Neetel Inside 文芸新都
表紙

春の文芸ミステリー企画
八人目/黒兎玖乃

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 事件が起きたのは正午を過ぎた頃。
 僕の勤める警察署、山村警察署に一本の連絡が入った。

『山中に変死体です』

 電話の向こうの声は滑らかにものを言う。
 その正体は僕たちには既にバレていて……それ故に電話を取った刑事は怒号を鳴らす。
「ふざけんな! どうせまた貴様が殺ったんだろうが!」
『あらあら、随分な言い様ですね』
「ったりめえだ! 毎回イラつく口調でイラつく声! これで五人目だろうがクソ野郎が!」
 僕の先輩刑事、坊主頭の杉山さんが怒気をこもらせて言い募る。イラつく声とか言っているけれど、僕の声にかなり似ている。ということは僕の声はイラつくということだろうか。
「今度こそ貴様の携帯番号を逆探知して居場所を調べてやる!」
『怖い怖い。残念ながら公衆電話ですがね』
「くっそおおおおおおおおおおおお!!」
 叫ぶ杉山さん。坊主頭も、いっつも着ている茶色のジャケットと帽子も相まって、世界一の大怪盗を追い掛け回すどこぞの警部に見えないこともない。
 こめかみに青筋を走らせる先輩刑事。杉山刑事は喧嘩っぱやいことで有名な刑事だ。悪戯電話は尚更だが、ましてや謎の事件を同一犯が行い、しかもそれを自ら告白してくると言う行為は、先輩の怒り感情を青天井に引き上げるだろう。
『さて、僕は忙しいのでこれで失礼します』
「待てやコラ!! すぐにとっ捕まえてそのマヌケ面拝んでやるからなあ!!」
『ははは、では』
 相手が別れを告げると同時に、受話器が乱暴に置かれる。
 置かれるんじゃなくて、どう見ても投げつけられてる。
「くそっ!! どうしていつまでも奴が捕まえられんのだ!!」
「落ち着いてください。平静を欠くと捕まるものも捕まりません」
 ぶつくさ文句を言う杉山さんに突っ込んだのは、僕の隣に座っている同期の刑事。
「うるさい!! そう言うならお前が何とかしてみろ神野!!」
「ええ。出来るならそうしたいですね」
 反対側のデスクにいる先輩の注文にも、冷静に答える刑事――――神野。
 彼女はどんな大事件に遭遇しても決して慌てず、冷静に物事を判断できる能力を買われてこの警察署にやってきた。その代わり、情熱さには少し欠けるようだけど。
「それよりも、犯人の素性については明らかになっているんですか?」
 神野が凛とした口調で杉山さんに問う。
 その質問に対しても、先輩は大音声で答える。
「それが分かれば苦労せんわ!! 第一そういう事務的な仕事はお前と佐倉の担当だろうが!!」
「そうでしたね。成果はどうですか佐倉君」
 神野が微笑を浮かべながら、僕の方に顔を向けて言う。え? 僕なの?
「あっ……とですね」
「濁してないではっきりせんか佐倉!! 情報はあったのか!!」
 先輩の大声が唾とともに飛んでくる。その唾でよくパソコンのキーボードが痛むんですからもう少し量を抑えるようにと自分の唾液腺によく言っておいて下さい。
 心中で愚痴をこぼしながら、僕は自分なりに集めた情報を先輩に伝える。
「犯人の年齢はおよそ二十代前半性別は男あと推測ですが恐らくここ山村町の出身であり在住でしょう犯罪の手口が死体の一部分が切り取られると言う残忍なところからして恐らく殺人というものに美学を覚えているか人体切断に慣れている医者辺りの人物だと考えられます死体の部位の切断面から見て凶器は刃渡り二十センチほどのバタフライナイフ切った部位が一人目は右腕二人目は左腕三人目は右足四人目が首だという点より五人目が切られる部位は左足だと思われますそうそう電話の際に毎回同じ声である所からして単独の同一犯であることが予想できますあとそれと」
「分かった佐倉。落ち着くからもう止めてくれ」
「……? はい、分かりました」
 自分で言ったのに、どうして止めさせるんだろう。本当によく分からない人だなあ、杉山さんは。
「とにもかくにも、だ」
 先輩はデスクに肘をつきながら言う。
「これ以上被害が出る前に、早急に解決する必要がある。これ以上町民が危険に晒されないように、そして第一に俺達刑事が減らないためにもな」
「そう……ですね」
 僕は四つの無人デスクの上にそれぞれ置かれた写真立てを見て、小さく呟いた。
「あ…………悪い佐倉。お前も、そうだったな」
「……大丈夫です。もう、慣れましたから」
 僕は作り笑いを浮かべる。
 僕は過去に、逆恨みしたに刑事によって警部の地位に就いていた兄を殺された。それも今回のように、バラバラにされて。
 だからこそ僕は兄の無念を晴らすために、この事件を解決しなければならない。
 たとえ、どんな手段を使ったとしても。


 犯行手口は実に単純。見回りに出ている刑事が行方不明になり、翌日変死体となって発見される。
 変死体というのは前でも言った通り、死体の身体の一部が犯人によって切り取られているからだ。しかもそれこそ残酷に、右腕なら右腕を思い切り引き抜いたように、血塗れになった筋繊維や骨が露になった状態で放置されているのだ。
 最近一日ごとに起きている凄惨な事件で、この山村町のニュースを度々独占している。それ故に僕達、山村警察署職員には、必要以上の期待が込められている。
 その度に僕達は躍起になり、その度に仲間が一人消えていく。
 ここで刑事を五年やっている僕はもちろん十年以上勤めている杉山さんにとっては、共に働く仲間が殺されていなくなるというのはたとえようのない苦しみだった。
 隣の神野は涙一つこぼさないが、彼女が最も尊敬していたという先輩刑事、もとい三番目に殺された黒枝刑事の弔いの際、彼女が人知れず大粒の涙を流したことを僕は知っている。
 残る刑事は三人。ただでさえ人数の少ない山村警察署は、この手口でいけばあと三日で全滅してしまう恐れがあった。
 張り詰める緊迫感を、僕は押さえられずにいた。
「しかしどうして奴が捕まらんのだ……。特に四人目…………静原の場合は、神野。お前が同伴して張り込んでいたんだろう?」
「はい。トイレに行くと言うので私がトイレの前で待っていたところ……結局、彼がトイレから出てくることはありませんでした」
「で、中を見たら死んでいたと」
「…………それも、既に首を切断された状態で」
 神野が顔をしかめながら言う。その光景を思い出してしまったのか、とても苦しそうだ。
 それに気付いたのか、杉山さんはばつの悪そうな顔をして俯いた。
「……悪い、神野。思い出させてしまったか」
「いえ、お気になさらずに。今は事件に集中しましょう」
 神野は淡々とした口調のまま、静かに告げる。
「そうだな。まず何を調べるか……つっても、調べることはもう絞られているんだがな」
 杉山さんが立ち上がり、僕達の方に一枚の紙を向ける。
 それには、「殺害方法と逃亡方法」「犯人像の特定」と乱雑に書かれてあった。
 肘をついた手の上に顎を乗せて、神野が口を開く。
「四人目の件を踏まえると、直接殺したというのは言い難いですね」
「ああ。お前が自分の任務を怠るようなことはしないだろうからな。一応確認しておくが、お前がトイレの前で静原を待っている際、確かに他の人間は誰も入ってこなかったんだな?」
「そうですね。ものの十分程度だったので見逃すはずもありません」
「だとすると何かしらのトリックを使ったってえことになるが……いかんせん方法が思いつかん」
 杉山さんがごま塩頭をぼりぼりと掻く。その点に関しては、僕も全く検討がつかない。
 直接殺したのではないとなれば、どのようにして被害者の身体の部位を切断したんだろうか。仮にピアノ線のようなトラップで殺すことが出来たとしても、部位までは特定できないだろう。犯人の意図どおりに自由自在に動く武器でもあれば別だが、今日にはまだそこまで強力な超能力者は存在していない。
 それにまだ論じてないが、被害者全てには共通する事柄がある。
「被害者は全員、犯人と揉み合った形跡がありませんよね」
「そうだな…………それもどうも引っかかる」
 杉山さんはぽつりと言う。
「突然襲われたのか、もしくは共通する友人であるか。ま、後者は考えられませんがね」
「流石に、五人も共通する友人など考えられんな。とすると突然襲われた、ということか」
 そこまで言って、先輩は徐に入り口の方へと歩き出す。
「杉山さん、どこへ?」
「決まってるだろう、五人目の実況見分だ。もしかしたら新しい発見があるかも知れんからな」
 言葉とは裏腹に、大した期待もなさそうな声でそう言った。
 すると、誘発されたように神野も立ち上がる。
「私も行きます」
「あー、いや、お前はいい神野」
 珍しく自分から事件現場へ向かおうとする神野を、先輩は止めた。
「なぜ」
「お前は情報収集に徹してもらう。佐倉、お前が来い」
「あ、はい」
 名指しされたので、慌てて椅子にかけてあったジャケットを羽織る。ついでにデスクに置いたままにしてある缶コーヒーを一口。
 それにしても、杉山さんは起こっているときと普段の感情差が激しいな。
 ずんずんと歩いていく杉山さんに置いて行かれそうだったので余計な考えはやめ、僕は杉山さんの後を追いかけて署を出た。

     ○

 車で三十分、落ち葉の山が地面を埋め尽くす雑木林の中。
「……無残だな」
「……ですね」
 「KEEP OUT」の垣根を越えて、僕と杉山さんは鑑識がせわしなく動き回る現場へとやってきた。鑑識もどうやらもう慣れてしまったようで、淡々と作業を続けるばかりだった。
 山中に放置された死体に被せられたブルーシートが、陽光を浴びて光る。
 その隙間から見えていた死体の右腕には、まだ真新しい鮮血が走っていた。その右腕を覆っているジャケットが見慣れたものであるのが、言葉に出来ないほど辛い。
「なくなっているのは、やはり"左足"ですか」
「の、ようだな」
 鑑識の人から耳打ちを受けた杉山さんが、平生に答える。
「鑑識は、なんと?」
「まだ死後数時間との事だ。今までの五人と同様だな」
 となると、やはり同一犯の可能性が濃厚か。
「何か、手がかりになるようなものは?」
 僕がそう訊くと、先輩は首を横に振る。
「残念ながら、何もないと言うことだ。相変わらず揉み合った形跡は見られなかったし、死体の爪から服のポケットに至るまで調べたようだが、犯人の皮膚や頭髪の類は何一つ検出されなかったらしい」
「そう……ですか…………」
 つまり、証拠品となりそうなものは一つとしてないのか。これは、無駄足だったかもしれない。
 がさ、と落ち葉を踏み鳴らして、僕はブルーシートへ近付く。
 杉山さんは背を向けたまま、何も言わない。
 僕は近くにいた鑑識に、何か手がかりになるものはないのかともう一度聞いてみた。
「さっぱりです。ただ、死体の顔がひどく驚いた表情だったのが気になりましたね。あ、今見ても分かりませんよ。死後硬直もあって、見るも無残なものになっていますから。ほら、樹海で自殺した人とかいるでしょう。あんな感じです」
 一度見たことがあるだけあって、僕はその一言で僅かに吐き気を催した。刑事と言う職業柄、慣れないといけないのだが。
 慣れるのが、怖かった。
 人の死に慣れてしまうことほど、恐ろしいものなんてないから。
「やはり、何もないようだな。行くぞ佐倉」
 僕に背を向けたまま、杉山さんが口走る。
「もう、ここに用はないんですか? 詳しい実況見分とか」
「する必要はねえよ」
 言葉を途中で遮って、強かに杉山さんは言う。
 その言葉には、何か哀しいものが滲み出ていた。
 あんなに熱血な杉山さんがどうしたんだろう、と一人で唸る。
「無理もないですよ。今回の五人目の被害者、杉山さんの……」
「――――忘れていました。聞くべきじゃ、なかったですね」
 そこで僕は、心の隅に追いやっていた一つの事実を思い出す。

 五人目の被害者の名前は、杉山裕香。新人の刑事だった。



「…………なあ、佐倉」
「どうしました?」
 杉山さんが運転する、黒の軽自動車の中。
 助手席に座った僕に、煙草を咥えたまま杉山さんが話しかける。
「俺……今日はもう帰るわ。署の前で下ろすから、後処理色々と頼まれてくれるか」
「……はい、承知しました」
 理由は聞かずに、僕は肯いた。
「すまねえな、佐倉」
 物憂げにそう呟いて、それきり杉山さんは黙ってしまった。
 僕は窓の外に目をやる。まばらに赤く色づいた山が、ざわ、とかすかな呻き声を立てる。
 それが誰かの囁きに聞こえる気がして、僕は目を逸らした。
 空は青く、葉は赤く。
 僕の心は、重い鉛色を呈していた。


「それじゃ、神野にもよろしくな」
「はい、お疲れ様でした」
 署の入り口で、僕は杉山さんを見送った。それこそ、黒の軽が建物の陰に隠れて、見えなくなるまで。
 僕は、人目もはばからず深くお辞儀をした。かすかな、祈りを込めて。
 しばらくして顔を上げると、入り口の扉を開けて中から神野が出て来た。普段デスクに座りっぱなしの神野が立ち上がるとは、あまりないことだ。
「神野、めずらしいな。君がこうして外に出るなんて」
「別に私は常日頃宿直と言うわけでもありませんから」
 皮肉げにそう吐き捨てる。
 その右手には、缶コーヒーが二本握られていた。
「コーヒー、どうですか?」
「え。あ、ああ。ありがとう」
 思いもよらぬ言動と行動に僕は驚きを隠せなかったけど、どうしてそんな行動に出たのかは大体目測がついた。
 僕が入り口横のベンチに座ると、少しだけ距離を置いて神野も座る。
 少し涼しげな風が吹いて、神野の香りを少し感じた。
 黒インクに似た、悲しい香りだった。

「現場、どうでしたか」
 栓の開いていない缶コーヒーを両手で握ったまま、神野が訊く。
 特に靄をかける必要もないので、僕は正直に話す。
「特に収穫はなかったよ。事件の謎は深まるばかり」
「そうですか」
 謎が深まったわけではないので、そこは少し嘯いた。
「杉山さん、もしかして一人で帰っていったんですか?」
「あ…………うん」
「……縁起でもないですが、少々危険ですね」
 神野の表情が曇る。それについては、僕も少し考えた。
 今のところ五人に共通していることは、単独で行動しているときに殺されているということ。もしそれが今日も適用するのであれば、今の杉山さんは非常に危険だ。
 僕は止めようとはしたけれど、今の杉山さんを止めるということは、僕には苦行だった。
 プルタブに指をかけ、コーヒーの蓋を開ける。この柄のコーヒーは普通の缶コーヒーよりも甘めのはずなのだが、なんだか今日はブラックの香りがした。
「何も、起こらなければいいんだけど」
 僕はそうぼやいて、缶の中身を無理矢理喉に流し込んだ。呼吸をおくことなく、一口で全てを飲み干した。
 隣を見ると神野はまだ、両手でコーヒーを握ったままで座っていた。


 神野には何も声はかけずに僕は署内の自分のデスクに戻り、スタンバイにしておいたパソコンに触れる。
 特別調べたいことがあるわけではなかったが、考えたいことはたくさんあった。そこまで行き着くには、神野のコーヒーが非常に助けになった。
 備え付けのメモ帳を開く。
 そこに数少ない特技であるタイピングを用いて、この事件で既に分かっていることを一行ずつあけて羅列していく。一語一句、正確に。
 薄暗い署の中に、キーボードの無機質なタイプ音だけが響く。横目に見える窓からは、ベンチに座ったままの神野が見えた。
 あまり気には留めずに、一心不乱に打ち込んでいく。
 思い出せることは、全て。
 記憶の全てを、文字データに変換していく。

 何時間も経ってはいないだろうけど、いつの間にかテキストデータの容量は40KBほどになっていた。
「これだけ打てば、もう忘れはしないかな」
 僕は伸びをしながら適当に頷くと、メモ帳の右上にある×印をクリックする。保存しますか、との警告が出たが、僕はもちろん「いいえ」を選んだ。
 僕は一度入力したことは忘れない主義だし、元々記憶のそこに眠っていたものを呼び起こしただけだから、もう二度と忘れない。
 それに、こんな悲しいことを保存しておくのは、自分の脳裏だけにしておきたかったから。
 僕はパソコンの電源を落とすと、もう一度窓の外を見た。
 そこに、神野の姿は見当たらなかった。

 僕は改めて机に肘をつき、その手の上に顎を乗せる。
「解決できないことはないんだよな」
 分からない事と言えば、犯行の手口と犯人像ぐらいだ。他にも色々と分からない事はあるけれど、そのどれもがこの二つを解決することで、自然と浮き彫りになるようなものばかりだ。
 僕は目をつぶり、瞑想のように精神を集中させる。
 犯人は被害者の身体の部位を、右腕、左腕、右足、首、左足の順で切り取っていた。これが何を示すのかは、言葉にこそはしなかったが理解できていた。人間の身体を仰向き直立に見て、その順番に各部位をなぞってみれば、その軌道は見事な「☆」になる。それが何を示しているかまでは判らないが、謎を解決することは関係ないことではないと思った。
 浮かび上がる「☆」と、浮かび上がらないホシ。
 関係がありそうで全く関係のないそれらを、どうにかして僕は結びつけようとした。
 もちろん、無理だったけど。
「でも……どうしてわざわざ腕や足を切り取るようなことを?」
 何か作為的なものが隠されていそうな行為ではあった。「☆」を描いていることの意味は置いといて、各部位を切り取っていると言う行動には何かしら意味があると僕は考えた。無差別に切り取っているならまだしも、五人殺した今でもその部位に被りは見られない。となると、絶対に何か意味がある。
 僕は適当な紙を一枚取り出すと、その裏の白紙部分に簡単な人体の見取り図を描いた。
 そこから、両腕、両足、首と取り除いていく。残るのはもちろん、胴体部分。
「もし杉山さんが殺されてしまったら……一体どんな姿で発見されるんだろう」
 考えたくはなかった。だけど、解決のためにはそうするしかなかった。
 鉛筆の上に顎を乗せて、口をへの字にする。意識していないが、僕は集中するといつもこんな体勢になるらしい。
「胴体だけなくなるって事は、今まで切り取られた部位は残ってるって事なんだよな……」
 よく言えば胴体は上と下とでまだ分けられそうだったけど、そのうち考えるのをやめた。
 僕が今知りたいのは、そういうことではない。
「とりあえず、犯行手口を追求しよう」
 今日は徹夜する。同時に脳内でそう決め込むと、僕は椅子の背にもたれかかる。
 犯行手口は、前にも述べたとおり体の各部位を引き千切る。そして四人目の静原刑事の件も踏まえて、直接殺したとは考え難い。となると、トラップに引っ掛けて殺したというセンが確実だ。
 しかしそれだと、あたりにほとんど障害物のなかった五人目の杉山刑事の説明がつかない。トラップで殺したと言うなら、それ相応の証拠が残っていてもおかしくはないはずだ。それに、ピアノ線がいくらよく切れやすいとかそういう物だとしても、人の身体をあそこまで切り裂くことが出来るというのは想像が及ばない。第一、切り取られた部位は平面ではなく、肉や骨などの起伏が存在していたのだ。やはり、人の手によってもぎ取られたのだろうか……。
「あーややこしい」
 僕はぼさぼさになった髪をくしゃくしゃに掻き回す。くそ、ストレートをかけたばっかりだってのに、また天然パーマが復活してきた。またかけないと。
 とりあえず、仮に人の手で殺されたとして考えてみよう。
 一人目から三人目までは問題ない。一人目の相模刑事はビル街をうろついていた時に殺されて、二人目の小笠原刑事は単独でその捜査に出かけた際に。三人目の土屋刑事は恐怖に戦いて逃げ出して……そのまま帰らぬ人となった。彼らとともに行動していた人は誰もいないから、犯人の手によって直接殺されたといってもおかしくはない。
 やはり焦点となるのは、四人目の静原刑事だ。
 彼は、神野が見張りをしていたトイレの中で……殺された。当初は自殺という可能性も考えられたが、切断された部位は綺麗になくなっていたので、その説はすぐに却下された。となるとやはり、他殺ということになる。
 しかしその可能性もかなり薄い。何故なら、外部からの侵入者は神野の証言によると誰一人としていなかったと言う。また、中に犯人が潜んでいた可能性もありえない。その公衆便所の出入り口は神野が見張りをしていた一箇所だけで、入った人間も出た人間もいないということなのだ。
 ますます、わけが分からなくなってくる。自殺でもなければ、他殺でもない。ならば、どのようにして殺されたのか。
 そんな時、僕は杉山さんのよく言っていた言葉をふと思い出した。

『何もかも分からなくなったら、とりあえず全部疑ってみろ』

「全部、か……」
 僕は元々疑心暗鬼な性格だったけれども、全てを疑うと言う発想はなかなか生まれなかった。ここは杉山さんの言うとおり、思い浮かぶものは全て疑いをかけてみる。
 脳内にインプットされた事柄を、洗いざらい疑ってみる。






 ……………………………………
 …………………………





 そうだ。
 最初から、気付いていた。
 考えてしまえば、早かった。







 疑いたくはないけど、疑うことが出来る。
 僕の脳裏には、最も疑いの深い人物が一人いた。
 そしてその人物は今日はもう、ここにはいない。
 もしかしたら今日も、獲物を狩りに行ったのかもしれない。




 疑いたくはなかった。
 疑いたくはなかった。
 だけどもう、そうとしか考えられなかった。
 それしか……可能性はない。


 だからこそ、僕も。
 "そうするべきではないか"と、思うんだ…………

     ○

 日が落ちて、宵闇となった山村町。
 その町の警察署から数キロ離れた所にある、山間の公衆便所。
 まだ黒血がこびりついたままのトイレの個室の前に、杉山は立つ。
「………………」
 無言で、冷たいタイルの床を踏みしめる。
 その背後の存在には、既に気付いていた。


「もういいだろ、神野」
 杉山はそう言って、姿も見えない背後の存在に声をかける。
「………………」
 だんまりを決め込んでいるのは、右手に大振りの"鉈"を持った、神野。
 杉山はゆっくりと振り返ると、少しにやけた顔で神野と対面する。
「これ以上何を繰り返そうって言うんだ」
「…………しかし……」
 呻くように呟く神野。
「私が……やらなければ…………」
「だから、もういいって言ってんだ」
 杉山はそれを遮って言い放つ。
「推理の余地なんてハナから無かったんだよ。完全なる密室殺人――――それを覆すことが出来るのは、神野。唯一の証言者であるお前にしか不可能だ」
「……………………はい」
 神野は汗ばんだ手に握り締めていた鉈を地面に落とすと、その場に崩れ落ちた。
「だけど…………これだけは言わせて下さい」
「なんだ」
「私が殺したのは――――――――」









 瞬間。



 へたり込んだ、神野の頭が"割れた"。

「なっ………………!?」
 杉山が驚嘆の声を上げたその時にはもう、衝撃で眼窩から眼球が飛び出し、口、耳、鼻…………あらゆる部位から不鮮明な色の血を噴出させる神野。まるで西瓜を叩き割ったように、"ごしゃ"、と潰れる頭部。甲殻類の殻を叩き割ったような頭の隙間からは、生々しい大脳に鉄棒が食い込んでいる様子が見えた。
 杉山がその鉄棒の発生源を目で追うと、暗がりに立つは一つの黒い影。シルエットのようになった姿は、どう目を凝らして見ても姿が確認できなかった。
「………………」
 鉄棒をゆっくりと引き抜く影。"ぬちゃ"、という内臓を押しつぶしたような音を立て、鉄棒が神野の頭から離れる。
 眼球を目いっぱい飛び出させたまま、僅かに痙攣する神野。
 そんな様子は気にも留めず、再び、


 "ぐしゃっ"、


 と言う凄惨な音を立てて、鉄棒が神野頭に振り下ろされる。今度は鉄棒が脳を叩き潰し、神野の頭はぱっかりと開いた雲丹よろしく、真っ二つに裂けた。その真っ赤な中身が、露呈する。
 とうとう神野は崩れ落ちると、その頭部の内容物を全てタイルの床に撒き散らした。
 それが、杉山の足元まで流れてくる。
「……………………!!」
 ようやく正気を取り戻す、杉山。その瞬間、見たこともない残酷な光景に思わず胃の内容物が悲鳴をあげ、杉山は膝から崩れると、激しく嘔吐する。
「ぐ――――げぼっ!! がはっ!!」
 自らの意思とは裏腹に、空になった胃袋が何度も刺激される。刺激臭のする半液体状の嘔吐物がぶちまけられ、それでもなおむせび泣くように杉山は嘔吐を繰り返す。
 もはや何も出てこない口元から、唾液が粘っこく垂れる。
 あまりの苦しみに流れ出した涙と鼻水が、滂沱となって地面に注がれる。
「はぁっ……はぁっ……、くそっ」
 杉山は強く目を瞑り、全身全霊でふらつきながらも立ち上がる。
 眼下に広がる神野の死体。
 それを見ずとも、杉山の脳裏にはいくつもの考えが雪崩と化して押し寄せた。

 ――――何故だ?
 犯人は、神野のはずではなかったのか?
 最後に神野は、何を言おうとしていた?
 神野を殺したのは、一体誰だ?
 まさかとは思うが――――


 だが、そんな考えも束の間。





 "ぐしゃっ"、



 と、再び頭蓋の割れる音を曝したのは、"杉山"。
「ぐあっ……………………!!」
 空前の痛みに、頭を押さえて倒れこむ杉山。
 がたがたと震える指先の感触が、骨よりも若干柔らかくなっていた。視界が靄がかかったようにぼやけ、ものが二重にぶれて認識できなくなる。視界が、霞む。
「……………………」
 そんな杉山を無言で見下ろす一つの影。
 "彼"は神野の死体を踏みつけて歩くと、杉山のすぐ近くまでやってくる
「う…………クソ野郎が………………!!」
 力を振り絞って、精一杯の怒号を上げる杉山。
 そんな杉山の身体に、再び鉄棒が振り下ろされる。ぼきぼき、と、骨を無差別に砕いたような音を上げる杉山の身体。
「ぐああああっ!!」
 血を吐く思いで泣き叫ぶ杉山。視界は真っ赤に染まり始めて、聴覚はまともに機能せず、ただ、きぃんという耳鳴りのような音がひたすらに響いた。口の中には鉄の味が充満し、それによって再び嘔吐感に襲われたが、それすらも儘ならないまま杉山はただ叫び続けた。
「やべろ……やべでくれ!!」
 呂律の回らない舌で、普段とは似ても似つかない台詞を口にする。
 しかし、涙ながらの懇願は、冷酷な殺人犯には届かない。



 ひとつ、凶暴に空気が唸ると。












「ぐあああああああああああああああっ!!」


 杉山の身体は、動かなくなった。

     ○

 僕は翌朝、杉山さんと神野が無残に殺されてしまったと言う一報を聞いた。
 とうとう僕は、一人になってしまった。
『一人で捜査するのは大変な状況だ。俺も部下を連れて今からそっちに向かう』
「はい。お手数かけますが、よろしくお願いします」
『気にするな。お前も散々な目に遭っただろう。少し休め』
「はい……では」
 僕は受話器を静かに置くと、椅子の背にもたれる。
「だけど、まさか殺したのが神野だったとはなあ……」
 僕は誰もいない署の中で呟くと、眠るように目を瞑った。
 解決できようが無かったのだ。唯一の証言者が、殺人犯だったのだから。
 だから、解決手段は"一つしかなかった"。率直に言えば、迷宮入りにするにはそうするしかなかったのだろう。
 僕の推理によれば、神野さんが犯人であると言うことを杉山さんは見抜き、上手く誘い出したけれども結局は相打ちになってしまった。そういうことだろうな。
 それでもう、この事件は終わりだ。誰が来ようがもう、関係ない。
 僕は自販機で買った缶コーヒーを一口飲む。少し、甘い味がした。
「さて、これからどうするかな……」
 余談だけど、鑑識に聞いた話では殺された神野と杉山さんは、それぞれ"肝臓"と"肺"を根こそぎ持っていかれていたらしいということだ。両手両足、それと首を盗ったかと思えば、今度は内臓か。人造人間でも作る気なのかな、犯人は。
「とりあえず、気晴らしに外にでも出ようかな」

 僕ら山村警察署を襲った連続殺人事件は、犯人の神野刑事とそれを追った杉山刑事の相討ち、と言う結果で世間的には幕が下ろされることになった。
 だけど僕の胸の中では、その幕が下りることはきっとないだろう。
 これは絶対に忘れられない、いや、忘れてはいけない事件だ。
 僕はこれからも、この事件のことを忘れずに一人の刑事として奮闘していく。
 ――――そんな僕には今、一つだけ分かることがある。
















 次は、心臓だ。


       

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