Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
ワクワクしない

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 シン仮面ライダーを見てきた。
 で、そのあと整体にいって眠くなって帰ったらすぐ寝てしまったので、感想が特にない。ネットに転がってる意見と大体一緒で、まあ、そんなところだよなあという感じ。
 面白かったけど、特に言うことがない。俺としてはウルトラマンのほうが、ウルトラマンのエゴが感じられてよかったけど、それはほとんど好みの問題だし。
 どうもサッパリしない。昨日も一日寝ていた。
 休日に寝ていれば幸福なはずなのに、ダラダラしていても逆に疲れる。メンタルがやられる。
 何か変化とか、よい方向へ向かっている履歴とかが感じられればいいんだけど、そういうのをあまり感じない。3月は悪い月だ。ろくなことがない。
 いろいろ私生活でもいろいろあるんだけど、よいことは特にない。本当に特にない。重い病気をしてないとか、ダイエットのリバウンドをしてないとかそれくらい。  それだって、酒も飲まずに毎日1万歩以上歩いててのダイエットなんだから、これで痩せなかったら困るでしょ、という類の『よさ』であって、あって当たり前だろと感じる。その『当たり前』に感謝することは難しいし、それを当たり前に感じろというなら、じゃあもういいよと暴飲暴食するだけだ。人間は弱い。
 特にいいことがないから、友達と会っても話すことが愚痴ばかりになりそうだし、と遊びの誘いもしない。誘われることもない。
 俺の友達で地方にいってから孤独のあまりグループラインでずっと独り言をいってるやつがいるんだけど、その気持はよくわかる。本当に何もないから、それぐらいしかやることがない。
 人生は虚しい。
 休みを待ち望んでいたのに、休みにやることがない。こんなことになるなら8年前に労働者になんてならずに、ずっとヒキニートでよかったと思ったりもする。
 上手に、それなりに、生きていくことがとんとできない。
 何か楽しみがあれば、と思うんだけど、心からやりたいと思うことが特にない。
 ずっと異世界転生の妄想をしてても疲れてきた。
 何か生きがいがあればいいんだけど、結局、その生きがいがなにかしらのマウントなりマネタイズに繋がらないと生きにくい。
 困った世の中だ。

 猫の爪切りに苦労した。
 だいぶ長くなってきたから切ったんだけど、それも全部はできなかった。爪が伸びてしまって巻き始めているから切ってあげないと危ないし、人間に爪を立ててくるときも痛い。
 子育てもこんな感じなんだろう。
 かなり時間がかかるし、それを休みの時間にやらないといけない。言うことを聞かないし、「じゃあもういいよ!」と言いたくなる。それでもやってあげるのが親だとかなんとか、聞き覚えのいい言葉はあるだろうが、それをがんばってやり抜くのは本当に難しいし、メンタルがやられる気がする。
 生きるのって本当にあっという間で、辛いことばかりなんだなあと思う。
 助け合って生きるなんていうのは嘘だ。それぞれの生活があるんだから、その範囲でしか人は助け合ったりしない。
 疲れる。



 Kindleアンリミテッドを順調に読み進めている。
『賢者の書』というのを読み終わった。哲学というか、人生指南というか、そういう内容なので、あまり言及したくない。こういうものは他人の意見を取り入れると鮮度が落ちる。
 ただ、気に入った部分があって、『日記はその日一日のことしか書けない』みたいなやつ。過去を書き換えることはできないし、まだ起きてない未来のことを日記に書くこともできない。できるのは今日のことを書くことだけ、という部分。
 それはたしかにそうだなあ。と思ったりもした。
 そういう気に入ったワンフレーズに出会えるのも、読書のいいところだし、とにかく通勤電車の立ちっぱなしで肘鉄を喰らいまくる不快な時間もやり過ごせる。
 深呼吸のようなもんで、読書もできない精神状態のときはやばい、というメーターにもなる。


 機械のことが好きじゃないと気づいた。
 俺は機械の仕事をしているから、機械のことが好きだと便利だ。好きこそものの上手なれ。だから好きになろうとしてきた。
 でも無理だと思う。
 俺が本当に好きなのは、言語や表現をいじくることであって、本能的に瞬間的に理解の稲妻が走るのは文章だ。機械の設計図書を見ても何も感じない。ポケモンででんきポケモンだけのパーティを作ろうとしているのも、格好に過ぎない。
 いじくっていたバイクも売ってしまった。リアサスまで自分で交換したのに、もう俺の手元にはない。経験値として残っているか残っていないかといえば、残っているが、それに見合っただけの価値があったかどうかわからない。
 バイクに乗っていると眠くなった。一人になりたい、どこか遠くへ行きたいなんてぼんやりした気持ちで行く先も決めずに走り出すものだからうっかりすると値落ちしそうになる。だからいつか死ぬと思って乗るのをやめた。
 自分が都合よく便利になれば、生きやすいのになあ。
 自分がやりたいことを、「やりたい!」だけでやれずに、世の中の隅で逼塞する。つまらん世の中だ。
 まあ確かに俺はムラっけがあってコツコツと淡々と文章を書き続けるタイプじゃないから、マネタイズはできないんだけども。
 YouTuberとかもそうだけど、無理して誰かと競争していないと、生きていけないというのは本当につまらない世の中だなあと思う。そこから出てくるのは価値じゃなくて血反吐だろと思う。
 ワクワクしない。


 Kindleアンリミテッドを読んでいる。
 最近、健忘症が悪化してきて、職場でもザワザワされている。まあ仕方ない。ADHDの診断は出てるんだから俺が悪いわけじゃない。注意欠陥多動。全部当てはまる。
 人と喋っているとき、少しでも気が散ったり、「え、それってあれなんじゃないの?」と思うと相手の話に集中できなくなる。それでも集中していると自分が考えていることと相手が喋っていることを並行処理しながら分裂症みたいな状態になる。
 これを防ぐためにほとんどの人、たとえば俺の父親なんかは人の話は表面上しか聞かずに一切の価値を認めない、みたいなおじさんが増えたんだろうなと思う。みんな本当に自分の話はするのに俺の話は聞かない。
 電子書籍は今、零戦特攻隊と恋愛する小説を読んでいる。
 時代考証とか、そういうのは、もう気にしない方がいいような気がしてきた。あっていても間違っていても、というか創作である以上は間違っていることが前提にあるわけだし。
 そこを勘違いして、よりよい解像度、なんてものを求め始めるとロクなことにならない。ただ自分の選択肢を狭めるだけだ。
 書いてあるものはあるがままに受け入れる。それをしないと読書はできない。たとえ自分が汚染されるとしても、その汚染ごと受け入れた方がいいような気がする。
 汚染されずに潔白なまま生きても、生地の自分にたいして価値がない。そんなものは切り捨てていい。
 だからのんびり読み進めている。展開にむちゃがあってツッコミどころがあるにはあるんだけど、かえってそのツッコミどころが面白い。それを否定せずに「それアリなの!?」と驚きながら読み進めるのは悪い気分じゃない。
 あーしろこーしろなんて会社と納税だけで充分だ。俺はもう文章からそんなものを接種したくない。
 本当に便利な人生でいえば、他人と話題にできるエンターテイメントだけを接種することだ。イカゲームが人気になったらイカゲームを、逃げ恥が人気になったら逃げ恥を見る。そうすれば他人との話題にもなる。コミュニケーションを軸に生きていくなら、そうして生きていた方がいい。
 俺にはもう、普段から連絡を取る友達がほとんどいないに等しいし、だから逆にコミュニケーションコストを気にせずに自由に読書ができる。いいことがあったとすればそれぐらいだ。
 ほとんどのことはデメリットでしかないが、これに関してはメリットだったかもしれない。俺はやっぱりワガママで、自分の思ったようにしか動かない。それで苦しむのに、それをやめないんだから、立派な精神病だ。それでいい。
 Aを選んでもBを選んでもうまくいかないやつは、Cを作り出す。
 そんなのは疲れる。

 異世界転生の妄想がうまくいかない。
 好きなようにハーレムを作れるのに、俺にはもう好きだといえるヒロインがいない。どのキャラもウザい。近寄らないでほしい。
 そんな気分だから、領主の息子になってお忍びで一人旅をして、いく先々の宿屋で精神の心配をされながらゆっくり休む、みたいな妄想ばかりしている。
 生きているのが向いてないのだから、生きていけないのはしょうがない、みたいな慰めが必要。
 魔王を倒すなんてつかれるし、冒険者なんてやるのはとんでもない。俺はモンハンがヘタなんだから、冒険者なんて向いてるわけがない。
 俺は王様になってみんなにお世話してもらいながらゆっくり眠りに落ちる以外の人生を送りたくない。
 疲れた。
 世の中の流れについていけない。何もかもが早すぎる。
 射幸心を煽って人を無理やり動かしてカネを稼ぐみたいな仕組み、本当にやめてほしい。疲れる。
 そうやって射幸心まみれになったやつは人と無意味に会ったり遊んだりしなくなる。だから俺みたいなやつが一人ぼっちになる。
 みんなそこそこ暇なほうが世の中は素敵だ。

 昔のニコニコ動画で、精神安定BGM動画とか見ていたとき、「もう生きていたくない」とか病んだコメントがたくさんあったけど、あれから十年たって幸せになったやつなんているんだろうか?
 何もかも優しい眠りのなかで消えていくような世の中になればいい。
 幸せになれないやつは幸せにはなれない。1=1。


 1時間くらいこれを書いてたのか、わからんけれど、休みの午後が残っている。
 なんもやる予定がない。ゲームも疲れるからしない。動画も見飽きた。
 やっぱりいろいろ、無理なもんは無理で、つまらんものはつまらんとしか、感じない世の中になってきた。
 ちっともパリっとしない。
 疲れるというか、集中できるものがない。集中はどこにいったのか。
 集中しすぎてもつかれるし。
 なにかしらの満足感が欲しいけど、そんなものはどこにもない。
 困った。


 そういえば定食屋の小説を読み終わった。
 読み終わった、以外の感想がないけれども、別に悪かったわけじゃない。
 ギミックがあればいい、時代考証がしっかりしていないといけない、そんな固定観念を捨てれば気になるところが減る。
 深呼吸するように読書していけば、脳のボケ防止にもなるし、余計なことも考えなくて済む。そういう効能を求めて、それほど重くない小説を読み進めるのも悪くない。
『おもしろい』というのは収束する。どう頑張っても限界が来る。
『十三騎兵防衛圏』をやってしまったあとに、似たような題材を味わっても、おそらく満足できない。到達してしまう、というのは、よくない面が絶対にある。
 だから、別に到達点なんて求めなくていいと思う。到達してしまったら、「もったいないなあ」くらいの気持ちの方が正しいのかもしれない。
 それよりも、のらくらのらくら、日記のように無理のないスタイルで、何かを書き続ける方が健全だし、作者の負担も少ない。そもそも作者の全エネルギーを変換された小説を美味しく頂くなんていうのはやってることカニバリズムと変わらない。それがスポーツで故障するまで無理させるとか、金メダルとらないと認めないと脅すとか、そういうのもそう。カニバリズムだ。
 こんな人食いの世の中で、具合が悪くならないほうがどうかしている。
 せいぜいササクレで取れた皮膚をちょびっと食わせてもらう、くらいで収めておいたほうがいいと思う。お互いにちょびっとずつ。無理なくひっそりと。
 そういう穏やかなスピードの世界にならないなら、俺はこんな世界はいらない。

       

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