Neetel Inside 文芸新都
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私とアタシ
私とアタシ

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 ◯月×日やや曇り。この空模様はまるで私の心を表しているかのようではないか。今日も同じ時間、同じ車両、同じように会社へ向かい、いつものようにつまらない失敗で課長から小言を延々と聞かされるのだろう。いや私がヌけているのが悪いのだが。

 ◯月×日やや曇り。どうせなら雨になってしまえばいいのだ。そうすればアタシの気も晴れるというのに。毎日くだらない学校へ通いくだらない授業を受けくだらないクラスメートのつまらない会話を聞く。アタシはひとりぼっちだ。

 不意に電車が揺れた。今日の会議のための資料を入れた私のカバンは人一人殴り殺せるくらいの重量はあるだろう。不可抗力である。私の右手は吊り革をしっかりとつかんでいる。不可抗力である。左手に吊ら下げた鈍器と化したカバンはまだほんのりと幼さの残る女学生のケツに突き刺さった。ああ、そんなに睨まないで。不可抗力なのだから。

 突然車内が揺れた。何の衝撃だろう。アタシはお客様。お客様は神様だ。一言車内放送で謝ってもよいのではないか。いや問題はそこではない。車内が揺れると同時に尻に何かが当たった。いや、突き刺さった。いてえ。後ろを振り向くと冴えないサラリーマンが申し訳なさそうに下を向いていた。なんなのだいったい。そのカバンには何が入っているというのだ。人一人殴り殺せそうなくらいパンパンに詰めてある。アタシのケツが死んだぞクソ野郎。

 ああ、幼さの残る女学生が私をにらみつける。ゾクゾクと寒くなるその尖った目筋。興奮・・・いやもとい、興奮・・・違う。恐怖を感じた。何者でせう?まるで親の目の敵であるかのごとく私を睨めるその眼力はどのような人生を歩めば手に入れられるというのか。私は欲しくない。きっと私には想像もつかない人生を歩んできたのであろう。ああ、急にこの女学生を愛おしく思えてきた。娘にさえこのような気持ちを抱いた事はないのではないか。この感情はいったい・・・はて、はるか昔にどこかの誰かに抱いていた気もする。

 何だろう。アタシのお尻にカバンを突き刺したオヤジが不適な笑みを浮かべている。乗降口の油まみれのガラスに反射する歪んだオヤジ。ああ、キモイ。笑みを浮かべるだけなら気にもとめない。アタシだって思い出し笑いくらいするのだから。問題は先ほどから前後に腰を振っている事だ。前、後ろ前、後ろ。規則正しく。前、後ろ前、後ろ。振り子がごとく懸命に。何よりも問題なのはアタシのケツに。先ほど人一人殺せるくらいギュッと詰まったカバンの突き刺さったケツに。腰を当てるのだ。規則正しく。振り子がごとく懸命に。

 ああ、思い出した。この幼さの残る女学生へと抱く感情。今では腐った野菜のような身体をした妻にかつて抱いていた淡い想いだ。昔は可憐であった。道行く人が振り向くような・・・いやよく考えたら昔から腐った顔をしていた気がする。まあ兎に角もこれは恋というものだ。変でありましょうか、人一人たたき殺せそうな私のカバンを突き刺してしまったいたいけな少女だのに。

 どうしてくれよう。後ろ髪の付け根、いわゆるアタシのうなじを熱い吐息が撫でている。前、後ろと規則正しく振り子がごとく動いていた腰は、今では左右にも動いてる。懸命に。ここでアタシは気づいてしまう。頭上に豆電球が光る。何故かピコンという電子音も奏でた。これは痴漢という行為ではないか。いやそうに違いない。怒りと恐怖が混ざる寒気を感じ身体の芯から震えながらアタシは振り向く。前後左右に腰を振るう、アタシのケツにカバンを突き刺したオヤジと向かい合う。

 私には夢があった。それは些細な夢だ。叶わなかったゆえに夢だという。私の娘は今年で十八歳になる。いや十七歳だったか。最近振袖を着て妻と何処かへ出かけたのをみると成人したのかもしれない。そうだ最近めっきり弱くなった頭だが思い出してきたぞ。二色の熨斗で包まれた祝儀を渡したではないか。封を開けた娘のあの蔑んだ顔をよくよく思い出した。少なかったのだろうか。その我が愛娘と腕を組み洒落た夜の街の洒落たレストランで親子愛を確かめたいのだ。だがよくよく考えると腐った野菜と私の間に産まれた娘もやはり腐っているわけで正直世間様に見られるのは拷問だなと思い直す。

 どうしたのだろう恍惚な表情を浮かべていたオヤジは何故か哀しい表情をしてた。心無しか前後左右運動も元気が無く見える。アタシの有り余る母性がオヤジを抱きしめろと命令するが人一人殴り殺せそうなカバンが突き刺さったケツが疼き反射的に胸ぐらを掴んだ。力む私のたるんだ二の腕、痺れるお尻。特に考えていたわけではない。けれど聡明で陳腐なアタシの脳みそは人並みの台詞として痴漢ですよねと何故か疑問系。アタシの頭がハテナである。

 幼さの残る女学生が私のネクタイを掴んでいる。自慢ではないが私はネクタイを締めるのが大の不得意である。恋心を思い出させた目前の女学生は大変几帳面であり、曲がった布団に我慢ならず畳の目にそって水平に敷き直すタチなのであろう。おそらく私の曲がったネクタイもこの吊り革のように地球に向かって垂直に正すのだ。少しばかり息苦しいが幼さの残る女学生である。おそらくタイを絞めるのは初めてのはずである。初男になれた私を誇りに思い明日から頑張ろうと胸に誓う私をよそに再び車内が揺れた。

 やはり変態であるとアタシは確信した。胸ぐらを掴まれたオヤジは嬉しそうに頬を赤らめている。これが変態なのだと妙に感慨深いものを感じた。どちらかと言えばアタシもマゾなのだと思うがこんなはしたない顔をするのであればアタシはサドに転職するべきだと改心する。それと同時にアタシの生き方を見つけた気がしたが今はこの手を離すかさらに絞めるか悩むところだ。やはり絞めるほどに喜ぶのだろうか。しかし力むほどにアタシのケツが痛むのだ。これは何の苦行だろう。人生最大の選択を迫られた今、再び車内が揺れた。

       

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