春の文芸ミステリー企画
繰り返される過ち/橘圭郎
「先輩。改めて言っておきますけど、魔法とか超能力とか出すのは厳禁ですからね。こないだの一枚絵のときみたいに、魔女っ子エミリーちゃん任せで力押しにオチつけるのは自重してくださいよ」
「分かってるよ後輩ちゃん、推理物だろ?」
文藝部室にて。400字詰め原稿用紙に向かって頭を捻っている髭面の男と、指で机を叩きながらそれを見張るツリ目の女。
膠着してしばらく、かれこれ一時間ほど。男はどうやら何かアイデアを思いついたらしく、不意に鉛筆を手にしてコツコツと小気味よい音を立て始めた。
すると女が驚くほどの速さと集中力で、あっという間に仕上げてしまう。
「さすが先輩、やれば出来るじゃないですか」
「うん。でも急いで書いたから、間違ってたり抜けがあったりするかもしれないよ」
「先輩の誤字脱字はいつものことじゃないですか。それを校正するのが私の仕事なんですから、とにかく早く読ませてもらいますよ」
男から十数枚の原稿用紙を手渡された女は――いつもの彼ならばしないはずの――自分のハードルを下げるような前置きを不審に感じはしたが、〆切も近いので特に気にせず原稿に目を落とした。
「今回のはタイトルからして、本当にミステリとかサスペンスっぽいですね」
しかし実力はあるが、いつも悪ふざけをする。それがこの先輩という男だ。ツリ目の女は赤ペンを片手に、少し構えて読み進めることにした。
*
『繰り返される過ち』
深夜に首を絞められる、夢を見た。
首を絞める男の顔は日によって違うけれど、見るのは大抵、深夜だ。
私には分かる。これはきっと正夢。
だって、そうされるだけの過ちを私は繰り返してきたのだから。
幼い自分に両親と死に別れ、
*
「先輩。早速ですよ、誤字」
「まあ適当に直しといてよ」
「言われなくてもそうしますけどね」
女は片眉を下げ、原稿用紙に赤線を引いた。
*
『繰り返される過ち』
深夜に首を絞められる、夢を見た。
首を絞める男の顔は日によって違うけれど、見るのは大抵、深夜だ。
私には分かる。これはきっと正夢。
だって、そうされるだけの過ちを私は繰り返してきたのだから。
幼い時分に両親と死に別れ、名ばかりの親戚や養護施設をたらい回しにされた。そんな身の上話をしても言い訳に過ぎないのだろうけど、簡潔に言えば私は、愛と温もりに飢えていたのだ。
誘われればどこへでも付いていったし、甘えさせてくれるなら誰の胸にだって飛び込んだ。おかげで見ず知らずの人間から乱暴されることも結構あったけど、それも仕方のないことだと思う。
身体を重ねた相手を挙げていけばキリが無い。愛を語った男を列挙していけばきっと博物館が埋まってしまう。その中でも特に、夢で私を殺しに来る男となれば――つまり私に殺意を抱いても仕方ないほど酷いことをしてしまった相手となれば――四人の顔と名前が浮かぶ。
記憶に一番古いのは、林原健二(はやしばらけんじ)という男の子。まだお互いにあどけなさが残っていた時代の話だ。
健二は、初めて私を好きだと言ってくれた男の子だった。男女の体つきが大きく変わり始め、皆が色恋事に憧れと興味を抱くようになった思春期の盛りに、恋愛感情の意味で私に好意を寄せてきてくれたのだ。体育館の裏で、耳まで赤くして、たどたどしく告白したきたのがとても印象的だった。
そんな彼と、こんな私が交際するようになったのは当然の流れだったと思う。だけど手を繋ぐだけで満たされていたのは最初のうちだけ。いつしか深い繋がりを求めるようになり、処女を捧げたのも、きっと、当然の流れ。
そこまでなら、どこにでもいる早熟カップルの惚気(のろけ)に過ぎない。だけど未熟な私達は覚えたての快楽に溺れてしまった。もともと自堕落な私には大した変化は無かったけれど、もともとが優秀だった健二は目に見えて成績が下がっていった。
そして彼は高校受験に失敗した。
健二の父は開業医で、兄は有名大学の医学部で学んでいる。絵に描いたような上流家庭の末っ子が、つまらない女に引っ掛かって人生につまづいた。彼が落ちこぼれのレッテルを貼られ、家族からの失望に晒されたのは想像に難くない。次第に健二は荒れて、誰に対しても暴力的な態度をとるようになった。そんな状態でまともに男女付き合いが出来るはずもなく、別れ際に彼が言った「お前さえいなければ、俺はエリートでいられたんだ!」という台詞と、鬼みたいな顔が今でも忘れられない。
向こうから言い寄ってきたのに、そんな言い草はないでしょと腹立たしくも感じたけど、私がいなければ健二の人生が順風満帆だっただろうことは間違いない。そう考えると彼の言い分ももっともだ。
当然と言えば当然だけど、健二は私とは違う高校に進学した。
つい半年ほど前、偶然の巡り合わせで健二と再会したとき、彼は鬼の顔を背中に彫り込むほど立派になっていた。すっかり堅気ではなくなったけれど、そっちの道ではエリートコースらしい。
二人目は高校時代に付き合っていた、坊主頭と焼けた肌が特徴的な男の子。名前は村上友雄(むらかみともお)。彼は野球部だった。
中学時代の苦い経験から私は、むやみやたらと接触を求めないようにしていた。過ちを繰り返さないように抑えて、くっつき過ぎず離れ過ぎずの距離感を保つように努めた。
結果から言えば、そこにこだわっていたのがいけなかった。
私は友雄だけに依存しないよう、手当たり次第に交友を広げた。遊びの誘いは基本的に断らなかったし、何でもかんでもすぐ安請け合いしてしまった。
そして高校二年生の三学期のこと。私と友雄は、彼の誕生日を二人で過ごす約束をしていた。ところが後から後から別の予定が入り、目まぐるしく混乱していた私は当日、女友達らと一緒に映画を観たりボウリングに行ったりしていた。友雄は雪降る中を何時間も待ちぼうけた末に――当時は携帯電話どころか、ポケベルさえそんなに一般的じゃなかったのだ――重い肺炎を患って一ヶ月以上もの入院を余儀なくされた。
この時点でもう笑って許せるレベルの話じゃなくなっているのはもちろんだけど、実はさらに続きがある。彼には野球部でのレギュラー争いをしていたライバルがいたのだけれど、友雄が入院している間にライバルくんはエースの座を独占し、そのまま選抜のメンバーになったのだ。そして夏の日、ライバルくんの左腕が並み居る強豪校を抑えてついに甲子園優勝を勝ち取った様子を、友雄は補欠のベンチで眺めていたと言う。「お前さえいなければ、今頃は俺がヒーローだったんだ!」と胸ぐらを掴まれたときは、それとこれとは話が違うような気がしないでもなかったけど、私の仕出かしたことを思えば返す言葉も無い。
学校にいる間中、刺すような憎しみに晒される。それに耐えられなくなった私は逃げるように高校を辞めて都会へ行き、一人暮らしを始めた。おかげで私の学歴は中卒だ。
ちなみに友雄とレギュラー争いをしていたライバルくんは、今年メジャーに行くそうだ。
岡崎信也(おかざきしんや)が、三人目。いつもパンチパーマにだぼだぼのシャツを着て、肩で風を切りながら歩いていた。アウトローだけど極道とまでは言えない、チンピラを絵に描いたような男だ。見るからにあまりお近づきになりたくないタイプの人間であるし、内面も実際そうだったのだけど、私はそこに惹かれた。
それと言うのも当時の私は、こう考えていたからだ。「自分は真面目に頑張っている人間を不幸にする。だったらいっそ、最初から不真面目な男と付き合えばいい」と。ふしだらな女と、ごくつぶしの男……今にして思えば無茶にもほどがある。
彼は自分のことは棚に上げて、私を思い通りに束縛しようとした。一方で私も、止めろと言われて止められるようなら、そもそもここまで落ちぶれてはいない。だから何度も衝突し、何度も殴られた。
それでもしばらく付き合っていたけど、いつしか私は、夜の街で客として来ていた別の男とねんごろになる。その男は亡くなった父親が生前にヤクザから借りた多額の借金を負わされ、毎月の取立てに戦々恐々としているのだと語った。
彼を重荷から解放してあげたいという献身と、そろそろ信也を痛い目に遭わせてやりたいという腹いせから、私は信也を連帯保証人に仕立て上げて金を借りまくった挙句に姿を消した。
例の借金男とは金を渡して以来、一度も会っていない。でも借金で首が回らないとか言っているくせに歓楽街へ遊びに来るような男なのだから、どうせ質の悪い詐欺師か何かだったのだろう。
四人目は峰岸隼人(みねぎしはやと)。三十歳を目前にして、許されるならば身を固めたいと思うようになった私の前に現れたのが彼だった。隼人は有名企業の次期社長候補とも言われる男だった。おしゃれなスーツを着こなして、デートのときには華麗にエスコートしてくれる彼はとても格好良かった。
そんな分別ある優秀な大人が、私みたいな女を選ぶのかって? でもそのときの私は過去を捨てたくて偽名を名乗り、学歴や出身も偽って、ついでに年もちょっとだけサバ読んでいた。
もちろんそれで人生がうまく行くはずもない。互いに結婚を意識した辺りから隼人は私の身辺を細かく確認し、あっという間に嘘がバレて破局した。頭の悪い私では隠し通せなかったのだ。
一番の問題は、その時点で彼の子供がお腹にいたことだ。せめて認知してほしいとお願いをすると隼人はこう言い放った。「どうせそれも嘘なんだろ? 風俗で働いてる馬鹿女のガキなんて、誰の子供か分かったもんじゃない」と。
突き放されて見境無くなった私はメガホン片手に彼の仕事場へ乗り込み、事の詳細を白日の下に晒した。もうどうにでもなってしまえと思っていた。きっと私は、きがくるっていたのだ。
結果、隼人は会社を辞めた。連絡先も変えて、二度と私と関わろうとはしなくなった。名誉毀損で私を訴えて慰謝料を取ることも出来たはずなのに、それさえもしなかった。彼に渡したままのアパートの合鍵も多分使われることはないだろう。
そして産まれた子供は養護施設に引き取られた。私に子供を育てる能力は無いと世間様は考えたらしい。妥当な判断だと思う。
ある日の深夜。そう、深夜だ。
私が部屋でぼんやりしていると、突然チャイムが鳴った。私は覗き穴でその相手を確認した。
「開けろ。おい、開けろ」
何度も叫びながらドアを叩く男。目の下に隈をたくわえ、髭も伸ばし放題で、服も汚い。
しかし見た目は変わっても、それが誰だかはすぐに分かった。彼が来たのだ。私の過去を清算しにやって来たのだ。
「久しぶりだな。ようやく見つけたぜ」
ドアを開けるなり、彼は靴も脱がずに押し入ってきた。
「お前さえいなければ……」
そう言って彼は私に詰め寄る。だけど怖くはなかった。私が仕出かしてきたことを振り返れば、これは当然の結末だから。
ほらね、やっぱり正夢だった。
私は深夜に首を絞められて殺された。
*
ツリ目の女は読み終えた原稿を机に置き、うーんと唸った。
「どうだった?」
「なんて言いますかね。こんな感想は推理物には不適切なのかもしれないですけど、登場人物の誰にも共感出来ませんでした。容疑者の男連中もそうなんですが、特に被害者のヒロインが最悪です」
「まあ、可哀想な女性なんだよ」
「そんなものですかねえ」
赤ペンにキャップをはめた女は、改めて原稿に手を伸ばす。
「それにしても、犯行シーンがあっさりし過ぎてますよね。これはあれですか。誰が女を殺した『彼』なのかは明示しない、真相は藪の中タイプの小説ってことですか。推理物アンソロ企画である以上はちゃんと解決編が欲しいところではあるんですけど……」
「あれ? 最後まで読めば犯人が分かるようにしたつもりだったんだけどなあ」
すると髭面の男は意外そうな声を上げた。普通に読んでいれば分かると言う。そうなれば黙っていられないのは女のほうだった。
「え、ちょ、ちょっと待ってください。この文章から『彼』が特定出来るんですか?」
「そのはずだよ」
途端、女に負けず嫌いの気が芽生えた。早く校正・修正をして原稿を納めるという使命も忘れ、原稿の一言一句に注意して読み直す。
四人の容疑者の紹介エピソードと、被害者が殺される直前の僅かなやり取り。これをヒントとしてツリ目の女は推理を始めた。
作中の『彼』の風貌はヒントにならない。林原健二、村上友雄、岡崎信也、峰岸隼人、そのいずれとも異なっている。落ちぶれた末の姿があれなのだから、栄光時代と比べても無意味だ。
(いや、待てよ?)
ツリ目はふと、あることに気付いた。容疑者の中で、比較的最近の姿が描写されている男がいるではないか。
林原健二。彼は半年前には立派な極道者になっていた。しかも『彼』は「久しぶり、ようやく見つけた」などと言っていたはずである。半年の間に環境が激転する可能性もあるだろうが、少なくともその前に被害者女性と会っていたのだ。だとすればこの台詞が出るのは不自然か。
確定的な証拠が無い以上は消去法で進めるしかないと考えたツリ目は、容疑者を三人に減らした。
(他に『彼』の台詞から導かれるのは……)
『彼』は女を訪ねたときに「開けろ」とも言った。それはつまり、女に開けてもらわなければ中に入れないというとだ。わざわざそんなことを考える必要があるのかと言うと、ある。峰岸隼人は被害者女性のアパートの合鍵を持っているのだ。
現実の捜査や裁判ではどうにもならないだろうが、作中の文章から筋道を見つけるのが推理小説である以上、これは大きなヒントとして捉えるべきだろう。
(これで後は、村上友雄と岡崎信也の二人ですよね)
ツリ目は考える。そしてここで推理が詰まった。
『彼』の最後の台詞「お前さえいなければ」がエピソード中に盛り込まれているのは村上友雄のほうだった。ところが常識的に考えて、その程度の言葉なら岡崎信也の口から出てもおかしくない。むしろ殺害動機としては岡崎信也のほうが強いだろう。いずれにしても決定打に欠けるのだ。
「先輩、本っっ当に犯人が分かるように書いてあるんですよね? どうしても最後の二択が決まらないんですけど」
ツリの女は自分の頭をくしゃくしゃにしてもがいた。その様子を髭面の男はのんびりと眺める。
「どっかに落としたところがあるんじゃないの?」
「隅々まで目を通しました。私、これでも推理力には自信あるんですよ。もしかして先輩、この女の子供が犯人とかそういうオチじゃないですよね? 自分を捨てた母親に復讐とか」
「それは無いよ。同年代の人が野球でメジャーに行くってことは、年齢的に高く見積もっても三十五歳くらいでしょ。彼女は三十路直前に峰岸隼人と出会ったわけだから、その後で産まれた子供じゃ大人を絞め殺すのは無茶だなあ」
「ですよね……」
ならば誰なのだ、とツリ目は頭を抱えた。
友雄か、信也か。
「……飲み物を買ってきます」
女は考えた末、ここは気分転換が必要だと席を立った。
「ん?」
一歩目で足元に妙な触感を覚えて視線を落とすと、そこには一枚の原稿用紙が落ちていた。まさかと思い、恐るおそるそれを拾い上げる。
「えっと……『お詫びと訂正――作中において岡崎信也の名前を、何度か繰り返し誤って表記しておりました。ごめんね☆』」
ツリ目はその文言が意味するところ、及び著者の性格を合わせて分析し、一つの答えを導き出す。
「ひょっとして、こういうことですか?」
そして机の上にあった原稿に赤ペンを走らせ、髭面の眼前に突き出した。
*
信也に首を絞められる、夢を見た。
首を絞める男の顔は日によって違うけれど、見るのは大抵、信也だ。
ある日の深夜。そう、信也だ。
ほらね、やっぱり正夢だった。
私は信也に首を絞められて殺された。
*
「ご名答!」
髭面の男は親指を突き立てて、得意げで満面の笑みを浮かべた。ツリ目の女も笑った。
「あ、タイトルの『繰り返される過ち』って、そういう意味だったんですか。あーなるほどなるほど、てめえふざけんなよ」
ただしその瞳には烈火の怒りを湛えている。
「でも俺、ちゃんと言っておいたよ。間違ってたり抜けがあったりするかもしれないって」
「これ間違ったんじゃなくて、わざとじゃないですか! 大体、本格推理物を書くって話はどうなったんですか!」
「あんまり怒鳴ってばかりいると、男の子から怖がられちゃうよ?」
「誰のせいだと思ってんですか! 毎回毎回、変なボケを通すのは止めてくださいよ!」
「どうしても真面目な話が書けなくて、ついやっちゃうんだよね。これが本当の『繰り返される過ち』ってね」
「じゃかましい、うまいこと言ったつもりかボケナス! 正座しろ正座ぁ!」
とりあえず女は、姿勢を正した男の額に赤ペンの先を押し当ててグリグリした。