Neetel Inside ニートノベル
表紙

この身体はキモチイイ……!
ep13.不和回廊

見開き   最大化      

 夕飯の後片付けを終えたら、ユキに紅茶を出すように言われていた。

 キッチンでお湯を沸かしながら、お茶の容器を選別する。このまるっこいのにしよう。

 ずんぐりと丸いティーポットに茶葉を入れて、お湯を注ぐ。ティーカップにもお湯を注いで、しばらく温めておく。三分間の砂時計をくるりと回して、ヤカンをコンロに戻した。紅茶の淹れ方を覚えたのは、いつからだろうか。こういうことを自然とやってしまうあたり、私もようやく鳩山の家に馴染んできたように思う。

「ユミコさん」
「なぁに?」

 となりの皿洗いを終えた彼女はご機嫌のようで、甘えた猫が鳴くみたいな声を返してくれた。

「お嬢様にお茶を出しに行ってきます」
「はいはい。一階の掃除はやっておくわね」
「すいません、お願いします」

 私は軽く頭を下げた。普段一緒に働いている彼女に、仕事を押しつけるみたいで、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 ユキに持って行くお盆の上には、二つのティーカップ。彼女に指示されたのだ、私の分も持ってくるようにと。勤務時間中にゆっくりお茶を飲んでいて良いのだろうかと思ったが、以前ユミコさんに「これも立派なお仕事だから、さぼっちゃダメよ」と釘を刺されて以来、私は従順にユキのお茶の相手をすることにしていた。

「いいのよ。ジュンちゃんが来てからお嬢様も楽しそうだし。新しい家族が出来たみたいで嬉しいわ」
「それ、お嬢様も仰っていました」
「ほら。みんなあなたのこと気に入ってるのよ」
「そう言っていただけると嬉しいです。私はここに置いていただけるだけで、ありがたいと思うのですが」
「そんなことないわ。でも高校生でお仕事って大変じゃない? まだ遊びたい年頃でしょう?」

 ユミコさんは、少し心配そうに言う。

「いえ。こちらで忙しくしていた方が、色々考えなくて楽ですから」
「まぁ……」

 ユミコさんが悲痛なものを見たと言わんばかりに、瞳を見開いた。

 ああ、しまった。余計なことを口走ったか。

「それに、お嬢様も気を使って構ってくれますし。今結構楽しいんです。こうやってちゃんとお仕事ももらえて、学校も行けて、帰る場所があって、お話が出来る人がいて。それって凄く幸せなことじゃないですか?」

 私は取り繕うように、一気に思ったことをしゃべった。ちょっとしゃべり過ぎたかもしれないと思ったけど、口が止まってくれなかったのだから仕方ない。

 ユミコさんは何か神妙な面持ちで黙りこんでしまった。

「あの、」
「ジュンちゃん」
「はい」

 更に続けようと試みだけど、ユミコさんに遮られてしまった。

「今は何も言わないけど、相談事があったら、私でも力になれると思うから、ちゃんと言ってね!」
「あ、いえ、そんな……。えっと、とにかくありがとうございます」
「うん」

 ユミコさんの勢いに押され、思わず了承してしまう。今のところ人に話してどうにかなるような悩みなど抱えていないのに。どちらかと言うと、考えてもしょうがないから、今は何か他のことに集中して、忘れてしまいたいような、つまらないことしかないのだ。

 それにしても、何かそんなにユミコさんを奮起させる言ったかな?

 まだ少し砂の残った砂時計を見て、私はティーカップの水を切った。大体二分半くらいが、この茶葉の一番美味しく出す時間なのだそうだ。茶葉をティーポットから出して、香りを確認する。ユミコさんが淹れた時みたいに、良い香りがした。

「紅茶の淹れ方、大体覚えたんですよ」

 突然話題を変えるように、私はユミコさんに言う。

「グランクリュは、三分も淹れてると少し苦みがでちゃうって、前に言ってたじゃないですか」
「え、ええ」

 思い当たるところはあるけれど、私が何を言いたいことを探るように、ユミコさんは曖昧に頷いた。

「少しづつですけど、色々勝手を覚えて来たんです。お料理もまだまだですけど、ちょっとずつできるようになったきましたよね?」
「そうね。ジュンちゃん物覚えが良いから」
「そんなことないんです。昔からこういうの苦手で、家でも手伝うと却って邪魔になるから、何もさせてもらえないくらいで」
「そうだったの?」
「そうだったんですよ、悲しいことに」

 私は当時のことを思い出して、苦笑してみせた。

「でも、今はそこそこ家事も出来るようになりました。なんでかわかります?」

 私はお盆を持って、キッチンから出ようとする。

「んー……? 頑張ったから!」

 ああ、もうこの人は! 天然さんなんだから! そんな「明察した!!」みたいな無邪気満面な笑みを零されても、反応に困る。とても中年の女性とは思えないような愛嬌の良さだ。

「えっと、一応頑張りましたけど、そういうことが言いたいわけじゃなくてですね……」
「違うの?」
「ユミコさんが何かと丁寧に教えて下さるから、私も楽しんでお仕事が出来たんですよ!」
「ああ、そうなの? 良かった」
「そうです! 良かったんです! 本当に私は恵まれてるんですよ。だから余り心配しないで下さいね。私は好きでユミコさんやお嬢様のおそばでお仕事をさせていただいてるんですから」

 ちょっとだけ振り返ってみたら、ユミコさんが驚いた表情をしたあと、安心したように顔を綻ばせていた。

 言葉にして、彼女の顔を見たら、私まで嬉しくなってしまいそうだった。

   *   *

 ノックのあとに、間髪入れずに「どうぞ」という声が聞こえてきた。待たせてしまったのだろうか。

「失礼します」

 ユキの部屋は、彼女が普段何か香水を付けているでもないのに、不思議な甘い芳香が漂っていた。誘うようなその香りが私の鼻腔をくすぐる。

「そこに置いて」
「畏まりました」

 ガラスの丸テーブルの上にお盆を置いて、ティーカップに紅茶を注ぐ。今日は砂糖もミルク要らない。私は一つのティーカップの取ってをユキの方に向け、そっとテーブルに並べた。

「良い香りね」
「そうですね」
「美味しい」
「良かったです」

 一安心する。多分大丈夫だと思っていても、ユキに出すときは僅かに身構えてしまう。このお嬢様は紅茶と珈琲の味にうるさいお方なのだ。

「ジュンも飲んで良いよ。せっかくだし、暖かい内に飲みなさいな」
「はい、じゃあ遠慮なく」

 口を付けると、先に熱さの方が舌を刺激した。我慢して飲んでみると、口いっぱいに上品な茶葉の甘みが広がった。本当だ、確かに今回はいつもより美味しく淹れることが出来たみたい。

「それでね、お話があるの」
「はい、なんでしょう?」

 わざわざ呼び出されるくらいだから、当然なにかあるだろうとは思っていた。けれど内容に当てはない。

「生徒会選挙に出ようと思うの」
「ああ、以前リューコちゃんとお話されていた」

 でも確か随分先のことだから、しばらく様子見してみようかな、みたいなことを言っていなかっただろうか。

 それにしても生徒会選挙と私になんの関係があるのだろう。

「それがね、ちょっと色々と事情が変わってね。うーんと……、そもそも生徒会に入るメリットから話しましょうか」

 そう前置きして、ユキは私に生徒会とその委員を選出する選挙について説明した。進学が優位になること、進学後もさらにコネが広がっていること。それを見越して、モリさんが生徒会長になれるようにクラス編成を偏らせたこと。イチさん、リューコさんを始めとして、色んな人がそれをどうにかしようと画策していること。しかし現状ではモリさんの優勢が崩れないこと。

 私にはどれも実感のないことばかりだったが、一つ分かったことは、どうやらこの生徒会というものを巡って、様々な人が水面下で動き回っているということだった。

「……なるほど。お話いただいたことはわかりました。いくつか疑問があるのですが、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「お嬢様は何故生徒会に立候補することにしたのですか?」
「そうね、色々と理由はあるのだけど……」

 そう言って、ユキは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。

「まず始まりは現行の生徒会長からお達しがあったの。次の生徒会、あなたに任せるつもりだからよろしくねって。前々から言われてたんだけど、私はどうか分からないとお答えしていたの」
「ええ。始業式の時にもそう仰ってましたね」
「そうそう。でも、モリさんの強引なやり方が気に入らなかったみたいで。先日呼び出されて、なんとかなさいと。ほら、月曜のお昼にいらした先輩」
「ああ、あの方ですか」
「うん。たしかにクラス編成を弄ってまで、生徒会に入ろうとしたのは、モリさんに非があるところではあるし。そういう人を生徒会に入れたくないと思う先輩の気持ちも分かるの。私もそう思うし。それが理由の一つ目かな」
「他にも?」
「ええ。モリさんは私達のクラスに集まった人を抑えれば生徒会選挙に勝てると思いこんでいるけれど、実際はそうでもなくてね。リューコやイチ、ケイなんかを支持してる層は反感を持って、モリさんには票を入れないと思うの。そうなると混戦模様でしょう。私達のクラスには、本当に生徒会に必要な人材もいるのに、そういう人抜きでの先が見えない選挙は、生徒会も歓迎するところじゃないでしょう。母校の運営のことでもあるから、私とも無関係な問題でもない」
「ふーむむ……なるほど。モリさんは実は大局的にも状況を歪めてるわけですね」
「そういうことね。彼女本人がどこまで意識的にやってるのか疑問ではあるのだけど、とりあえず学内に良い影響を与える状況じゃないの。だからそれなら私が生徒会選挙でちゃんと当選しようかなと。それが二つめ」
「分かりました」

 ユキは一息つくためか、紅茶に口をつけた。長くしゃべって口が渇いていたのか、二三度とティーカップを傾け、飲み干してしまった。

「それから、三つ目。単純に私が生徒会長をやってみたいの。他の人を押しのけてでも」
「それはなぜです?」
「うーんと、去年卒業された生徒会長の方ね。当時お付き合いをしていたの」
「え? 誰とです?」
「私と」
「ええっ!?」
「そんなに驚くことかしら?」
「そりゃあ……三つも年上ですし。それに、ああ、でも同性だとかは関係ないんですよね」
「っていうより、その人のおかげで私はこうなってしまったのよ?」

 なんだか胸がささくれだつような思い浮上して来たけれど、気付かぬふりでやり過ごすことにした。

「そういえば、以前に経験がおありとおっしゃっましたもんね」
「まぁ、それはともかく。その先輩が楽しそうに生徒会を運営してらしたから。私も生徒会の最高座席からの景色を見てみたいなと思ってね。それに生徒会のお仕事は大体裏方の地味な仕事ばかりだから、私に向いてると思って」
「私はどちらかというと、お嬢様には華やかなお仕事の方が向いていると思うのですが」
「ううん、それが全然。舞台とか苦手なのよね。本当は演説も。そういうのはリューコに任せれば良いわ」
「そういえば、別にリューコちゃんやイチさんが生徒会長になってもいいのでは?」
「イチは大丈夫なんだけどね。でもあの子はしっかりしてて頭のキレが良すぎるから、その分敵も作りやすいかな。票の獲得もその分難しくなると思うの。リューコは、ちょっと生徒会に立候補する理由が不純かなって」
「不純?」

 思わぬ言葉を聞いて、私は怪訝な表情を作った。

「まぁ、生徒会というと中等部の子とも縁ができるからね。私も先輩とはそこで知り合うきっかけをいただいたの」
「え? つまりリューコちゃんもそういうことが目的……ということですか?」

 恐ろしいことだが、あの人ならやりかねない気がしてきた。

「全部が全部そうとは言わないけど、そういう部分もあるのよね、困ったことに。『生徒会は美女を集めてハーレムにするの!』って前に宣言してたわ」

 ユキは可笑しそうに苦笑した。

「はぁ……なんと言いますか。あの人らしいですねぇ」
「全くね。それと、最近まで忘れてたのだけど、実はリューコと妙な約束をしててね。もう結構前になるのだけど」
「どんなものですか?」
「えっと……」

 ユキは言いづらそうに口をもごもごした。

「その……リューコが生徒会長になれたら、付き合っても良いよって」
「はい!?」
「いえ、前からリューコには迫られていてね。それでうっかりそんな約束を」
「あー……、まぁ事情はなんとなくお察ししますけど。でも実際にそうなったらどうするんです?」
「もちろん丁重にお断りするつもりよ。ジュンもいるし」

 瞬間、ユキの顔をまじまじと見つめた。それって――。

「最も、諦めてもらう代わりに何を要求されるか知れたものじゃないから、そういう事態を避けるのが一番の事後策でしょうね」

 ユキは少し顔を赤らめて、早口で言い切った。私から目を逸らすように、部屋を見渡している。

「それで、ジュンにも協力して欲しいの。私の生徒会選挙。やっぱりジュンが一番私と近い存在だし、他にお願いできる人いないから」

 どうやらさっきの一言について、言及はさせてくれないらしい。

 うー……煮え切らないものが残るけど、今は良いとしようか。私もすぐに応えることはできないのだから。他に整理をつけなければいけない気持ちがたくさんある。

「……私は構いませんけど。でもお手伝い出来ることなんか多くありませんよ」
「そんなことない。ジュンは私にはない魅力をたくさん持ってるもの。すんなりクラスの人とも馴染んでるし」
「でもそれなら、私と話す人はみんな、お嬢様の友人じゃないですか?」
「いいえ。そうでもないの。ジュンといるとね、みんな色々と話しかけてくれるのだけど、以前はそうでもなかったのよ。教室に一人で居るのが嫌だから、生徒会室に逃げ込んでいたくらい」

 意外……とは言えないのかもしれない。アソーちゃんが言っていた。ユキのことは、みんな知っているけれど、でも知っていることはみんな知っているようなことしか知らないと。

 どうしてそうなったのか、私にはわからない。今聞いても仕方のないことなのだろう。多分誰かの悪意でそうなったものではないだろうから。

「……私で良ければ、お力になりますから」

 ユキが当時のことを思い出したのか、いつになく寂しそうな表情をしていたので、私はできるだけ優しい声で言った。

「ありがとう、ジュン。……あ、そうそう、ただで協力してって言うのも悪いから、ちゃんとお礼もするね」
「そんな、いいですよ」
「ううん。もし私が生徒会選挙で勝てたら、ジュンが返す予定のお金、全額免除でいいから」
「えっ!? それはさすがに、」
「いいのよ。もともとあなたが返す理由なんか無いんだから。私があなたを手元に置きたかったから、適当に出任せを言っただけだもの」

 わぁ! 随分ぶっちゃけた発言だ。

「ですが、それでは私はこの家にいられなくなるじゃないですか?」
「そのまま働きなさいな。将来に向けての貯蓄も必要でしょ。今まで返済に充てるって誤魔化した分も、ちゃんと払うから、結構な蓄えになると思うの。三年生は受験もあるから、毎日仕事をするわけにもいかないでしょうし」
「それはまぁ……」
「いいじゃない。いいでしょう?」
「いえ、申し訳なくて。有難いです。ちゃんと私のことを考えていただいて」
「当たり前じゃないの。私はあなたの所有者なんだから」

 ユキの手が私の頬に伸びる。暖かくて、その手の熱にどきどきする。私をやわらかく撫でる彼女の手が、それ以上を望ませるみたいに、優しい。

「今日は可愛がってあげられないのが残念……」

 ユキがシュンとする。穏やかじゃない単語を耳にしたけど、聞かなかったことにした。一瞬だけ自分でもユキの艶っぽい唇を見てしまったのは、ただの偶然だと信じたい。

「……とりあえず、今生徒会に関連することで、私が出来ることはありますか?」

 うっかりするとユキのペースに呑まれてしまいそうだったので、私は話題を変えることにした。ユキは「あら、つれない子」とちょっと拗ねてみせた後、(その時の表情が溜まらなく可愛かった!)視線を上に逸らして、考え込むように言った。

「そうねぇ……一番の問題のモリさんのことは、多分私達じゃどうにも出来ないから」

 どうやら一番厄介な問題は、それだけに一番解決が難しいようだった。

「ちょっと考えるのが早いような気もするし、今すぐ出来ることってわけじゃないんだけどね。私が考える生徒会のメンバーね、一人足りないのよ」
「どういうことです?」
「生徒会は会長以外に、副会長、会計、書記、雑務の五人で構成されるのだけど、副会長が決まらないのよね」
「他の方は決めていらっしゃるんですか?」
「ええ、書記がリューコ、会計はイチ、雑務はジュンかナオちゃんにやってもらおうと思ってるの」
「私も含まれてるんですね?」
「やだ?」
「いいえ」
「ほら、そう言うと思ったから」

 ユキはころころ笑った。思い通りになっているようで、なんだか悔しい。

「ちなみに他のメンバーを選んだ理由はあるんですか?」
「まずみんな賢いことかな。私はあんまり頭は回らないから、ブレインになるような人材はどうしても必要でしょう。それに生徒からの人気も高い子だからね。やっぱり距離感が近い生徒がいると、生徒会にも直接意見が入ってくるから」
「なるほど」
「あとリューコは凄く字が綺麗なのよ。イチは数学出来るからね。ナオちゃんはイチがいるなら、喜んで入って来るでしょう?」
「そうでしょうね」
「ま、そういうことよ。それで、彼女達をまとめる副会長が欲しいの。イチの意見は鋭すぎて方々に角が立っちゃうから、そういうのを抑えられてさ。それからリューコのことも何となく手綱を取れて。自分の意見を押しつけるんじゃなく、本当の意味で相談役となるような、そういうブレインが欲しいのよ」
「かなりハードルの高い要求ですね」
「そうね。それはあくまで理想だから。ジュンはそういう子がいないか、クラスの子をよく観察してくれないかな? モリさんのグループ、私はあまり話さないから、よく分からないのだけど、きっと良い子がいると思うのよね」
「それがとりあえずのお仕事というわけですか」
「そうね。簡単に見つかることじゃないけど、今の内からね。生徒会選挙に出馬するとなったら、嫌でもやらないといけないこともたくさん出てくるだろうし」
「わかりました。善処はします」
「お願いね。さてと……もう、こんな時間か。長く拘束しちゃってごめんね」
「いえ、お構いなく。では失礼しますね」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさいませ」

   *   *

 部屋に戻った私は、勉強するでもなく、お風呂に入るでもなく、ぼんやりとベッドの上でユキの言葉を反芻していた。

 リューコちゃんとの交際を断ると言った時、彼女は「ジュンもいるし」と言った。それはつまり……考えるまでもなく、そういうことなのだろう。

 でもじゃあ私の気持ちはどうなのだろう?

 私はユキのことを好いている。身体を重ねることさえ、受け入れてしまっている。でもそれは、少なくとも今までは、そうすることで私がこの家にいる理由になったからだ。

 でも付き合うってことはまた全然別の問題だ。中途半端な気持ちで彼女の気持ちを受け入れてしまったら、お互いに傷つく結果になりかねない。喩え行為の中で彼女のことを愛しいと思ったとしても、それは一時の感情でしかない。

 それにそもそも、まだ私は彼女の気持ちをちゃんと聞いたことはないのだった。やはりそれからちゃんと聞いておいた方がいいのだろうか。でも私の気持ちがちゃんと固まってない内に聞いて、空気をぎこちなくしたくはないし……。

 くるくる考えが巡る。私が何かを決定しえないような、とりとめもない考えが。

 不意にノックの音がした。控えめな、躊躇ったような、小さな響き。

 珍しいな、と思った。多分イチタロー君だ。「はいはい」と声を上げてベッドから降り、私はドアを開けた。

「こんばんは、今大丈夫ですか?」
「うん。何かご用?」
「ええ。明日なんですけど、空いてますか?」

 彼は酷く真剣な瞳で、私を見上げていた。

       

表紙

. 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha