Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
(KRASH)

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 パソコンがクラッシュした。
 とうとうきたか、と俺は真っ黒になった画面を見て、ため息をついた。


 ガタが来てから一年か、二年か。なんとなく、俺は昔から機械とは縁の悪い男で、何をやってもどこかで素直に動いてくれない。そんな俺が使っていたパソコンだから、三年近く使えたのは奇跡に近かったのかもしれない。
 とにかく、パソコンがクラッシュした。
 貯めていたデータが全て吹っ飛んだ。
 俺が書いていた小説のデータ。
 悪いことは重なる。
 パソコンがクラッシュして、買い換える金もない、と落ち込んでいたところに一家離散の報が我が家を打った。家族はみんな散り散りになった。その時読んでいた俺の小説が『ディアスポラ(離散)』だった。笑える。
 俺は、親戚の家に引き取られることになった。大学は、あと4単位で卒業までこぎつけたが、中退した。正気を失っていた俺は、気がついたときには退学届を出してしまっていたのだ。禁治産者にはよくあること。
 禁治産者……
 とうとう、俺はそれになったのだ。


 母方の親戚は、群馬のあたりに家を持っている、ちょっとした小金持ちで、しかし家族仲が悪かった。子供たちがみんな出て行ってしまった、おばさん親子が住むには広すぎる家の賑やかしに、俺は呼ばれた。子供のころはよく遊びにいっていたし、俺の母親はきちがいに嫁いだということで地元では同情されていたから、その血を引いた俺もおこぼれである程度は同情されていた。
 二十五にもなって、俺は手荷物もまるでなく、気味の悪い薄笑いを浮かべながら、親戚の家に転がり込んだ。よくある風な疎外のされ方はしなかった。ただ、二十五になり、薄くヒゲを伸ばした俺の顔を見て、おばさんが、「考えていたのと違う」といったような、うっすらとした後悔を目元に潜ませてはいたけれど。当たり前だ。俺はもう十一の子供じゃない。二十五の禁治産者なのだ。
 それから、俺のパソコンのない生活が始まった。
 その家には、パソコンがなかったから。
 ネットから断絶されて、俺は、しかし、救われた気持ちになっていた。もう『世間』と追いかけっこをする必要がなくなったのだ。深夜アニメも見ない。ゲームもしない。どんなニュースとも不干渉。ただ、群馬の片田舎で鳥の囀りや車の走り抜けていく音、雨の垂れる気配や木々がそよぐ匂い。そういったものを感じて、一日がゆっくりと過ぎていった。それはまるでゆっくりと俺自身が癒されていくようなものだった。


 小説は、書かなくなった。データもない、ネットとも繋がらない。時々、メモ帳に走り書きをすることもあったが、それもままならぬようになってしまった。
 ある日、漢字が書けなくなってしまった。
 ボケたのだ。
 笑ってしまう話だ。無職で、ひがな一日自然を眺めていたら脳が腐ってしまったらしい。病院へいくと(三回、轢かれそうになった)、じゃくねんせいちほうだとかなんとか、言われた。俺はそれをニヤニヤしながら聞いていた。おばさんが俺のうしろでハンカチで涙を拭う気配がした。俺は、その高価そうなハンカチを買うお金で、何人分の人間のご飯が賄えるだろう、と考えていた。
 ひらがなで小説は書けないことが、すぐにわかった。
 そもそもボケてしまっていて、書いても書いてもその内容を忘れてしまったし、書いてあるひらがなを読んでも汚すぎて読めなくなっていた。かつて失楽園の作者は失明しても口述筆記で自分のやりたいことをやり通したらしいが、その頃にはもう俺は「あっ、あっ」しか言えなくなっていて、誰とも意思疎通が出来なくなっていた。きちがい病院へ入れられてしかるべきだったが、俺は基本的な生活はまだ自分で出来たし、世間体のこともあって、俺は軟禁状態でその家に飼われ続けることになった。それでも家人に罵倒されなかったのは、小学生時代に俺が彼女たちに見せてきた愛くるしい笑顔の面影のおかげだったろう。子供は大人になる。その当たり前のことを理解できずに、俺はつまづき、しくじった。後には何も残らなかった


       

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