Neetel Inside ニートノベル
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十月の旅
北朝鮮:平壌

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「今回ばかりははっきりと言わせてもらう。『嫌だ』」
 ロシアはウラジオストクのホテル三階。布団を頭から被りながら、鞄に荷物を積める四ツ目に俺はそう言った。
「どうして?」
「どうしてもだ」
 俺はますます布団をしっかり握って、石のようにうずくまった。テコでもここを動かないぞ。
「それは困ったわね」
 と言いつつも、四ツ目の作業をする手は止まらない。俺は眠い目をこすりながら、一度張った意地にプライドのデコレーションを施して、対四ツ目戦線を部屋に引く。
「今回は脅したって無駄だからな。俺は絶対に行かないぞ。行きたいなら四ツ目一人で行ってきてくれ。俺はここで待ってる」
「そう。ロシア語も喋れないあなたが、こんな場末のホテルで一人きりで過ごせるというのね?」
 これは紛れも無い脅迫だ! ICPOはどこだ、この鋼鉄で出来た女を捕まえてくれ。だが、今回ばかりは俺も折れる気は無い。
「ロシア的倒置法は完璧に覚えたから問題ない」
「随分と尊大な口を聞けるようになったようね。だけど……」四ツ目は鞄を閉じ、ようやく俺の方を見た。そして刺すような鋭い言葉で「あなたは私と一緒に行くのよ」
 俺は素早く、だが的確に反論する。
「た、確かに、四ツ目がこの旅に誘ってくれた時、俺は行くと言ったさ。だけどな、俺にだって怖い物はある。駄目なんだよあの国、なんというか……不気味で、得体が知れなくて……」
「だけどそれも世界よ」
「分かるけど、分かるけどもさ……」
 札付きの悪がたまに良い事して「あ、こいつ良いかも」と思えるのはアニメやドラマの中だけの話で、現実の先入観っていうものはなかなか滅多に払拭できない物だ。しかも、今回の相手は、たまの良い事すらしていない。好きになる要素が無い。
「……なんでわざわざ北朝鮮なんか行くんだよ」


 理由。それを求め始めたら、この旅自体の意義が危うい。
 昨日、イタリアから長時間のフライトと乗り継ぎを経てウラジオストク空港にやってきた俺と四ツ目は、夕方ごろにこのホテルにチェックインした。
 完璧超人の四ツ目でも、ロシア語はカタコト程度しか話せないらしく(カタコトでも話せるだけ凄いが)、ホテルのロビーでしばらくの間話し合っていた。
 当然、俺がそんな会話に参加した所で、頷くだけの人形になるのは目に見えているので、離れた所で待っていたのだが、帰ってきた四ツ目の表情を「不機嫌そうだ」と一瞬で判断出来たのは、この一〇日間ばかりの時間で培った第六感のおかげだろう。
「手違いでシングルの部屋を一つしか取れなかったみたい。というより、男女二人で二部屋予約をしたら、勝手に一つの部屋にまとめられたと言った方が正しいかしら」
 四ツ目は俺の対面に座って、目を瞑った。そして、何も言わない、というか言えない俺に尋ねる。
「もう時間も遅いし、新しい部屋は取れそうに無いわ。あなたが構わないのなら、今日は一緒の部屋で泊まりましょう」
 俺は努めてクールに、至って紳士に、四ツ目よろしく仏頂面で、冷静にこう答えた。
「べ、べべべ別に大丈夫ですけども?」
 呆れているのか、それとも不審がっているのか、先ほどの第六感はダルマ落とし方式ですっぽりと抜けて、相変わらず所在の掴めない住所不定の四ツ目の感情に、俺は回答を待った。
「……じゃあ、そうしましょう」
 ホテルの部屋はなんとも素っ気無い感じで、観光客向けというよりはビジネスマン向けなように思えた。ベッドは一つ、ソファーとテレビと間接照明。平均的、普通、あまりホテルに泊まった事の無い俺でもそれは分かった。
 俺はベッドに腰掛けて、気づくと貧乏ゆすりを始めていた。
 何、気にする事は無い。というか意識するのはおかしい。元々二つ部屋を予約していて、それが手違いで一つになってしまったから、こういう事態に陥っている訳で……。
「先にシャワー浴びてきても良いかしら?」
「無論」
 正直に白状すれば、俺は今、揺らいでいる。メトロノームのようにカッチコッチとせわしなく、思考が左右に揺れている。
 四ツ目がシャワーに入っている内に着替えを済ませて、体を丸めて、ソファーの背を向いて寝転がった。それから一〇秒ほどして、「いや、むしろ意識しすぎなんじゃないか。何もしないと俺が決めていれば、別に同じベッドで寝る事など何の問題も無いのでは?」と思い浮かんで一度立ち上がったが、「いやいやそれは間違っている。ここは気を使って、相手が何も言わずともソファーで寝るのが真の紳士たる物」と思い直し、もう一度ソファーに埋まった。
 だがどうにもソファーは眠りにくい。飛行機のリクライニングシートでさえ満足に眠りにつけない俺としては、この体勢で一晩過ごすのは下心抜きにしてもきつい。何か妙案は無いか、と部屋を見回してみたが、あとは固い地べたで寝る他なさそうだ。そんな所で寝たら明日には全身カッチカチになるぜ。
 それから二度か三度、ソファーに転がっていろいろな体勢を試してみたが、一向に最適解は得られない。そうこうしている内に、シャワーの音が止まった。俺は慌ててソファーに丸まり、目を閉じて息を潜めた。
 今、俺の背後には、一糸纏わぬ姿の四ツ目がいる。
 布の擦れる音。髪をとかす音。それから鼻腔をくすぐる石鹸の良い匂い。
 心頭滅却、虚静恬淡、色即是空、転迷開悟、即心即仏。ありとあらゆる邪念を振り払い、寝たフリを演じ続ける俺に、四ツ目が声をかけた。
「そんな所で寝ていて風邪をひかれても困るのだけど」
 俺はたっぷりと時間を使って、首だけで振り返る。すると、四ツ目はもうベッドに寝ていた。ちょうど半分、一人寝られるくらいのスペースを残して。


 そんなもん、熟睡出来る訳が無いだろ。
 一つのベッドの上で、同じ布団を被りながら、距離のある背中合わせで悶々と、一晩中過ごすなんてどんな拷問? いいや気にするな俺。四ツ目はそういう気があって一緒のベッドで寝る事を許可した訳じゃない。しかし待てよ。そもそもこの旅だって、四ツ目の方から俺を誘ってきたんじゃないか。という事は、多少なりとも俺に気があると見るのは間違っていないのではないか。むしろ、ここで男を見せなければ相手に失礼なのかもしれない。
 巡り巡った思考はやがて「この宇宙って一体何なんだろう」という別に俺が考えなくても良い事柄に行き着いて、四ツ目の安らかな寝息をバックグラウンドミュージックに朝まで、俺は何も出来ないまま、一睡も出来ず時を過ごした。
 そういう背景もある上で、朝になって四ツ目に次の行き先を尋ねると、「北朝鮮」と答えた訳だ。これは拒否権を発動せざるを得ない。怖いよ眠いよ行きたくないよ~。
「とにかく、俺は絶対に行かないからな」
「困った事になったわね」
 風鈴の音色のような涼しい顔で、全く困ってない様子の四ツ目。
「……そもそもさ、前にも聞いたけど、何で俺を誘ったんだ? 俺より格好良い奴はいくらでもいるし、地理の成績が良い奴はもっといるぞ。なんでよりによって俺なんだよ」
 これは旅に出て二日目くらいに聞いた質問だ。その時も、そして今回も四ツ目は、
「答える義務は無いわね」
 と、一蹴した。
「だけど、」四ツ目は少し表情を和らげて、「どうしても知りたいというのなら、北朝鮮に一緒に行く事ね。そうしたら、何でも良いから一つだけ、あなたの質問に真面目に答えてあげる事にしましょう。これが私の出来る最大限の譲歩」
 ただの質問に答えてもらう代わりに北朝鮮行き。なんとも釣り合っていない取引内容だ。しかしそれでも、答えの出ぬ問いに一夜を費やした俺にとっては、「何でも答える」という言質は値千金、喉から手が出る程欲しい一品。
「本当か? 何でもか?」
「ええ」
「……安全なんだよな?」
「何がかしら?」
「北朝鮮だよ。行ってすぐ取り押さえられて拷問なんて絶対に嫌だぞ」
「私は確かに言ったはずよ。この旅は十月の旅だと」


 結局、俺は四ツ目について、アジアのダークスポット北朝鮮へとやってきた。
 平壌の空港につくと早速、馬鹿でかい金正日の絵が迎えてくれた。苦笑いしつつ、バスに乗り込んで高速道路を走る。同乗客は多く、いろいろな国から人が来ているようだ。そしてそのほとんどが、大きな機材と一緒に乗り込んできたので、バスはあっという間に満杯になった。
 空港からは次々と似たようなバスが発進していて、皆同じ方向に向かっている。対向車線には、空っぽのバスが空港に向かって走っていた。
「驚いたな。北朝鮮は観光都市だったのか」
 俺が感嘆しつつ言うと、四ツ目は「今日は特別」とだけ答えた。
 だだっ広い金日成広場に到着して、その言葉の意味が分かった。
「こんな事なら最初からそう教えてくれ」
「聞こえないわ。もう一度言って」
「だから、こんなイベントがあるんだったら最初から教えておいてくれって」
 耳元でそう叫んでようやく通じた。広場は万雷の拍手とカメラのフラッシュ音、集まった何万何十万という市民の呼吸は、騒音と化して俺の両耳を塞いだ。
「これが本物の軍事パレードって奴か……」
 軍服を着た兵隊達の一糸乱れぬ行進を見ていると、『人間』がゲシュタルト崩壊してくる。まるで一つの生命体。一人一人の個性とか感情が全く無いように思えて、体の芯が寒くなってくる。この感情は……恐怖なのか?
 続く戦車や、ミサイルを積んだ車。それを見た市民達が、背後でいちいち歓声をあげて、会場はまるで大荒れの海のように起伏が激しい。
「なんでよりによって、こんな前の席なんだ?」
「取材用の席しか取れなかったのよ」
 俺と四ツ目の両隣は、どこの国の人か分からないカメラ二台と、マイクを持って喋る記者。ぼけーっとマヌケに突っ立ってただ見ているのは俺だけのようだ。
「後ろの席の方が良かったのかしら?」
 俺はみっちりとひしめき合っている市民席の方を見た。甲子園球場の阪神ファンより一致団結しているし、その中に入っていくのは、巨人ファンより辛いだろう。
「……遠慮しとくよ」
「その方が賢明ね」


「どうだったかしら?」
 パレードが終わり、広場から抜け出した時、四ツ目に尋ねられた。
「良し悪しはともかくとして、とにかく凄かったな」
「そうではなくて、この国の後継者である金正恩をどう思う?」
 唐突に放られたキラーパスに、俺は答える。
「ん? うん。好青年だったんじゃないかな。凛々しくて、男らしくてね、確かに若干ぽっちゃりとはしてるけど、それも茶目っ気があってさ」
 どこで誰が聞いているかも分からないのに、素直な感想なんて言えるか。四ツ目は至って真顔で、しかもはっきりとした良く通る声で、
「私には豚にしか見えなかったけれど」
 か、く、じ、つ、に殺されるぞ。俺は心の中で警鐘を鳴らす。
「まあいいや。とにかく、これで北朝鮮観光は終わりだろ? 早く次の国に行こう。ハワイとか、もっと開放的な所にさ」
「まだよ。今日はここで一泊するから」
「ん? 聞き間違いかな」
「明日見て回る所があるから、今日はこの北朝鮮で一泊しましょう」
「うん。聞き間違いだな」
 全力現実逃避はやっぱり実らず、結局、俺と四ツ目は北朝鮮のホテルで一夜を過ごす羽目になった。だが今回はちゃんと二部屋取れていたので少なくとも熟睡は出来そうだ。
 安心しつつ、全身の疲労をベッドに預けて横になった俺は、ふと、昨日の事を思い出した。
 ……もしかして俺は、人生で最大のチャンスを逃がしたんじゃないか。
 意味もなく、「あああ」と声に出してみたが、時間は戻ってこない。睡魔も本気で俺を殺しにかかってくる。あ、寝る。と思う暇もなく、俺は眠りに落ちた。
 翌日、俺と四ツ目は北朝鮮の観光コースを回る事になった。取材に来た記者用の観光コースは定められていて、通常の観光コースは制限されていたらしいのだが、そこになんとか捻じ込むのが四ツ目マジック。この旅で学んだ事の一つは、大抵の現実は金の力で曲げられるという事。
 とはいえ、普通の観光コースが面白かったとは言いがたい。行く所行く所に金正日と金日成の肖像画が飾られていて、美術館にある彫刻や絵画もほとんどがその二人を褒め称える内容の物だった。「逆に、これも一つの芸術なのかもしれない」と俺が思い始めた頃、最後の観光地『学校』へと到着した。
 こんな場所まで来て、見ず知らずの子供の授業参観をする羽目になるとは思ってもみなかった。
 子供達は皆元気良く、授業では張り切っていて、北朝鮮の未来は明るく照らされている……と、観光客に言って欲しいのだろう。
 断言しよう。ここにいる子供達は、皆演技している。
 世の中で最悪な物を一つ決める賞があったとして、もしも俺がそれを決める委員会に所属していたとしたら、間違いなく、確実に、これをノミネートするだろう。ここに来るまでに見てきた大人達の張り付いたような笑顔とハキハキした喋り方も、なかなか精神の負担になる物ではあったけど、子供のそれは段違いだ。
「この子達はまだ良い方」
 聞こえないくらいの小さな声で、四ツ目がそう呟いた。
 その後、例の律動体操を見て、全く言葉の分からない演劇も見て、俺は完全にグロッキーだった。やっぱり来なきゃ良かった。今の所俺に言えるのはそれだけだ。
 学校を後にする時、何のサービスかは分からないが、子供達が俺と四ツ目を囲んでハグを求めてきた。子供達に罪は無いので、拒否する事も出来ずに俺はそれを受け入れたが、その内の一人が俺の耳元にボソリと何かを言った。
 俺はそれを聞き取ってしまった。
 そして、理解してしまった。
 その子は俺に、こう言ったのだ。
「ニホン、ツレテッテ」

       

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