Neetel Inside 文芸新都
表紙

春の文芸ミステリー企画
箱入り探偵/黒兎玖乃

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 桜の蕾のふくらみが春の訪れを告げている。
 麗らかな陽気の中、僕は本日の依頼人の元へとやってきた。
 依頼人という人を訪ねるという行動をする理由は、僕の職業が探偵という所に起因する。探偵といっても、難事件を易々と解き明かせるような名探偵じゃない。殺人とかそういう重苦しい事件よりかは、どちらかというと便利屋さんみたいな扱いだった。
 最近あった依頼といえば、脱走した犬を捕まえてくれと言う日常茶飯事。しかもそのオチが家の裏庭で熟睡していたと言うのだから、迷惑極まりない。でもまあ依頼料は貰えたので良しとする。
 そんなこんなで、僕は漫画の探偵のような境遇には全く陥らない探偵。のはずなんだけど。
 今日は一体、どんな事件が起こるのか。迷子の犬? 家出少女の捜索? はたまたストーカー退治?
 期待と不安の入り混じった思いを浮かべながら、僕はアパートの扉を開いた。
 そして、今に至る。
「どういうことなの、これ……」
 僕の斜め後ろでスピカが呟く。あんまり驚いていないみたいだ。つまり、こんな光景は今までに幾度と見てきたのだろう。気の毒には思わない。
「せ、説明してよミツ」
 スピカがそう要求する。と言われても僕も今ここに来たばかりだし。説明できるだけの脳味噌を持ち合わせているなら僕だって説明ぐらいはしたい。
 というわけで、スピカにその旨を伝える。
「ウグイスって法華経の信者だったりして」
「それはぐらかしたつもり?」
「うぐ」あっさりと論破された。僕だってどうしたらいいか良くわからない事態なんだから、あまり問い詰めないで欲しい。
「久しく見るけど、やっぱり気持ち悪いわね」
 スピカが女の子のように口を押さえる。いやー別にスピカが男の子ってわけじゃないんだけどさ。
 よくあるじゃないか。普段男の子勝りで闊歩してる女の子がゴキブリ見ると突然乙女に回帰しちゃうとか。心燃えるよね。
「僕はもう慣れたな」と冷静に言ってみる。本心? 『うえっ気持ち悪』
「……一応探偵なだけはあるわね、慣れてるなんて」
 いやー目の前にあるものに慣れてるって意味じゃないんだけどさ。男男した女の子に慣れていると言う意味であって、スピカが口にしたものに慣れているかどうかと聞かれたら僕は全力で否定する。いや、慣れてたまるか。僕は健全なパシフィストだ。
「とりあえずは、合掌と」しゃがみ込んで、両手を合わせる。
「それって意味あるの?」
 あると信じたい。少なくとも呪われないように。
 僕は立ち上がって、いかにも探偵らしく右手で顎を撫でる。
「気は進まないけど、調査を始めようかな」
 ハンチングを押さえて、辺りを見渡そうと首を「ひっ、人殺しだぁーっ!!」なに、人殺し? こんな辺境地にそんな物騒な奴がいると言うのか? 一体どんな奴だ?
 声がした方向、入り口扉の方を振り返ってみると、一人のご老体があんぐりと口を開けて立っていた。なんだろう。とりあえず挨拶ぐらいはした方がいいかな。
「どうも、お早うござい「人殺しぃーっ!!」だめだ、キャッチボールが成立しない。
 それより、あのご老体はさも目の前に人殺しがいるかのように叫んでいる。そんなに叫んでるとポックリ逝きますよ。
 しかしご老体が叫喚しているという事はすなわち、この部屋の中にまだ殺人鬼が潜んでいると言うことじゃないか……ここはなんという危険地帯!
 僕は慌てて、ご老体の視線をなぞってみる。
 …………………………
 ……あれ? どうしてだろう? ゴロウタイトメガアッタゾ?
「人殺しぃーっ!!」
 ああ、そういうことか。
「いや、僕は「お助けをーーーっ!!」キャッチボールならぬ遠投状態だ。
 しかもあろうことか、僕を人殺し呼ばわりしながら、ご老体は走り去ってしまった。
「わあ」その凄まじい俊敏さに思わず僕はびっくりする。ああびっくりした。
「ちょ、ミツ! あんた犯人呼ばわりされてなかった!?」
「ふぇ?」
 スピカが焦燥に駆られたような顔で僕を見上げる。そんなに焦って訊くもんだからマヌケな返事してしまったじゃないか。
「確かに、人殺し呼ばわりされてたね」
「マズイじゃん! 探偵あろうものが人殺し扱いされるなんて、もう弁解の余地は一ピコグラムもないわよ!」
 言い過ぎじゃない? というかそんな単位良く知ってるなあ。
「まあ、慌てるない。今オサムを呼んで持って行ってもらうから」
「……"あれ"ならこの部屋にもあるんじゃないの?」と、幾分落ち着いた様子のスピカ。
「あ、なるほど」
 確かにその通りだ。いくらこんなアパートと言えど、一つぐらいはあるかもしれない。なんて考えながら捜索する内に、見つかった。ちょっと小さいけど、大丈夫かな。
 僕はそれをゆっくりと、装着する。アーマメンツ完了! ……ってね。
「さて、始めよう」
 僕は眼下の死体を見下ろしながら、そう呟いた。


 話は何時間か前に溯る。

 僕はいつものように道端で春の暖かな陽射しに照らされ、まどろんでいた。この時期になると土曜の昼下がりという長閑な時間帯も相まって、誰もが素晴らしいくらいの睡魔に襲われるだろう。僕はその被害者の中でも致死レベルの重症じゃないかと思うくらい気持ちよく寝ていた。
 いつものように、広辞苑を枕代わりにしてスヤスヤ。これが至福の一時だ。地球温暖化万々歳。ああでも暑いのは嫌だな。程よく暖かいくらいを所望する。あ、でも温暖化って言うんだから、暑くはならないだろうね。そういえば地球寒冷化が始まったとか言うけど、そこは温暖化と対義させて地球冷涼化じゃないのか。
 何て戯言をこぼしながら、僕は今日もスヤスヤ眠る。
 頭上で法華経の信者が鳴き叫んでる。残念ながら僕は信者ではない。しいて言うなら時宗の踊念仏と言うものを学んでみたい。学ぶだけで行動に「ワンワン」は移さないけど、踊れると言うだけでそれには「ワンワンワンワンッ」価値があると言うものだ。何かさっきからワンワンうるさ……うおう。
 重い瞼を上げると、可愛らしい柴犬と目が合った。目の高さが同じだ。
「ワンワン」なんて可愛い犬だろう。僕は猫派なんだけど、こうして見るとなかなか犬もいいじゃないか。「ワンワン」つぶらな瞳でずっとこっちを見てる。やばい、愛着が湧いてきた。飼おうかな「ブシィッ」くしゃみされた唾が飛んできた臭い誰が犬なんて飼うもんか。
「しっしっ」僕は右手で軽く追い払「ガルルルルゥ」すごく威嚇された。僕は犬よりもヒエラルキーの低い生き物だったかな。
「ワンワンワンワンッ!!」
 犬が反復横とびみたいに駆けながら吠えている。そんなに威嚇しなくてもいいじゃないかこの野郎。この豚野郎!! …………あ、犬だった。
「…………」
 あれ、急に静かになった。もう気が済んだのかな? でもこっちに近付いてくる。
「シー」なになに、こちらに身体の側面を見せて片足を上げその中点及び膀胱と呼ばれし部位から春の陽光を浴びてきらきらと光る排泄物が僕の頭にぃぃぃぃ!!
「この犬公め、どっか行け!」「ワンワンッ!!」僕は精一杯の怒号を上げて犬を追い払う。
 やれやれ、ようやくどこかに行った。クソ犬め。生まれ変わっても犬にはならん。
 気を取り直して、僕は再び眠りにつく。頭が臭い。我慢する。しばらく経ってその匂いが母親の体臭と似ていることに気付き愕然としたのはあくまでも秘密だ。
 というわけで、どこかの馬の骨――――もとい犬の骨のせいでせっかくの春の情景が台無しになったので、気を取り直してもう一度描写する。
 こんな僕だけれども、動物は大好きです。

 僕はいつものように道端で春の暖かな陽射しに照らされ、まどろんでいた。この時期になると土曜の昼下がりという長閑な時間帯も相まって、誰もが素晴らしいくらいの睡魔に襲われる。僕はその被害者の中でも重症じゃないかと思うくらい気持ちよく寝ていた。
 今日も元気良く法華経の信者が鳴き叫んでる。残念ながら僕は信者ではない。しいて言うなら時宗の踊念仏と言うものを学んでみたい。学ぶだけで行動に「ねぇ」は移さないけど、踊れると言うだけでそれには「ねぇったら」価値があると言う「聞こえる?」あれ、なんだろう。なんだかデジャビュ。
「本当に寝てるの?」
 どうやら、気のせいではないらしい。確かに頭上から僕のことを呼ぶ声が聞こえる。
 くそ、TAKE2だと言うのにまた犬か。犬って人間語話せたっけ。まあいいや。
「犬にはもうこりごリンパ腺!!」
 僕は広辞苑を掲げて声高々に言い放つ。同時に、曲げていた膝を真っ直ぐに伸ばして刹那の速度で屹立する。僕の秀逸な洒落とこの動きには、犬コロも驚いて逃げざるを得ないだろう。
「あ、なんだ起きてたんだ」
 ……なんと、犬は全く歯牙にもかけずに喋っている。くそう、どんなに肝っ玉の強い犬なんだ。しかも人間語を喋るときた。人面犬か? それとも犬の身体を持つ人間……犬体人か?
 僕は恐る恐る、目線を下にずらす。すると、そこには。
 予想していたより遥かに可愛い犬が立っていた。
「全く、起きてるんだったら返事くらいしなさい」
「じ、人面犬…………」
 少なくとも、犬体人ではなかった。
 フリルのついたピンクの半袖を着ていて、紺のジーンズのようなものを穿いている。随分とハイカラな犬だなあ、とか言うと古臭いと言われるので考えなかったことにしよう。
 犬にしては珍しく、腕に毛が生えていない。つるりと滑らかで柔らかな肌色を呈していて、実に人間らしい犬なんだなあと僕は感嘆した。
「何よ、人面犬って。あたしのこと言ってんの?」
「無論」
「デリカシーの欠片もない人ね」
 失礼な。僕にだって大荷物を持って横断歩道を渡るご老体が事故に遭わないようにコーヒー片手に見守るくらいの優しさはある。
 そう、見守るだけ。
「あんた、何者?」
 犬が膝に手を突いて訊いてくる。頭から垂れた茶のロングヘアーが眩しい。
「人に名前を聞くのなら、まず自分が名乗るってのが合法じゃないかな」
「……合法の意味分かって使ってる?」
 え? 道理に合ってるとかそういう意味じゃないの?
「はぁ、まあいいわ。私の名前は花谷。花谷ユイリ」
「はなや、ねぇ」犬にしては綺麗な名前だ。
「あら、あんたは『花屋』ってイントネーションじゃないのね! 久々にちゃんと苗字を呼んでもらえて嬉しいわー」
「で、どこの野原家の犬?」
「前言撤回。しかも野原家限定かい」
「僕の法則には『犬といえば野原家』というものがある。これは絶対だ」
「アンタ馬鹿じゃないの?」
「馬鹿とは失礼な! 僕はこれでも探偵だ!」
 僕が少し声を荒げると、犬は驚いたような顔をして、直ぐに哀れむような表情になった。
「探偵って、道端に座り込んで寝てるの?」
 ホームレスみたいに言うのはやめて欲しい。
「何を言う、今日は偶々陽気な日でこうして寝ていただけなんだ」
「漫画でもせめて芝生の上とかで寝るでしょ……」
 犬が呆れたように溜め息をつく。そういえばまだ犬の名前を聞いていなかったな。
「お犬、名前は?」
「この辺りには犬は見当たりませんが」
「な、何だと!?」ということは……まさか。
「君はまさか人間なのかっ!?」
「今の今まで犬だと思ってたのあんた!?」

     ○

「僕の名前はチャールズ・オマヌーケ・ドンゴン。通りすがりの仮面ライダーだ」
「ぶっ飛ばすわよ?」
「僕の名前は佐久間ミツルギで職業は私立探偵でございます」
 軽い脅迫を受けた気がするんだけど、気のせい気のせい。
「それで? どうしてその探偵さんがこんな所でくたばってるの?」
「ふふふ、良くぞ聞いてくれた」
「それくらいしか聞くことないけどね」
 そんなことないだろう。好きな熊は何熊とか、動物に例えるならどんな犬かとか。
 まあともかく。
「今日はまだ"装備"が到着していないから。ここで待ち合わせしているんだ」
「装備?」
 犬……じゃなくて人間のユイリ(そう呼ぶように言われた。だけど実際はそう呼ぶつもりはない。楽しみにしておけ)が首を傾げる。
「そう。僕は数多とある私立探偵の中でも珍しい、装備品がなければ最前線で戦えない貴重な探偵なんだ」
「つまり役立たずってことね」
「つまるところそういうことですねそうですね」
 自分で言うのは哀しいけど、事実だから認めざるを得ない。僕は一応、少しは名の売れた探偵だと思っているのだけれど、現実は甘くない。現にこうして僕のことを知らない少女が目の前に立っているわけだし、道端で「あの、探偵の佐久間ミツルギさんですか?」なんて声をかけられたこともない。出待ちなんて言うまでもない。
 雲から見え隠れする紫外線を遮るようにハンチングを被り直して、話題を変えるためにちょっと辺りを見渡してみる。大事件も何も起こらなそうな住宅街の一角で、一組の男女が向き合って話している。柔らかい陽射し、ほっこりとした空気、そよそよとなびく塀の奥の庭木。
 なんだろう。事件性と言うものを微塵にも感じない。春だから、か。
「ところで探偵佐久間とやら」
 少女ユイリが不敵そうに話しかけてくる。何か企んでる顔だ。
「ん、ミツルギでいいよ」
 僕は苗字で呼ばれることをあまり好まない。何でかと言うと…………まあ、おいおい話すとしよう。ともかく、知り合った人には名前で呼んでくれるようにいつも諭している。
「じゃあミツ、今日は依頼とかは引き受けていないの?」
「ん」
 人のことを蜂蜜みたいに呼んだ上に、核心に迫る質問をしなすった。
「まあ、今日はゆっくりと休日を満喫する予定でね」
「なんだ、つまんないの」
 本当はここ一週間まともに依頼を受けてないなんて口が裂けても言えない。口裂け男ってのもナンセンスだ。御免被りたい。
「つまんないって、事件にでも遭遇したかったのん?」
「平たく言えばそうなるわね。退屈なのよ、あたし」
 僕が居る方と反対側のブロック塀にもたれながら、ユイリは不満をこぼすように言う。
「何か、面白いことでも起こらないかなーって。それで、ミツがその一発目」
「おいおい、僕は面白人間なのかい」
「どうせいっつもそんな感じでしょ?」
「ぐふぅ」
 分かっているとは思うけど、僕と彼女は初対面だ。僕も彼女も、恐らく人懐っこいというのがあるのだろうけど、それにしてもまるで数年来の友人のようだ。
 なんて、考えてるうちにだ。
「……っと、そろそろかな」
「へ? 何が?」
「言っただろう、僕の装備品であり命だよ」
 もうすぐオサムが持ってきてくれるはずだ。メール返信の時間からして、あと三秒くら
「おーい! 遅くなって悪いなミツ!」
 三秒と言うだけあって、考えている途中でやってきた。
「おーおーオサムシ。毎度毎度お疲れでございます」
「そのオサムシってのやめないか」
「む? かの有名な漫画家の好きな虫だと呼ばれているんだぞ? 光栄じゃないか」
「それならオサムのままでいいと思うのは世界中で俺だけか」
 右肩にダンボールを抱え、白のTシャツに破れジーンズというラフな格好でやってきたのは、僕の数年来の友人である蝶野オサム、別名オサムシだ。
 彼は高校時代の唯一無二といってもいい友人で、今は引っ越し業者に勤めている。僕も現在のアパートに引っ越した際は世話になったものだ。引っ越し業者と言う主が肉体労働の仕事だけあって、彼の筋肉は半端ない。しかし表面上にはあまり筋肉が見えず、いわゆる俗に言う「隠れ筋肉」状態だ。ちなみに高校時代はボクシング部で、苦難の末プロボクサーライセンスを所有したらしい。
 そんな彼が僕の世話役であり、"運搬役"だ。
 人助けが好きな性格のオサムシと言うことで、文句一つ言わずにこなしてくれる。
「お前もいい加減自分で移動したらどうなんだ? 身体に悪いぞ」
 そう、文句一つ言わずに。
「……な、なに、探偵稼業のときだけじゃないか」
「まあ、そうなんだけどな」
 オサムシは口元に微笑を浮かべ、担いでいたダンボールを地面に降ろす。
「オサムシ? 何それ、本当の名前なの?」
 すかさず反応するユイリ。初対面相手に慣れ慣れしいったらありゃしない。
「うんにゃ、こいつがつけたあだ名ってやつだ。オサムだからオサムシ。ただそれだけの話さ」
「ふぅん、まあいいや。よろしくねオサムシ」
「ん? ああ、よろしくな」
 さも数年来の友人が会話するように二人はやり取りする。僕の身の回りには僕含め人懐っこい人ばかりなのだろうか。空気が重苦しくはならないので、それはそれで楽だけど。
 にしてもオサムシ、年が十程度離れた相手に呼ばれても抵抗を感じないとは。
「さすがオサムシ、僕の目に狂いは」ブルルルルッ「おひょう」
 突然胸元に入れていた携帯端末のバイブレーションが作動して、不覚にも僕はなさけない鳴き声を上げてしまった。まずい、聞かれちゃったかな。
「ミツと出会ったきっかけって何なの?」
「それは、あいつが高校二年生のときに……」
 よかった、聞こえてないみたいだ。
 大丈夫。僕はこの程度で目から汗が出るほど人間的に未完成じゃない。
 でも、目の前にいる人を「あいつ」って呼ぶのはやめないか。
 僕はいつだってそうだった。目の前にいるのに「あいつはどこにいるんだ」呼ばわりでもううんざり。僕の存在価値はそこまで希薄なのか。それだから僕のヒエラルキーは犬以下にまで成り下がってしまったのか。どうしてくれよう、この悲しみ。くっそ、穴があったら埋め立ててやりたい。
 閑話休題。今はそんな事言ってる場合じゃなかった。
「バイブレーションってことは、仕事の依頼かな」
「なになに? お仕事やってきたの?」
 ユイリが僕の携帯を覗き込むように見る。独り言じゃないかと疑うくらい小さな声で発したつもりだったのに聞こえているとは、なんという地獄耳。
 事件が好きみたいなこと言ってた=事件が起きるのを待っていたから、気付いたのかな。だとしたら僕の感嘆には全くもって興味がなかったと言うことかアハハ…………あれ、目から汗が……。
 気を取り直して携帯のメール画面を開く。
 指定外Eメール着信、すなわち「依頼」ボックスの中にはお手紙が一つ。読まずに食べるようなことはせず早速メール本文を開いて、依頼内容を確認。

『探偵 佐久間様へ。ある事件を解決していただきたく、送信します。
 詳しいことはまだ言えません。とにかく私のアパート「三枝荘」の三〇二号室にてお話します。
 身勝手な依頼ではありますが、なにとぞよろしくお願いいたします』

「見るからに怪しい匂いぷんぷんね。こりゃ楽しみ」
 他人事みたいに、ユイリが笑う。いや他人事なんだけどさ。
 ユイリ…………うーん、何てあだ名にしようか……
「そんなに怪しいメールかな?」
「うん。乙女心をくすぐるいいメール文だわ」
「えー」どこに乙女心をくすぐる要素があると言うんだ。
 ……あ、いや、だがそれをいただこう。
「よし、決めた」
「ん、この依頼を受けるってこと?」
「それもあるし、ユイリのあだ名も決定だ」
「へ? あたしの?」
 僕はオサムシが地面に置いたダンボールを抱えると、立ち上がる。
 まるで中身が入ってないようにやけに軽いけど、全くもって構わない。
「そう。ユイリのあだ名は、『スピカ』だ」
「すぴか? 何それ、どういう意味?」
 口元に指を当ててユイリ、もといスピカが訊く。
 今は関係ないことだけど、こういうふと見せる仕草ってずるいと思う。
 だから、ちょっと意地悪するのだ。
「……さあね、自分で調べてごらん」
「むー。ケチ! ミツのアルティメットドケチ!」
 スーパーを超越してアルティメットと来たかこの野郎。
「ミツ。急がなくていいのか? 特に時間指定されてないようだが、早く行くにこしたことはないだろ」
「ん、ああ、そうだね。ということは、オサムシが"運搬"してくれるわけ?」
「まっ、そうするしかないだろーなー」
 ふぅ、と溜め息をついてオサムシが肩を竦める。
「だとしたら、一刻も早く"装着"しないとね」
「装着って、だからそれは一体何なのよ」
「まあ見てなって」
 僕はそうとだけ答えると、徐にダンボールに貼り付けられてあるガムテープをびりびりと剥がす。びりびりというかはばりばりで、ガムテープには僅かにダンボールの繊維が付着していた。そしてゆっくりと、ダンボールの蓋…………俗に「フラップ」という呼称で知られる部位を開く。暗がりとなっていた中身が、段々と露になっていく。
「え? これ、って……」
 茫然と呟くスピカを後ろに、僕はダンボールの内容を全て明らかにする。
 その、注目の中身とは!








 空っぽ。
 あるのは、ダンボール紙の放つ芳醇なかほり。

「何にも入ってないじゃない! わけわかんないわよ!」
「まあ落ち着きたまえスピカ君」
 僕は頭を抱えて思い悩むスピカを宥めると、探偵っぽく右手で顎を撫でる。
「これが僕の……標準装備だッ!!」

 直後。
 僕は勢い良く垂直ジャンプを繰り出し、後方二回宙返り一回捻り下りを適当に繰り出したような、まあ要するに空中でもんどりうつようにしてダイブする。
 着陸地点は勿論――――――――"段ボール箱の、中"。
「え…………」
 僕は身を翻して、元々向いていた方向とは逆、すなわちスピカと向き合う状態になり、すかさず両手をがっちりと握り合うとそこに出来た円状の空間に足を折りたたんで突っ込んだ。いわゆる「体育座り」。そして現在位置によりと目測の落下位置を想定し、安全かつ迅速に着地できるよう微調整する。ちなみにこの間僅かコンマ四秒。いつもはコンマ二秒で繰り出しているだけあって、若干の遅延が悔やまれる。
 そして地上より跳ね上がってから約一秒後。
 僕はすっぽりとダンボールの中へ収まり、体育座りでスピカと対面する。
「……………………」
 あんぐりと口を開けて僕を見下ろすスピカ。
 訪れる沈黙。
 法華経信者の金切り声。
 暖かい春の陽光。
 ここで情景描写をした理由は一つとしてない。
「何それぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 ですよねー、それが当然ですよねー。
「何がなんだか分からないと思うけど、改めまして」
 僕はハンチングを軽く調えると、スピカの顔を見て笑う。

「僕の名前は佐久間ミツルギ。箱入り探偵と呼ばれている」

     ○

「以下省略」
「いやわけわかんない」
 そして今、死体と向き合う立場に陥ったのだ。ちょっと時間を超越しすぎたので、要約する。
 あのあとオサムシは上司からの連絡を受け、急な仕事と断って飛び出していった。運搬役がいなくなったので、僕は仕方なくダンボールを置き去りにして、依頼主のいるアパートへとやって来た。そしたらそこがスピカの住むアパートと言うもんだからびっくり。早速三〇二号室へと突撃すると死体発見。ご老体が叫びながら逃げて、現在。実に分かりやすい。
 って、余裕ぶっこいてる場合じゃなかった。僕は犯人扱いされてるんだっけ。
「いつ警察が来てもおかしくないな」
「だから逃げようって言ったのに、聞いてなかったの!?」
「一応探偵だから、逃げるわけにはいかないね」
 そんな僕の言葉に、スピカが呆れた溜め息をつく。そんなに溜め息ついてるとすぐおばさんになっちゃうよ。
「さて、仏様はどうなってるかな……と」
 ダンボールから手を出して、スキーのストックのように腕を動かして移動する。
 勿論現在は、この部屋で見つけた段ボール箱の中に座っている。ちょっときつい。あとグルアーの補強があまりされていないので…………ああグルアーってのは糊付け部分のことね。そこが弱い。少し気を抜くと壊れそうだから、注意しないと。
 それよりも、今は被害状況の確認だ。
「えっと、彼は本当に死んでるのかな」
 見た目、とても殺されたようには見えない。両手を胸の前で組んでいて、目はまるで眠っているかのように閉じられている。いや、きっと永眠してらっしゃるのだけれど。
 死因は単純、右胸を思い切り刺した痕がある。周囲に飛び散った血痕からしても、バタフライナイフのような刃物で刺し殺したと言うことで間違いはないだろう。だけどどうして、左胸を刺さなかったんだろう。
 服に皴はあまり見られず、犯人と揉み合った形跡は見られない。寝こみを襲われたか、それともいきなりのことで抵抗できなかったのか。どっちにしろ、犯人は卑怯な手段を使ったもんだ。
 まとめると、死因は刺殺。抵抗はなし。
「さてさてーっと」
 次に調べるのは、被害者が残したダイイングメッセージだ。胸の前で手を合わせていられただけの余裕があったなら、何かしら証拠を残していてもおかしくはない。
 その時、僕は彼の背中と畳の間から何かが顔をのぞかせているのを見つけた。
 薄さからして、何かの紙のようだ。
「……何だろうか」
 手にとって調べてみる。手の平に収まる程度の大きさで、数字とその数と同数のクラブ模様が描かれている。
 これって……トランプじゃないか。

「何処の誰だ!! こんな昼間っから人を殺したっつう野郎はぁ!!」
「うおっ」
 背中から浴びせられた声で、僕はちょっと縮み上がってしまった。
 急いで振り返る…………ことは出来ないので肩越しに首だけ振り向くと、見るからに厳つい顔をした紺のスーツ姿の男性がこちらを睨み、唸っている。
 というのがお約束。現実は違う。
「なんだよこんな昼間から殺しって……どこのどいつだ」
 寝ぼけ眼をこすりながら現れたのは、ボタンを掛け違えたワイシャツに、明らかに今アイロンかけましたーという雰囲気抜群の茶色いスーツ。おばあちゃんの顔のようにしわしわのスラックス。そっちもアイロンかければいいのに。
 どう見ても刑事には見えない男が、気だるそうに現れた。
「まったく、おちおち寝られやしねぇ」
 男がゆっくりと瞼を上げる。寝られやしないって、もう昼やがな。
 ……あれ、なんだろう。この顔、どこかで見たことある気が。
「あれ? お前、佐久間じゃないか?」
「……ハテ、ドチラサマデショウカ?」
 機械調に返事する。二重瞼に茶色の短髪。やっぱりどこかで見た気がする。
「その言い草は間違いない、佐久間だな。俺はほら、高校時代の学級委員の今井」
「あーあーあー覚えてるとも」そうだったけな、思い出せない。
「本当に覚えてるのか? ……ったく」
 そう愚痴ると、かの今井君は玄関に丁寧に靴を並べて、僕の方に歩み寄ってきた。
「んで、お前はここで何してるんだ」
 そう言って表情を剣幕に切り替え、口元を結ぶ。
「いや、ちょっとした見物だよ」
 答えるまでの沈黙がちょっと怖かった。こんなに怖い人だったかな。
「まあお前は置いとくとして……隣の少女、君に用がある」
「へ? あたし?」
 直後、間抜けた返事を返すスピカの腕を、今井君が右手で手繰り寄せた。
「君はこのアパートの住人、花谷ユイリだな?」
「だ、だったら何なのよ」
 片腕の自由を奪われながらも、剣呑な顔で今井君を睨みつけるスピカ。
 ……あれ? なんだか嫌な予感がする。
「なら、君は重要参考人、もとい"容疑者"となりえる。ちょっと署まで同行してもらおうか」
「ええええええ!?」
 やっぱりか。
 って、呑気に言ってる場合じゃないな。
「ちょ、ちょっと待て。スピカは僕と同行していたんだぞ? 彼女に殺せるわけがないだろう」
「……よく見てみろ。そこの床に飛び散ってる血痕は、既に黒く染まってる。お前らがここへ来たのはついさっきのことだろう? お前がこの花谷と同行していたっていう具体的な証拠がなけりゃ、署まで来てもらうってのは当然のことだ」
「いや、しかし……」
「口論じゃ証拠にも何にもなんねえ。直に俺が呼んだ応援が着く…………だから俺はもう行くぞ」
「あっ、ちょっ、こら、何であたしがぁぁ!?」
 今井君はスピカをひょいと右肩に担ぐと、左手にスピカの靴を持って、自分の靴を履いた。
 そして、
「悪く思うなよ、佐久間。俺は刑事だ」
 それだけ告げて、颯爽と走って行ってしまった。

 残されたのは、ダンボールに縮こまる探偵が一人と死体が一人。
 あまりにも展開が速すぎて思考が追いつかなかったけど、時間的なアリバイのないスピカが同じアパートの住居人として事情聴取を受ける、といった所だろうか。
 それだけだと問題はないんだけど、もしも犯人に仕立て上げられたりしちゃったら、どうしよう。
 いや確かにスピカはまだ知り合って間もない少女だけどさ、何も罪のない人が自白を強要されるって道理に合ってないじゃないか。僕は一応探偵の端くれであるから、そういう事は気にするクチだ。
「でも、一体どうしようか……」
 目立った打開策が見当たらない。
 僕も署まで行って、涙ながらの懇願で解放してもらおうか。いや、そんなドラマチックなことが通用するほど現実は甘くない。
 なら怪盗の如く署に忍び込んで見事スピカを取り戻してみせようか。
 うん、出来る気がしない。
「と、すると」
 やっぱり、そうなってしまうのかな。
「真犯人を暴き出す……しかないか」

 一生懸命唸った結果、その結論までたどり着いた時にはアパートの前でパトカーのサイレンがけたたましく鳴っていた。


「あなたが着いた時、部屋には既に死体が?」
「ええそうですが」
「その時、周囲に怪しい人物などは?」
「一心不乱に叫ぶご老体がいました」
「あなたのアリバイは?」
「だから来たら死んでたって言ったじゃないですか」
「被害者との関係は?」
「同じ日本人としてこの日本で暮らしていました」
 新品っぽい制服が輝く刑事の質問攻めに遭いながら、僕は必死に思考をめぐらす。
 ああ、もちろんダンボール装着状態でね。
 詳しく見ることは出来なかったけど、死体の背中、つまり死体と床の間に何枚かのトランプカードがばら撒かれているように見えた。手に取れたのは一枚だけど、他にもいくつか同じような模様が施された紙の端っこが見えた。
 ダイイングメッセージか、と一瞬考えたりもしたけれど、僕が手に取ったトランプに何もメッセージらしきことが書かれていないところからすると、ダイイングメッセージの可能性は薄くなる。とすると、死んだときの衝撃でばら撒かれたのか。……でもそう考えると、背中で隠すようにばら撒かれてるってのは違和感があるな。身体の上に散らばっているなら別だけど。
 となると現場の状況からして、見掛けは大した意味はないけれど実は重要なダイイングメッセージである、と言う可能性が濃厚かな。
「それでも、全く意味は分からないけど」
 僕が取ったカードは「クラブの3」だった。それが何を意味しているかなんてわかるわけがない。
 せめて、散らばっている残りのカードをそのままの状態で見ることが出来たなら。
『このトランプ、どうする?』
『さあ。大した意味もなさそうですし、捨てておきましょうか』
 死ね警察。
 ……いけない、言葉が荒すぎた。
「ちょっと待てお前達。それは重要な証拠品だ、とっておけ」
「「あ、はい。わかりました」」
 僕の背後で響いた声に促され、新米らしい彼らはそそくさとパトカーの方へ走っていった。
「まーだいたのか佐久間」
「おかげさまで大絶賛滞在中」
 声の主は、僕の頭に手を置く今井君。
「心配するな。あの子はすぐに解放されるだろう」
 まだ何も言っていないのに、今井君が勝手に結論を話した。いや確かにそれが聞きたい事ではあったんだけれども、唐突過ぎる。読心かな?
 にしても。
「トランプ、そのままの状態にはしてないんだね」
「ん? ああ、あそこの馬鹿二人が勝手に回収しちまったみたいだな。大丈夫、写真ならちゃんと撮ってある」
 今井君が親指で白の軽自動車を指す。あれに鑑識とかそういう人が乗ってるのか。なんだか現実はイメージよりも大分劣っているなあ。
「出来れば現物見たかったんだけど」
「……どうしてお前が見ようと思ったんだ」
「いやあ、僕は探偵だから」
「へぇ…………」
 不審そうな目で僕を見る。不審と言うより、不信に近い気が。
 だけどすぐに僕から視線を離して、今井君は頭をぽりぽりと掻いた。
「だったら少しは協力してくれないか」
「え」何つった、今。
「お前も知っての通りここは田舎の中の田舎、言うなりゃキングオブ田舎ってところだ。署の連中はこんな辺境まで出向くのが嫌なのかなんだか知らねえが、あろうことか偶々駐在所にいた俺とあそこの二人、それと少しの鑑識だけを派遣しやがった。だから人手が足りない。分かるか?」
 いや僕だって犬じゃないから人間語は分かるけどさ。
「そんな漫画チックな展開になっていいのか?」
「俺は漫画は読まない主義だ」
 問題はそこじゃない。
「そうじゃなくて、僕みたいな素性の知れない探偵に協力を求めてもいいのか?」
「人手が足りないんだから、当たり前だろう」
 胸の前で腕組みしながら、今井君は強かに言い放つ。
「そもそもまだお前に対する疑いだって晴れてないんだ。だからお前の身の潔白を証明するためにも、捜査への協力は自然だと思うんだが」
「なるほどね」その打開策があったか。
「もしくは、お前は容疑者ではないという決定的な証拠でも示す、のどっちかだ」
 今井君は手を突き出して、人差し指、中指と順に指を立てる。
 そんなの、選択肢ですらないじゃないか。
「どっちも同じことだろう? 結局僕が犯人じゃないと言う証拠を示すためには事件の真犯人を暴き出さざるを得ない。つまり、どっちにしろ君は僕に協力を求めている。違うかな」
「ほぅ、探偵を名乗ってるだけはあるな。よく頭が回るじゃないか」
 驚いた顔で今井君は笑う。こんなの初歩的なものだと思うんだけど。
 ふと空を見れば、さっきまであれほど照っていた太陽が雲に覆われそうになっていた。
 ……僕もあんなふうにならなければいいな。

     

「被害者の名前は京豆腐進。挙動不審なことで有名な奴だ」
「警察とあろう者がふざけていいのか?」
「……被害者は上沼章介。事前に調べた結果、碧陽大学の三年生だと判明した」
「明らかに今そこのレポート用紙見てから言ったよね」
「田舎だからいいんだよ」
「田舎だからいいのか」
 それは田舎者に対する冒涜と受け止めてもいいのだろうか。
「死因は……もう見るまでもないな。刺殺だ」
 ブルーシートの中を覗き込もうとしながらそう呟く。
「バタフライナイフで、心臓をさっくりと?」
「ちょい違うな。ほら、見てみろ」
 彼がブルーシートをめくると、死体の上半身だけが見えた。
 当たり前だけどその顔にもう血の気はなく、賞味期限が一年程度過ぎた卵のような匂いが嗅覚を埋め尽くした。
 鼻をつまみながら死体をまじまじと眺めてみる。ほほう、なるほど。
「刺されているのは、右胸なんだね」
「そう。だから、犯人は殺す気はなかったのかもしれない」
 今井君は顎に手を当てながら頷く。
 となると、どことなく共通点が見えてきそうだ。争った形跡のない死体。即死させるには相応しくない右胸の刺し傷。まず一つ考えられるのが、
「自殺もありえなくはないな」
「ああ……俺も今それを考えていた」
 今井君…………なんかこう呼ぶの面倒くさいな。突然だがここで彼のニックネームシンキングタイムへと勝手にダイブしよう。
 フルネームは今井薫と言ったかな。イマイカオル。カヲル? まあどっちでもいいや。
 髪は短髪で結構ガタイも良さそうだけど底までムキムキってわけでもなさそう。隠れマッチョってものかな。現代の言葉で言うと細マッチョと言うのが正しい。よくよく見ると見覚えのある顔だった。委員長やってたってのは冗談じゃなかったんだな。
 目つきは鋭くも人柄の良さそうな印象が窺える。よく漫画にもいる「無口で目つきは怖いけど本当は凄く優しいお兄さん」的な位置づけだと思う。共通するのは目つきだけなんだけどね。
 イマイカオル…………か。略してイマカオ。
 マカオ。マカオには行ったことないけど上海なら行ったことがある。
 カカオ。確かに髪も茶髪でそれっぽいけど、そんな可愛い名前をつけてよい風貌には見えない。
 イマル。これは既出か。
 イオ。名前かどうかも怪しくなってきた。
 名前のこじつけは難しそうだから、適当なインスピレーションでつけよう。彼の胸ポケットから見えているのは…………そうか。よしそれをいただこう。
「なあ、不利助(フリスケ)」
「……………………」
 あれ、おかしいな。返事がない。何か考え事でもしてるのかな?
「不利助ってば」
「………………は?」
 ぽかん、と口を開けたまま不利助が答える。
「どうしたんだい、不利助」
「……その不利助ってのは、俺のことか?」
「無論」
「色々と待てやコラ」
 不利助が僕の胸元を掴む。何か気に入らないことでもあったのかな。
 ちなみに胸元を掴んでいるといっても、参考までに僕はダンボールの中である。さぞかしシュールな光景なんだろうな。
「何操作中に人にあだ名付けてんだ」
 おいおい、そんな剣呑な眼差しを向けてこなくてもいいじゃないか。
「いやあ、呼びやすいほうがいいだろう? 今井君とかじゃなくて」
「今井でいいんじゃねえのか」
「あいにく僕は人の苗字は恥ずかしくて呼べない主義でね」
「嘘つけ」
 嘘じゃない。話したくないからそこのところは少々割愛するけど…………れっきとした理由がある。僕が他人を苗字で呼ばないことにはね。
「……まあいい。それよりも事件の話だ」
 なんだかんだ言って、僕がそう呼ぶことを不利助は承認してくれた。やっぱり心は優しい奴なんだろうな。
「今のところ挙がっている容疑者は四人。まずはお前の連れの花谷だ」
「いやだから彼女は」
「分かってる。言ってみただけだ」
 不利助がくつくつと笑う。くそう、人の立場を知って嘲笑っているな。
「残りの三人は同じくこのアパートの住人で、大学も一緒みたいだな」
「あ、そうなんだ。他に住人はいないのん?」
「六部屋あって、そのうちの二つは空いているから間違いないだろう」
「ふぅん」漫画とかだと意外とそういう思い込みが盲点だったりするんだよね。
「んじゃ、容疑者の詳細確認と行くぞ」
「ほいほーい」
「……………………」
「……………………どうしたの? ほら早く」
「いや、早くって……俺にどうしろと」
「運んでくれ」
「冗談じゃねえ」
 そんな事言われても、僕は大事にされている方じゃない箱入り探偵だ。ダンボールと言う強靭な味方がいなければ十二分に力を発揮することができない。もっとも、現在身を潜めているこの段ボール箱も、僕の身体には少々釣り合わない。やはり僕の入る段ボール箱はオサムシの用意してくれるダンボールみかん箱(A式)No.10が相応しい。
 ま、そこのところはダブルで大丈夫だ。僕の計算にぬかりはない。
「どうやって移動すんだよ……」
「まあ待ちなって」
 僕の連絡した時刻は約五分前だ。となるともうすぐ……

「待たせたなミツ……ってあれ? 警察の方?」
「む、お前は誰だ?」
 丁度玄関で靴を履いていた不利助と、思い切り扉を開けたオサムシとが対面する。
「あ、どうもミツがお世話になっております。彼の世話役の蝶野修です」
「ああこちらこそ、刑事の今井薫です」
 軽い挨拶を交わす二人。
 とりあえず僕にはあまり関係ないことなので、事件に集中してみる。

 ここ、被害者の部屋は二階の中央部屋。このアパートは一階ごとに三部屋、合計二階建てで三部屋は横一直線に並んでいる。部屋同士の距離なんてものは分からないけど、外から見る限りでは扉の間隔は三メートルほどあったと思う。結構広い、のかな。
 壁は防音なんだろうか、昼間からこれだけ僕らが騒いでも苦情の一つ来ない。隣の部屋からも何も聞こえてこないし、これなら人を殺しても隣の住人には気付かれないだろう。ああ末恐ろしいくわばらくわばら。
 で、死体の周辺状況。
 再三言うけど、死体の死因は刺殺。右胸を思い切り刺されているので、つまるところ大量出血の欠乏性ショックだろう。でも、それにしては出血量が少ない。もっと派手に飛散していてもおかしくないんだけど、この部屋に飛び散っている血は割合少なく見える。犯人が拭き取ったんだろうか?
 死体に抵抗の跡はない。これも既出。ショック死としては思わしくない。
 ちなみにこの部屋の作り自体は簡素なもので、玄関から細い廊下を進むと、八畳ほどのスペースがが一つあるだけ。廊下の横には備え付けの流しとコンロがある。そして部屋の隅、廊下からは見えないところにトイレと風呂場が一体になった場所がある。典型的な一人暮らし部屋だ。
 被害者の部屋には窓際にシングルベッド、部屋の中央に小さめのテーブル……というよりちゃぶ台に近いテーブル……要するに脚の短い丸テーブルがある。壁際には本棚と食器棚が、反対側の壁際には学習机にも見える机に紺のデスクトップパソコンが乗っている。このまま引っ越し業者の広告にも使えそうな、まさに一般的であり理想的な部屋だ。僕も住んでみたいな。
 テーブルの上には、大皿が三枚に、油のついた皿とガラスのコップとが四つずつ。恐らく友人と一緒に飲み会的なことでもしたんだろう。となると一緒に飲んだ友人と言うのは先に挙げられた三人かな。それなら辻褄が合う。よし、段々事件の全貌が見えてきたぞ。
 皿には特に変わった様子はない。肉類や揚げ物類ばっかり食べたんだろう、油だらけだ。コップは二つが乾いていて、二つだけは何故かまだ中に水滴がついていた。
「ふぅむ」
 皿は四人分取り皿のように分けられているのに、コップについている水滴はその半分の二人分。残りの二人が飲み物を飲まなかったのかもしれないけど、にしては不自然だ。
 視線を本棚に移す。「環境学論」「人の見方育て方」「トランプの遊び方」…………なんともつりあいの取れてない並び方だ。といっても目についたのを挙げてみただけなので、実際は本の高さごとに分けられてあって、見た目が途轍もなく美しい。随分と難しい本を読んでいる。僕には無理な話。
 あと、その中でも「トランプの遊び方」が最も目を引いた。理由は言うまでもない。
「ああ、こんなことになるなら残しておいてくれれば良かったのに……」
 トランプを処分してしまった二人の新米刑事を肉塊にしてやりたい。あ、でも写真と証拠品ならとってあると言ったかな。現場での状況そのままを見られないとしても、証拠品自体を見られることは強力な味方だ。あとで不利助に頼んでみよう。それはそうと、「トランプの遊び方」だけものすごく読み込んだように背の題字が色褪せている。実は「トランプの遊び方」という本は僕も持っている。遊び方というよりは、どちらかというとトランプの歴史を語る本に近い。遊び方は最後の方で確か三つほど触れられていた。ええと…………「ポーカー」「大富豪」「ババ抜き」の三つだったかな。
 食器棚の方は特に問題はない。別に食器が頭に落ちて死んだとかマヌケな話じゃないだろうし、棚には閂のような軽い鍵がかけられている。うっかり開くなんてことは地震でも起こらない限り無いだろう。一人用にしては多めの食器。陶磁器かな? 有田焼とかその辺りはよく分からないけど、高級そうだ。
 振り返って、パソコン。振り返るといっても、ダンボールを一八〇度回転させないといけないわけだから結構面倒くさい。
 パソコンの乗ってある机の少し下には、引き出し型のスペースにキーボード。パソコン自体は最近のものみたいで、僕がつい最近まで使っていたブラウン管のようなディスプレイじゃない。パソコンには疎いので良く分からないけど、XPとかインテエルインシデとか書いてある。インサイドかな? 立ち上がってパソコンを立ち上げてみる。いや別に洒落たわけじゃないよアハハ…………って電源がつかない。パソコンの背面をよく見るとケーブルみたいなものが断ち切られている。これは作為的なものに違いないだろう。ということは、このパソコンの中には決定的な証拠でもあるのかな。パソコンは良く分からないから、不利助に任せよう。
 で、死体が横たわるベッド。再度合掌してから覗き込む。ふかふかの羽毛布団みたいだ。気持ちよさそう。血が飛び散っているので今は気持ち良さそうには見えない。げろげろ。それにしても、出血の量が少ない。死体の右胸から丁度同心円状のように飛び散っているので、確かに刺されたときの出血だとは思うんだけど、違和感がある。あと刺殺にしては表側、つまりベッドと接していない方の身体にはほとんど血がついていない。なんだろう、それがちょっと気になる。
 床とか壁は特に異常はない。どちらもモダンな茶色で、オトナな雰囲気を醸し出している。ボロアパートなんだけどね。
 このあたりで情景描写終了。そろそろ不利助にこの旨を伝えよう。
「というわけだ。それでいいか佐久間」
「んほぇ?」
 不利助から急に訊かれる。何がというわけなんだ。
「ミツ……まさか聞いてなかったのか?」
「何をだい」
「……大体予想通りだったがな。こっち見てなかった所からして」
 不利助が溜め息をついた項垂れる。なんだ、聞いとかないといけない話だったのか。
「よし、もう一度話してくれ」
「七面倒くさい話だ。簡潔に説明する」
 不利助はそう言うと、腕組みをして饒舌に話す。
「俺達がこうしている間に、あの二人に容疑者三人の部屋を回って話を聞いてきてもらった。今からそいつらと合流して容疑者三人の昨夜の行動を検証する。勿論ここじゃなくて、外の駐車場でだ。いいな? よし、それじゃあ行くぞ」
 そう告げると、不利助はこちらには目もくれずさっさと外に出てしまった。
 駐車場で会議なんて。事件は会議室じゃなくて現場で起こっているんじゃなかったのか。これじゃ会議室=現場みたいなものじゃないか。これはドラマに対する風刺と見た。
 何て考えながら部屋を出て行く不利助を見守る。
「なんか大変なことになっちまったな、ミツ」
 肩を竦めながら、そう言うオサムシ。今更だけどオサムシって言うのは修氏から来ている。
「ああ、そうだね。だけど、」
 僕は全てを見透かしたように言い放つ。エンドルフィン大量分泌状態。
「僕だって探偵だ。殺人事件が嫌いってわけじゃ、ない」
 修氏に向かって笑って、
「好きでもないけどね」
 そう、小さく付け足した。

     ○

 アパートを出て三十秒。というかアパートの前の駐車場。
 僕を含む五人の人間は一つの輪を描くような形で立っていた。
「……それは間違いないんだな?」
 不利助の確認に、新米の内の一人……そうだな、新米だからコシヒカリにしよう。コシヒカリが答える。もう片方はヒノヒカリに決定。
「はい! 容疑者全員が昨夜被害者の男性と共に宴会のような事柄を催しておりまして、全員があの部屋に集まったそうです。それで、帰った時間も同じだとか」
「さらに全員特にアリバイは無く、帰った後にもう一度男性の部屋に入ったかという質問については、全員が否定しました。誰かが嘘をついていることは間違いないですがね」
 ヒノヒカリが饒舌に言う。
 この新米刑事コシヒカリとヒノヒカリについて軽く描写しておく。コシヒカリはどことなくやる気満々のオーラが湧き出している男の坊主刑事。ヒノヒカリは冷静沈着で茶のセミロングをヘアゴムを用いて後ろで軽くまとめた刑事。性格とかそんな詳細なディテールは知らない。知る必要もない。
「わかった、ありがとう」
 不利助は二人から目を背けると、僕のほうに向き直る。
 そうそう。僕の方といっても、僕がいるのはオサムシが担いでいるダンボール箱(もちろんA式No.10)の中だ。僕の体重は50キロ程度しかないから、いつもそれ以上の重さの荷物を担いだりしているオサムシからすれば、とんでもなく軽いらしい。こいつ、箪笥を一人で持ち上げる馬鹿力だからなあ。
「佐久間。確かお前、トランプが見たいって言ってたな」
「あ、うん」言ってないけど、やっぱり読心か。
「日野、証拠品のトランプを持って来い」
「承知しました」
 そう答えると、ヒノヒカリは白いバンの方に走って行った。
 …………………………へ? 日野?
「不利助、あの女性刑事の名前は?」
「うん? 日野陽香里とか言ったかな」
 なんとまあ。あだ名の意味が無い。
「ちなみに私は本郷祐樹です! 以後お見知りおきを!」
 お前は知らんこのマルコメが。あ、これいいな。マルコメに変更。
「持ってきました」
「おぅ、早かったな」
 不利助は透明なビニール袋のようなものをヒノヒカリから受け取ると、それをそのまま僕のほうに差し出した。
 と言っても、僕はオサムシの肩のさらに上だ。オサムシの身長は一九〇強。
 背伸びしながらダンボールに入った僕にビニールを差し出す刑事の光景は、さぞかしシュールであっただろう。
「どれどれ」
 トランプは真空パックのような袋の中に入っていた。確認できるのは四枚。
 ダイヤのJ、クラブの3、クラブの2、ジョーカー。順番は適当だから特に意味は無い。
 三枚だけ、その表面にはべったりと血糊がついていた。既に乾ききっているみたいで、ビニールにはくっついてなかった。ちなみに血糊がついていないのは「J」。
「どうだ、何か分かったか?」
「ん」
 ちょっと待て。推理と言うものは急かすと細切れになる。落ち着いてやるもんだ。
 それでは改めて、トランプを観察。
 そもそも僕がトランプが気になった理由は二つある。そのうちの一つはもちろん、死体のそばにあったもので重要なダイイングメッセージかもしれないと思ったから。
 それと関連してもう一つ。先ほど被害者の部屋にあった「トランプの遊び方」という本を覚えているだろうか。前述したように僕も全く同じ本を持っていて、それで興味が引かれてあそこで列挙したんだけど、あの本で特に重点的に取り上げられていた遊びが三つある。そう、ポーカー・大富豪・ババ抜きの三つだ。ルール説明は置いておく。
 あそこまで読み込まれたトランプの本に、死体の身体の下にあった四枚のトランプ。もしこれをダイイングメッセージと取るならば、深い関係がありそうではないかね?
 というわけで、再度トランプを凝視。適当についているところからして、この血糊は恐らく故意につけられたものじゃないだろう。故意だとしても殺した後でつけたとか、そういうオチだ。でも、殺した後にこんな不自然な四枚のトランプ見つけたんじゃ処分するよな。じゃあきっと何か意味があるんだろう。今は置いておく。
 ダイヤのJ。このカードには特に意味は無い。何で血がついてないんだろう。
 クラブの3。これにも特に意味は無い。大富豪だと最弱の3である。
 クラブの2。大富豪だとジョーカーに次いで強いカード。
 そしてジョーカー。言うまでもなく大富豪において無類の強さを発揮する。トランプの種類によっては描かれているピエロがとんでもなくキモイ。あとババ抜きでは最も嫌がられる存在。ババだしね。子どもの頃はよく「馬場抜きでババ抜きやろうぜ!」とか言ってたなあ。
 ここまで考えてみると、どうも大富豪かババ抜きに関連しているように思える。容疑者に馬場という人間がいれば、ババ抜きに間違いないだろう。
「不利助、容疑者三人の名前を教えてくれないかな」
「ん、わかった」
 実に素直に教えてくれる不利助。やっぱり根は優しい。
「正面から見て被害者の部屋の右隣の部屋が、剣崎三郎。左隣が、津田健二。んで、一階の左端の部屋が馬場幹靖だ。どいつも被害者と同じ大学に通う大学生だな」
 早っ! 馬場出てくるの早っ!
「トランプに馬場か。何か関係ありそうだなミツ」
「うん、そうだね」
 顔の見えないオサムシが言う。
「チラッと見えたんだけどさ。トランプの絵柄って2と3とJとジョーカーだったよな? これって容疑者の名前と一致してるんじゃないか?」
「……あらほんまやわ」
 そこは気付かなかった。なるほど、剣崎三郎が3で、津田健二が2、馬場幹靖がババ、すなわちジョーカーってスンポーか。さすがはオサムシ。
「だとすると、そのトランプは容疑者それぞれを表していると言っていいかもな」
 納得したように頷きながら、不利助は僕からトランプの入った袋を受け取る。
「でも、それだと『J』の説明がつきませんよ?」
「確かにそうですね。容疑者の三人を示すだけなら三枚でいいですし、何より三枚であったとしてもその三枚が示しているものが何なのかは僕にはわかりません!」
 新米コンビが思い思いに口走る。マルコメがまともな事言ってるなあ。
 ダイヤのJが示しているもの、か。
「とりあえず、この三枚は容疑者のことだと置いておこう。『J』に関しては何かしらの意味があるかもしれない」
 そこまで言うと、不利助がパンパンと手を叩く。
「さて、俺はここまでの話を一応署の方に伝えてくる。それまではそうだな、誰が犯人なのかと言う目星を大体つけておいてくれ。んじゃ、すぐ戻る」
 不利助は身を翻すと、懐から携帯を取り出した。
 そのままバンの方に歩いていくと、車にもたれながら携帯の画面を開いて何かの番号を入力したかと思うと、会話を始めるために耳に当てた。こうなるともう何も言わないほうがいいだろう。
「さて、それじゃあ考えてみようか」
 新米二人を促すような発言で、僕が場を取り仕切る。
「それ以前に、あなたは何者ですか?」
「どう見ても不審者ですね」
「僕はれっきとした探偵だ!!」
 ダメだよトム。僕にはとても仕切れそうにない。
「オサムシパス」
「あいよ」
 快く引き受けてくれるオサムシ。善い人過ぎないか、こいつ。
「容疑者三人、剣崎・津田・馬場の三人は作やほぼ同じ行動を取っていたと言ってたっけな」
「はい。飲み会のようなことをして、その後同じ時間に帰宅したと」
「帰宅したっつっても、同じアパートだけどな」
「確かにそうですね…………」
 まるで三人の刑事が話し合うように場は進んでいく。オサムシは怪しくないのかこいつら。一人の人間が入った段ボール箱を担いでいる、引越し屋もしくは宅急便業者としてはおなじみの青と白のボーダー服を着ている長身の男なんて、怪しいことこの上ないだろう。
「んで、ミツ。部屋の中の様子はどうだったんだ? 俺はあまり詳しく診ていないから詳細が知りたいんだが」
「あ、言ってなかったっけ。それじゃあ説明しようかな」

 そう言って僕は三人に部屋の中の状態を事細かに説明した。説明のの内容自体は先刻独白したので省かせてもらう。いや別に面倒くさいとかそういうのじゃないよ。

「四つのグラスの内、二つだけに水滴ですか。やはりそれは怪しいですよね」
「トランプの遊び方ってのが気になりますね!」
「どうしてパソコンのケーブルなんて切ったんだろうな」
 ホレミロ。内容がバラバラで繋がってないじゃないか僕の馬鹿野郎。
「それで、ミツはどれが怪しいと思ってるんだ?」
 オサムシがそう訊いてくる。
 どれが怪しいか、か。簡単そうで難しい質問だ。
「そうだね。やっぱり僕としてはトランプとグラスが怪しいかな。僕もあの『トランプの遊び方』という本を持っていると言ったよね」
「ああ、何か意味があるのか?」
「大アリさ。あそこでは主に三つのカードゲームについて語られている。これもついさっき言ったポーカー・大富豪・ババ抜きの三つだ」
 うん、やっぱりちゃんと説明しないとわけが分からない言葉になってしまうなあ。
「とすると、その三つについて何か関連付けてられそうですね」
「個人的にはババ抜きだと思います! 馬場さんがいますから!」
 やっぱマルコメ要らん。
「もし仮にババ抜きだと考えると、『馬場は犯人じゃない』っていう解釈として取れますね。それはそれで容疑者が二人に絞れて良いんですが、いかんせん確実性が薄いです」
 ヒノヒカリが冷淡に言う。彼女はどうもテンプレすぎるなあ。
「だよなあ。もし犯人が馬場なら、その時点で詰んじまうからな」
「そうなると、ババ抜きがヒントとなる可能性は薄いですね……」
 ということで、ババ抜きは考えない方針が決定した。横を見ると、不利助はどうやらまだ取り込み中のようだ。
「さて、これでポーカーか大富豪に絞られると考えてもいいと思うんだけど」
「ですね。ポーカーもしくは大富豪、ですか……」
 一番の問題は、ポーカーがこの事件にはあまり関係なさそう、と言うより大富豪が明らかに関係してそうだということを、如何にしてこの三人に伝えるかと言うことだ。僕程度の論弁じゃ、とてもこの三人を論破出来そうにはない。さて、どうしたものか……
「ポーカーは知らないので、大富豪で行きましょう」
「俺も知らないからそれに賛成だな」
「僕もポーカーなんて微塵も知りません!」
 論破完了。馬鹿ばっかりで本当に良かった。
「それじゃあ、大富豪の線で考えましょうか」
 今度はヒノヒカリが音頭を取る。口元に手を当てる姿が熟練っぽい。
「大富豪のルールに則って四枚のカードについて考えると、『3』は最弱のカードで『ジョーカー』は最強のカード、次いで強いのが『2』ですね」
「見事に強さ関係が分かれてるから、大富豪で考えて間違いはなさそうだな」
 確かにその推理は正しいと僕も思う。ただそうなると、『J』の存在の意図がわからない。
 まあでも考えるよりも前に、僕には忘れていることが一つ。
「忘れてた、このトランプの現場を取った写真って言うのは?」
「あ、はい。こちらです」
 マルコメが懐から取り出した写真をオサムシが受け取り、僕に手渡す。これの存在をすっかり忘れていた。何か重要なヒントが潜んでいるかもしれない。
 写真にはベッドにうつ伏せになった死体に、その下に広がっていた血溜まりが写っていた。状況からして、死体を回転させてこの写真を撮ったのだろう。
 予想通り散らばっているカードは、「2」「3」「ジョーカー」の三枚………………ってあれ?
「あれ、『J』のカードが見当たらないけど?」
 予想だにしなかった事態で、思わず僕はヒノヒカリに訊ねる。
「『J』のカードは"死体の手に握られていました"。これを撮った後でそれに気が付いたんです」
「手に……握られていた?」
 どうしてそんな大事なことを今まで黙っていたんだろう。被害者が手に握っていたという事はすなわち『そのカードは他の三枚とは違う意味を持っている』という"死者からの暗示"に他ならないじゃないか。これは大分推理が進んできたぞ。
 だけど、そんなことはおくびには出さない。
「まあ、あんまり関係ないか……」
「そうですね」「やっぱそうですよね!」「そうだな」
 ああ、馬鹿ばっかりだ。
 やっぱり、僕が頑張ってみるしかないのかな。よし、久々に探偵魂が燃え……

「何を言っているんですか!? 冗談じゃありません!!」

 突如響いたのは、不利助の叫ぶような声だった。
「……………………!?」
 その場にいる人間が、全員黙り込む。視線を、同じ一つの点に向けて。
「…………上司だ」
 不利助はこちらに目配せすると、手元の携帯を弄った。
 直後、不利助の携帯から人の声のような音が聞こえたので、恐らく音量をあげたんだろう。上司、ということは、警部とかそのあたりの役職だろうか。
 僕ら四人は、言われるまでも無く不利助の元に集まる。
「……もう一度、説明願います」
 悔しげに不利助がそう言うと、電話の向こうの声は一つ溜め息をついて面倒そうに話し始めた。

『あのねえ、私も暇じゃないんだ。いいかい? もう一度だけ言うからちゃんと聞くんだよ?
君が捜査している事件なんてどうせ他愛の無い殺人事件だ。そんな事件に関わりを持てるほど我々に余裕は無いのだよ。ほれ、今も全国ではおぞましい殺人事件が次々と発生している。我々が重きをもって調査すべき事件と言うのは、君の捜査する事件などの小規模な事件ではない。どうせ一放送のニュース程度の話題にしかならんのだ、犯人なんて適当に決めてしまえばいい。というわけで、こちらで拘束させてもらっている"彼女"を犯人とさせてもらう。君たちはもうあがっても良いよ』


「……………………」

 …………は? 何言ってるんだ、このハゲ。

「ですから、それはあんまりだと」
『君も聞き分けが良い人間なら、察したまえ。すぐに犯人が捕まらない面倒な事件など、適当に犯人を仕立て上げれば良いだけの話だ』
「それだと、犯人がいつまでも捕まらないじゃないですか!!」
『いいんだよ。犯行を繰り返すうちに犯人ってモンは巨大な犯行を計画するようになる。そうすればおのずと犯人は見つかるから、その時に逮捕してしまえば良いのだ。良く言うだろう、鳥は太らせてから食えと』
 携帯の向こうの声は、嘲笑するようにふふんと鼻を鳴らす。
『いいか、世の中と言うものは正直者が生き残れるような綺麗事で出来てはいないのだ。悪人を仕立て上げる我々も悪、すなわち全ての人間が悪であり正義であるのだよ。君のような熱血刑事もいつかは悟るだろう。奇麗事ばかり並べて生きていける社会ではない。汚い事が横行しているのが正しい社会だと。そうだ。それがこの現代社会で生きていく上で守らねばならぬ鉄則なのだよ。分かったか?』





「「ちょっと待てやクソ野郎」」


 僕とオサムシは声の主に向けて同時に言い放った。
 僕らは視線を合わせて、ゆっくりと頷き合う。

『うん? 他に誰かいるのかね?』
「聞き捨てならねーな、オッサン。」
「よくもまあ、国家公務員とあろうものがそのようなことが言えるもんですね」
『誰だか知らないが、一般人か君たちは』
「……探偵です」
 僕がそう強く言うと、話し相手はくつくつと笑った。
『はっはっは、そうか探偵か。探偵ならば今の話はよく理解できるだろう。彼に教えてあげなさい。彼の考え方は間違ってい』
「間違っているのはあんただよ」
 僕は口調を少し荒げて言う。
「確かに綺麗事かもしれないけどな。綺麗事なくして、どうやって世の中の平穏が保たれていると思うんだ?」
『ははは。その犯行振りからすると君たちは"彼女"の味方なのかな? それは残念だったねえ』
「ふざけんな!! 人の命が消えるのを防ぐのが警察の仕事じゃないのか!!」
『それは医者の仕事だ』
 オサムシの怒号にも、電話の相手は動揺しない。
『我々が行っているのは断じて善い行為ではない。それくらいは私も分かっているのだよ。……おおそうだ、探偵と言う君、名前は?』
「……佐久間だ」
『そうか佐久間君。少し待ちたまえ、我々の上司に代わろう』
 台本を読むように話す声がそう言うと、

『……また"ミツルギ"か』
 先の声とは全く違う、野太くずっしりと重い声が携帯から響いてきた。
 どことなく、聞き覚えはある。僕がこういう事件に巻き込まれる度によく耳にする声だ。
「……警視? 何故あなたのような人が地方の署に?」
『たまたま滞在していただけだ』
 剣呑に口走ると、声をさらに険しくする。
『これ以上事件に関わると言うならば、お前もどうなるか分からんぞ』
「……それがどうしたって言うんですか」
『なに?』
 僕は一息吸い込むと、穏やかに言った。
「僕はあくまで警察ではなく、"探偵"です。もうこの際僕がどんな手柄をあげようと、あなた方に一切は問いません。ただ、一つ条件を呑んでもらいたいだけです」
『条件だと?』
「はい。もし僕が真犯人を暴きだした場合…………"彼女"を解放してもらえますか」
 電話の主はしばらく考えるように唸っていたが、
『いいだろう。ただし時間の猶予は今からあと三時間だ』
「わかりました」
 そこまで話すと、電話は勝手に切れてしまった。相手が切ったのだろう。
「佐久間…………」
 不利助が不安げな顔で、僕の目を見る。恐らく、あと三時間ではこの事件は解決できるわけが無いと思ったんだろう。
 だけど、問題はない。
「ヒノヒカリさん」
「はい」
 尚も落ち着いて受け答えるヒノヒカリに、僕は笑いながら言う。
「"乾いているほうの二つのグラス"の匂いを、嗅いで来てもらえませんか」
「…………承知しました」
 再び、ヒノヒカリが走り去る。

 幾許か、後。
 アパートから戻ってきたヒノヒカリが、言う。



「乾いたグラスの片方から、甘酸っぱい"アーモンド臭"がしました」
「…………そうですか」
 僕はそうとだけ答えると、オサムシに段ボール箱を降ろすように指示する。オサムシは何故かと訊ねてきたけど、結局は降ろしてくれた。
 何時間か振りに、僕は自分の足で地面に立つ。
「ミツ、一体どうしたんだ?」
 訝しげにそう訊くオサムシ。

 ――――そんなの、答えるまでもない。




「犯人が分かった」

「……………………!!」
 場にいる全員が、驚きの表情を顔に浮かべる。
 特に、不利助が。
「佐久間、それは本当なのか」
「今の僕が嘘をつくと思うか?」
 僕は返事を待たずに、言い放った。
「全員、今から僕の言うとおりに行動してくれ。文句を言うのはその後で構わない」

 一呼吸置いて、ひとつ。

「犯人は………………」






     ○



 ―剣崎三郎―

「上沼が死んだって!? 冗談だろう!? 昨日まで一緒に楽しく酒飲んでたはずなのに、何であいつが殺されたりしなくちゃいけないんだ? …………なに、俺が容疑者のリストに入ってるって? 冗談じゃない! 俺は人を殺すような真似は絶対にしない! 上沼なら尚更だ! あいつは俺の昔からの友人で、何かある度にあいつには相談に乗ってもらってたんだ! そんな俺があいつを殺せるわけが無い! いや、確かに最近麻雀をしてだな、俺がちょっとセコい行為をしてあいつに必要以上に怒られて、多少根に持ってはいたが…………殺すようなことはしない! 断じて誓う!」


 ―津田健二―

「上沼さんが、死んだんですか。何やら死相を持っている人のようでしたが、とうとう逝ってしまわれましたか。…………え? 彼を殺した容疑者の中に、僕が入っているですって? ははは、冗談でしょう。僕に人を殺す勇気なんてありませんし、動機も根拠もありません。確かに僕は環境についての調査を上沼さんと共に行い、叱咤されることも度々ありましたが、それを恨むようなことはしません。むしろ尊敬に値する人物です。これ以上語ることはありません。それでは」



 ―馬場幹靖―

「…………剣崎から聞いたよ。あんたらが津田に尋問している間にな。どうせ俺も容疑者だと言いたいんだろう? 残念ながら、俺にはそんな事できるわけがない。俺は一度あの人に命を救われたんだ。赤信号だと気付かずに横断歩道を渡っていて……って、んな事はどうでもいい。あの人がいるからこそ、こうして俺は今を生きて行けてる。そんな人を殺したとなりゃ、俺は救いようも無い重罪人だ。殺せるわけが無いし、殺す気なんて起きねえよ」



     



<ここより解決編>







「……なんだよ、またあんたらか。今度は何の用だ?」
「何度もすみません。捜査の結果、あなたが犯人である可能性が最も高いということで、署で事情聴取をさせてもらいます」
「はぁ!? 何でだ!?」
「ご心配なく、この事情聴取は全員行います。ただあなたが最も疑い深いということで、ご同行願えますか?」
「知るか!! 誰がそんなところに」
「断ると、よりあなたへの疑いが深くなりますが、よろしいですか?」
「な……!?」
「あなたが殺していないならば、正直に申し上げていただければいいんです。私共は自白を強要するようなことをしません。ありのままに真実を述べてもらいたいだけです」
「だけど」
「ご同行願えますか?」
「くっ……」

     ○

 容疑者の一人が任意同行と言うことで連行されていった後、とある一人の男が駐車場に降り立った。
 男は煙草に火をつけて加えると、感慨深く俯いた後、煙を吐き出した。
「そうか、あいつが殺したのか……」
 魂が抜けたような口調で、淡々と呟く。
 白煙が忽ちの内に空に昇り、雲の色の中に混じって消える。
「…………くくく………………」
 男は口元に微笑を浮かべた。
 それも一瞬、男はすぐに肩を竦めて震えると、朗らかに笑い始めた。
「ははは、あっはははははは!!」
 発条が切れたように笑い狂う男は煙草を地面に投げつけて、思い切り踏みつける。
「ざまあみろ! みんなお前のせいだ!」
 ポケットに手を突っ込み、せせら笑う。
「小虫が……俺に逆らうからこうなるんだ! 最初から俺にひれ伏しておけばよかったものを! 俺の命令をちゃんと聞いていれば……」






「随分と、楽しそうですね」
「はっ………………!?」
 男が振り向くと、そこには背の低いハンチングを被った男がいた。

     ○

「あ、ああ楽しいとも。凄く楽しいさ」
「何が楽しいのか、教えてもらえませんか?」
 僕は微笑みを浮かべて、彼に問う。
「何がって、隣人が殺されてしかもそれを殺したのがその隣人なんだぜ? 思わず笑ってしまったよ」
「なるほど。同じく隣人であるあなたはそう思ったのですね」
「それがどうしたよ」
 途端に厳しい表情になる男。勿論僕は揺らがない。
「いえ、何でもありません。ところであなたはどうして外に?」
「え……あ、ああ。ちょっとコンビニに行こうと思ってな」
「そうですか、良かったです」
「はぁ? 何がだ? てかそもそもお前は誰だ?」
「僕は探偵です。犯人が逃げないかとヒヤヒヤしてたんですよ」
「何言ってんだお前。犯人は剣崎なんだろう? あいつ連行されていったじゃねえか」
「まあ、事情聴取の一環です。彼らは警察ですからね、多少のミスもありえます。ですけど、探偵の推理に間違いは許されないんですよ」
「まさかお前、俺が犯人だって言いたいのか?」
「……無論です」
 僕がそこまで言うと、彼は嘲るように笑い出した。
「冗談も程々にしろよ! 証拠あるのかよ、証拠!」
 男は推理ドラマの犯人役がよく言いそうな台詞を口走る。
 ――――それじゃ、始めますか。

「あなた含め容疑者の三人は昨晩、上沼さんの部屋で飲み会のようなことをしていましたね?」
「ああ。だからどうなるんだ?」
「ですから、あなたたちにかかる容疑はこの時点では同格です。それに加え帰宅した時間も同じと言うことなので、尚更です。…………ですからこの事件の犯人を推理するには、時間のアリバイではなく、犯行の手口や被害者のダイイングメッセージに頼らざるを得ないんですね。
 それではまずその手口。死体の右胸にはバタフライナイフのような鋭利な刃物で刺した傷があり、僕らは刺殺だと断定しました。率直に言えば、その時点で間違っていたんですがね」
「…………!?」
「おかしいとは思いませんか? あの死体は刺殺されたにしては、刺された方向にはほとんど血が飛び散っていなかった。ほとんどです。胸に刃物を刺されて殺されたとなれば多少なりとも、いえ、かなりの量の血飛沫が服についていいはずなんです。ところがどうでしょう。死体の服には滲むような血しかついていませんでした。まあでも、これだけでしたら新聞紙の上から刺したとか色々な理由がつけられます。
 ところが、ここで問題が一つ生じました。テーブルの上に置かれている四つのグラス。そのうちの一つから、アーモンド特有の甘酸っぱい匂いがしたそうなんです。これが何だか分かりますよね?」
「……青酸カリか」
「正解です。シアン化カリウム――通常青酸カリと呼ばれる薬品は、致死量が約0.15グラムと、大変危険な物質です。それが放つ特有のアーモンド臭が、グラスの中から漂ってきたと言います。こうなると、被害者の死因は刺殺であるという事が断定できなくなってくるんですね。これは僕の予想ですが……犯人は恐らく青酸カリで上沼さんを殺した後、刺殺に見せかけるために改めて胸を刺したのでしょう。どうして刺殺に見せかけたのか、それは犯罪者の考えることなので僕には分かりませんが」

 僕はそこで言葉を区切り、再び紡ぎだす。

「しかし、それでも犯人は特定できません。こうなるともう、ダイイングメッセージに頼らなくてはなりませんよね。それで、唯一現場に残されていたダイイングメッセージは、四枚のトランプカードなんです。「クラブの3」「クラブの2」「ジョーカー」「ダイヤのJ」の四枚。そのうち「J」以外には、血糊がべったりとつけられていました。最初これが何を意味するのかは分かりませんでしたが、ようやく、それぞれがあなた方の名前を示しているんだとわかったんです」
「…………だがそれだと、『J』の位置取りはどうするんだ?」
「いいところに気が付きましたね。あなたは、大富豪と言うゲームをご存知ですか?」
「ああ、大体分かるが」
「なら、ルールもご存知ですね。数字の中では『3』が一番弱くて『2』が一番強い、しかし『ジョーカー』はそれに匹敵する強さを持つ。ここでもあなた方を示すカードはちゃんとした役割を持っています。しかし、『J』だけはよく分からないままです。

 ――――ここで、『J』が発見された場所が"上沼さんの手の中"であったことについて考えてみましょう」
「……………………」
 男が一瞬たじろぐ。もう、決まりかな。
「あなた方三人のことを示すのであれば、必要なカードは先の三枚で十分です。しかしそれではダイイングメッセージとしては不十分です。誰が犯人であるかと言うことを暗示していないのですから、完全なるメッセージとしては成り立ちません。なので上沼さんは、あなたに気付かれないように手の中に『J』を仕込んでいたんです。

 大富豪のルールと照らし合わせてみると、一番強いカードは『ジョーカー』、つまり馬場さんになります。この段階で推測できる犯人像は馬場さんですが、ここに『J』が入ってくるとちょっと異なった意味合いになるんです。分かりますか?」
「………………いや」
「大富豪のローカルルール、といっても随分と世間には知れ渡っているものなんですが――――






 ――――大富豪には、『Jバック』というルールが潜んでいます。
 その決まりは簡単。『Jを場に出したターンだけ、一時的な革命状態になる』ということです」

「……………………!!」
「恐らくあなたは上沼さんを殺した後、馬場さんに罪を着せようとして死体の背の部分に三枚のトランプカードを仕掛けたんだと思います。しかし、上沼さんはそれを見越してました。なので上沼さんは息を引き取る際に、自分の手の中に『J』のカードを忍ばせたんでしょう。あなたが真の犯人だと、僕に気付かせるために。違いますか?









 ――――――津田さん」
「…………」
「この推理方法だと剣崎さんも同様の手口を使えるように思えますが、それは危険極まりない行為です。仮に剣崎さんが犯人だとした場合、この『J』カードがあることで犯人ではないかと疑われます。もしも僕らが上沼さんの手中のカードに気付かなかったり、上沼さんがトランプトリックを見越していなければ、逆に馬場さんへの疑いが強まります。
 しかし、現にカードは見つかりました。この手中にあるカードが犯人によるものなのか、それとも上沼さん自身の手によるものなのかによって、犯人像は馬場さんか剣崎さんに絞られます。そこまで行くと、もはや逃れることは難しいでしょう。
 しかし、あなたは違いました。『2』という最強でも最弱でもないカードを自分に充てることによって、自分への疑いを無くすことが出来たんです。リスクが無いあなただからこそ、僕は先の行動があなたには出来ると思うんです。手中のトランプが見つかろうが見つからまいが、犯人としては見られない。犯人からは外されても、犯人として疑われることは無いんですからね。名前を数字に見立てて強弱の差で容疑者を絞らせると言うのはなかなかよい手口でしたが、あなたが偶然『2』であったが故に」
「偶然なんかじゃないさ」
「え?」
「僕はずっと……二番目だった」
 津田は呻くような声を上げると、がくんと地面に膝をついた。
「保育園の頃からずっと、運動だろうが勉強だろうが何だろうが、僕は二番目の存在だった。大学でもそうだ。環境学部というマニアックなサークルに入れば一番になれると思って、入ってみた。そうしたら案の定いたのが、上沼さんだったんだ。
 上沼さんは人望も厚く、環境学部を引っ張るリーダーとしては最適な存在だった。僕はそれが許せなかった。長い間二番目のままで生きてきた僕の不満が、決壊してしまった。別にきっかけも、何も無い。気が付けば僕は上沼さんの部屋での飲み会から帰るとき、残った上沼さんのビールに、学校から持ち出したシアン化カリウムを混ぜていたんだ。
 僕は激しく後悔した。なんであんなことをしてしまったんだろうって。殺す気なんて無かった。ついかっとなってというと曖昧になるけど…………衝動に駆られてやってしまった。僕は不安になって、しばらく経った後神沼さんの部屋に行ったんだ。
 案の定、上沼さんはもう死んでいた。僕はパニックに陥って、自分がやったこと全てを隠してしまおうとわざと上沼さんの使ったグラスの水滴を拭いたり、死体の下にトランプを忍ばせたりした。
 そしてその時に…………上沼さんの言葉が、ようやく僕の所までやってきた」
「……『"お前"は誰よりも強い人間だ』」
「!」
 反射的に、津田の顔が僕の方を向く。
「どうして…………それを?」
「メールです。上沼さんの携帯から、時刻指定で送られてきました。恐らく、何もかも見越していたんでしょう」
「そう……だったんですか…………」
 津田はそれだけ言い残すと、力なく項垂れた。
「最後の最後で上沼さんの本心を聞いて…………どうしようもなく自分が許せなくなり、結果あなたはパソコンのケーブルを断ち切った。恐らく、それは上沼さんからの初めての褒め言葉だったんでしょう?」
「う……ああ…………」
 地面に滴を落としながら、呻く津田。
 それを見下ろして、僕はささやくように言う。

「『2』は、『ジョーカー』があるために文字通り二番目の強さになってしまいます。
 ですが耐えれば、いつか一番に返り咲く日がやってくる。
 あなたはその言葉に気付くのが、少し遅かったんです」


 しばらくして、馬場を連行して行ったパトカーが駐車場に戻って来た。
 馬場は降ろされ、代わりに津田が乗せられた。
 馬場の表情は曇っていたが、津田はどこか、笑顔を浮かべているように見えた。
 純真な、子どものような笑みを。

     ○

 そして現在、警察署にて。
「バカッ!! 何でもうちょっと早く解決してくれなかったのよ!!」
「あて、あててっ」
 僕はスピカから折檻に限りなく近い拷問を受けていた。拳の嵐は身に沁みる。うぅむ、いい響きだ。
「まあそう言うなって。ミツにしちゃあ上出来だと思うぞ?」
 オサムシまでそんな風に言うのか。僕は誰に頼ればいいんだ。
 ……あれ? これって褒められてるの?
「ああ、佐久間にしちゃよくできましたスタンプを上げてもいい位のレベルだ」
「不利助まで! くそ、お前にはいつか僕の味噌汁を吸わせてやる!」
「何言ってんだお前」
 いかんいかん。錯乱しすぎて呂律が回らなかった。
「にしても本当にギリギリで解決しちまうとは、ミツとやるもんだなー」
「ホントホント。やっぱりギリギリ探偵だったのね、あんた」
「刑事の俺も顔負けレベルだったな、ギリギリ」
「くっそおおお褒めたって何か出てくるわけじゃないんだからな!」
 あとギリギリ言いすぎだこの野郎!

「君たち。もう少し静かにはできんのかね?」
「………………」
 僕らの会話に圧をかけたのは、あのときの電話主と同じ声だった。
 やっぱハゲてんじゃねえかこのクソが。
「今回は偶々犯人が見つかったからいいものの、もしも間違っていたら如何する気だったのかね? 警視殿もそう思し召しになられるでしょう?」
 ハゲは後ろを向くと、奥のソファに座っている警視に声をかける
「いや、お手柄だ」
「ほら、警視殿もああ仰って…………って警視殿!?」
「なんだ、平岡」
「こっここここやつらは警察に冒涜を突きつけたも同罪の連中ですよ!? なのに何故それを認めるなど」
「いい加減にしろ!! 貴様の言葉は聞き飽きた!!」
「ひいぃっ!!」
 ハゲが怒号に押されてこける。ハハハ。ハゲがつるりとこけるってか。
「本来なら、名誉市民賞など与えたい所だが」
 警視は立ち上がると、僕らのほうへ歩み寄ってくる。角刈りの髪と相まって、場所を間違えればヤクザに見えるのも"相変わらず"だ。
「残念だがここは辺鄙な町でな、そのようなものが無いのだ。許してくれ」
「い、いえいえ滅相も無い!」
 オサムシが腰を低くして言う。こっちも相変わらずだ。
「あーあ、これじゃ捕まり損ねー」
 皮肉気たっぷりにスピカがぼそりと呟く。こっちもいつも通り。いや、今日知り合ったばかりなんだけど、何となくそんな感じがする。
「後処理は俺に任せて、佐久間たちはもう帰ったらどうだ? あんまり警察署にいるってのもいい気はしないだろう。じゃあな」
 不利助はそう言って、手を振りながら署の奥へと歩いていった。
 僕も無言で、振り返す。きっと見えていないだろうけど。
「そうだね。それじゃあ行こうか」
「お、今日はダンボールじゃなくていいのか」
 オサムシが意外そうに言う。僕だって万年ダンボールに引き篭っているわけじゃない。
「うん。今は探偵じゃないからね」
「そう言えば、結局運搬してるとこ見れなかったわ……」
 あ、見せてなかったっけ。まあいいや。
「僕に着いて来たら、いつか見れるかもね」
「ナニソレキモイ」即座に言い返された。露骨にショック。
「それじゃ、先に行ってるわよー」
 元気よくスピカが飛び出していく。疲れてないのかな。
「俺も出とくぞ、この中妙に寒いしな」
 そう告げて、オサムシも署の入り口へ足を進める。きっと寒いと思うのは体脂肪率三パーセントの君だけじゃないかな?
「なんて言ってる場合じゃないな」
 僕もそそくさと立ち上がり、オサムシやスピカに後れを取らないよう入り口へ走る。
 その時だった。

「ミツルギ」
 突然、背後から野太い声がした。恐らく警視だ。
 呼び止めた理由も、何を言おうとしてるかも、大体分かるけど。
「やっぱり、探偵を続けるのか」
「自由気ままな方が性に合ってるんで。適職ってやつ?」
「ふふっ、お前らしいがな」
「お褒めの言葉をどうも」
 僕は笑いながら、最後に一言挨拶する。
「それじゃあ、もう二度と会わないことを祈るよ。――――"父さん"」
「…………ああ。二度と、な」
 互いに笑いながら言う。迂遠ってのが似合う表現なのかな。
 ハゲが驚く声が聞こえたけど、僕が描写すべきはここじゃない。
 僕はそのまま入り口の扉を開け、二人の待つ場所へと歩み始めた。

 宵の前の春風が、そっと頬を撫ぜる。

     ○

 僕はいつものように道端で春の暖かな陽射しに照らされ、まどろんでいる。デジャビュ発言禁止ね。
 この時期になると土曜の昼下がりという長閑な時間帯も相まって、誰もが素晴らしいくらいの睡魔に襲われるだろう。……ああ、今日は日曜だったね。
 僕はその被害者の中でも致死レベルの重症じゃないかと思うくらい気持ちよく寝ている。いつものように、広辞苑を枕代わりにしてスヤスヤ。これが至福の一時だ。地球温暖化万々歳。ああでも暑いのは嫌だな。程よく暖かいくらいを所望する。でも温暖化って言うんだから暑くはならないだろうね。そういえば地球寒冷化が始まったとか言うけど、そこは温暖化と対義させて地球冷涼化じゃないのか。
 何て戯言をこぼしながら、僕は今日もスヤスヤ眠る。
 そんな僕の携帯は鳴らない。昨日みたいなことは本当一ヶ月に一回あるかないかの話だ。きっとあと一ヶ月は経たなければ、あんな大事件は発生し「ブルルルルッ」おひょう。
 なんと、携帯のバイブレーションが二日連続で発動している。バイブレーションに設定してあるのは、勿論非通知だ。初めてメールを送ってくる人は、大体依頼人ばっかり。そしてその中でもこの連続的なバーブレーションは、大事件発生の合図だ。
「マイッタネコリャ」カタコトに言ってみる。特に意味は無い。
 溜め息半分に携帯の画面を開いてみる。
 「メール着信 一件」の文字。
 センターキープッシュ。
 メールフォルダ画面。
 非通知ボックスの横に現れる数字。
 フォルダを開く。
 メールを見る。

 という一連の作業をこなした所で、僕はある異変に気が付いた。
 これは……依頼のメールなんかじゃない。そんなものよりも、もっと大事なものだ。

「…………あははっ」

 まさかの事態に思わず苦笑してしまう。こんなことってあるんだろうか。
 戸惑いながらも、僕は徐に立ち上がる。理由は勿論、言うまでもない。

「さて、行きますか」

 行き先なんて明確じゃないけど、それでいい。どんなに変に思われようとも、それが正しいことなら、それでいい。
 探偵は、自分の正義に生きる生き物だ。こんな僕を、一体誰が止めることが出来ようか。
 いや、きっと出来ないだろう。だって――――






 僕は、大切じゃない方の"箱入り"探偵。
 誰にも縛られることなく、自由気ままに生きるのさ。







       

表紙

みんな 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha