わたしのオートマター、もしくは死体なき殺人
「ここんとこ変死続くねえ。平和がとりえのこの町だってのにさ~」
クロードは助手席であくびをする“相棒”を横目でにらんだ。
見た目は愛らしい少女。赤毛ポニーテールに吊り気味のグレイアイズ。名前はユーリ。16歳。
隣町のミッションスクールに通う、花の女子高生。
だがその行儀は悪い。両手を頭の後ろで組み、ダッシュボードにショートブーツが乗らんばかりにでん、と足を組んでいる。短いスカートはいてるくせに。
もっともその下はスパッツなので、一昔前のような甘い期待は抱きようもないが。
「変死ったって、フィルス・シュナイダーは病死だろ? 一緒にするなよ」
奇妙なことに、ユーリはそれでも、シートベルトはきちんと締めている。
このあたりのバランス感覚は、クロードの理解を超えている。
もっともユーリに関してクロードが理解できることなど、皆無に等しい。すくなくとも今のところは。
「医師に看取られてなきゃ変死なの~」
そら、さっそく始まった。
ユーリはそんなことをのたまいつつ“いちごぽっきー”をとりだし、勝手にぽりぽりやりはじめたのだ。
死を話題にしながらその態度か。いつもながら、失礼かつ不謹慎なやつだ。
持病で死んだことが推測されるって医師に認められれば普通扱いなんだぞ。そこんとこわかってあえて言ってるだろ。
まったく、こんなのが州知事のあとつぎとは、世の中どっかまちがってる。
バックミラーの中、最近ちょっとふけてきたかもしれない自分がため息をつくのがクロードには見えた。
「まだ若い、そりゃ28だからな。髪は茶色。白いものが混じってるんじゃないかと最近不安だが。目の色は髪より少し濃い茶色。
自らイケメンと断言するのはさすがにはばかられるが、面と向かってブサイクとのたまわれたならTPOに応じた反撃を考えることは世間的にみて許されるだろう、外見。
服装はブルーグレーのジャケットだ。ネクタイはしていないが靴は革靴をはいてきた。こいつはちゃんと磨いてある――靴は男の顔だ、と子供のころからお袋にサンザン言われてきたから、そこはとりあえず外せない。」
するとユーリが語り始めた。クロードの口調と声を真似て。
クロードは一瞬で真っ赤になる。
「って何勝手にモノローグつけてんだお前は!!」
「へへー♪ 今回はラノベ風にしてみました~♪」
「……お前も一度変死すればいい。」
「無理。
だってあたし美人だもーん。変死する前に寿命で自然死するもん。美人薄命たあよく言ったもんさね☆」
「そいつは女が対象だろう。お前は対象外だ」
「ひ……ひどーい!!
クロードのばか! ばか! 変死させてやる!!」
叫びと同時にユーリが動いた。
クロードのネクタイはぐいっと、物理的限界近くまで引き絞られる。
「ば! やめろ!! やめろユーリ!! 他の人まで変死する!!
謝るからやめろ!! 謝るから!!!!」
クロードは遠のく意識の中、必死で車を道端に止めた。
ハンドブレーキを引きギアをPにいれハザードランプをつけてハンドルに突っ伏す。この間実に1.5秒。
「ぜえはあぜえはあぜえはあぜえはあ」
「教訓。
運転中は言動に気をつけましょう。
いや、運転中に限らないんだけど。」
青ざめた顔で酸欠にあえぐクロードのとなり、ユーリは満面の笑みでそんなことをのたまった。
「っつうかなんでお前毎回俺について来るんだよ……」
「当ったり前でしょ?
さえない刑事と天才美少女名探偵っていったら探偵もの鉄板のコンビじゃない!」
「…………………………………………。」
クロードはまたしても深いため息をつく。
そして黙って車を出した。
***
現場は町外れに建つ屋敷。
ただし、そこに住人はいない。
つまり、廃屋だ。
そのなかの一部屋、居間と思しき広間。
そこに鎮座した応接セット。
その、入り口に最も近いソファの上に、くだんの女性は横たわっていた。
職業ゆえの悲しい性か、ひとめでクロードには分かった。
彼女はすでに息絶えている。
救いは、その表情がむしろ安らかなことか。
真っ赤に染めたショートボブの髪、若い肢体を露出し強調する挑発的な黒のワンピース。
歩く目的のために作られてはいないのだろう、黒の柄タイツとピンヒール。
バッグ本来の目的は多分果たしていないだろう、装飾過剰なハンドバッグ。
あきらかにフェイクとわかる、くるぶし丈のファーコート。相当濃くつけていたのだろう、甘だるい香水の香りがまだ漂っている。
しかし美貌を飾るメイクは簡素で、真っ赤な口紅をただ引いてあるだけであること、なぜかそれだけ素朴な、ベージュのショールをかぶるようにしていることが意外ではあるが。
あと一歩、いや半歩で下品になりかねない装いながら、彼女はそれでも美しかった。
むしろその口紅と髪色と服装が、逆に彼女本来の美しさを蹂躙しているかのように、クロードには見えた。
そのためか、娼婦には見えなかった。夜遊び帰りだったのだろうか。
「ちょっとクロード。変だよこれ、あきらかに」
そのときユーリが、クロードの服の袖を引いた。
クロードを見上げる大きなグレイの双眸はこれまた大きく見開かれ、緊張感に満ちたきらめきを放っている。
これはおふざけではない。そう判断してクロードは問う――
「なにか異常があるのか?」
――本来死んでいる時点ですでに異常なのだが、それはこのさいおいておくとしよう。
「メイクが手抜きすぎ。
このカッコだったら、もっとアイメイクなんかばっちりしてるもんなのに。
ファンデとかも塗ってないけど、寝化粧にしてはハデな口紅つけてるし。
とりあえず、フルメイクはめんどくさいからとりあえずごまかすために塗りましたってカンジがする。
髪型もちょっと疑問かな。なんだかとにかくいらないからってざっくり切ったカンジ。
失恋して友達に相談して、ノリでその場で髪の毛切っちゃった子がこんな感じだった」
「なるほど」
クロードはすばやくメモをとった。こういうときはユーリがいることがありがたい。
男の、しかも異性とのまともな交際経験がなきに等しい自分では、この発想は出てこなかっただろう。
「ショールもちょっと、この服装だとありえなすぎるチョイスよね。これ単体はシンプルだしいいカンジなんだけれど」
「確かに」
「え?!
クロードもそう思ったの?! 意外!!」
「何 故 。」
***
「……わたしの、せいかも知れません」
取調室の椅子の上、まだ学生のようにすら見える青年は、そういってうつむいた。
第一発見者は、現場からそう遠くない場所に店を構える二十代後半のオートマター<自動人形>職人だった。
名前はピサロ。特徴は、細い黒縁の眼鏡、茶色の髪と瞳。
茶色といえばクロードもそうなのだが、ピサロは色素が薄いせいか、はたまた相当整った容姿のためか、一見して繊細な印象を受ける。
もっとも、繊細なのは印象だけではないようだ。
人の容姿と動きをリアルに、ときにはコミカルになぞる存在である、自動人形。
ヒトの写し絵ともいえるそれを、ある一定以上のレベルで作りあげる職人ともなれば、ヒトがうちに秘めたるなんらかを感じ取る、鋭い感受性が必須なのかもしれない。
そしてそれは、すなわち繊細さにつながるのだろう。クロードにはそう思われた。
椅子の上の優男は一見して憔悴した様子だった。
まるで、自分のせいで彼女が死んだといわんばかり。
クロードは詰問調にならぬよう、気をつけながら先を促す。
「それは、どういうことですか?」
「昨夜、わたしはあの方――リリアさんを車でここにお送りしました。
でもそのときは、あの方は元気で……
けれどなんとなく胸騒ぎがして、けさきてみたらあの方が死んでいたんです。
まさか、こんなことになるなんて……」
ピサロは憔悴した様子で机にひざをついた。
頭を抱え込み、髪をぐしゃぐしゃとかきまわす。
「まあまあ、おちついてよ。えっと、ピサロさん、だっけ?
順を追って説明してくれる?」
「あ、はい……。
あれは、おとといの夜のことです。
彼女は酔った様子でこの工房にいらしたんです。
そして、ご自分のオートマターを修理してほしいがいくら位かかるのか、とおっしゃいました。
わたしはとりあえず、直してほしいところをお聞きして、ざっくりとした見積もりをお出ししました。
特に複雑な動きをするものではないのでそれはいいが、いかんせん見た目が古びてしまっている。
肌の表面を綺麗になるよう削りなおしてほしい。
あと髪がないのでつけて、顔も自分とそっくりなものをつけてくれということでした。
髪はご自分のを切るからそれを使ってくれ、写真もいっしょに明日渡すとのことでしたので、だいたい35万ルピナスほどとお伝えしたところ、それでいい、今からきて人形を引き取ってくれとおっしゃいました。
しかしリリアさんはまだ少しふらふらとしていましたので、このまま車に乗せたらご気分を悪くするだろう、そう思って、水を差し上げ店内でしばらく休んでいただきました。
リリアさんはお疲れだったのか、30分ほど眠っていらっしゃいました。
リリアさんが目を覚ました後、わたしは彼女を店の車の助手席に乗せ、案内されるままにあそこへいきました。
そのときは暗かったし、あまり行ったこともない場所だったから、そこがまさか廃屋だとは思わなかったんです。
門を開けて敷地に車を乗り入れ、玄関に横付けして、リリアさんを救けおろしました。
人形は玄関ホールに運んでありました。
真っ暗ななか、明かりが車のヘッドライトだけで不気味だったのですが、あとがあるからはやくしてとおっしゃるのでそのまま、わたしは人形を車に乗せ、屋敷を出ました。
車を出して門を閉め、そのまままっすぐ店に戻りました」
「時間とか覚えてます?
あと、その日のリリアさんの服装とか」
「あ、………
工房にいらしたのが……9時半まえ、でした。
工房を出たのが10時半すこしすぎです。
そして工房に帰ったのが、……工房の時計で11時ごろでした、たしか。
服装は、あの、現場で見たものと同じだったと思います。
あと……
工房に備えつけてあった防寒用のショールを、休んでいる間リリアさんにお貸ししたのですが、なぜかとても気に入ってしまわれたので、サービスで差し上げました。
帰りと、翌日もリリアさんはそのショールをかぶっておいででした」
「ふむふむ……
なるほど。それで?」
ユーリがメモを取りつつ先を促す。クロードは心中つぶやく――どっちが刑事だ。まあ今のところ間違ったことはしていないので、止めるには及ばないのだが。
「あ、はい。
昨日の夜……9時10分ごろだったと思います。
聞き覚えのない――おそらく男性の声で、工房に電話がかかってきました。
リリアさんの代理の者です。髪が準備できたから昨日の場所に取りに来て下さい、あと顔はやっぱり直接型を取って作ってほしい、しばらく忙しいから今からやってほしい、10分後、昨日の家の前で待っているということですのでよろしく、確かに伝えましたよ。
そういわれてわたしはあわてて車をだし、昨日の場所へ向かったのです。
門の前までいくと彼女が玄関口でランプと紙袋を持って待っているのが見えました。
わたしに気づくと彼女は無言で手招きをしました。
わたしは門を開け、玄関口に車をつけると、リリアさんはそのまま乗り込んできました。
そうしてもう一度、彼女はこの工房にいらっしゃいました。
あ、そのとき時間は9時半ごろでした。
服装は前日と同じで、差し上げたショールをかぶってました。
聞いたと思うけど顔はやっぱり直接型を取って作ってほしい、しばらく忙しいから今やってとおっしゃいました。
そこで型どりについての注意点を申し上げ、確認を取ったところ構わないとのことでしたので、工房の寝椅子にかけてもらってライフマスクの型どりを行いました」
「あ、ライフマスクって? あと、型どりの注意点ってなに?」
「ライフマスクとは、生きている方の顔を直接型どり剤でかたどって作るマスクです。おもに芸能人の方や、著名な方などが残したりなさるようです」
ユーリの問いに、ピサロはよどみなく答える。
心なしか、その背筋が伸びているようにクロードには見えた。自分の専門分野であるためか。
ピサロはすらすらと言葉を続ける。
「型どりの注意点は――
まず、メイクを落としていただかなければならないこと、髪もゴムの帽子で保護するから髪型もすこし崩れるかもしれないこと、万一の場合、服に型どり剤がついてしまうかもしれないのでこちらで用意する服に着替えていただきたいということ、そして型どり剤を塗り、それが固まるまでの間30分くらいは動かずしゃべらず、なにかあったら筆談で意志を伝えていただきたいということです
――これらのことを説明したところ、構わないということでしたので、準備ののち、工房の寝椅子にかけてもらってライフマスクの型どりを行いました。
それからリリアさんはもとの服に着替え、簡単にメイクをしなおし、さっきの屋敷へ戻ってくれとおっしゃいました。
場所も分かっているしわたしは、すぐに店を閉めて出ました。
10時半……すぎだったでしょうか。
リリアさんに助手席に乗ってもらい、昨日の場所へと行きました。
門を開けてもらい、車を玄関につけました。
彼女は助かったわ、じゃあ頼むわねとおっしゃって玄関に入ってゆき、わたしは自分で門を閉めて、屋敷を出ました。
工房に戻った私は、頭皮パーツへの植毛作業と、マスクの仕上げとを行い、ひと段落してから眠りにつきました。
そうですね、11時過ぎに工房に戻って、夜中の2時ごろまで作業していたと思います。
しかし、翌朝になるとどうも胸騒ぎがして……
来てみたら、ここはこんな廃屋で。
悪い予感がして、なかに入ってみたら、あそこで、………
もしわたしが、もっと気をつけていれば、こんなことには……ならなかったのかと思うと………」
そう言うとピサロは再び頭を抱え込む。
「ピサロさん」
クロードは捨ておけず声をかけた、が。
「考えすぎでしょ」
「ユーリ!」
ユーリは一言のもとに切って捨てた。
「だってあなたは送ってくれっていわれて送ったわけでしょ。さっさと帰れといわれて帰った。
そしたらそこが廃屋だろうが、ましてやそのあとそいつが毒を飲もうが薬を飲もうが、あなたには全然関係ないでしょ。
それとも――」
「クロードさん!!」
そのとき、澄んだソプラノの声とともに取調室のドアが叩かれた。
「ちょっとすみません。
――なんだよ、何があったんだ」
クロードがドアを開けると予想通り、胸の高さに栗色のショートヘアがみえた。
ふちなし眼鏡の向こうから大きな緑色の瞳が、クロードの顔をまるで小動物のように見上げている。
鑑識官のミーネだ。
小柄、眼鏡、童顔、性格はやや内気で健気。いわゆる“萌えポイント”が一気呵成にそろい踏みした、所轄内のアイドル的存在である。
ミーネはいつも持っている赤い表紙のメモ帳を手に、小声で報告を始めた。
「リリアさんの検死の結果、出ました。
死亡推定時刻は一昨日の夜10時前後。
死因は睡眠薬のオーバードーズ(過量摂取)。
お酒もかなり飲んでいたようです」
「なに」
クロードの顔がこわばった。
「おととい、だって?
それは確かなのか」
「はい。ルーネ先生は間違いないと……」
「なになに。どうしたのよ。えっと……」
「あう、だめです、勝手に」
「見えるようにメモを持ってるのは見てくれってことでしょ。
死亡推定時刻は……うげ」
ユーリが笑い顔になる。
しかし血の気は心なしか引いている。
「うっそ……今回マジオカルトですか……」
「ピサロさん!」
クロードはしかしさすがは本職というべきか、さっとピサロに向き直った。
「すみません、今新しい情報が。
リリアさんが亡くなった時間が分かりました。
おとといの深夜10時ごろだそうです」
「え………」
ピサロの顔から血の気が消えた。
「……ひ、ひとと、すれ違ってます……誰か、見てる、はずです!!
わたしはきのう、助手席にあの人を乗せてあそこにいったんです、本当です!」
「失礼ですが、もう一度よく、思い出していただけますか?
その人は……昨夜あなたの工房にきた女性は、たしかにリリアさんだったのですか?」
「はっはい! それは間違いありません。
おとといと服装も……バッグもたぶん、同じでしたし……
亡くなっているようには…………」
ピサロは自分の両手を握り合わせる。
現時点、これ以上は聞けることもないだろう。クロードは営業用のスマイルを作った。
「わかりました。
お忙しいなか、ご協力ありがとうございました。
今日はもう、お帰り頂いて結構ですよ。
なにか思い出されたり、不安になるようなことがありましたら、いつでもご連絡ください、ピサロさん」
「は、はい。ありがとうございますっ」
ピサロは机の上で前転してしまいそうな勢いで頭を下げると、逃げるように取調室を飛び出した。
***
「あやしすぎでしょどう見ても。」
「あやしいのはお前の頭だ。
なんだってこのなんも分かってない状況で、あんな風に参考人を挑発するんだ。誘導尋問でもかます気か?」
「そうだけど?」
「そうだけどって」
あのあとすぐ、クロードはユーリをつれて署内の休憩コーナーに移動した。
そして先ほどの言動を詰めていた。いや、詰めようとした。
しかしユーリは悪びれた様子もない。むしろ開き直ってのたまった。
「あれはどーみたってクロでしょうが。
まったく何もなくってあんな風にキョドる? いくらなんだっておかしすぎ。
まあいいわ、ウラをとればハッキリすることよ。
聞き込み行くわよ!」
ユーリはずんずんと歩き出す。そのまま勢いでクロードの脇をすり抜ける。
「おい! まだ話は…… て、ちょっと待て、こらー!!」
クロードは慌てて後を追いかけた。
ぐずぐずしていたら車を奪われかねない――しかもユーリは無免許だ。
***
聞き込み開始から半日後。
署内のミーティングルームに二人の姿があった。
「うっそでしょ……」
ユーリは天を仰いで自分の頭をつかんだ。
クロードの脳内で、あっちゃーという擬音が彼女のバックに合成された。
「なんで目撃者がいるのよ……
しかもおととい来たとき帰るとき昨日来たとき帰るとき全部ー!!」
小さいと断言するには微妙だが、けして大きくもないこの町のこと、目撃者はあっさりと見つかった。
そのなかにはリリアと面識があるものも複数いた。
彼らはそろって証言した――車の窓に、疲れているのか頬杖をつき、うかない様子だった。しかしあれは彼女だ。間違いないと。
それでもユーリはあきらめない。
「これはオカルトよ!! オカルトに間違いないわ!!」
「自分の分からんことは全部オカルトかよ」
「オカルトってなそういうもんでしょ本来」
はいはい、とクロードは受け流す。
クロードは学んだのだ。多くの時間と膨大な労力と彼の給料ではけっこう痛いスイーツ代を授業料として。
この段階での議論はかならず徒労に終わる――勝てた事は一度もない。悪いことに、議論の結果、利益があったこともない――と。
ユーリはそれを知ってか知らずか、びしっ、と人差し指を突き上げる。
「けれどそれを探求するのも人間よっ。
まずは証言を整理してみましょ!」
「ああ」
二人はホワイトボードに、いままでに得た証言と情報を書き出してみた。
◆おとといの夜
・9時過ぎ。リリア移動。すでに酔っていた
(目撃者あり、友人、ちょっと会話している)⇒リリア生存
・9時半まえ、工房にリリア着
(ピサロ氏の証言)
☆10時ごろ 死亡推定時刻⇒リリア死亡?―――――――――――――――――――――
・10時半すぎ、人形をとりに工房から廃屋へピサロ、リリア出発
(ピサロ氏の証言。車は店のマークのはいった小型ピックアップトラック)
工房の車の助手席にリリアがのっているのが複数の知人に目撃されている
ショールをかぶり、ドアにもたれるように頬杖をついていた。寝ているようだった
(目撃者あり、リリアの顔見知り、見ただけ)⇒リリア生存? 死亡?
・11時ごろ、工房へピサロ戻る
(目撃者あり、工房の車が走っていくのをみた。所要時間も不自然ではない)
◆昨日の夜
・9時12分。知らない男? の声で電話あり。
(通話記録、市内公衆電話より工房へ)
ピサロ、リリアを迎えに出発
・9時20分ごろ廃屋へ着。髪を受け取りリリアをのせる
車中のリリアは頭にショールをかぶり、またしても、ドアにもたれるようにだるそうに頬杖をついていた
(目撃者あり、リリアの顔見知り、見ただけ)⇒リリア生存? 死亡?
・9時半ごろ、工房着。顔の型どり。
・10時30分ごろ、車で廃屋へ出発
(ピサロ氏の証言)
店の前から自分で車に乗るところが目撃されている
(近くの住人、面識もないし顔までは見えなかったが、くるぶし丈のファーコートと頭のショール、ピンヒールという服装、その色が一致)
工房の車の助手席にリリアがのっているのが複数の知人に目撃されている
頭にショールをかぶり、またしても、ドアにもたれるようにだるそうに頬杖をついていた、キーホルダーをもてあそんでいた⇒リリア生存?!
・11時過ぎ、ピサロ工房に戻る(所要時間は不自然ではない)
・夜中の2時ごろまで作業、就寝
◆けさ8時ごろ、通報。
ピサロが廃屋にきてリリア発見。近くの家の住人に助けを求めた。
ここまで書きあげると、すかさずユーリは言い足しつつ書き足した。
「考えられる可能性はこんなもんよね――
1.リリアさんには双子の姉妹がいた。
彼女とピサロ氏が共謀してリリアさんを殺しアリバイを作り上げた。リリアさんはおととい殺害されたが生きてるように偽装した
2.リリアさんの殺害は昨日の夜だったけれど、なんらかの方法で死亡推定時刻を早めた。
3.リリアさんは昨日時点で死んでいたけれど、何らかのギミックで身体を動かされ、生きているかのように行動した。
4.目撃証言自体がカンチガイによるもの。リリアさんに変装した誰かとピサロ氏が以下同文。」
「おい。」
今度はクロードが額を押さえた。
「2.以外は全部ムチャだ。
4.に至っちゃ集めた証拠を自分で全否定してるだろ。言語道断だ」
「誤認なんていくらでもあるでしょ。
目撃者の誤認が重なってあやうく無実の男性が殺人犯にされかけたことだってあるんだからね」
「だがそれはレアケースだろう。
今回は知り合いが顔を見ているんだ。髪はショールでよく見えなかったそうだが」
「ピサロ氏は腕のいいオートマター職人よ。
ちょっとぐらいの違いならメイクやツメ綿なんかでカバーできるでしょ。
ましてリリアさんらしき人物は、ドアにもたれるようにだるそうに頬杖ついていたって言うじゃない。ファーコートも着ていたっていうし、これなら多少の体格差も目立たなくなる。
この姿勢なら、もし座っていたのが死体であっても相当硬直してない限りバレないわ。シートベルトで身体も固定されてるんだし。
キーホルダーをもてあそんでいたというのは、そうね、その部分がまるごとギミックだったのよ」
「わかった。ならひとつずつ論破させてもらう。
4.は非現実的だ。そんなもので知り合いをだませるほどに似た顔の人間がそうそういるとは思えない。
1.も否定される。もしも双子がいるんだったらこれまでの捜査でその情報が入ってきているはずだからだ。
3.は常識でありえない。死んだ女がどうやって自分で車に乗る?
キーホルダーをもてあそぶ手がまるごとギミックというのは確かに可能だろう。実際そういうタネのマジックもあるからな。
しかし、車に乗ることまではできないだろう。
彼女は店の前に止めた車に自分で乗っている。それを見たやつがいる」
「その人は顔見てないじゃない。あきらかに一致したのはコートとショールと靴だけでしょ。共謀者が彼女の変装をして、車内で入れかわ…… らなくてもいいわね。
ねえ、こうは考えられない?
リリアさんと思われていた人物は、リリアさんの顔をしていたけれどリリアさんじゃなかった。
そんなことが、実際に出来る方法はあるわ。
リリアさんの顔はおととい時点でもうひとつ存在してたかもよ?
――ピサロさんの工房に」
「どういうことだ」
ユーリはえへん、と咳払いをすると椅子にかけた。
足を組み、人差し指を立て、不敵な笑みを浮かべる。。
『始まるぞ』
吊り気味のグレイアイズが至高の輝きをみせる。クロードは息を呑んだ。
「リリアさんはおととい10時ごろすでに死んでいて、その顔を型どりされたの。
ピサロさんと協力者は、型どりだけをすませたら、車庫の中で彼女を助手席に乗せる。
それまでの作業に30分とかかかるとしても、そのころならまだ死後硬直はしていないから、寝ているように見せかけることも可能でしょ。
腕を頬杖突いてるように固定するのは簡単よ。
リリアさんはもともとロングヘアだったでしょ? だからこう、手首とサイドの髪を絡めて、そのあと髪をゴムかなんかで縛ればOKよ。あとはショールかければみえない。
身体のほうはシートベルトかけとけば、そうくずおれたりもしないわ。
で、廃屋にきたら、二人を置いてピサロさんは一旦工房に帰る。
で、ピサロさんが一晩かけてデスマスクを作る。
翌日、協力者は公衆電話から電話をかけ、ピサロさんを呼び出す。
廃屋にもどってリリアさんの服、コートだけでもいいけど、を着る。
ピサロさんが来たら、荷物室にリリアさんの遺体をのせ、ピサロさんから完成したデスマスクをもらってかぶり、ショールもかぶってリリアさんのふりをし車に乗る。
工房にもどったら、そこでリリアさんの髪を切る。
その後、リリアさんのふりをして車に乗るところ、のっているところを目撃させる。
それで、あらためて遺体を廃屋においてくる。
こうすればリリアさんが死んでいても、リリアさんのアリバイを作ることができるわ」
開陳された推理にクロードは絶句した。
とんでもない。
しかし、何度頭の中で検証しても、破綻している箇所は見出せない。
白旗だ。これを主軸に裏づけを進めるのがベストだろう。
髪がどこで切られたかの検証。髪が入れられていた袋の入手ルート。デスマスクの所在、それに付着している協力者のDNA採取。
現場とリリアの着衣やキーホルダー(みつかれば)からもなにか検出されるだろう――
これまでの経験と直感から、クロードはそう判断し、自分もユーリの前の椅子に手をかけた。
「盲点だったな。
となるとピサロの工房にガサ入れか。
しかし、そうなると“なかのひと”は誰なんだ?」
「あうー、あうあうあう………クロードさ~ん……」
そのとき廊下から泣き出しそうな声が聞こえてきた。
クロードはドアを開ける。
「おいミーネ、ここだ。どうした」
「クロードさんんんん!!」
いつもどおり、胸の前に両手でメモ帳を保持して、彼女は器用に駆けてきた。
「ホ……ホラーです……ホントにホラーですぅ……」
「おい、落ち着け。
今度はどんな結果が出てきたんだ?」
「リリアさんの服の内側から、……フィルスさんの髪の毛が……」
「お、おいおいおい。
フィ、フィルスってのは、まさか」
「っはい……
一週間前に死亡した……フィルス・シュナイダーさんですうぅ!!」
背後でユーリが奇声を上げた。
そしてクロードもめまいを覚えた。
まさか、とっくに墓に入った人間が、リリアに変装して自ら車に乗っていたと?
それは信じられない。しかし、信じられないならばこそ確かめなければ。
クロードは片手を壁につき、身体を支えながら問う。
「た、…確かなのか?」
「はい……
あんな、雪のようなみごとな銀髪の持ち主は、リリアさんの交友関係ではフィルスさんだけでした。
そのため、フィルスさんのお部屋から毛髪を採取して、鑑定しましたら一致しました……」
***
フィルス・シュナイダーは、一週間前に持病で天に召された。
枕元にこんな遺書を残して。
『わたしはかなわぬ想いを抱いておりました。けして結ばれぬ方に。
どうか、その方がだれかを追及しないで下さい。その方は何も知らないのです。
しかし、その辛させつなさは、わたしの病魔を増長させ、死期を早めてしまったようです。
いま、父と母が呼ぶ声がしました。
わたしは明日の朝を迎えることはないでしょう。
フェリシア、お前には本当に申し訳なかった。愚かで弱い兄を、どうかどうか許してくれ。
そしてアンリ様、ピサロ君。どうか妹を、よろしくお願い致します。
フィルス・シュナイダー』
彼の双子の妹フェリシアは、悲しみのあまり声を失ってしまった。
彼女ももともと病弱で、多くの時間を臥せって過ごしていた。
しかも体力的に兄より弱く、自力で長く歩くことも困難なため、家の中でさえ車椅子に乗っていた。
そこへ声まで失っては、兄を弔うもろもろの仕事をこなすのは無理がある。
そのため喪主は、唯一の係累である遠縁の男性、アンリ・シュナイダーがつとめた。
個人的に懇意にしていた人形職人ピサロは仕事のかたわら、毎日のように彼女の家に通い、その手伝いをしたという。
しかしピサロの献身はしばらく報われることはないだろう。彼女は、心が回復するまでと、少し離れた修道院に移されたからだ。
しかも悪いことに、フェリシアはまもなく修道院から姿を消してしまった。
崖の上に、車椅子を残しての失踪。
修道院側からは捜索願が出されていたが、自力で遠くまで行くことができないはずの女性が3日たっても見つからないため、絶望的な見方が捜索班を支配していた――
***
「フィルスさんって確か、まえにリリアさんを振ったのよね。
なんだってそんな相手の髪の毛が……
葬儀のときに彼女の身体についたとしても、一週間も残ってる?」
「持ち歩いていたのかも知れませんよ。せめて思い出だけでも、て……」
「交友のあった男女の変死か。
気になるな」
「クロード!」
「おう。
本部行って来る。工房のガサいれも合わせて申請する。
お前らは好きにしていいぞ」
「はい。それではわたし、ラボに戻ってますね。
報告書を書かなくちゃいけませんので」
ミーネはぴょこっとお辞儀をすると駆けていく。
しかしユーリは食いついた。
「ちょっと!
あたしを置いていくつもりなの?! あたしは相棒なのよ?」
「埋葬された遺体を掘り起こすんだ。
いくらなんだって、未成年に見せたいもんじゃない。
それにお前、宿題は終わったのか?
おじさんに“こいつと付き合わせていると教育上明らかによろしくない”てみなされたいんなら放置でもいいがな」
ユーリはふてくされた様子で頬を膨らませたが、ぷいとそっぽを向いて言う。
「……わかったわよぅ。
車のカギかして。かばんとってくる」
「おい、ここで宿題やるってのか?」
「へへ~。
ここならルーネ先生に教えてもらえるもーん。宿題なんて楽勝楽勝!」
ユーリは一転、笑顔でブイサインを作った。
「……
できるところは自分でやれよ?」
「は~い♪」
クロードは一瞬あっけに取られた。
そしてちょっとそっぽを向きつつ、車のカギを手渡した。
***
基本的にヒマなこの町でのこと、許可はすぐにおりた。
教会関係者はいい顔はしない。まあ当然だ。それが仕事なのだし。しかしこちらも仕事だ。
クロードはそう割り切って営業スマイルで頭を下げた。
そのかいあってか、墓地での作業は順調に開始され進行した。
今、クロードの目の前には大きなタテ穴。
その底にひとつ、品のよい白木の棺が鎮座している。
蓋を打ち付けた釘はすでに一本残らず抜かれている。
「それじゃ開けますよ、せーの!」
掛け声とともに棺のふたが開かれた。
甘く濃い百合の香りとくすんだ白が外界に開放される。
「?!」
その場の全員が息を飲んだ。
あきらかな、美しさに。そして、異常さに。
棺の中には白い花々に包まれた、白い装束の天使がいた。
資料にそえられた写真と、すこしもたがわぬ優しい美貌。
軽く肩を覆う、粉雪のような銀の髪。
長く病と闘い続けたためか――
男とはとても思えぬ小さな顔、華奢な肩、細い腕、薄い胸。
それでもそれは、美しかった。
同時に明らかに、異常だった。
なぜならここは、先日病死した『男性』の墓なのだから。
棺の中につめこまれた花は、すでにほとんどしおれていた。
そのため、それらに覆われていた身体のラインがはっきりとみえていた。
あくまでひかえめにではあるものの、胸はふくらみ、腰はくびれている。
それは、あきらかに女性のものだった。
つまり、
死んだ男の墓に、彼の顔をした乙女が眠っていた。
「こ、これは……」
「そんな、うそでしょ?!」
「おい、おいおい、なんで女なんだ?! どうなってるんだよおい!!」
墓地は騒然とした空気に包まれた。
そのさなか、クロードは思わず“相棒”の姿を探していた。
いつも彼の背中を元気全開にどやしつけ、いかなる恐怖も不安も吹っ飛ばしてくれる赤毛の天使は、しかし当然いなかった。
いや待て。まずは事実確認だ。喪主をつとめたアンリ・シュナイダーと主治医のアンダーソンが事情を知っているはず。ルーネに検視をしてもらっている間に確認したい。クロードは電話をかけるべく走りだした。
***
フィルスの死亡を確認したのは、兄妹の主治医であるアンダーソンだった。
しかし、このことを聞かされると彼は、大変に驚いた様子だった。
「わたしが死亡を確認した方は――フェリシアさんだったというのですか?!
確かに、着衣を脱がせて確認することまではしませんでした。
しかし、普通はそこまでしません。
呼吸停止、心停止、瞳孔の拡散。これをもって死亡は確認されます。
フィルスさんも長く病を患っておいででした。持病からの病死であることを疑わせる様子もありませんでした」
***
一方で、フィルス・フェリシア兄妹の唯一の係累であるアンリ・シュナイダーはこの事実を認めた。
「はい。確かに、フィルスさんは女性でした」
この事実を前に、彼は重い口を開いた。
「これは、フェリシアさんから明かされたのですが……。
18年前、長男のフィルスさんがうまれたとき。
母親のエリシアさんは虚弱だったため、一時生死の境をさまよった。
医師には“もはやこれ以上、子供は望めないだろう”といわれたそうです。
そしてフィルスさん自身も母親と同じ病をうけつぎ、ひどく虚弱な子だったそうです。
しかしその翌年、奇跡的に第二子が生まれました。
この子は女の子で、母の病もうけついでいましたが、それでもとても元気だった。
そのため父親は、この子と兄とを取り替えることにしたそうです――
すなわち、役場に次女フェリシアの出生を届け出、兄のフィルスさんを彼女とした。
同時に、兄のフィルスさんを妹のフェリシアさんとした。
フィルスさんも父の気持ちをくみ、家と“妹”を守るためにと自らも望んで兄として、男性として生きてきたそうです。
ふたりはとても美しく、そして双子のようによく似た兄妹でした。そのため、入れ替わりはなんなく行われ、まわりの誰一人として兄妹が実は逆転しているなどということは気づかなかった。
だが、医師の診断に際して性別を偽ることは困難です。そのため、アンダーソン先生の診察を受けるときは、兄妹を正しく入れ替え、フィルスさんはフェリシアさんとして、フェリシアさんはフィルスさんとして受診していたということです。
しかし奥様の体質をより強く受け継いでいたのは実はフィルスさんの方だった。
成長するにつれ、フェリシアさんが体力をつけるのと反比例するように、フィルスさんの方が虚弱になり、成人する頃にはふたりの立場は逆転してしまった。
このころには母親が亡くなり、父親もあとを追うように亡くなり、家はふたりの兄妹だけになってしまっていた。
それでもフィルスさんは兄として、フェリシアさんを精神的に支え続けていたそうです。
――最後にフェリシアさんはこういいました。
身体は女性でも、戸籍も対外的にも、そして精神的にもフィルスさんはりっぱな男性だったと。
ならば、ここは最後まで男性として、愛する兄を送ってやってはもらえないか、と。
確かに、普通ではない事態でした。しかし、すでに戸籍上男性とされている存在を、男性として弔うことはおかしいことではないと思ったのです。
しかしわたしは、フェリシアさんが心配になりました。
男の身でありながら、女として生きてゆくことは大変ではないのか。この機会に正しく入れ替わり、自分としての人生を歩んだほうがよくはないかと。
フェリシアさんはこういいました。すでに長く女として生きてきたわたしが、いまさら男になることは出来ない。
病で先も長くない。残りの人生は修道院に入り、心静かに暮らしたい、と。
わたしはフェリシアさんの意志に従うことにしました。
このときフェリシアさんはすでに声を失っていました。やせた手にペンをにぎり、咳き込みながらこのことをつづる彼女をみていると、もう痛ましくてたまらなかった。
せめて残りの人生は、わたしとピサロ君、そして修道院の皆さんで守ってあげたいと思っていたのですが……
刑事さん、どうかフェリシアさんを見つけてあげてください。お願いします。
フェリシアさんは、男として生まれたにせよ、心優しい、か弱い乙女なんです」
***
ピサロの工房の“ガサ入れ”ではいくつかのものが押収された。
まずリリアの髪を入れていた袋。
驚いたことに、近所の量販店の紙袋だった。
ユーリをはじめとする女性陣はありえないと連呼した。
そして、遺髪となってしまったリリアの髪。
実はもう昨夜、作業のために少し切って、洗ってしまったんです、すみません……とピサロは言っていた。
悪いことに、頼みのリリアの顔マスクも同様に綺麗に洗われていた。
かくしてこのふたつからは、誰か他の人間のものと思しき試料を検出することはできなかった。
リリアがいじっていたキーホルダーらしきもの。
これはリリアのバッグから見つかったが、ついていたのはリリアのしていた手袋の繊維と、消えかけたリリアの指紋だけ。手袋をした状態でいじっていたのでしょうというのが鑑識の見解だ。
足跡や毛髪などの鑑定結果も出た。
現場にのこっていた足跡は、ピサロの靴のあと、リリアとおぼしきヒール靴のあと、そして誰のものかわからない、小さめの男物の靴あと。
現場とピサロの車のなかに落ちていた毛髪は三種。ピサロの茶色い髪、赤く染められたリリアの金髪、そしてフィルスの銀の髪。
もっとも、フィルスはピサロと友人関係であり、車に乗ったこともあるというので、車内のフィルスの毛髪は特段の手がかりを提供するものではなかったが。
***
その後、署内の喫茶室にて。
「フェリシアさんとフィルスさんは毛髪とか一緒なんじゃないの?
それなら説明はつくわ。
失踪したフェリシアさんがひそかに舞い戻って、男の格好をして協力したって。」
「いいえ、一応念のため、それもチェックしました。
おふたりそれぞれの部屋から採取したんですが、違ってました」
「う~~~~~~~~ん…………」
いまクロードの目の前では、ユーリとミーネがココアを飲みつつ談義している。
主にミーネの犯罪級の童顔のため、まるで仲のよいクラスメイトどうしがおしゃべりしているように見えて愛らしい――もっとも話題が殺人事件という難はあるのだが。
「ひとつ聞いていい、ミーネさん。
ちょっと気になったんだけど……
フィルスさんの部屋からとった毛髪と、フィルスさんの遺体からとった毛髪って、同一人物のものか鑑定した?」
「……………………
あああああああああああああ!!!!!」
その瞬間、ミーネは爆発した。
いや、本当に爆発したわけではない――ただ、とんでもない大声で叫び、椅子から飛び上がり、そのままテーブルをひっくり返さんばかりの勢いで喫茶室を飛び出していったというだけのことなのだが。
それでも、あたりは騒然となった。
その威力たるや、以前発生した爆弾騒ぎをかるく凌駕。たちまち多くの署員が駆けつけてくる。
「ミーネちゃん?!」「どうしたんですか!」「何があった!!」
「おいクロード!! お前っ、俺たちのミーネ様になにか狼藉を」
「働くわけがなかろうが!!!
お前らミーネを邪魔しないでやれ。
あいつは、仕事にいったんだ。ひとりの鑑識官として。いいな?!」
その翌日。
捜査本部宛に舞い込んできた一通の手紙とともに、ふたりはピサロの工房を訪れた。
***
工房を訪ねるとピサロは微笑んでいた。
小さなテーブルに、見覚えのある銀髪の女性と向かい合い、親密な様子でかけていた。
彼女は喉元までフリルが覆う白い可憐なドレスと、揃いのものだろう、白いレースのヴェールで装っていた。
会話する声まで聞こえるような気がする。腹話術だろうか。
ドアを開けると、ピサロは客人たちを振り返り、にっこりと微笑みを向けた。
「いらっしゃいませ、刑事さん、探偵さん。
オートマターをご所望ですか?」
「ああ。
悪いんですがその中味、見せてもらえますか?」
「フィリーのですか? いいですよ」
ピサロは至極あっさりと承諾し、オートマターの肩と背に手を添える。
「立ってください」
声をかけ、ちょっと肩を押すとオートマターは立ち上がった。
まるで人間のようなしぐさで。
ピサロがよいしょ、とそれを抱き上げると、垂れ下がった左腕と両ひざ下がぶらりと揺れる――これまた、人間のそれのような具合で。
人間みたいだ。人間にしか見えないだろ。凝視するクロードとユーリの前でピサロは悠然と店の奥へと歩き出す。
「ごめんなさい、自動人形とはいえ愛するひとのかたみです。
脱がせるところまでは見られたくないので……
ここでお待ちください」
ピサロはふりかえり、ふわりと笑みを投げると、奥の部屋に入っていった。
ほどなく「いいですよ、お入りください」との声が聞こえ、クロードとユーリは部屋のドアを開けた。
寝椅子のうえには、着衣を脱がされ、身体の前面を開かれた自動人形が鎮座していた。
やわらかな頬に無表情を浮かべた彼女の中は、歯車やカム、モーターにラジエーター、その他もろもろの部品で埋め尽くされていた。
それは、先ほどまでの光景がはかない夢だったのではないかと思わせる、現実。
ピサロはしかし、先ほどまでと変わらぬ笑顔で客人ふたりに微笑みかける。
「このとおり、フィリーの中味はわたしの部品でいっぱいです。
ただ単純な動きをなぞるだけのものとは違い、フィリーは人間と同じように、自立し、さまざまな動作を学習し、考え、感じるオートマターです。
人一人を入れる隙間などはありませんよ」
「……失礼しました」
「あたしたちは、そのなかに実行犯がいると思ってたんです。
リリアさんの――遺体遺棄事件の」
「殺人では、ないのですか?」
「ええ。
これ。さっき、捜査本部に届いた手紙です。
――リリア・ホーネンスさんから」
ユーリはかばんから、すでに開封された封書を取り出した。
「なんですって?」
ピサロはひったくるように封書を受け取る。
もどかしげに便箋を取りだし広げた。
『ごめんなさい。私は、自殺しました。
理由は失恋です。
フィルスが愛していたのはピサロさんだった。もうフィルスへの想いは永遠にかなわないのだ。こんなことになってしまっては。
それを思い知った私は、死のうと思いました。
これを投函したら、自ら睡眠薬を飲み、ピサロさんの工房に行きます。
そこで私は死ぬでしょう。そうしたらフィルスとピサロさんは慌てるはず。殺人をさえ疑われるかもしれない。
でも、それだけでいいです。
一日後にこの手紙が届いて、わたしの意趣返しはそれでおしまい。
ごめんなさい。全部許して綺麗に死ねたら一番よかったのだけれど、どうしてもどうしても、最後にしっぺ返しをしてやりたい気持ちをおさえられませんでした。
ごめんなさいフィルス、ピサロさん。悪いのは全部私です。好きな気持ちひとつ抑えられない、馬鹿な私のせいです。ストーカーまがいの行為をし、あなたを死ぬほど嫌わせた、私のせいです。ごめんなさい。ごめんなさい。
刑事さん、そんなわけでフィルスとピサロさんは何も悪くありません。どうかもう疑わないであげてください。迷惑をかけてしまってごめんなさい。
お父さんお母さん、みんなもごめんなさい。馬鹿で迷惑ばかりで、本当に本当にごめんなさい。さようなら リリア』
「う、……そ………
だ、から、………」
ピサロはがくり、ひざからくずおれた。
クロードも彼のそばにひざをつく。
「詳しく、聞かせていただけますか」
「待ってくれ!!」
そのとき、さらに奥の間のドアが開かれた。
「ピサロさんは悪くない! やったのは僕です。僕がリリアの遺体を……」
飛び出してきたのは、白いドレスをまとった銀髪の麗人。
先ほどのオートマター。
ただしそれは生きていた。
人形にはありえないなめらかな動きで、ピサロを背中にかばう。
「あなたは……?!」
「フェリシア、……いえ。
フィルス・シュナイダーです。
僕の墓に入っているのが、妹のフェリシアです!」
***
「ピサロさんは毎朝、僕たちの家の前を散歩していました。
妹は極端に身体が弱く、ほとんど外に出ることもできなかったので、窓からそっと道行く人を眺めるのが、数少ない楽しみだったんです。
ある日、いつものように外を見ていた妹と、いつものように散歩をしていたピサロさんの目が合いました。
照れながらも、目礼で挨拶するようになり。その次には小さく手を振りあって……
そうしたら、窓をはさんでふたりが会話するようになるのはすぐでした。
ピサロさんはいつも、妹の後ろにいる僕にも話しかけてくれるのですが、僕は二人の邪魔をしては悪いからと理由をつけ、少しだけ言葉を交わすと部屋を出ていたのです。
でもいつも、すぐにはそこを離れられなかった。
二人が話している声をドアごしに立ち聞きしながら、ああ、もっと話せばよかったな、なんでこんなにそそくさと出てきてしまったのだろうと後悔していたのです。
そのうちピサロさんは、僕や妹に、かわいらしいオートマターをプレゼントしてくれるようになりました。
僕はささやかなお礼にと、何度かお店を手伝わせてもらいました。
実質、あんまりお役には立てず、遊びにいっただけのようなものでしたが……
けれどそのときも意気地なしの僕は、聞きたかったこと、考えていたことをろくに話せず、気づくと妹のことばかりしゃべっていました。
いつしか僕は、妹をうらやましく思うようになっていました。
そんなときです。
朝起きると妹が亡くなっていました。
僕は自分のせいだと思いました。もしも昨夜、異変に気づいたなら。お医者様に連れて行ってあげられたなら妹は助かったのに。僕のせいだ。
その晩僕はピサロさんの夢を見ていたのです。ふたりで談笑してお茶を飲む夢でした。本当に馬鹿だ。こんな夢に浸って妹の窮状を黙殺して……妹を殺した。
僕は罪の意識に耐えられなくなり、ちょうどやってきたピサロさんを家に招き入れたのです。
そして、僕の罪を告白しました。
今思えば、それは彼に甘えすがるための手段だったのかもしれません。
けれど彼は、そんな僕を受け止めてくれました。
僕にカタチばかりの罰を与えてくれたのです。
『そういうことなら、償ってください。
今後はわたしの人形として、働いてもらえますか?
わたしは人形職人です。よい人形を手にすることが、なによりの夢なのですから。
とりあえず“あなた”は死んだことにしましょう。
わたしに策がありますから。
――まさかこれを使う日が来るなんて。
馬鹿な妄想でも、暖め続ければ役立つことがあるんですね』
ピサロさんが提示した計画というのは、僕とフェリシアを入れ替え、僕がフェリシアとしてピサロさんと結婚するというものでした。
子供は作れないし、普通に医者にかかることもできない。人前でしゃべるのも、できる限り避けなければならないでしょう。それでも……。
それでも一生守ってくれる、という言葉を聞いて、僕に異論なんかはありませんでした。
それから僕たちはピサロさんの計画にしたがって動きだしました。
僕はフェリシアの服を着、声を失ったふりをしました。
ピサロさんは電話で呼び出したアンリ叔父様に取引を持ちかけた。
まず僕に筆談であの入れ替わり話を吹き込ませた。
そして『“フェリシア”は一旦失踪し、シュナイダー家の財産が数ヵ月後にすべてあなたに入るようにしよう。“フィルス”を男として葬ってくれるなら、あなたにアリバイがある時点で事故を装って失踪する。協力してくれないならあなたに疑いがかかるカタチで失踪する』そう言って叔父様を協力者にした。
叔父様にアンダーソン先生をだまさせ、喪主も務めてもらった。
それから僕は、修道院に移送してもらい、崖の上に車椅子を残して逃げ戻った。
“僕”の葬儀が終わってしまった段階では、少し変装すれば誰も僕をフィルスとは思いませんでした。
僕はピサロさんの工房に戻り、息をひそめて暮らし始めました。
“フェリシア”が危難失踪扱いで死亡したことになるまで数ヶ月間、僕はピサロさんのつくった、フェリシアのオートマターのふりをして、工房に潜む手筈でした。
けれど、気づくひとは気づいてしまうもので……
偶然工房に来たリリアは僕を見た瞬間に、正体と真実を看破しました。
そうして脅してきたのです。ばらされたくなければ金を出せと。
ピサロさんは腕利きの職人です。けれど、そんなに利を追求するほうじゃない。加えてそのときは居候の僕もいた。お金は見る見るなくなっていった。
これ以上は無理だからと許しを請うと、彼女は僕に関係を要求しました。
でも、…それも無理でした。どうやっても僕は、彼女を“愛する”ことができなかった。
彼女は工房にあっただけのお金をつかむと、激昂して出て行きました。
明日来てこんなていたらくだったら本当にばらすから、クスリでも何でも仕入れて相手しなさい、と。
だからその翌日、僕たちは彼女に媚薬と偽って睡眠薬を飲ませたのです。
彼女が眠っている間に、彼女の身体を型どりし、寸分たがわぬ裸体模型を作成する。そして、これ以上脅迫を続けるようならこれを町の広場においてやる、と言って抑止力とする。そのつもりでした。
殺すつもりなんかなかったんです。今ではこじれてしまったけれど、リリアはかつては気心の知れた友達でした。恋人とは思えなかったけれど、大切な友達ではあったんです。
それに殺しなんてしたら、ピサロさんの手が汚れてしまう。身分詐称はたくらんだけれど、それは悪事が目的でじゃない。あくまで僕のココロを救うため、それだけなんです。
なのにリリアは………。
リリアが生きているように見せかけ、遺体を運んだトリックは、ユーリさんが推理したとおりです。
けれどそれは、あくまで僕が指示したことです。僕がピサロさんに型どりや運転をやらせた。やっと手に入れた、ふたりの暮らしを捨てたいのか、自分を失いたいのかと脅して。
リリアの遺体は僕が運んで廃屋に放置した。あくまで僕がやったことです。
妹を殺し、リリアを殺して遺体を遺棄した。すべて僕がやったことです。
もう、逃げ隠れはしません。素直に、受けるべき裁きを受けます」
***
その翌日。
クロードはユーリの姿を、署からそう遠くない土手でみつけた。
夕日色のポニーテールを揺らし、いつもにぎやかに押しかけてくる従妹。その登場がやけに遅いとき、彼女はそこで河を見ているのだ。
そんなとき、クロードはだまって隣に座ってやる。
それが一番、ユーリが元気になる方法だと、子供のころからの付き合いで知っているから。
「ねえクロード」
ユーリはひざを抱えたまま、茜色に染まった川向こうを眺めているようだった。
右手の“いちごぽっきー”は、先ほどからまったく減ってない。
「ピサロさんとフィルスさん、どうなるのかな。
それに、アンリさんも……
戸籍のことでウソつくと、まずいんだよね?」
「ああ、それは確認した。
アンリについては脅されていたこともあるし、不起訴になるかもしれないそうだ。
ピサロとフィルスは……そうはいかないみたいだな。
フェリシアは検死の結果、病死だったからそれについては罪はない。
リリアについても殺意はなかったし、そもそもその死は自殺だった。
それでも、妹の死を利用しての身分の詐称、アンリに対する脅迫、アンダーソン医師を騙しての死亡診断書の詐取、そしてリリアの死体遺棄は事実だ。
それも、とんでもなく手が込んでいる。
ふたりでいたい一心ではあったにせよ……
まあ、正直俺には、あいつらの気持ちはよく理解できないんだがな」
「え?! なんで?!」
その瞬間ユーリはものすごい勢いでクロードを振り返った。
まるで、見たこともない姿の宇宙人を見つけてしまったかのように。
「すきだから一緒にいたいってふつうじゃない!」
「や、だって……」
「関係ないない!!
だって好きになっちゃったんだもん。そしたらもう手遅れだもん。
あたしだって、…………」
土手の上に立ち上がったユーリは、ぱっとそっぽをむいた。
その頬は、夕日の色よりちょっと赤い。
「その……なに。えっと……
ク、クロードだって、いっつもここにきてくれるじゃない。あたしがおちこんでたりすると。
“美人薄命”の対象外のあたしでも」
「あ」
数日前、車の中で自分がユーリに吐いた言葉が、クロードのなかでこだました。
『そいつは女が対象だろう。お前は対象外だ』
「す、すまん。
あれはちょっと、言いすぎ……」
するとユーリはにーっこり笑って、クロードの顔を見上げた。
「だったら償って?
あたし、スイーツが食べたいの。
センサイな乙女のハートにとっては、甘いものが一番のクスリなんだから♪」
「……おい」
それ、ピサロの言葉のパクリだろ。あきらかに。クロードはあきれ返った。やはりこいつの精神構造は理解を超えている。
ユーリはというとさらに笑みを深めてクロードに擦り寄る。
「そういえば今回の推理への報酬もまだだったよね~。お小遣いがいいかな~。それともお金がないんなら」
「やめろ――!!」
そしてこれがリリアの脅迫ゼリフ(推定)のパクリなら。クロードは必死でさえぎった。
「わかった、ケーキ買ってやるから!! いっぱい食べさせてやるから!!
だから、恐ろしいことを言うのはやめろ。そういうことはせめて18を過ぎてから……いやっ、それは、そういう意味じゃなくて……」
「ふふ~ん。それじゃあど~いう意味かなあ~?」
狼狽のあまり墓穴を堀りまくるクロード。
その腕に、ついにユーリががしっと腕を絡める。
「お、おいやめ、その、えっと」
そのとき伝わってきたやわらかな感触に、クロードはもはや自分の頭と意地とが使い物にならなくされたのを感じていた。
今日も完敗だ。しかしこれだけは。
クロードは必死で叫んだ。
「も、門限までには帰らせるからな!!
それと、アルコールは禁止!! いいな!!」
「は~い♪」
かくして。
輝きだした一番星の下、腕を組んだでこぼこコンビは、にぎやかに歩き出した。
クロードが予約してあった、この町一番のケーキ屋さんに向けて。
<おわり>