Neetel Inside ニートノベル
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 考えられるわけなかった。
 帰って夕飯を食べてからずーっとベッドの上を転がって、何も考えはまとまらない。
 助けて。誰か助けて。
 ってもこんな状況誰かに話せるか。恥ずかしすぎるわ。
 じゃあどうすればいいんだよー!
 この繰り返しでまたベッドの上を転がりだす。
 転がり疲れたら枕に顔を埋めてうるさいって言われない程度の声で叫んで
「淳平ー!」
 バーン、とドアが壁にぶつかる音がした。
 枕から顔を上げると、不機嫌そうな姉ちゃんが携帯を握り締めて立っていた。
「電話」
「へ?」
「あんたに電話」
 それだけ言って、携帯を押し付けてくる。
 えーっと、つまり。
「もしもし……?」
『あ、戸田くん?』
 やっぱり今西だった。
『今電話に出た人ってお姉さん?』
「あ、そうだけど、じゃなくてなんでかけてきてんの!?」
『ちょっと報告したいことがありまして』
「いやだけどさ、アレだろなんか他にやり方あったろ!」
 後ろで姉ちゃんが睨んできてるのが怖い。
『だってまさかお姉さんの携帯借りてるとか思わないじゃん?』
「借りたっていったじゃん!」
『言ってたっけ?』
「言った言った!」
『それはさておき』
「さておくなよ」
『えーっとですね、まだあたしは環奈んちにいます』
「え、マジで」
 姉ちゃんを視界に入れないように時計を見てみる。8時ちょっと過ぎ。
「大丈夫なのそれ?」
『うん。今日は泊まってく』
「え?」
 さらりと言われた一言に驚く。
『で、もっと色々おしゃべりするってのがひとつと、』
 そこで一瞬声が途切れて、
『もしもしー、戸田くん?』
 韮瀬の声が聞こえてくる。
「あ、はいはい」
『とりあえず死ね』
「はいぃ!?」
 なんだどうした。僕が何をした。
『てのは冗談だけど、次なぎさちゃんて呼んだらマジで殺すから』
 声が怖い。冗談か? 本当にそれ冗談か?
『でね』
 がらりと声のトーンが変わる。
『今日は来てくれてありがと。はっきり言って訳わかんなかったけど、嬉しかった』
 さっきより少し小さくて、ちょっと照れくさそうな声。
『それと、奈美連れてきてくれたのも合わせて、ありがと』
 二度目のお礼。それを聞いて、心からほっとした。
 二人は、元通りに戻ろうとしている。
「うん」
 それは嬉しいんだけど、言葉にはならない。ただの相槌になってしまう。
『でね、えっと、その、今日のアレの話、なんだけど』
 さらに小さくなる声。
 アレ……ってどう考えてもアレだよな。今僕を悩ませまくってるアレ。
『今返事できちゃったり、する?』
「いや無理」
 即答。
『うん、だよね。よかった』
「いいのかよ」
『いいの。で、お願いがあるんだけど』
「お願い?」
 すいませんアレ嘘でした忘れてください、じゃないよな。
『ウチ、部活行くから』
「う、ん?」
 なんだいきなり。
『奈美もなんかするらしいから』
 なんかってなんだ。いやマジでなんだ。
『始業式の日、もしそれで戸田くんがウチらのことちょっとでも許してくれたら、返事を聞かせて』
 そこまで言って、韮瀬は黙った。
 正直何を言っているかよく分からない。許すも何も、僕は二人に対して何も怒っちゃいないのに。
 でも、それはつまり、
「――――わかった」
 断る理由なんて、ないってことじゃないか。
『……ありがと』
 そのお礼の前には、ちょっとだけ息を吐く音が入った。
『じゃ、それだけだから』
「うん」
『電話しちゃってごめんね。ばいばい』
「ばいばい」
 そして、電話は切れた。
「終わったか」
 あえて気にしないようにしていたけど、さっきから腹筋を始めていた姉ちゃんが寝転がりながら手のひらを差し出す。
 その上に携帯を乗せると起き上がって、
「いくつか聞きたいことがある」
 さっきより強く睨んできた。
「え、なに」
 あえてとぼけてみるけど、これはもうどうしようもないような気もしてきた。
「まずこの電話の相手は誰だ」
「の、野口」
「ほう、彼女のフルネームは『野口 今西』だったと」
 いきなりアウトだった。もう駄目だ。
「いや違う、これは」
「うっせえ!」
 バスンとマットレスを叩かれてその剣幕に黙る。
「いきなり知らない番号から電話かかってきてスルーしてたけど2回目かかってきたから登録し忘れたヤツいたっけな? と思って出てみたら『もしもし戸田くん?』って言われてさ、『え?』って言ったら『あ、戸田くんだ。あたしあたし、今西』って言われたわけよ」
 も一度バスン。
「であたしピーンと来たわけ、これは淳平絡みの何かだって。それでわざわざここまで届けに来てやったわけなんだけど、とりあえずさ、お礼とかないわけ?」
「……ありがと」
「嬉しくねーよ!」
 膝を殴られた。そこまで痛くないけどなんかじんわりと響く。
「この今西ちゃんが誰なのかってのも気になるけど、まずあたしが問題にしたいのはなんであたしとお前間違えちゃうかってとこよ!」
「そこ!?」
「ったりまえでしょ! こちとらうら若き女子高生よ? 俗に言うJKよ? 普通中坊と間違えないでしょ!」
「いやでも僕まだ声変わり前だし」
「にしても違うわ!」
「んじゃ試してみる?」
「おーよ。ちょっと『おはようございます』って言ってみ。録音するから」
 姉ちゃんが携帯を取り出して、こっちに向ける。
「おはようございます」
 出来るだけ意識しないように、普通の声で。携帯がピピッと鳴る。
「次あたしね」
 おはようございます、と携帯に向けて喋って、
「これでよし、と。まあちゃんと聞いてな」
 そしてまたなんか凄い勢いで携帯を操作する。
「まずあたし」
 スピーカーから流れる姉ちゃんの声。
「で、あんた」
 続いて僕の声が――あ、これ似てるわ。
 姉ちゃんのほうを見ると割と無表情になってて、
「なんでやねーん!」
 またマットレスが叩かれた。ああシーツが。
「や、でも普通に聞くと似てないって! マイク通すと男っぽくなるけど」
 正確に言えばアニメの子供みたいな声になるっていうか。
「っせー! あー、あたしこれであのクソヘタレと夜な夜なラブトークしてたわけー!?」
 なんかわかんないけどやだー、と叫んで頭をぐるぐるする姉ちゃん。
「落ち着け。てか彼氏と喧嘩した系?」
「いんや超ラブいっすよー」
 回転速度をゆっくりにして、髪の毛グチャグチャのまま魂半分抜けてる顔でVサイン。正直キモい。
「でも今クソヘタレって」
「あーそれはね……っと!」
 いきなりガクンと姉ちゃんの首が後ろに傾いた。
 それから小さく、でも勢いよく顎を引くと髪の毛がばさっと大体元に戻る。おおすげぇ。
「解説してやるから、まず今西ちゃんてのが誰かについて聞かせなさい」
「いやなんでだよ!」
「このラブ師匠こと戸田友里音がその恋の悩み解決して進ぜよう」
「いや別にいいから!」
「お、恋の悩みではあるのね」
 あ。
「で、それを指摘された瞬間とぼけるより先に一瞬顔歪んじゃうのがあんたの弱点」
 ビシッと額を指されてどや顔。
 ……泣いてもいいよね?

「っはー」
 ベッドの上の姉ちゃんが深くため息をつく。
 結局、姉ちゃんの追撃を逃れられるはずもなく。
 しかも僕が何か隠そうとするとほぼ確実に見抜いてくるせいで、最終的に洗いざらい喋ることになった。あと途中でなぜか僕と姉ちゃんの位置も逆転した。部屋の主僕なんだけど。
「何それあんた。面白すぎんでしょ」
 そりゃ端から見ればな。
「中1で二股とか最近はおっそろしいねー。あたし彼氏いるとき告られたこともあっけど二股かけようとは思わんかったわ」
「いやかけてないし。てかさらりと自慢してんじゃねーよ」
 つーか本当か? こいつそんなにモテてていいのか?
「いやー、中3の秋だったかな、他校の塾友からいきなりメールで来てさー。『お互い受験に集中して第1志望受かってからね☆』なんて返したけどそん時の彼とネタにしたわ」
「うっわぁ」
 その人はこんなんと付き合わなくて正解だったと思う。
「まあそれは置いといて、一応解決するといった以上アドバイスを差し上げよう」
 とはいえ。
 一応このクソ姉がいろんな意味で先輩であることには変わりないので、ここだけは真剣に話を聞いて――――
「もう刺されるしかハッピーエンドないね」
「なんでだよ!」
 期待した僕がバカだったぞ!
「えーだってさー、どっちか嫌ってわけでもないんでしょ? じゃあそんなん決めようないじゃん。どうせあんた結論出ないんでしょ?」
「え、いや、でも時間あれば」
「無理だね。あんたはどうせウジウジ悩み続けて9月1日迎えるタイプだって」
「…………」
 そう言われると、僕も簡単には否定できない。実際今までもそうだった気はするし。
「あーもう黙り込むなって」
 ぺしんと頭をはたかれた。足で。
「手使えよ!」
「やだわ。――で、思い出した思い出した。教えたげる、さっきの答え」
「へ?」
 何のことだっけ。
「忘れてんじゃないの。なんであたしがクソヘタレって呼ぶか、よ」
「ああ」
 それが今この状況で何の役に立つって言うんだよ。
「めんどそうな顔してんじゃねえ」
 今度は蹴られた。けど避けた。
「いーいー、クソヘタレってのはねー、ラブがあるからこそなのよー」
 喋りながらぶんぶんと足を振り子のように揺らしてくるので、手で受け止める。
「好きな人ってのもねー、ずっと理想ではいちゃくれないのよー。何ヶ月かすれば、ヤなとこだって普通に見えてくるしー」
 足の勢いが強くなってきている。受け止める腕が痛い。
「でねー、最初はきゃわいかったヘタレな部分もちょっとずつ目立ってくるようになってー、それでクソヘタレなんて呼んでみたりしてるんだけどー」
 ちょ、待て、勢い、っ痛!
「そしたら向こうも『なんだよクソドS』って言ってきてー、それで悪口言い合ってー、で最後にはグダってー、なんか笑ってー、ちょぴっといい雰囲気になってー」
 ぴたん、と足が止まった。
「そういうのが、恋人ってやつなのよー」
 そしてゆっくりと、惰性に任せて振られた足は簡単に受け止められた。
「嫌なとこお互いあって、でもそれを相手に言っても大丈夫、って思えるの。わかる?」
「……わかんねーよ」
 返事は、それだけ。
「ふーん」
 姉ちゃんは僕の顔を少しの間見つめて、
「じゃ、あたしのアドバイスはこれで終わりだから。いやー、柄にもねーこと言うと疲れっわー」
 携帯を引っつかんでベッドから立ち上がり、そそくさと僕の部屋を出て行った。また、バタンと乱暴に扉を閉めて。
「あー」
 それを見送って、ベッドの上に身体を投げ出す。
 ――――ありゃ、気付かれてたな。
 あらかじめ精一杯表情を作ったつもりだったけど、多分姉ちゃんはそれすらも見抜いてたに違いない。あいつはそういう奴だ。
 昔から歯向かってみてはいるけれど、全く持って敵わない。
 あれもまた、いつか越えてやるべき関門なのだ。
 そして。
 今日のところは敵からの貸し一つを大人しく受け入れよう。
 あの返事は嘘。
 姉ちゃんの話を聞き終わって、僕の心の中に浮かんできたのは、ひとりだけだった。
 枕を引き寄せて、タオルケットを被る。時計は10時をちょっと過ぎていた。
 もうベッドの上を転がることはない。
 あとはこのことを忘れないように、そして始業式へと近づくために、眠るだけ。

       

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Neetsha