わが地獄(仮)
金縛り
さっきのことである。
十二時半すぎだったと思う。
台風もひどいし俺は寝ることにした。思ったよりもいい睡魔が襲ってきて、ちょっと夕方三時に起きたにしては寝るのが早かったが、気にせずそのまま布団をかぶって目を閉じた。
寝ていたらしい。
眠っている時と起きている時の区別がほとんどつかなかった。脳裏でブックオフの映像がちらついたのだが、それが夢なのか、ただブックオフにいきたかったのか、判然としなかった。それが夢だと気づいたのは声をかけられたからだ。
「顎先輩」
俺は振り向いた。男が二人棚二つ向こうに立っていた。眼鏡をかけていない設定なのか俺は彼らの顔がよく見えなかった。なので二、三歩いつもの不機嫌なツラで突進して誰だか気づいた。部活の時の後輩である。
夢でないわけがなかった。もう何年も会っていない。俺はおお、と手を挙げてきびすを返した。あいつには――ひとりしかわからなかったのだが――髪型を馬鹿にしていじめた記憶があるのでちょっと気まずい。
そしてラノベ棚へいった。するとどういうわけか創元推理文庫が混ざっていた。9割が創元推理文庫で埋まっていた。しかし奇妙で、なぜか棚の上方からなだれを起こしていて棚は大きく欠け、平台に本が散らばっていた。
そこでブラックアウトした。
俺は暗闇にいた。しかし真暗闇ではない。布団の中にいるのがわかる闇、というのだろうか。見慣れた闇の中だった。
目玉しか動かなかった。
起きているのか眠っているのか、判然としない。ブックオフの夢の途切れ方からして(本当はあの後少し続いたのだが省略する)起きているように思える。だが、身体が言うことを聞かなかった。
コタツの上のパソコンが妙に青光りしている気がした。
俺は必死に腕を動かそうとした。が、無理。目玉を動かそうとした。ものすごい眠い時を想像してもらいたい。目玉の筋肉がゴムのようになってしまって前もろくに見えなくなるだろう。あれが起こった。
そして脳裏に恐怖映像が次々に映っていった。髪の長い女がぽっかりとあいた眼窩と口をさらしている。とり殺されそうなやつだ。実際に見えているわけじゃなかった。見えているのは相変わらず自室の薄闇で、俺の脳裏にだけ女はいた。
金縛りらしいのだ。
相当長く悪戦苦闘したと思う。なんとか起きようとギリギリ動きそうな右腕の先だけを跳ね上げようとしては失敗し、寝返りも打てなかった。そうこうするうちの脳内の女の気配だけが強くなっていって、癇を起こした時のようなどす黒い気分が俺の中であふれかえった。頭の中をのっとられる時の気分というのはあんな感じなのかもしれない。
俺はようやく身体を跳ね上げて、布団から上半身だけを出した。と思う。体勢がどうなっているのかわからなかった。横転した車でピンボールにされた後というか。とにかく、上を向いているらしいということ、どうやら九十度の方向転換をしたらしいことはわかった。腕はどうなっているのかわからなかった。
俺は起きようとした。このままでは、どうなっているのかはわからないが寝違えてしまうのは間違いない。最悪ムチウチにでもなったら面倒迷惑この上ない。
金縛り?
いいだろう、と思った。受けて立ってやる。いったい誰を縛ったのか思い知らせてやろうじゃねえか。俺は燃えた。久々に気合を入れた。そうしてびくりとも動かない身体をなんとか動かそうと辛かった部活の思い出を追憶した。顧問のツラを思い出した時に怒りが頂点に達した。が、それでも動かなかった。そこから俺はさらに怒った。身体が満足に動かないことに怒り、金縛りごときに負けることに怒った。
薄闇の中にいた。
まだ判然としない意識の中、布団の中にいることが、それも正しい角度でインしているのがわかった。何が現実で何が夢なのかはともかく、さっきまでとは違う意識の中にいるのは確かだった。
身体が動いた、のだと思う。でなければこうして書いてない。どれほどの時間が経ったのか、俺は携帯を手に取った。雨も静かになっていたし鳥の声も聞いた気がする。夜明けだろう、と思った。画面を見た。
十二時四十五分だった。
以上が、むかし幽霊にキンタマを掴まれた時以来の俺の金縛り体験談だ。ちなみに実話だ。ついさっき起こっていま一時十分。このもてあました若い身空をどうすればいいのかほとほと困っている。
外では雨が小降りになっている。
台風が通り過ぎていくのと一緒に変なものが人様の脳みそへと紛れ込んできたのかもしれない――なんてな。