Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
すっぱいブドウ

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 オクトパストラベラーズ2が楽しくない。
 なぜ楽しくないのか、よくわからない。1はとても楽しんだし、あれは廉価なウィッチャー3として優秀だった。ストーリーはともかくとして、リプレイ性だって、自分の遊び方を工夫したり、縛ったりすれば、何度でも遊べるはずだった。
 でも2をやってみて、そのプレイがほとんど作業に感じる。街の人たちを探ったりしても、退屈が先に来る。
 俺自身が物事をあまり楽しめない時期なのかもしれない。


 何か細々と読もう、と思って、Kindleアンリミテッドに加入した。
 オクトラ2を買って遊ばない、みたいなことを繰り返しているので、カネがない。
 給料も上がらないし、カネのことを考えると疲れるから、考えないようにしている。なるべく。
 考えたところで、給料は上がらない。努力とか、蓄積とか、アホちゃうかとしか思えない。
 一人工の上限が相場で決まっているのに、給料が上がるわけがない。上げたところで客が「買わない」と言えばそれまでだ。
 この世界そのものが豊かじゃないのに、給料が上がるわけがない。あぶく銭とか、コネで最初から持ってるとか、そういうやつらのことは知らない。
 考えても疲れる。

 だから、これからの時代はリングフィットだけひたすらやって、睡眠導入剤を飲み、Kindleアンリミテッドで読みたいかそうでないかに関わらず、適当な負荷の本を適当に読み進める。それが市民の生き方だ。
 課金型の図書館みたいなもんだし、文章や漫画で人気作に拘らなければ、それこそ無限に読める。
 どうせ読んだところで、誰かと語り合うこともない。語り合ったところで、お互いの見解の不一致に気まずくなるだけだ。
 そんなものはいらない。
 だから好きに読み捨てて、通勤時間を潰せばいい。誰だか知らないやつらから肘鉄を食らっても、気づいていないフリをして、真冬なのに汗をかきながら一時間も電車に揺られていく。息が詰まりそうになりながら、そんなことにも気づかぬフリで。
 それでいい。
 人生に大したものを期待しちゃいけない気がしてきた。
 どうせ頑張っても報われないし、そもそも頑張ってすらいない。毎日を乗り切るだけで必死で、気づいた時には一日が経ってる。それでも空から爆弾が落ちてきたり、PayPayをかざしてメシが食えないなんてこともない。
 それはそれで平和だし、甘んじて受け取ればいいのかもしれない。
 酸っぱいブドウの逸話があるけれど、そのブドウを喰ったやつらがみんな涙目になりながらウマイウマイと言っているなら、それはもう酸っぱいもんだろうと決め打ちしてもいいんじゃないかと思う。どこにいっても、効率、効率、効率だ。自分と同じ武器を持っているやつらばかりの場所では、それは武器と呼べないと誰かが言っていた。ならそんなものを振りかざして、他人より少しでも努力、効率、スピードを追い求めることにどんな意義がある? 泣きながらブドウを食うくらいなら、そんなブドウはいらないし、それで死ぬならそれでもいい気がする。
 泣きながら走り続けてるやつらの背中を追っかけて、自分まで泣いてどうする。俺は嫌だ。
 分を弁えて、こんなもんだった、と思いながら、労働し、外食ばかりして貯金もせず、Kindleアンリミテッドを読みふける。話題作なんて、話し合う友達もいない。古いもの、マイナーなもの、習熟していないものを、自分のペースで掘っていって、時間を潰す。それでいい。
 失われるものなんかなにもない。どんなに時間があったって、俺は価値あるものなんか生み出したりしない。最初から何もないのと同然だし、何かがあった試しもない。
 焦ったり、イラついたり、疑問を持ったりすることに、俺は疲れた。
 もうどうでもいい。
 ファミレスでメシを食うたびに、心が落ち着く。運ばれてくるメシと、自分で注いだまずいコーヒー。それがとても落ち着く。家にいると落ち着かない。俺がブルックリンナインナインを見ていると、俺の親父はそんな海外ドラマの何が面白いのか理解できないと野次を飛ばしてくる。
 俺はもう疲れた。弱い人間の相手をするのが。
 なんの価値も生み出さない会話に、うんざりする。
 俺は料理をするのが好きじゃない。俺の天職は、運ばれてきた料理をのんびり食うことだ。どんなに頑張っても、俺は料理が好きになれないし、上達もしないと思う。だから永遠に外食していたい。カネさえ払えば、俺に居場所をくれるから。出ていって欲しそうにしないから。
 どこにいっても居場所がない。自分の居場所を自分で作ろうとしたけれども、そんな余裕のある場所がもうどこにもない。
 世界の片隅で、小さく丸まって生きて行くのがいい気がする。
 料理は失敗したら意味がない。それがすごく嫌だった。おいしくなければ意味がないから。たぶん、俺の母親が料理を嫌ったのも、そういうところにあるんだと思う。失敗しても価値がある、そんな芸術肌の世界でしか俺の家系は生きていけないんだと思う。失敗に価値を見出さないこんな世の中からは、早く退場しちまうのが、誰にとっても幸せなんだろう。
 成功しなければ意味がないなら、その概念そのものの価値を否定する。
 俺はそういう母親に育てられたし、もともとの器質もそうだ。すっぱいブドウは存在しないし、価値もない。手に入れようとすることそのものに意味がない。そうやってすべて否定するのが、俺んちのやり方だ。でも、そのおかげで、泣きながらすっぱいブドウを求めて走らなくても済む。
 自分を走らせたブドウなんて、たとえ本当は甘いのだとしても、すっぱいものだと決めつける。たとえ本当にかじってみて、甘いと知ってみたとしても、これはすっぱいからほしくないと投げ捨てる。甘いという真実を否定する。
 それでいい。
 欲しいものは何も手に入らない。それがじゅくじゅく煮詰まって、本当に手に入れてもそのときにはもう何も感じない。俺をこんなに苦しめたものが結局これか、とガッカリするのがいつものオチだ。苦しみを埋めるほどの快楽なんてどこにもない。だったら何も欲しがらないほうがいい。健康に気をつかって、夜はやく寝て、本当はつらいのにつらくないと言い聞かせて電車に乗る。それが人生だ。それ以外に人生なんて存在しない。つらく、退屈で、味気ない。そのかわり、今日明日に死ぬことはない。それでいい。

 Kindleアンリミテッドにせよ、図書館にせよ、もうだいぶ多く書かれてると思う。
 新たに何かを作ることに、意味なんてあるんだろうか。
 もちろん、作るのが楽しい、というやつはいる。ただ、何かを求めて作るのは、たとえば『俺がこの世で一番だ』と本気で信じて本気でそれをやってしまうようなものづくりは、もう終わったんじゃないかと思う。
 誰もそんなもの求めてない。そんなのは、咀嚼するには硬すぎる。
 強すぎるやつはすべてを終わらせてしまう。発展も、迷いも、そこには残らない。子供がチャンバラごっこしているとき、居合の達人がにゅっと出てきて子供の腕を肩から斬り飛ばしたら血まみれの人殺しと可哀想な悲鳴が残るだけだ。強さの正体なんて、そんなもんじゃないかと思う。本当の達人なんて、誰も求めてない。みんなでチャンバラをすることのほうが、よっぽど楽しい。
 たとえそこに虚しさを覚えたとしても、腕を斬り飛ばされるよりはマシだ。その幸せを噛み締めて、ごっこ遊びに興じるのが、生きるということなんじゃなかろうか。
 本気で殺し合って、何が残るんだろう。
 もう、本気で何かをやるなんて、やめちまった方がいい。どこかで妥協して、のんびりだらだら過ごした方が、健康だし自然だ。命を削ったあとに残るのは、命を削って弱った心と身体だけだ。ほかには何もない。
 自分が作者だったら、自分の本にだけカネを出してほしいから、新刊を買う。
 そんな禊ぎだか誓いだかを貫いて、俺に残ったのは、好きな作家が頑張ってくれる世の中なんかじゃなく、自分の金欠だけだ。
 自分一人にできることなどたかが知れてる。クラウドファウンディングなんか、結局は多数が勝つ出来レースだ。
 誰も俺一人のために犠牲になってくれない。
 そんな勝負に付き合う必要なんかない。
 Kindleアンリミテッド縛りをして、月に1000円でのらくら読む本を選んで、アンリミテッド化されていない本は存在しないものとする。そんな本は鋭意制作中のポスターか何かでしかない。そう割り切ってしまえば、永遠に定額で出費を抑えられる。ハヤカワSFあたりの海外本を買えば一冊だけで1500円だ。貴族の買い物だ。
 岡本太郎はルールに従うにせよ怒りは持て、と言っていた。
 俺はごめんだ。
 怒って、苦しんで、悩む。そのあとに残るのは虚脱と絶望だけだ。俺はそんなもの充分に味わったし、これ以上、そんなものに時間を浪費したくない。やりたいやつは好きにすればいい。俺は嫌だ。
 付き合いきれない。世の中の退屈さも、自分の中の無限の怒りも。迷惑だ。
 確定申告をしろしろと言われて、一生懸命やったら、還付金が1000円だった。それでも確定申告をするとしたら、それは確定申告の手続きそのものが好きか、1円も損したくない強迫神経症か、自分は確定申告で還付されるほど苦労したんだという実感が欲しいかのどれかだ。
 どんなに飛んだりハネたりしたって、還付金なんかその程度だ。
 努力するに値しない。
 何もかもがその程度の価値しかない。
 それを受け入れて、飲み込む時期が来たのかもしれない。
 中年の危機、なんていうけれども、たしかに俺もいい歳だ。
 もう充分頑張ったし、苦しんだ気がする。
 郵便局で会社の書類を投函しにいって、昔、ラノベの原稿を出版社に送ったことを思い出したけれども、いたずらに苦労してなんの実入りもなかった苦い記憶でしかない。楽しかったとか、やってよかったとか、そういう美談は俺にはない。
 いつも疲れていて、いつも救われたかったのに、結局誰からも手を差し伸べられることはなかった。
 そんなもんだ。
 もう何も作りたいと思わない。残っているのは疲れだけ。
 これからの創作は女がやるものだと思う。
 女は自分の価値基準で良し悪しを断定できる。男はそのへんがブレブレで、他人にマウントとれるかどうかを気にしすぎる。この作品はこのジャンルにおける立ち位置においてウンタラカンタラ。だから、創作そのものに付加価値がなければ男はやめていく。俺みたいに。
 でも、女はたぶん、創作すること自体を楽しめるやつが多い。
 それが自然な流れだと思う。
 女が作って、それを女が読んで、派閥を作り、それぞれに発展していく。男は締め出されて終わり。
 居場所がないなあ、と思う。
 そもそも、居場所なんて、どこにもなかった。それが普通だと、ようやく実感する時期なのかもしれない。
 カネがないカネがないといいながら、喫茶店でまずいコーヒーを飲んでぼんやりする。
 死ぬまでそんなふうに、日陰で暮らすのも悪くない。
 太陽なんか存在しないんだから。

 



       

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Neetsha