Neetel Inside 文芸新都
表紙

よんてんいち次元のセカイ
ダイヤル114

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《人はパンのみに生きるにあらず。》
これは聖書の言葉だが、おれは不遜にも思う。だからこそ、人はパンがあっても死を選ぶこ
とがあるのだと。
 
 今の生活は貧困を極めていた。もらえる給料はおれが食うので精一杯なくらいだ。それに、
これからどう努力しても、今の生活水準を向上させることはできないだろう。何かを試してみ
たわけではないが、これまでのことを考えれば予想はつく。
 本当におれが毎日送っているのが、「最低限文化的な生活」というやつなのだろうか。
 食うために必死に働き、必死に働くから腹が減り、食う。ただそれだけの生活におれは意味
を見出せなかった。
 おれは自分以外の誰からも必要とされていない。家族はいない。友達も多くはない。恋人だ
ってもちろんいない。勤め先にしても、おれ1人いなくなって困ることは何もないだろう。き
っと新たな席が空いて、他に職を探してる人間の助けになるくらいのもんだ。
 これまでは、生きる意味もないが、わざわざ死ぬほどのことでもないだろうと思っていた。
しかし、今は違う。ダイヤル114ができたのだ。
 1ヶ月前に新たに設立されたこの緊急電話番号は、自殺を考える者専用のものだ。これにか
ければ、救急車より少し遅いくらいの時間で、専門家がかけつけ、安楽死に導いてくれる。詳
しいことは公表されていないのだが、どうやら薬物を使うらしく、苦しむこともなく安らかに
逝けるらしい。
 そんなにラクに死ねるというなら、試してみよう、そういう気になったのだ。楽しみのない
生活だ、死ぬことが楽しみだっていいじゃないか。
 税収は減り、ない袖を振ることもこれ以上できず、どうしたって自殺者の数そのものを減ら
すことはできないと考えた政府が、せめてその処理だけはリーズナブルに済むようにと講じた
苦肉の策だそうだ。独り者に余計な方法で死なれても、結局金を出してそれの後始末をするの
は公共の機関なのだから政府の管理下で死んでくれたほうがまだ助かるというものである。
 当然、114で「いい死」だなんてネーミングには批判が殺到だったらしいが。

 「さて、特にやり残したこともないな…。」
 男は持っているプリペイド電話の1・1・4をプッシュする。この電話の残高はもう0であ
ったが、緊急用に限っては使えるようになっていた。
 「もしもし、これから死にたいんですけれども。」
 「はい、承りました。御氏名、ご住所をお願いいたします。」
 男は自分の名前、住所を淡々と告げた。
 「了解いたしました。15分ほどでこちらのものがそちらにお伺いします。
 落ち着いて、決して早まったことは起こさず、そのままお待ちください。」
 その言葉を最後に通話は終わり、男はもう用のなくなった電話を近くに放った。
 
 そして、それから10分ほど経ったところで、男の家の玄関に人影が見えた。玄関の前に現
れた真っ黒い作業服の青年は、目的の部屋のドアをノックする。
「先ほど電話を頂きました、ダイヤル114のものです。よろしければドアを開けていただけ
 ますでしょうか。」
 男は、その声に気付くと、ゆっくりと立ち上がり、短い廊下を渡って玄関まで向かう。ドア
が開かれると、青年は軽い会釈をして、男に事務的な口調で話しかけた
 「先ほどお電話を頂いたのは、こちらの家からで間違いないでしょうか。」
 「はい、確かにおれです。こちらへどうぞ。」
 男もそれに応えるような落ち着いた口調で返した。

 狭い部屋には、2人が向き合って座っている。
 「それでは、さっそくですが説明をさせていただきます。
 使うのは強力な麻酔薬です。この注射器で。」
 そう言いながら、青年は小さなかばんから、透明な液体が入った注射器を取り出した。
 「なるほど。薬を使うってのはうわさどおりだったんだな。
 …つかぬ事を聞くけど、苦しまずに逝けるっていうのは本当ですか。」
 「はい、間違いございません。もちろん、自ら体験をしたわけではありませんが、私がこれ
 まで担当した30余名ほど、その皆さまが安らかな顔をしてご逝去されております。」
 「そうか、それはよかった。もう説明はいいよ。さっさと終わらせよう。」
 さっきまでは緊張の面持ちだった男も、その説明を聞いてすっかり安心したようになった。
 「何かどなたかに言い残したいことなどはございますか?よろしければこちらで遺言として
 承りますが。」
 「いいや、特にないよ。」
 「さようでございますか。それでは、こちらの書類に確認のサインをお願いいたします。
 なお、このサインを以て、自殺の意志が確かに有りと認定させていただきますので、どうか
 慎重にお願いいたします。」
 「…ああ。」
 男はうなずき、答えた。差し出されたボールペンを受け取ると、特に迷うこともなく自分の
名前を書く。
 「確かに、承りました。それでは、薬の注入に移らせて行います。失礼いたします。」
 青年は男の右腕を取り、注射器の先端をあてがう。
 「それでは、ご冥福をお祈りいたします。」
 そう言い終えると、針が刺され、注射器のピストンが押された。
 「これで完了になります。5分ほどでだんだんと意識がうすれていくでしょう。」
 「どうもありがとう、そ…」
 
 礼を言いかけた口が動かなくなったかと思うと、これまでの苦しみからの解放の喜びからだ
ろうか、なんだか自然と笑顔が浮かんできた。だんだんと眠くなってくるような気だるい感覚
が全身にひろがっていく。これから安らかな死に向かうのであろう、死んだ後の世界はどうな
っているのだろうか。
 そんなことを考えていると、突如として体中にこれまで経験したこともない激痛が走った。
まるで全身のありとあらゆる神経に、熱した針を次々と刺し込まれているような痛みだ。
 一体どういうことだという驚きと、さらにはぶつけようのない怒りさえ沸いてきたが、それ
を訴えることはもうできなかった。
 なぜなら、この耐え難い苦痛以外に、他の感覚は一切なくなっている。さっきまで目の前に
いた青年の姿は見えず、その声が聞こえることもなかった。全身の痛覚が暴れ、激しくのたう
っている。痛い、痛い、苦しい。
 まさか薬がちゃんと効かなかったのか?
 苦しまずに死ねるんじゃなかったのか?
 さっきの説明は、あれは嘘だったのか?
 そんなことを、繰り返し問いかけ続けた。
 とにかく原因を探っているうちに、この苦しみも終わるかもしれない。そう期待した。

 ……しかし、最悪なことに、どうひいき目に考えても、もう10分は経過しているはずだ。
薬が効かずとも、感覚がなく、体が機能していないんだからそもそも呼吸が止まっているはず
である。

 廻る考えも空しく、それから、男にとって永遠の地獄が始まった
 この苦痛に比べれば、毎日パンをかじるだけの生活でも、どれほどマシだったか、男は心か
らそう感じた。
 もう時間の感覚すらもない。しかし、男は、毎日そう思った。

 「──はい、現時刻、確かに死亡を確認。共同墓地に搬送後、報告書の作成にあたります。
 ええ、安らかな顔で眠っておられます。」
 青年はそう告げて、電話を切った。
 
 すると、まるで取り繕っていたのものが剥がれ落ちるように青年の表情が崩れていく。そ
して、その口元が大きく歪んだ。
 「──はい、現時刻、確かに死亡を確認。1名様地獄へご案内いたしました。
 ……ええ、安らかな顔で眠っておられます。」
 青年は悪魔のようにそう囁いて、ふっと姿を消した。

 


       

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