Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
暗褐色の未来予知

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 死にメンツが100%わかる、という不思議な男がいた。Tという。
 死にメンツがなにかというのを麻雀を打たない人に説明するならば、たとえば競馬で、『絶対に勝つ馬』ではなく『絶対に勝てない馬』を見抜く目を持っている。そんな風に想像してもらいたい。どれほどの本命馬であろうとTの前にさらされれば、その馬と騎手さえ想像だにしていない末路を暴かれてしまうのである。
 リボルヴァエフェクトという変わった名前の雀荘でTと初めて打ったとき、俺は財布をすっからかんにされてしまった。
 最初からコンビニのレシートと汚い塵の塊ぐらいしかなかったのだろうとは言わないで欲しい。傷つくので。恥を忍んで告白すれば五万円ほどやられた。おかげで俺は仕事用の音楽機材を新調しそこね、機嫌を損ねた相棒に着信拒否されてしまったのだ。
 俺は業を煮やした。あの野郎、澄ました顔してさらりと勝ち腐りやがって。
 Tはそれほど身奇麗ではなかったが、雑誌を読んだり服のために街を渡るような人種がちょっと袖をまくって腕を振るえば、どこへ出しても恥ずかしくない美男子になるだろうことはホモではない俺にもよくわかった。




 そのTと、いつからか麻雀終わりに雀荘の真向かいにあるラーメン屋で麺をすするようになった。
 当然それは食事であり飲みだった。Tはいつもぞっとするような冷酒を水のように飲み、俺よりも早くどんぶりを空にした。
 俺はいつもTに奢られたが、結局、その金は前の日まで俺の財布か俺名義の口座にあった金だったのだ。
 死にメンツがわかる上に腕のいい麻雀打ちときたら、これはもう負けようがないのだ。たとえ百人が一着以外はありえないと踏んだサラブレッドだろうと、Tの未来視の前では(実際にはそんなご大層なものではなく、本人に言わせればただのカンとしか言い表せない代物だったらしいが)それは白紙ののれんに過ぎないのだ。
 だから、Tが俺に愚痴を言い始めたとき、それはもう驚いて、すすっていた麺の汁を真向かいのカウンターにいた学生にまで飛ばしてしまってひどく睨まれてしまったほどだ。俺は紙で口元をぬぐった。
「なんだって? どうしたってんだよ、急によ」
 何か重いものでも背負っているかのように肩を落としているくせに、Tはにやにやしていた。卑屈な笑みだ。
「だからさ、もうだめなんだよ。終わったんだ。俺は嫌われたんだ」
「それって何の話だよ。誰に嫌われたって?」
 Tはどうも顔には出ないタチらしく、俺はしばらく意味をなさない問答をしてからやつが酔っていることに気づいた。
 それでも辛抱強く俺はTから話を聞きだした。それというのも、あの鬼神のごとき強さを誇ったTが泣き言をこぼすような目に遭うなんて――興味をそそられないわけがない。





 俺はてっきりTは麻雀で生計を立てていると思っていたが、駅前の書店にアルバイトで通っているらしい。
 そこで、よく同じシフトに入っている二つ年上の女性に心を病んだ。つまり、首まで浸かった麻雀打ちにしては珍しいことだが、恋をしたのだそうな。あまりの展開の甘ったるい急降下に耐え切れず、俺は餃子を頼まなければならなかったほどだ。
 Tは自分がどれほどその女性の笑顔に心を救われたか、歩合制ではない仕事にどれほど彼女が無償の情熱を注いでいるかを力説した。俺は餃子のハラワタをえぐりだしてワサビまみれにして食いながら、涙まじりに相槌を打った。
「実は昨日も一緒だったんだ」
「ほお、そこで何かマズイことを言っちまったのか? 下ネタとかか」
 Tは俺を軽蔑したような目で見た。
「いまどきよっぽどでなければ下ネタぐらいで引く女がいるもんか。これだから素人は困るんだ」
「おまえ愚痴聞いてやってる相手にその態度はねえだろ」
「それもそうだ」Tは我に返った。「すまん」
「いいよ。で、続きは?」
「ああ……。ああ、ああ、そう、畜生、なんでなんだろう。なんで俺はこうなんだ。重要なときだけこのザマだ。畜生。どうして。俺は、あの人がアニメを見るっていうから、その話を振ったんだ。客がいない時間帯にね」
「その人が実はコアなファンで、にわかのおまえに逆ギレしたのか?」
 Tがまた噛み付きそうな顔をしたので、俺は両手を挙げた。とっととオチを話してくれれば俺だっていらない合いの手を打たなくても済むのだ。
「あの人はそんなに心が狭い人間じゃない。そんなこと話していれば自然とわかる。俺は、いま丁度そのアニメの映画がやっているから、よかったら一緒に見にいこうっていったんだ」
「ははあ」俺はようやく合点がいった。「断られちゃったのか」
 ところが、Tは首を振った。
「OKされたよ。実は明後日、Dヶ丘にいくことになってるんだ」
「はあ!?」
 思わず狭い店内が痺れるような叫び声をあげてしまった。タコ頭と刺青がイカす店長に睨まれ、俺はにへらっと笑顔を返してからTに食って掛かった。
「なんだてめえ。ここまで焦らしてノロケ話だったのか? さすがに許さないぜ。麻雀でいくらむしられようと手ェなんぞ挙げやしねェが、これはいくらなんでもやりすぎだぜ。俺ァ頭にきたぞ」
 だが、Tの顔は晴れなかった。ただ悲しそうに首を振るばかりなのだ。
「なあ、俺にはわかるんだよ、死にメンツが」
「だから?」
「ずっと考えないようにしてきた。でも、ずっとその感覚がねばっこい霧みたいになって俺から離れてくれないんだ。――あの人が、俺にとっての死にメンツだっていう感覚が」
 Tはやおら冷酒のオチョコを煽ると、タァ――ンとカウンターに器を打ちつけ、とうとう俺たち二人は店長にのれんをくぐるように命令される羽目になった。





 それから一週間後、Tはふらっとリボルヴァエフェクトにやってきた。
 俺と目が合うとやつは苦笑して片手を振った。その日は、俺が帰る頃にはもう別卓で打っていたTの姿はなく、結局一言も交わさずに終わった。
 それからまったく彼のことは見かけていない。
 俺はその年、いくら麻雀でスッたか覚えていないし、ひょっとしたら勝っていたが生活費で溶けただけかもわからないが、なんにせよ自分の未来には希望を持って生きていたつもりだ。
 それさえ許されることのない眼を持った男にかけてやれる慰めなどありはしないが、それでもまたどこかで会うこともあれば、酒の一杯ぐらいは奢ってやろうと思う。
 だが、未来のわからない俺がいくら待っても探しても、Tの影も形も、どの通りにもないのだった。

       

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