もいなけりゃあ敵もいない。
とらドラはドラマ性があったが、けいおんにいたってはマジで放課後に茶ァ飲んでるだけだぜ」
「嫌いなんですか、けいおん」
「大好きに決まってるだろ、今は好き嫌いの話じゃないんだ。
とにかく、この時代、ゼロ年代で求められるのは『つまらない現実からひとっとびに離脱できる異世界』ではなく『もしかすると偶然が重なれば手が届くかもしれない日常』へと変貌した。
こいつァ病んでるぜ。
もう夢なんかいい、今この目の前にある重たい毎日をなんとかしてくれってんだから。
世も末だよ。世紀末だ」
「じゃあ、その閉鎖的状況を打ち砕くファンタジーを書けばいいでしょう。それが作家魂ってもんだ」
「言ったろう、俺は金が欲しいだけだ。作家じゃない、売文屋になりてえんだ。
だから、読者のニーズにこびへつらい、なおかつやつらが求める『想像していなかった展開』で度肝も抜いてやらなきゃいけない。
一種の駆け引きだな。ニーズに応え、時に裏切る。
それをせずに書きたいことを書き連ねていては、読者はついてこない」
「ふむ――」
「読者のことを考えなくっちゃならねえ。
その読者の中に『自分』を入れてみると、わかりやすいんだがな」
「ああ、自分で読んでてつまらないものは書かないと」
「書きっ放しだとなかなか読者になれねえんだ。書いた達成感がデカイからな。
だから、仕上げた原稿は日を空けてから推敲するべきだという考え方が昔からあるんだよ。
――夢を追えなくなるほど追い詰められた現代人に、そんな時間はないがね」
ふと時計を見ると一時間が経過していた。
話に熱中しすぎていて、妹が背後に立っていることさえ気づけなかった。
「話は終わった? 兄貴」
「おう。
――とっととこの彼氏とやらと別れちまいな。
オラ、とっとと出て行け、このチンピラ野郎!」
俺は彼氏をおっぽり出した。妹は暗い顔で俯いている。怒りを抑えでもしているのか頬がちょっと赤かった。
やれやれ、話し疲れちまったが、これで一段落だ。
まったく、高校生が家を行き来してセクロスだなんて許されるわけないだろう。
なあ?
ある日、あれきり静かになったと思ったら、妹が知らない男子と歩いていた。
喫茶店から出てきたばかりで、とても楽しげである。
きっと中は涼しかったんだろう、俺は夏の日差しを浴びてスライムになっていたので喫茶店に転がり込んだ。
置いてある雑誌を読みながらコーヒーのかさを減らしていると、珍しく着信。
出てみると母だった。
急いで帰宅するように、と言われて喫茶店を出る。
俺の鼓動はいつの間にか早くなっていた。
あんなに慌てた母の声は聞いたことがない。
「できちゃった」
妹はそう言って顔を赤らめた。
親父に殴られた。俺がだ。
「おまえ! ちゃんと監視していると言っていたのに、見逃したのか!」
「うるせえ糞ジジイ、俺にだって何がなんだかわからねーよ!」
別れたという話は聞かなかったので、下校後に付きまとうのは自粛していたが、それでもうちの門限はかなり早い。
妹が遅く帰ってきたことはないし、外泊は俺が気づく。というかまだベランダは開かない。
そもそも、深夜にいたる行動は虚弱体質の妹には無理なのだ。
マジな話、セクロスだけでもかなり危険なのだ。
下校後、彼氏の家にいって速攻ヤッたくらいしか想像できないが……確か彼氏の家は電車で一時間半かかるとか以前言っていた。
うちの妹は馬鹿なので言わなくていいことをよく喋るから、この情報には信憑性がある。まだ俺がファビョる前に聞いたし。
まさか校内で? いやいやリスクが高すぎるし、それになんか――最初はもっと安心できる場所を選ばないか? 難易度高くね?
やはり思い当たるのは、あの日、俺が彼氏と話した日しか思い当たらない。そういえば彼氏を帰すとき、妹の顔は赤かった。
だが、その彼氏は、ずっと俺と喋っていたんだぞ!
<解答編>
重苦しい空気に包まれた居間に耐え切れず、俺は二階の自分の部屋にあがった。
階段をあがってすぐが俺の部屋で、その隣が妹の部屋、客間(空き部屋)、さらに両親の寝室となっている。
自分の部屋に入り、PCをつける。
ネットはいい。リリンの生み出した文化の極みだよ。ああ。
こんなときはネットラジオをするに限る。
俺はヘッドセットをつけて、マイクの位置を直した。
深夜一時を回った頃、いつも組んでラジオしている二人組が寝てしまったので、俺は別口でやっていたラジオに許可なく突撃した。
そこのホストがその日はなぜかいつもの軽口が振るわず、話題に困っていたので、俺は妹の妊娠とその原因の謎について話してみた。
うわぁ、とかええ、とかいう反応を返してくる新都作家たち。
ああ、俺も他人事でこの話を聞きたかったぜ。
「ううん」ホストが呻いた。
「なんだよ」
「その彼氏ってさァ」
スカイプ通話越しにそいつが椅子に座りなおした気配がする。
「ずっとおまえと喋ってんたんだろ?」
「そう。ずーっとだぜ。娯楽小説の未来について熱く語り合った」
「おまえんちって一軒屋?」
「そうだけど……なんだよ。犯人がわかんのかよネトラジマスター」
「うるせェ。わかるわけねーだろ顔も名前も知らねェんだから。ただ」
「ただ?」
他の作家たちは空気を読んで沈黙してくれている。
みんな興味があるのかリスナー数が跳ね上がっていた。
「その彼氏ってどんなやつだった? イケメン?」
「ああ……まァ普通じゃねえか。にやにやしてたし、やたらと話に食いついてきたな。俺より一個下だから、二年かな。
余裕かましてやがってさァ、ちったァ緊張しろよって感じだったわ」
「ふーん。妹さん、かなり身体悪いの?」
「家にいる限りは家庭内暴力できるぐれえの元気はあるよ。外の空気がダメみたいでね。
だから、空気の綺麗な田舎に引っ越してきたんだよね、実は」
大変ですねぇ、とリア充作家が嘆いてくれた。ありがとうございます。
「じゃあ、家ん中を動く分には介護とか必要ないわけだ」
「介護しなくちゃならんくなったら見捨てるわ」
俺の心無い発言の直後、数少ない女性作家が通話を切った。
ち、違う! 俺のせいじゃない、きっと俺のせいじゃない!!!
ホスト役は思考に没頭しているのか気づいていない。はは、ワロス。
「なぁ、おまえの妹ってさあ、おまえが彼氏と喋ってる間にヤッたんじゃね?」
「だからァ、俺と喋ってたんだって。ずっと!」
「だからさ……」
「邪魔な兄貴を確保しといて、
その隙に本当の彼氏を家に入れたんじゃねェの?」
俺は沈黙した。
「そもそもおまえ、彼氏が誰か、妹に聞いただけで自分で確かめたわけじゃねえんだろ?
だったらその紹介されたやつが本物だってなんでわかるんだよ。
用意された替え玉は、おまえを居間に釘付けにしておくのが仕事だったんだ。
そりゃあ余裕のひとつもかますだろうよ、事は上手く進んで兄貴は偉そうに文芸論ぶってるんだからさ。
兄貴と替え玉の会話を扉越しに聞いて、いけそうだと判断した妹ちゃんは本物の彼氏と自分の部屋にいった。
兄貴と替え玉はトラブルがない限り、妹ちゃんが降りるまでは喋り続けている。
後はずっと邪魔が入ってできなかったイチャイチャタイムだよ」
ぽつりと誰かが、すげぇ、と呟いた。
階下で両親が言い争っている声がなんだか遠く聞こえる。
俺は糞ッ!と叫んでヘッドセットを投げた。
自分に対する憤りを、マイクの向こうへとぶつける。
「ちくしょう、そんな推理力あるんなら、学園モノなんかやめてミステリ書きやがれってんだ、このラジオ探偵野郎!」
掲示板に、ミステリはいいから四十八時間ラジオやってください、というレスがついた。
【終】