Neetel Inside ニートノベル
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十月の旅
宇宙:高度100km

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 今更、四ツ目が何を言いだしても驚かないだろう。という自信が、俺には確かにあった。
 だがそれは、台風の日の傘のようにいとも容易く、吹き飛ばされてどっか行った。
「次はどこに行くんだ?」
 お決まりの質問に、四ツ目はお決まりの顔で答える。
「宇宙よ」
「そうか、宇宙か。遠いだろうな」
「そうでもないわ。地面から、たかだか一〇〇kmの距離よ」
 俺はぼんやりと空を見上げる。
「意外と近いな」
「ええ」
「えっと、確かここの本棚の全長が……何キロだっけ?」
「八五〇km」
「そうか。それに比べりゃまだマシか」
 俺と四ツ目は今、二週間ほど前に一度来たアメリカ議会図書館にもう一度来ていた。四ツ目が、借りた本を返すのだそうだ。俺は何かの本を借りていた事さえ気づかなかった。いつのマニマニ。
「何の本借りてたんだ?」
「これよ」
 そう言って、取り出した本のタイトルはもちろん英語。はい、読めません。
「不思議の国のアリス。名前くらいは、聞いた事があると思うけれど」
 聞いた事はあるけど読んだ事はない。確かに、四ツ目が察している通りだ。なんとなく出てくるキャラクターは知っているが、話は良く分からん。
「意外とかわいい趣味してるんだな」
 男が「かわいい」っつって照れてくれる女子ってまだ日本にいるよな? とりあえず俺の隣にはいない訳だけども。
「聖書の次に読まれている本らしいわ。一応、読んでおいたら?」
「遠慮しとく」
 三八八〇億部のベストセラーすら読んだ事無いっすから。
「ところでさ、」
「何?」
「さっきのは冗談だよな?」
「さっきのって?」
「宇宙行くって話」
 四ツ目はマグロの赤身に包丁をスッと入れるように、
「本当よ」
 とだけ答えた。


 さて、ワシントンからカリフォルニア、モハーヴェ空港へのフライトの時間をフルに使って、四ツ目女史が根気良くレクチャーしてくれたありがたい講義の内容を、さっさっと掻い摘んで読者諸氏にはお伝えしよう。講義のタイトルは、「民間で初の宇宙飛行、その可能性」である。心して聞くように。
「Xプライズ財団。という名前を知っている?」
「知らん。悪の組織?」
「二週間以内に二回、民間の資金と技術で造った宇宙船で、高度一〇〇kmの宇宙空間に到達した者に、賞金一〇〇〇万ドル。もちろん、宇宙船には人を乗せて。こういう内容のコンテストを開催した財団の名前よ」
「つまり悪の組織じゃん」
 そんな鬼畜な条件を見事にクリアしたのが、民間初の有人宇宙船「スペースシップワン」二〇〇四年十月四日、今からちょうど六年前の事だそうだ。パイロットは無事に帰還して、スケールド・コンポジッツ社は一〇〇〇万ドルを獲得した。円高とはいえ、なんともうらやましい話だ。
 特製のロケットエンジンと、操縦士及び乗客を乗せたスペースシップワンは、親機「ホワイトナイト(ネーミング超かっこいい)」に抱き抱えられて、このモハーヴェ空港を離陸する。その後、高度一五kmまで上昇し、ロケットエンジンが点火される。エンジンは約九〇秒間燃焼を続け、時速四二〇〇km(マッハ三.五)まで加速して、夢の高度一〇〇km、つまり宇宙に到達する。
「ざっくりと説明すると、こうかしら」
 全く想像出来なかった。しかし俺の数学の点数は関係無いだろう、多分。
 だが、行くと言ったら行くこの女。「宇宙」という名前のカフェに行くとかそういうオチではない事は確かだ。
「ま、待ってくれ。あれだ、訓練とか資格が必要なんじゃないのか? 宇宙飛行士って、滅茶苦茶狭き門だって聞いたぞ」
「資格は必要無いわ。あくまで私達はお客さん。でも本来なら、お客さんであろうと事前に三日かけて準備をするのだけれど、時間が無いから、今日一日で慣れてもらう事にしたわ。出発は明日の朝」
 明日の今頃、俺は宇宙にいるのか。
「一体どれくらいの時間宇宙に行くんだ?」
「飛行時間は三〇分よ。実際宇宙にいるのは、たったの五分間。だけどその五分間は、無重力も体験できるし、地球を見る事が出来る。ちなみに料金は二〇万ドル」
 俺はまだ信じられず、呆れながら、
「二〇万ドルも払わなくても、どこに居たって地球は見られるよ」
 と茶化した。


 俺は今、宇宙船に乗っている。
 こう言うと、完全にSFだ。
 滑らかな白い壁には無数の円形の窓。
 仰向けに寝るように座る座席。
 宇宙を駆ける、夢物語。
 隣に座った、というか寝そべった四ツ目に俺は尋ねる。
「これ、現実だよな?」
「ええ」
 答えた四ツ目の呼吸は落ち着いている。まるで平日の昼下がり、つまらないテレビを見ているように、そこにあるのはあくまでも日常なのだ。
 昨日の一日でした事。やたら早いジェット機に乗って強いGを体験し、そのまま二〇秒間の無重力体験。そして緊急時の対策。これは思い出したくない。なぜなら、緊急時=大抵死ぬから。
 そもそも詳しく話を聞いてみると、このサービスはまだ正式には始まってないらしい。来年の六月からが本番で、今はテスト飛行の段階なのだそうだ。宇宙船と、その母船自体は既に完成していて、あのシューマッハが席を予約しているらしいが、実際に乗った一般人はまだいない。
 だから、成功して帰ってきても報道はされないし、これで失敗して死んでも、日本人の高校生二人が星になった事は闇に葬り去られるらしい。
 Oh my god.
「超帰りたい。超帰りたい。超帰りたい」
「何かのおまじない?」
 アメリカ人スタッフに日本語が通じないのはまだ分かる。ガッチガチにベルトで固められてるから、ボディーランゲージも出来ん。だがな、隣にいる日本人に日本語が通じないってのはどういう了見だ。
「北朝鮮よりも怖いのかしら?」
「ああ、怖いね。少なくとも北朝鮮行って空中爆発した奴はいない」
 などと言いつつ、今更、というかこの状況になって、大事な事を思い出した。俺は声をあげる。
「質問だ!」
「何?」
「いや違う! 質問に答えてもらう約束だった。俺が北朝鮮に行ったら、代わりに質問に答えてくれるってお前言っ……」
「そろそろ一五km地点」
 ありえない浮遊感。
 やばい、死ぬんじゃねえか、と余裕で思える加速。ジェットコースターの一番高い所からの急降下が、何十秒も続いていると言えば分かりやすいだろう。昨日の説明では身体にかかるGを軽減する為のシートを採用してるって言ってたけど絶対嘘だ。
 丸い窓から見える空が、ぐんぐん暗くなっていく。知らない間に意識が飛んで、気づいたら夜になってたのか? そんな錯覚が起きるが、まだまだ現実は終わらない。
 俺は今、宇宙船に乗っている。


 目を瞑っているとはっきり分かる。ゆっくりと、体にかかるGが減っていく感覚。全身の戒めが次第に解かれていくようでとても心地よい。だが、完全に自由になって体がいつもより軽くなっても、まだまだまだまだ軽くなっていく。
 あれ? 変だぞ。と思って目を開けた時、俺のベルトを解いた四ツ目は、宙に浮いていた。
「到着よ」
 俺の体は軽くなりすぎて、席からじんわりと浮かび上がった。
 無重力自体は昨日も体感したが、ほんの僅かな時間だったのでくるくる回ってるだけで終了だった。それでも人生初の無重力はなかなかに衝撃的だったのに、今回のは桁が違う。
 俺は壁に手を当てて、体のバランスを取りながらゆっくりと進み、丸い窓から外の景色を見た。
 外は、完全に宇宙だった。
 文字通り無限に続く暗黒空間と、そこに散りばめられた星達。反対側の窓からは、今まで居た星が見える。地球は丸かった。マジで。
「すげええええ」
 俺は率直に、感動を言葉にした。今日まででも世界中の色々な場所を見てきたし、その度に感動してきたが、今目の前にある光景に比べれば屁みたいなもんだ。そんな気分にさせられる。
「すげええええええ」
「ところで、質問はどうするの?」
 俺は後ろを振り向く。振り向きすぎて、空中でくるりくるりと二回転する。
「質問?」
「ええ、北朝鮮に行く時に約束した質問。何でも答えると私は約束した。あなたが忘れているようだったから、あえて言わなかったけれど」
「ああ……って、お前、この光景見て何とも思わないのか?」
 四ツ目は涼しい顔で、
「何ともって?」
「いやいや感動とか、すげええええ、みたいな。衝撃というか、革命というか」
 四ツ目は窓から地球を見て一言。
「ええ、感動してるわ」
 してないだろ!


 俺が質問の事を忘れていたのには理由がある。
 四ツ目は最初から、一つだけちゃんと答えると言っていた。その一つっていうのが厄介で、聞きたい事は山ほどあるのに、どれが一番聞きたいか、となると難しいのだ。夜寝る前とか、飛行機で移動している時などに考えに考え、とりあえず以下の三つに絞った。
 旅行資金はどこから出ているのか?
 なぜ、この旅行に俺を誘ったのか?
 「十月の旅」と言った意味は何か?
 この三つは、どれも同じくらい聞きたいし、普通に聞いても教えてくれない。四ツ目の性格から言って、この機会を逃したら一生教えてくれないような気もする。いくら考えても答えは出ず、諦めた訳ではないが、すっかり忘れていた。何せ、今来ている場所からも分かるように、四ツ目に連れられて行く所はどこもかしこも衝撃的過ぎて、気づくと俺の思考はあっちゃこっちゃに飛んでいくのだ。
「三分を過ぎたわ。あと一分したら、席に着いて。死にたくなければ」
 最初はこの宇宙空間に興奮していたが、一分三十秒くらい居たら急に慣れた。別に自分が何かをする訳でもないし、地球を見ていて、「俺は元々宇宙にいたんだな」という実感が湧いたせいか、四ツ目に水を差されたせいもあるのか、俺は今、非常に落ち着いた気持ちで窓から地球を見下ろしながら、そして決断をした。
「よし、質問させてくれ」
「どうぞ」
 上下反対になった四ツ目の眼を見つめる。透き通った、濡羽色の瞳。
「好きだ。付き合ってくれ」
 四ツ目は表情を変えず、ぐるっと体を上下一九〇度回転させながら、俺にゆっくりと近づいてくる。顔と顔とがくっつきそうな距離になった時、四ツ目は言った。
「明日、きちんとした答えを出しましょう。今は、ひとまず……」
 重なった唇が続く言葉を殺した。

       

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