Neetel Inside ニートノベル
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思いついたものをそのまま書く
オルゴール

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僕が拾ったこの可愛らしいオルゴールの人形は壊れています。
彼女にはぜんまいがあり、それを回すとおしゃべりをします。
『大好きよ、愛してる』
彼女は言います。
そして、彼女には彼女の持つオルゴールの音がとても似合います。
月夜の晩に、星を飾った額縁のような窓を背に
彼女は踊ります。
タン、タタン、タン、タタン・・・
同じステップを、彼女のくりかえすおしゃべりのように何度もくりかえします。
『大好きよ、愛してる』
タン、タタン・・・
金属のメロディに合わせて
『大好きよ、愛してる』
タン、タタン・・・
光のない憂鬱な瞳で。
僕は彼女を愛しいと思い
僕は彼女のぜんまいを止めました。
彼女と僕にとってそれが最善の策であったのかは知りません。
なにせ、それを知る方法すらないのです。

彼女は、可愛らしいオルゴールの人形です。けれども、もうおしゃべりもおどりもしません。
彼女は来週、お父様によって火にくべられるでしょう。そして僕は、その灰を拾います。
灰を拾って、植木鉢にまくでしょう。そして、その上に小さなスミレの種を植え、言うのです。
「大好きだよ、愛してる」
かくして彼女は自由となり、本当に意味で僕のそばに寄り添っていてくれるのです。

自由の形は、たとえばおしゃべりしたり、踊りをおどったりすることであるのでしょうか?
四肢がそろい、意識が明瞭とし、的確な判断を下せることであるのでしょうか?
望みが叶い、何も苦労することのないことであるのでしょうか?
たとえ四肢がなく、おしゃべりも踊りも出来ず、的確な判断が下せず、意識が朦朧とし、辛く厳しい状況で、願いがかなわなかったとしても
遠くの誰かには、自由なことかもしれません。

僕は、彼女が自由になるであろうと思える一番の選択をしました。
誰かの思い立ちでぜんまいを回され、愛を囁き踊るのは彼女の自由ではないと思ったのです。
もしかしたら、間違っているかもしれない。僕の勝手な望みかもしれない。
だから僕はその代わりに、彼女のそばで、彼女の世話をし、彼女のために言うのです。
『大好きだよ、愛してる』
そして彼女は、いずれ麗しいスミレとなりましょう。

彼女は自分の意思でその美しい花びらを開き
彼女は自分の意思でその美しい花びらを閉じ
彼女は自分の意思でその愛らしい葉を枯らすことができます。
あぁ、僕は
僕の望む自由を、まさに彼女に与えたのです!
僕の愛しい彼女に
僕の代わりに自由を得てもらった。

彼女はいずれ老い、愛らしい実りをつけることでしょう。
僕はその実を大事にとり、そして遠い丘へ植えるでしょう。
彼女はそこからまた息吹き
たくさんの彼女の子供らと
芳しい花を咲かすでしょう。
それはきっと僕の意志であり彼女の意志なのです。



否、けれどそれは僕のエゴであるのかもしれません。

       

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