Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。抱くは大志
第一章 抱くは大志

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 木剣を構え、シグナスと睨み合っていた。お互いに口は利かない。周囲で部下の兵達が固唾を飲んでいる。
 一歩だけ、前に出た。視線は外さない。シグナスの剣気が、俺の身体を刺激している。さすがに軍随一の槍の名手と言われた男だ。武器を変えても、気は凄まじい。
 手元を、少しだけズラした。
 剣気。シグナスが飛び込んできた。身体を開いてかわす。剣。振りかかってくる。それを掻い潜ると同時に、シグナスの手を打った。木剣が地面に転がる。周囲から、呻きに近い感嘆の声が漏れた。
 シグナスが木剣を拾おうと手を伸ばす。すかさず足で木剣を蹴り飛ばし、シグナスの喉元に剣の切っ先を突き付けた。束の間の静寂。シグナスが、舌打ちした。
「やはり、剣ではお前にかなわんな、ロアーヌ」
「槍はお前の方が上だ」
 それで、勝負は終わりだった。
 剣のロアーヌ。槍のシグナス。いつの間にか、軍内で有名になっていた。しかし二人とも、身分は小隊長である。小隊長の上に大隊長が居て、さらにその上には将軍が居る。だが、そこらに居る将軍よりも、俺とシグナスは有名だった。しかし、俺はそれを誇りに思った事はない。シグナスはどうか知らないが、単に剣が上手く扱える、ただそれだけの話なのだ。
 兵たちが、喧嘩を始めていた。俺とシグナス、どちらが上だ、という事で揉めている。元はと言えば、兵たちの諍いのせいでシグナスと立ちあう事になった。槍で負け、剣では勝った。しかし、兵たちは納得しようとしない。
 どうでもいい事だった。いくら剣が上手く扱えようとも、世を左右するほどの力はない。身分も小隊長で、出世も望めはしないだろう。この国は、賄賂が出世を左右する。この点では、俺とシグナスは無縁だった。
 国が腐っていた。民は困窮し、政府の高官たちは私腹を肥やす。軍は賄賂が横行し、力無き人間が上に立ったりする。誰がどう見ても、腐っていた。
 俺は何故、軍に居るのだ。不意にそう思う時があった。特に最近はそうだ。兵士として軍に入った時は、希望に満ち溢れていた。元々、剣の腕には自信があったし、いずれは将軍として名を馳せる事に夢を見ていた。
 だが、現実は、腐っていた。はっきりとそれが分かった今、希望も何も無かった。鬱屈した日々を無為に過ごすだけである。
 二十四歳だった。これから先の人生は長い。その長い人生を、無為に過ごしていかなければならないのか。
 国は至って、平穏だった。内部に腐りはあるものの、民は堪え凌いでいた。ただし、それは今だけだろう。民たちの間で、反乱の噂が流れているのだ。噂の元は遥か東のメッサーナからで、都心から見ればただの田舎地方だった。だがそれでも、反乱という噂が流れている。
 これまでの歴史を紐解いていくと、悪政を布いた国はどれも滅亡の一途を辿っていた。滅亡の切っ掛けは多岐に渡るが、民の反乱が切っ掛けとなったケースは決して少なくない。だからではないが、今回のメッサーナ反乱の噂にも警戒はしておいた方が良い。
 だが、俺は何も行動しなかった。警戒をしておいた方が良いというのは、あくまで国の都合だ。俺個人としては、こんな国など早く壊れてしまえ、という思いが強い。しかし、俺は軍人だ。国に雇われ、国に命を捧ぐ。それが軍人だと俺は考えている。軍人の使命感と、俺個人の思い。この二つに挟まれて出した答えが、何も行動しない、というものだった。
 こんな国に命を捧ぐ価値があるのか。最近になって不意に、そう思うようになった。思うだけで、後は考えはしなかった。答えなど出るわけがないのだ。俺は軍人で、剣を振る事しか知らない。俺から軍人という職をはく奪したら、もう後には何も残らない。
「今日の調練はこれまでだ。お前達、俺とロアーヌのどちらが上か、という事はもう忘れろ。同じ軍で、同志だぞ。槍と剣。俺とロアーヌは、それぞれの猛者だ。それ以下でも、それ以上でもない」
 シグナスが言った。この言葉から分かる通り、シグナスは自分の槍には絶大な自信を持っている。俺が剣に自信を持っているのと同じようにだ。
「兵舎に戻れ。帰路で喧嘩するなよ」
 シグナスの言葉に、兵達が威勢よく返事した。各々、調練場から出て行く。俺はそんな兵達の姿を、ぼんやりと眺めていた。こんな事で良いのだろうか。国は腐っている。俺は二十四歳という年齢で、まだ先がある。出来る事は無限大にあるはずだ。それなのに、これから先を無為に過ごすだけなのか。
 だが、軍人だった。そして俺は、軍人しか出来ない男だ。
「ロアーヌ、最近のお前は覇気がないな。どうした?」
 調練場から出て行く兵達を見ながら、シグナスが言った。シグナスも俺と同じ年齢で、二十四歳だ。
「いや」
「お前は中々、心の内を言葉にしない。俺はエスパーじゃないんだぜ」
「分かってる。ちょっと考えてる事があるだけだ」
「そうか。なら、何も言うまい。気に病むなよ」
「あぁ」
 シグナスは兵を怒鳴り散らしたりするせいで、豪放な性格だと周囲には思われていた。だが、こんな風に人の心の機微を感じ取る事にも長けている。豪放なのは表面だけで、本当は繊細な性格なのかもしれない。
「戦がしたいなぁ、ロアーヌ。この国は平穏すぎるぜ。たった数百年前は、それぞれの諸侯(国によって定められた領主)が私兵を抱えて、諸侯同志で戦をしてたって話じゃないか」
「今は王が居る。その王が権力を持っているのだ。諸侯もそれに対して、きちんと臣従している」
 これは悪い事ではない。権力を持たない王など、もはや王ではないのだ。それに諸侯同志で戦をするという状況は、すでに反乱が起きているという事だ。しかし言い換えれば、それは国が生まれ変わる足掛かりだった。
「つまらんぜ、俺は」
「シグナス、俺達はただの小隊長だ。そして」
「その上には大隊長。さらにその上には将軍だろ。わかってるよ。何度も聞いた」
 俺は苦笑した。そんなに言った自覚はなかったが、シグナスはそうではなかったらしい。
「金に縁がないからな。俺は。死んでも俺は賄賂なんざ払わねぇ」
 シグナスは清廉潔白だった。これは一つの美徳とも言えるが、世渡りが下手とも言えた。特に今はそうだ。役人の中には、降格や左遷を盾に、露骨に賄賂を請求してくる者も居る。俺も実際にその類の役人と遭遇した。ちょっとしたヘマを拾い上げられたのだ。その時、俺は賄賂を支払った。それは後悔していない。つまらない理由で、今の環境を失いたくなかったのだ。
「お前は出世よりも、戦か」
「それはお前もだろ、ロアーヌ」
「まぁ、そうだな」
 だが、今の国のためには戦いたくない。この言葉は、口にはしなかった。
「つまらんぜ、本当に」
 シグナスの独り言だった。

       

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