Neetel Inside 文芸新都
表紙

無愛そうな結婚
第一話:real

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「夕飯の支度ができました」
 登子(とうこ)が扉から少しだけ顔を出して言う。私はちょうど原稿の見直しを終えたところだった。
 軽く振り返るとそこにはいつもと変わらない登子の整った顔と、初めて目にする花柄のエプロンが扉の隙間から揺らついて見える。
「あぁ、今行くよ。今日は揃って食べよう」
 私がそう返事すると、登子は少し驚いた表情をみせたが、すぐに「夕華(ゆうか)が来るからな」と付け加えると納得した表情をみせる。
「じゃあ、三人分用意しときます」
「あぁ、頼む」
 扉がゆっくりと閉められ、リビングへと向かう足音がマンションの一室に小さく響く。
 家事をしてくれるものがいるというのは素晴らしいことだ。何故そんなことを私は実家を出てからの十年間程忘れていたのだろうかと時々思い悩む。コンビニで買う弁当なんかより健康的で、電子レンジとは違う温かさが手料理にはある。
 やはり、家庭は持つものだ。
 そんなことを考え始めると、いつもあのサイトが頭に浮かぶ。
「ホント、都合のいい世の中になったもんだ」
 そして、一服。あの時の様にタバコの紫煙を口から吐く。
 
 私が結婚相手に求めた条件は専業主婦、喫煙OK、そして浮気OKの三つ。変な条件だとも思ったが、サポーター側はあっさりとその条件を承諾し、そしてすぐに相手は決まった。
 昔から私はモテはしなかったが恋愛経験は多い方だった。それはと言うのも、どんな女性と付き合い、寝ても私は長続きしないのだ。良くて半年、たいていは三ヶ月もすれば飽きてしまう。人間としての魅力をみつけれなくなるのだ。いわゆる倦怠期というものだろうが、私にとってそれは恐ろしく早く訪れ、それと共に終止譜を打ってしまう。
 格好付けて言うと、悪い男なのだろう。しかし、三十歳も手前になると親戚から職場からと世間上結婚を迫られる。悪い癖のある私にとって恋愛結婚なんて電撃結婚でもなければありえないし、その先の電撃離婚が目に見えてる。運命の相手を期待しつつも、そんな相手が本当に現れるものか定かではない。そんな時に出会った「Cold Married」はまさに天からの救いとでも言えようか。
 
 仕事終わりの一服も終わり、そろそろ居間へと向かおうかと思っていたところに、デスク上に置いてあった携帯電話がバイブレーションと共に大きく鳴る。
「おっと、忘れるところだった」
 先程までタバコを摘んでいた右手で携帯電話を手に取り、受信したメールを確認する。案の定、夕華からのメールだ。
〔予定より早くあがれたから あと15分もしたらシュンジの部屋いけるよ〕
 相変わらず派手なメールだ。様々な絵文字や記号で飾られた文章。
〔今日の夕飯は、家で一緒に食べよう。〕
 慣れない携帯電話で文字を打ち、私は絵文字のないメールを返信する。すると、驚く程早く返信が来る。
〔登子さんの夕飯!? ヤッター!ダッシュでいくね〕
 よくこの文章を絵文字を添えて、あの短時間で打てるものだと内心呆れる。
 交際相手の妻の手料理に喜ぶなんて、彼女も変わった人間だ。それを誘う私も、平然と三人分用意する登子もまた同類である。
 

     

 夕華が来るまでの間、リビングで登子とテレビでも見ながら待つことにした。
 食卓の上にはすでに三人分の夕飯が用意されており、料理は綺麗に盛り付けされ、見るからに美味しそうだ。これを毎日口にしている私でも、夕華が喜ぶ理由が分かる。
 登子は良く出来た女だ。育った環境も良く、一流大学の薬学部を卒業して結婚前までは大手の製薬会社で働いていたという。家事も完璧で顔立ちだって決して悪くはない。彼女ならあんなものを利用しなくても私なんかより普通で、良い男を捕まえられたと思うが詳しい事情を訊いたことはなかった。
 
「俊次さんは禁煙しないですか」
 登子がそんなことを口にする。何かと思えば、テレビのニュース番組でタバコの増税が報じられていた。またか、と思う。禁煙意識が高まり、禁煙区域も増え、値段も増える。我々喫煙者の肩身が狭くなるばかりである。
「もう十年以上も吸ってるんだ。今更やめられるわけないだろ」
 テレビではインタビューを受けた男性が増税に伴い「禁煙を考えてます」と答えていた。そんな簡単にやめられるものなのだろうか、怪しいものだ。
「それに、お前は結婚する際に喫煙の条件を呑んでくれただろ」
「そうでした……ね」
 登子は肩をすくめて、思い出したかのように言う。今頃受動喫煙でも気にし出したのだろうか。さすがに料理のある手前では吸わないが、私と一緒に暮らす上で害は必ず受けそうである。
 しかし、その話題についてはそれ以上のことは話し合わなかった。いつもそうだ。会話はするが深くは話し合わない。だから、口論なども起きたことがない。それが愛のない夫婦の日常だった。
 
「シュンジきたよー!」
 
 そんなところに、チャイムとともに玄関から元気な声が聞こえた。言うまでもなく夕華だ。
 はーい、と登子が立ち上がって出迎えようとしたが、それを制して私が玄関へ向かう。なんだか妻が愛人を迎えるということに違和感を感じたからだ。それに今日くらい夕華には優しくしてやるべきだろう。
「シュンジ!」
 扉を開けると同時に、夕華は抱きついてきた。いちおう隣近所の目がないか確認をする。
 視線を夕華に戻すと、軽く巻かれたブラウンの髪が甘い匂いとともに揺れていた。
「マジでダッシュしたんだけど」
「別に急ぐことないだろ」
「だって料理冷めちゃう」
「そうか、お腹空いたか」
「うん!」
 リビングへの扉の前では登子が立って迎えた。
「いらっしゃい、夕華さん」
「ひさしぶりです、登子さん。おじゃましますね」
 そうして、妻と私と愛人の三人が揃い、食卓を囲む。夕華が中学生くらいならば親子にみえるだろうが、彼女も立派な大人である。普通の家庭ではこの状況は修羅場というやつだろう。ところが私たちにとってそれが日常で、壊れてるなんて思いもしなかった。
「いただきます!」
 夕華の元気な声に続いて、私は登子と二人で静かに手を合わせた。金曜日の食卓。

     

 夕華は美味しい美味しいと繰り返し、満足そうに笑う。
 食事をしながら彼女はいつもいろいろな話をする。職場の話に上司への愚痴、同僚に彼氏が出来たこと、変な客に絡まれたこと。
 私もお返しに仕事の話をする。この前書いた雑誌記事が好評だったこと、新人が優秀すぎること、給料が少し下がったこと。互いに違う職種だったが内容は似たようなものだった。なので自然とそんな会話にもいい加減飽きてくる。
 登子はと言うと、私たち二人の話を聞きながら黙々と食事する。ときどき夕華の「おかわり」に二つ返事で応えるくらいだった。
 
 私も料理上手だったらな、と夕華は呟く。彼女も一人暮らしする上で多少の家事はこなしているが、やはり登子と比べると自信をなくすようだった。
「母親にでも習ったらいいじゃないか」
「お母さんもそんな料理上手くないし、登子さんの方が断然上手いよ」
 そんなこと、と登子は笑顔を作りながら謙遜するが、私の母も味で彼女には敵わないだろう。いつか登子の飯を食った両親が「お前にしてはいい嫁みつけたな」と茶化してきたことを思い出す。
「そうだ! 登子さん料理教えてくれない?」
 それは大胆な提案だった。登子は箸を唇にちょこんと付けたまま驚いている。
「私、教えるほど上手くないですよ」
「お前なら料理教室でも開けそうだがな」
「そうしたら、私よろこんで通うよ!」
 私と夕華が冗談混じりにそう言うと、登子はしばらく照れているのか困っているか、よく分からない表情を浮かべ、「専業主婦がいいんじゃなかったんですか」とこぼす。
「そういえば……そうだったな」
 これでは先程のタバコの話と同じではないか。視線を上げると向かいの登子と目が合う。お互い様ね、とでも言いたそうに微笑んでいた。
 
 食事が終わると、いつも夕華は「手伝います」と登子に申し出るが断れるばかりだった。
「私の仕事ですから」
 登子の家事の腕は相当なものであるが、そのこだわりも大したものだった。夕華には悪いが、登子一人の方が早く片付きそうな気さえする。
 性懲りも無く断られた夕華は、仕方なく私の横に座り、首を傾け肩に顔を乗せてくる。
 テレビでは賑やかにクイズ番組が放送されていたが、私も夕華もまともには見ていなかった。ただ食器を洗う流しの音が部屋に響く。
「ねぇ」
「なんだ」
「どうして登子さんみたいな奥さんいるのに私なんかと浮気するの」
「登子とはただの夫婦で、恋愛はしてないんだよ」
 その質問は何度も繰り返しされる。夕華だけじゃない、前もその前の女性だってそうだった。そして、私はいつも決まったような内容で返す。
 愛し合ったことのない夫婦。
 それで一時的に納得できても、時々不安になることがあるそうだ。――私は遊びなんじゃないだろうか、と。そんなことは一切ないのだが、それを女性に伝えるのは難しいことだったりする。
 
 しばらく部屋に会話は交わされず、気まずさもあってか私は冷蔵庫に麦酒を取りに行った。夕華は極端にタバコを嫌うので違う暇つぶし相手が必要なのだ。
「そのエプロン、どうしたんだ」
 台所に近づいたついで、訊ねてみる。食事の際は外していたが、片づけをするに伴って部屋に呼びに来た時と同じ柄のエプロンが身につけられている。
「あ、この前近くで買ったんです」
「そうか」
「変ですか?」
 私はそんなことはない、と言おうとしたがソファの上の夕華が先にそれを口にした。
「すごい似合ってる、可愛い」
「ありがとう」
 少し派手な桜色の柄だが、まだ若々しい彼女には合っていた。年寄り臭い地味な色柄よりは随分といいだろう。
 私がテレビの前に戻り、麦酒を口にし始めると夕華は不平を口にしたが、少しなら問題ないだろう。むしろ気分が出る。いちおう登子にグラスを持ってこさせ、小さな缶麦酒を二人で分けた。
「お前こそ呑みすぎるなよ」
「わかってるよー」
 今日はお前に大事な話があるんだから。

     

「それじゃあ、行ってくる」
 私の言葉に続いて夕華も明るい声で出発を告げる。
「ごちそうさまでした、めっちゃおいしかったです」
「ありがとう」
「また食べに来てもいいですか」
「ええ」
 登子は笑顔で応える。女性二人が話してる間、私は靴紐を結んだ。
「明日の朝には帰るよ」
「朝食はどうします?」
「あー、弁当だけ頼む」
 明日は会社に顔を出すつもりだった。昼を跨ぐ際はいつも登子に弁当を作ってもらうことになっていた。社内では激ウマの愛妻弁当として噂になっているそうで、少し困っているがやはり美味いので仕方がない。
「よぉし、出発!」
 夕華が私の手を引く。久しぶりの外は肌を刺すように寒かった。
 
 
 その夜、私はひどく冷静だった。
 夕華の笑顔を見る度にどう仕様も無い感情が湧き出て、アルコールなんてものは何の意味も持たないことを改めて知った。
 彼女の身体は白くて弱い。引き締まった胴は強く抱きしめてしまえば簡単に折れてしまいそうだが、所々丸みを帯びたラインには女性らしい包容を感じる。その身体が私の上で重なり、彼女は求めるように唇を首元に当ててきた。鼻先には彼女の柔らかな髪がかすめ、強い匂いが頭の中を支配しようとしてくる。
 しばらくは忘れられそうにない匂いだった。
「別れよう」
 その言葉は長くの間考えていたもので決して安直な言葉ではない。私は他人よりこの言葉を多く言ってきたのだろうが一向に慣れそうにはなく、慣れたくもなかった。
 部屋は暗く彼女の顔が見えなくとも、その表情は鮮明に浮かんだ。それがひどく自分を冷静にさせるのだ。
「そう……どうして?」
 納得した言葉ながらも彼女は続けて問う。夕華には分かっていたのだろうか。そう思うとなんとも言えない恐怖があった。
「夕華はまだ若いから、もっと普通の恋愛をするべきだ。結婚だって……」
「そんなのどうだっていい。若いとか、普通とか、結婚とか、どうだっていいよ。そんなこと覚悟してシュンジと付き合ってきたのに、今更だよ、そんなの」
「君のことを思って言ってるんだ。僕だって辛い」
「シュンジはずるいよ。シュンジには登子さんがいるけど、私はシュンジ以外に頼るものなんてないんだよ」
「登子は、関係ないんだ。何度も言ってるだろ。ただこれ以上君を愛せない」
「……ずるいよ」
 それ以上は話すことはなかった。
 私自身ずるいのはその逃げ方だと気付いたし、彼女は佇む様な私をきつく抱きしめたまま動かなかった。身体と同時に心が絞めつけられてるようで、私はそれから逃れたかったがその権利は私にはなかった。
 胸に沈んだ夕華の顔はいつもより暖かく、先程より熱く感じられた。
 
 
 翌朝は8時に起きた。すでに夕華の姿はない。
「そりゃ、そうか」
 荷物をまとめてホテルを出る。頭が重く少し気分が悪い。家で休んでから会社いくか。そんなことを考えながら朝の街を歩いていると、ふいにポケットの中の携帯電話が鳴った。
 驚くことに登子からの着信だった。珍しいと思いながら電話に出る。
「どうした」
『あ、俊次さん。もう会社に行ったんですか?』
「いや、今家に帰っているところだが」
『えっ、あの、そうですか』
「どうしたんだ」
『あの、夕華さんが忘れ物をしたみたいで来たんですが、俊次さん一緒じゃないんでそのまま会社に行ったのかと』
 夕華が家に来ている? 本当に忘れ物だろうか。昨日の今日なので少し疑わしい。
「夕華、何を忘れたって」
『えっーと、財布……みたいです』
「そうか、今帰るから」
 登子と夕華が二人だけになることは今までなかった。さすがの登子も少し気まずくなって電話を寄越してきたのだろうと思い、私はそう言ったが、
「登子?」
 返事がなかった。代わりに何かがぶつかった様な鈍い音が電話の向こうから聞こえた。
「登子!? おい、登子!」
 携帯電話に向かってそう叫んだ時には既に通話は切られていた。嫌な予感だけがした。
 
 

     

 久しぶりに走った。
 自宅マンションまでの途中、何度も息が切れ自分が喫煙者であることを初めて呪った。自宅と登子の携帯電話に何度電話をかけ直すが、繋がる気配はなかった。
 
“俊次さんは禁煙しないですか”
 
「畜生ッ!」
 エレベーターが降りてくるまで待つのが妙に苛立たしかった。
 ようやくエレベーターの数字が1を指し、扉が開く。
「あっ……」
「夕華」
 中にいたのは偶然か夕華だった。彼女は一瞬青ざめたように驚いたが、すぐに下を向いて私の脇を抜けようとした。
「待て」
 もちろん通すわけがない。彼女の腕を掴むと強引にもう一度エレベーターの中に押しこみ、空いた手で5階のボタンを押して扉を閉める。
「何をした?」
「……やっぱり心配するんだ」
「登子に何をしたと訊いてるんだ」
「登子さんもね、弁当作ってる時すごく楽しそうな顔してたの。あぁ、そういうことなんだって。私、あんなの見せられたら嫉妬しちゃうよ」
 結局夕華がまともに応答しないままエレベーターは5階に着く。夕華の手を強く掴んだまま部屋まで急ぎ、ドアを開ける。鍵は閉まっていなかった。
「登子ッ!」
 その声は確かに部屋中へ響き渡ったが、返事は返ってこない。
「台所」
 夕華が呟くように示唆する。私は掴んでいた夕華の手を離し、靴を脱ぎ散らかし廊下を駆けた。
 リビングに入るとすぐに登子の姿があった。倒れている姿だった。
「おい、登子……大丈夫か」
 何度も名前を呼んだが、一向に目を覚まさなかった。少し切れた頭の皮膚からは恐ろしいほど血が出ていて、その鮮血の色も痛々しい。
「そんなに心配するんだ」
 いつのまにか後ろの立っていた夕華がそう言う。
「当たり前だろっ」
「登子さんを、失うのが怖いから?」
「何を言ってるんだ」
「それって依存してるってことだよね。それって愛なんじゃないの? 信頼って愛し合ってるから生まれるものじゃないの? シュンジは登子さん愛してないっていうけど、気づいてないだけだよ。昨日だって何度も登子さんのこと気にしてて、登子さんだってシュンジのこと気にしてたじゃない。あの時私すごく寂しかったのよ。あぁ、シュンジは私のことあんな風に見てくれないのになって。だから、何となく別れるんだなって分かってたけど、分かってたけど辛いよ、私。もっと私を見てよ」
 彼女の言葉のひとつひとつはどこか遠くのことように感じられたが、ひとつひとつが痛くも刺さった。しかし、もう彼女を愛することなんてできない。出来るわけないだろう。
「夕華、頼む、出ていってくれ。そして、二度と姿を見せないでくれ」
「そう……」
 登子の近くにはひとつの花瓶が落ちており、中に生けられていた紅薔薇が無残にも散らばっていた。
 
 
 
「外傷はみられますが、特に脳への異常は見られません」
「そうですか」
「念のため傷の治療とともに、しばらく定期的に検査をしていきましょう」
「はい、ありがとうございます」
 
 あの後すぐに救急車を呼び、登子を病院へと連れて行った。意識を失っていたのは脳震盪のせいらしく、途中で彼女が目を覚ました時、私は馬鹿みたいに泣いた。
「生きてくれて良かった」
 思い返すと恥ずかしい限りだが、別に恥じることでもないように思える。本当に心の底からそう思ったのだから。
 登子は今、病院のベッドにいる。一日だけの入院だそうだ。彼女は入院の経験があまりないらしく、少しウキウキしているそうだが、やはり頭の包帯を見ると申し訳ない気分でいっぱいになる。
「すまない、登子」
 何度も口にした謝りの言葉。きっとそれは私にとっての満足でしかないのだろうが、それでも口にせずにはいられなかった。なんて私はくだらない男だろうか。
「私の方こそ、心配かけてすいません」
「お前が謝る必要はないよ」
「でも……お互い様です」
 そう言って彼女は微笑んだ。どうしてこんな私にそんな表情をしてくれるのだろう。それが唯一の救いでもあった。
 
 
 

     

後日談
 
 あれから私はタバコをやめた。理由はいろいろとあったが、年寄り臭い理由をひとつ言うと長生きをしてみたいと思い出したからだ。今更なのかもしれないが。同時に浮気もやめた。私はもうこれ以上恋愛なんてする必要がないとわかったからだ。
 登子はというと今は薬局で働いており、これで私が求めていた専業主婦、喫煙、浮気の三つの条件はすべてなくなってしまったわけだが、それでいいのだろう。愛のない夫婦とは違うのだから。
 二人でお金を貯めて、いつか料理教室が開けるような大きなキッチンのある家を買おう。それが登子の働き出した理由であり、今の私たちの夢でもあった。
 夕華はあれから姿を見ていない。私がそう言ったのだから、当たり前といえば当たり前であった。あの事件について私も登子も警察沙汰にするつもりはなかったので、探す理由もなかった。
 
 私のデスクトップパソコンには今もあの日書いた原稿が残っている。Cold Marriageの紹介記事であったそれは大きく見直しが必要な内容であり、それが雑誌に掲載されることはないだろう。

       

表紙

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Neetsha