Neetel Inside ニートノベル
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思いついたものをそのまま書く
よくわからないものまとめ

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『無題1』




 蛆虫は蝶に成り得ます。青虫は蝿に成り得ます。それはなぜか?たとえば蛆が死んで土となればそこから芽を出し葉を伸ばしそれを食べた青虫が蝶になります。たとえば青虫が鳥に食べられ鳥が死ねば蛆が湧き蝿になります。世界は延々と美醜のループをしているのです。ならば、今我々がたった一世代で醜い美しいと騒ぐのは愚かではないのでしょうか?
 たとえば誰かにとって美しい私が明日は死んで醜くなるかもしれず、誰かにとって醜い私は明日は死んで美しくなるかもしれない。なぜ我々は短いたった一生を容易く判断するのでしょう。
 私は死んだら無機物になります。生まれ変わったら有機物になります。我々は無限の可能性を秘める有限なのです。だから例えばあなたが泣いているのなら、どうぞ悲観しないでください。私にはあなたの涙を拭う力強い腕はありません。私だけではなく皆にないのです。あなたの涙はあなたしか拭えない、だって泣いているのを知っているのはあなたなのです。1がすべての始まりなのです。励ますつもりはありません。たとえばあなたが死にたいのなら死んだっていいのです、だってそれを止めるのは我々のエゴなのですから。1がすべての始まりなのです。

 ですから私は死を決意いたしました。全てはただの夭折への憧れであり、全てが新たなる無限への希望であるのです。
 空気を与えていただきありがとうございました。水を与えていただきありがとうございました。肉を与えていただきありがとうございました。葉や実を与えていただきありがとうございました。悲しみを、苦しみを、喜びを、愛を、与えていただきありがとうございました。
 恩返しもせぬまま申し訳ございません。さよならではないのでそうは言いません。
ありがとうございました。この世の全てが、不幸ですら、幸せでありました。
ありがとうございました。願わくばこの世が無限でありますように。
ありがとうございました。本当にありがとうございました。







     

『無題2』




 私は精一杯を生きているつもりだった。精一杯を生きて、悩み、苦しんで涙を流しているものとばかり思っていた。しかし人は「お前は甘えなのだ、努力が足りないのだ」と言う。きっとその通りなのだろう。
 しかし、それならば私は一体今以上どうすればいいのだろう?私には今が精一杯であるのに。たとえ人より劣っていても、違っていても、それが個性だと、世界は十人十色なのだと我々は幼いころから教授されてきたではないか。十人十色とは何であろう、個性とは平坦な規則性の事であったのだろうか?それならばそれができない私に残された道は「無」しかない。私は死ななければならない。
 ところがいざそう企ててみると、意外と実行できないものである。確実な方法などどこにもないのだ、100%死ぬことができるなど誰も保証ができないのだ。たとえば私が万が一死ねなかった時、一体どれほどの非難を浴び他人が迷惑被るのであろう?上手い具合に死ねたとして、それでもやはり迷惑がかかるのは間違いない。しかしそう迷っていてもただ苛立ちや空虚が益々広がるばかりだ。

 諸君、例え君たちがいわゆる「中二病」と言う奴にどんなに慣れていても、もし君にそいつが相談してきたならば、少しは話を聞いてやってはくれないか。頭ごなしに「こいつは痛い奴だから」と受け流すのは構わないが、どうかそれを上手く隠してはくれないか。
 諸君、私は今これを、自分の首を絞めては休み絞めては休みその合間に書いている。首を打たれたような痛みに後悔しながら書いている。諸君、例えそれの発端が甘えであっても、一歩踏み違うとおかしくなってしまうのだ。自殺と言うのは殺人と大差ない、ある時ふと「死」のチャンスが訪れ、それを受け入れてしまっただけだ。

 あぁ、しかしこれも、中二病というやつなのだろうか。事実私は死んでいないのだから。そうだ、死ねばいい。死ねばそんなくだらない甘えと罵られることはない。そうだ、死ね、死んでしまえ、死ね死ね死ね死ね…失礼、取り乱してしまった。そういえば諸君、自傷とはなかなか落ち着く行為であるよ。是非君らもやってみたらどうだろう?首を絞めるとなかなか心地よい物がある、性的な意味でなくね。徐々に酸素が無くなり、血が激しく脈動し、口が痺れ、視界がぼやける。そこで手を離すと一気に酸素や血液が与えられたった今までの衝動的な絶望も消え去っている。これはある種の快感といっていいだろう。
 あぁ、何の話だったろう。もう忘れてしまった。最初は何の話をしていたんだったか。頭の中で私が私に「死ね」と話しかけてくる。いや、これは声ではなく文字だ。いや、文字でもないこれは何なのだろう。音だ、そう、音がするのだ。「死ね」という音色が私の頭の中でいくつも奏でられ共鳴している。あぁ、これはさながらオーケストラではないだろうか。なかなかこじゃれているじゃないか、頭の中にオーケストラがいるだなんて。

 あぁ、何の話だったろう。もう忘れてしまった。







     

『バビロンまで何マイル?』




宴もたけなわ、さぁおしまい。皆それぞれ帰るべき場所へ。
しかし、はてさて帰るべき場所にはあと何マイルあるだろう?


 「先生、バビロンまであと何マイルありましょう?」
「さぁいくらだろう。見当もつかない」
道を行く男女は無表情に肩を並べる。道と言っても、黒い土地にただ一本伸びる白い線で、それは気味が悪いくらいくっきりわけられている。その道は二人肩を並べて歩くには狭く、男は道と大地をまたいで歩く。
「先生、帰るべき場所とはどこでしょう」
「もっともっと先にあるどこかだ」
男が大地を踏む足をあげる度、泥がまとわりつくようにくるりと踊る。そして男の足を飲み込んだ。
「先生、この先には何があるのでしょうか」
「さぁ、見当もつかないな」
男は大地に足を取られながら、肩を揺らして歩く。女はそれに見向きもせず、ただ道を行く。男はもう、両足を黒い大地に任せた。
「我らが王は、なぜ人を愛する知恵をお与え下さったのだろうか」
「先生、すべては雲の上のお父様しか知りません」
男の体は少しずつ大地に飲まれて行く。
「先生、この先に最果てはありましょうか」
男はもう、答えなかった。大地がぐらりと揺らぎ道を狭めた。今度は一人で歩くには狭すぎる。
 女は虚空に繰り返し問う。
「先生、バビロンまであと何マイルありましょう」







     

『植物』




 畑や野原に咲いた草花の緑が雨を喜ぶように揺れ、日差しの中を踊るように揺れます。一方刈り取られた雑草は青々とした死臭を漂わせ、薄く萎びれた体を寄せ、ただ淡々と自分達を燃やす火を待つのです。
 人々は自らを幸運な草花と勘違いして生きています。ある意味幸せでありましょう。しかし実際のところ、私たちは単なる雑草。刈りとられるなど思いもせず、ただ怠惰に日々を過ごしている。一度は夢を見たことも、将来を期待したことも、確かに一度はありました。私だけではないはずです。しかしその度に伸びた葉をむしられ茎を折られ、あぁ、今更気づいたのです。私は花も咲かせぬ雑草でした。
 雑草は何度踏まれ何度刈り取られようともその度新しく生えてきます。それはまるで私の夢や期待や希望。いっそ二度と生えないように除草剤を撒くか火を付けてくれればいいのに。
 こんな他力本願な夭折への憧れが叶うはずはないのに、それでも願ってしまうのはやはり、私が他人を養分とする雑草だからなのでしょうか。けれど、私だけではないでしょう。きっと少しだけでも考えていただければ、思い出していただければ、あなたも納得できると思うのです。
 どうせなら、本物の雑草になってしまいたい。私たちは私たちがそうであると知らず、ただのうのうと生き続けるのです。







     

『閉1』




映画館は嫌いだ。
いや、映画館は好きだ。
映画館に自分以外の人間がいるのが、気に食わない。
呼吸音も咀嚼音もヒソヒソ話す声も全て全て思考を阻害する雑音だ。
だから、映画館を想像して家で見る。
映画館のあの匂いが好きだ。
もう忘れてしまったけど。

人の批評をするならまず自分を殺せ。
テレビでは「他人より秀でた」と勘違いした人間がただ自分の好みで善し悪しを決める。
お前の好みなど聞いてないんだ。
映画館の咀嚼音呼吸音会話となんら変わりない、雑音でしかない。

私は自分を殺しきれない。だから他人の批評などできたものじゃない。
だから私は他人に自分の思考を邪魔されたくない。
無になれないならせめて思考のベッドの中で眠ったままでいたい。

考えるのは好きだ。考えないのも好きだ。
考えないでただボーッと、視界の中の景色がグレーになり溶けていくのを見るのが好きだ。
視覚的なものではない。だから正常だ。
考えるのは好きだ。たくさん考える。
性自認について、性欲について、自分の望みについて、他人の思考について。
息をする意味、人という生き物、目の前にあるもの、見えないもの、見えるもの。
明日のこと、今日のこと、数時間先のこと、数年先のこと、いつになるかわからないもののこと。
結論なんていらない。ただ考えられればいい。
頭の中は常に限界まで膨らんだ水風船。それが理想だ。
でも実際は風船には穴が開いていて、水を入れた先から漏れていく。
人は欠陥だらけだ。
完璧な存在など望んではいないが、知識豊富な人は羨ましいと思う。
私は無知だから。脳がずっと、砂漠のように枯渇している。

頭に残ることなど、ない。
全て右から左へ流れて消えていく。
生まれ変わったら、無になりたい。
無なら限界はない。余計な欲もない。
寂しさもわかない。無だから。











     

『閉2』




一人で生きている人に憧れていた。
かっこいいと思った。素敵だと思った。羨ましかった。
殻に閉じこもったままの世界は嫌だった。もっと背伸びをしてたくさんを見たかった。
なのに体中に手が絡み付いて殻から出られなかった。
自分から望んだことだった、ただ、こんながんじがらめとは思わなかった。

だから、思い切って断ち切ってみることにした。
一人で生きてみたかったから。

でも一人で生きられないことは知っていた。
当の昔から、知っていた。

殻から出てみれば、憧れていた人も結局殻の中だった。
手にがんじがらめにされて支えられていた私は、一人で上手く立てなかった。
必死に手を取り戻そうとした。
取り戻そうとすれば取り戻そうとするほど手は離れて行った。

泣いた。
なぜ泣くのか分からなかった。
何が悲しいのか、そもそも悲しいのか、なにもわからなかった。
私はあまりにも無知だった。

最初、自分は異端なのだと思った。
でもたくさん考えるうちに、それは過大評価だと気付いた。
たとえ一人で生きようと試みようと、誰よりも滑稽であろうと、私は所詮神の一細胞に過ぎない。
神など信じていないのだけど。

偶像崇拝は理解できない。
縋る気持ちも頼る気持ちもわかる。
でも理解できない。
見たこともないものを信じられるのは、ある意味すごいことだと思う。
神がいたとしても、こんな勝手に動くコンピューターゲームはもう飽きてしまっただろうと思う。
神様、居るなら私の問いかけに答えてください。
答えてくれても、私には聞こえないのだけれど。

世界は広く、思った以上に狭かった。
とてもとても広かった、見渡しきれないくらいだった、理解しきれないくらいだった。
けれど、あくまでも有限だった。

私は無限を想像していた。
真っ暗で真っ白を想像していた。
でも永遠などなかった。改めて自分の愚かさを知った。

死はなんだろうと考える。
無なのか。別の何かか。
気になりはする、知りたいと思う。ただ取り返しがつかないのが残念だ。



あなたの頭の蓋は開いていますか?
開いていないなら、そのままがいいかもしれない。
開けてしまうと、乾いて乾いてしょうがない。
私はまだ3分の1も開けられていないのに
どうしようもなく枯渇してとても辛く感じる。
貝は胎内だったのかもしれない。手は胎盤だったのかもしれない。もう知ることはできないけれど。






     

『あいしているもの』




 愚者、本、映画、図書館の匂い、古い店、古い家屋、病院の匂い、動物、虫、赤ん坊、コーヒー、紅茶、静寂、雑踏の音、夕暮れ、新しいボールペンのインク、人形、むくげ、椿、山茶花、芥子、生衣色、絹、着物、雨、秋、狐の嫁入り、不思議なもの、廃屋、髪、油絵の具の匂い、カンバスの手触り、油絵の表面、数えきれないたくさんのもの。水、昼の匂い、青い空、曇り空、雨空、海、山、川、池、厭世感に苛まれても嫌うことはできない。この世は嫌いだけれどこの世界は愛しているから。
 なにかを覚えること、知ること、忘れること、考えること、全て愛しい。だけれど人はあまり好きでなはい。
 嫌いな人でも別れるのは悲しく、知らない人の死も寂しく、一人輝く月が綺麗で、青ざめる夕空が美しくて、たくさん泣いた。それをおかしいと言われるから余計に泣いた。もう今になっては思い出せない、離別の悲しみも美しさで胸がキシキシと痛む感覚も、すべて風化してしまった。私は愛するものが多すぎて愛しきれていないのじゃないだろうか、常々思う。けれど。
「難しいことは、わからないのよ」
 虚空に一人、鳴く。煩わしいものは全て離してしまった。一人が好きだと思っていたけれどいざそうなると存外虚しいものだと知った。手に入れれば疎ましく、離れれば欲しくなる、けれどまた手に入れようと努力するのは苦しすぎる。
 あぁ、そう、難しいことは、わからない。







     

 僕は生きることが下手だった。
 僕はたくさんの小さな悪事をした。たとえばそれは相手を傷つけるいたずらや、中傷、批判。「悪いことをすれば自分に返ってくる」とあれほど教え込まれ、実感したはずなのに、僕は懲りることを知らなった。そうして何度も何度も同じことを繰り返し、誰かを傷つけ、後悔し、傷つけ……いや、あるいはこれが人生と言うもののあるべき姿かもしれない。ただ、僕は人生を語るにはまだ幼かった。
 誰かに懺悔すれば許されるのだろうか?痛みは癒されるのだろうか?愚かさは治るのだろうか?そんなわけがない、それはおそらく自分の中に永遠に留めておかねばならないのだ。どうしようもないほど痛む心臓を、肺を、脳を、一体何者が抑えることが出来ようか。一体何者が理解することが出来ようか。
 そうして僕は、気付けば一人になっていた。周りには確かに人がいる。たくさんの人がいる。たとえば家族や、友人や、恋人。きっと僕が「助けてくれ!」と叫べば手を差し伸べてくれるであろう人。けれど、もし、万が一、それが僕の勘違いであったら?僕の罪は深い、あまりにも深い。重ね重ね積もった罪はひとつの大きな過ちよりも遥かに広く深いのだ。そんな僕だからこそ、とてつもなく大きな報いがあってもおかしくはない。僕は怖くてたまらなかった。
 きっと、僕はこれからも一人で生きていく。もしかしたら、これが個人としてのあるべき人生かもしれない。そんな淡い期待を抱き、時折、悲しみながら。
 僕は生きることが下手だった。それが僕の人生だった。

     

 この世界の美しさには、感嘆する。空や地面やそこに生える草花。動き回る昆虫や動物。水、風、光、暗闇。すべてどうしようもなく美しくて、言いようもないほど焦がれて、愛したもの。決して手に入れられず、それでも絶えず欲したもの。枯れることや朽ちることすら一片の隙も見せぬほど完璧で、誰一人として真似はできない。
 世界は不幸だろうか。幸福だろうか。そんな次元で語れるものではないのだと思う。そこに存在するだけで完成される絶対美。何千、何億の言葉があっても語りきれない。
 きっと、この世界に存在出来る事が幸福なことなんだろうと思う。このどうしようもなく美しい世界に。

     

 いつもの様に真っ白な粒をたくさん飲む。机の上には空になったいくつもの薬の箱と酒の缶が雑然と置かれている。自分でも行動の馬鹿らしさに苦笑いした。こんなことしたって死なないのに、こんなことしたって苦しいだけなのに、こんなことしたって誰も見てはいないのに。わかりきっていたつもりだけれど、きっとどこかにまだ期待があったのかも。自分の事は意外とわからない。
 運悪く死んでいなかった時の胃の焼かれるような感覚や平衡感覚のなくなった世界、ビニールを一枚かぶせた様な音を忘れたわけじゃない。吐いても吐いてもこみ上げる体液の味を忘れるわけがない。それでも何度もおんなじ事をしてしまっている。自分は世界一馬鹿だ。
 携帯電話が鳴った。どうせメルマガだから無視する。今度は家の電話が鳴った。どうせ勧誘だから無視する。一片では何かに期待している癖に、頭の中は酷く客観的で冷たかった。
 しけったベッドに倒れこむ。明日起きた時に死んでいればいいのに、いまいち回らない頭で考えながら。
 でも、きっと明日も死んでいなくて、苦しさに悶えのたうっているのだろうと思う。

     

『独白』





 別に人と話すのは嫌いじゃない。楽しいしと思う。外へ出ることだって、誰かと遊ぶことだって苦痛でも何でもない。でも、私は一人でいるほうが断然好きだった。昔は誰かと居たくてたまらなかったし、それでたくさん困らせた事もあると思う。だけど、一人でいる事がどんなに楽で生きやすいか、知ってしまった。だから一人が好きだ。別に一日中言葉を発さなくても死ぬわけじゃないし、逆に下手に色々考えなくていい。もちろん、一人がどんなに寂しくて悲しいかも知っている。時々そう言う気持ちに襲われて、わんわん子供みたいに泣く事もある。でも、そうやって泣けるのも一人だから。そう思うと気持ちがどうしようもなく安らいで、誰かに慰められるより、誰かに励まされるより心地よかった。
 変わっていると言われても気にならない。そう言う風に産まれたんだと、そう言う運命だったんだと思う。別にそれで良いと思った。一人じゃ寂しくて死んでしまう、そんなの馬鹿げた事だ。誰かと四六時中居る事の方が遥かに大変じゃないか。どんなに気心が知れていても所詮は他人、気を使わずになんていられるわけがない。人と居るほうが疲れてしまう。群れるのは面倒だと気付いてしまった。同調するのは疲れる事だと気付いてしまった。もしかしたら、気付かない方が良かったのかも、時々そう思う事もある。逃げてるとか、後悔してるわけじゃない……と思う。
 今の自分の状況は、良い方なんだと思う。昔のままだったら延々と人を傷つけたし、迷惑をかけた。自分を助けてくれと喚くばかりで、自分は誰も助けられなかった。助けようと努力をしなかったわけじゃない。力不足だった。人の縁なんて薄っぺらくて弱々しいものだ。どんなに親身に話を聞いたり慰めても、たったひとつのミスや失言で脆くも簡単に切れてしまうし、時間が経っても切れてしまう。誰も悪くない、ずっと大昔からそんなものだった。それを繋ぎとめるのに必死になる事に、疲れてしまったのかもしれない。
 助けてと喚くのはもう止めた。助けようともがくのも極力避けることにした。そしたら、どうだろう?今までにないくらい世界が楽しくなったんだ!
 もちろんこんなものは勘違いの思い込みだと、頭の隅で分かっている。ただ「一人でもいられる自分」に酔っているだけかもしれない。でも、どんな数学の問題よりも難しい問題に頭を抱える事も、苦しさに喘いぐ事も、前よりぐっと少なくなった。それがどんなに嬉しい事か言葉では伝えきれない。

     

『なぞかけ』




葡萄酒飲むお父様
机の上の名前だけ
異邦の人のお名前です

短いものから順に並べて
フランスにあるものはぶきましょう
くっついたらそれもはぶき
あとは進むだけ、進むだけ
答えはとっても大胆です

   ヒント 真ん中の歌は人でなく
       真ん中の物は広くあり
       あとは言葉の言いようです

       

表紙

あおむし 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha