Neetel Inside ニートノベル
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 時に、効率的な物事の進め方というのは、傍目から見ると残酷な事のように見える時があります。例えば、病気にかかった子供を置いていくヌーの群れであるとか、例えば、血抜きをする為に鶏の首をちょん切る行為ですとか、それを「かわいそうだ」と感じる人間の心自体が、ある意味「かわいそう」に出来ているのかもしれないと思う事も、時々あります。
 先程、自分は朝、幼馴染に起こされていると自慢めいた事を口にしました。文章にすると、いよいよ胡散臭く、絵にしてもこれは、まあ長くは見ていられないような、妄想じみた環境とも取れるでしょうが、その実態はやや違います。
 なんと説明したら良いのか、自分は寝起きが悪く、というよりも、寝起きが「無く」、放っておくと、延々と寝てしまう体質なのです。目覚ましをいくつセットしようが、どんなに大事な用がその日控えていようが、その前の日に何時間も寝ていても関係無く、自分の睡眠は廃線になった田舎の線路のように、暗がりに向かってひたすらまっすぐに続きます。最長での睡眠時間は、四十九時間と五十六分。丸二日程度を睡眠に費やした計算で、これは最早、医学的に言えば、「昏睡状態」に分類されるのではないかとの疑いも持っているのですが、その時も健康状態に異常は見られませんでした。なぜそんなに眠る事が出来るのか? と尋ねられても、答えに困ります。眠っている間は、つまり意識が無いのですから、自分で止める事が出来ない。むしろ、きっかり毎日同じ時間だけ眠れ、目覚ましもなしに起きられる人間の方が、よくよく考えてみると異常なのではないでしょうか。
 尋常ならざる睡眠時間の話は一旦置いておくとして、問題は、その貪り喰らうような惰眠にいかにして終止符を打つか、です。この難問に対し、最も的確な答えを導きだしてくれたのが、他の誰でもない、今から自分を起こしてくれる幼馴染だったという訳です。


 瞼を通した光、それだけでも朝は感じられる物です。そして髪の毛を湿らせる、汲みたての冷たい水が、脳の一番深い所に沈んだ自分の意識を強制的に引き上げました。
「おい、馬鹿。起きろ」
 そんな台詞が聞こえました。声というよりもむしろ、そのストレートな罵倒語のチョイスに、自分は馴染みを感じました。
「起きました」
 と、自分は呟きました。それは即ち、出来るだけ早くに、この頭からかけられているじょうろの水を、どうか止めてくださいませんか、という意味の訴えなのですが、一度で聞き届けられる物ではありません。
「ああ、動くな動くな。そのまま、そのまま」
 幼馴染はそう言って、じょうろの水を使い切るまで、自分の頭に水をかけ続けました。これが美少女の尿ならばなんと心地よい事かとうなだれながらも、黙ってその酷い仕打ちを受け続けました。
 自分の部屋は二階の庭側に位置しており、窓から顔を出して見下ろすと、母の花壇があります。母は多忙で、世界中を飛び回り、ほとんど家を留守にしている癖に趣味が園芸という手に負えない性質を持った女性なのですが、その花壇の世話と、息子の世話を焼いてくれているのが、この幼馴染である彼女という訳です。
 こんな寒い冬の朝に、自分は首ねっこを掴まれ、窓から頭を突き出しながら、キンキンに冷えた水道水をぶっかけられており、その光景はある種の拷問にしか見えません。髪の毛から首筋、下顎を伝って二階から落ちる水が花壇にちょうど入り、「水やり」プラス「目覚まし」という二つの行動を一挙に出来る効率を持っています。これが、この節の冒頭に述べた話に繋がります。


 ようやく水をやり終わった幼馴染(自分も協力しました)は、首をぐいと引っ張って自分を立たせ、ぴしゃりと頬を叩きました。
「目が覚めたか?」
「目が覚めました」
 その瞳はまるで赤くないルビイのようで、瞳孔は真円にして深淵に近く、例えば何か異論を唱えよう物ならば、薄い唇の下に潜めた鋭い牙が、瞬時に噛みついてくるに違いないように思え、実際の背丈は20cm以上も自分の方が高いはずなのですが、威圧感を基にした心理的背比べにおいては、自分が圧倒的敗北を喫している事実はあながち否定出来ず、一方で、そんな距離感に甘えている節さえ自分にはあり、いよいよもって救いようのない己の心の臓腑に染み入る、嗜虐的雰囲気をぷんぷんと漂わせるその幼馴染のS的行為に、魅力を感じる事も時としてあるのです。
「さっさと準備」
 命令にさえ出来損なった言葉を残して、幼馴染は自分の部屋を出ていきました。自分はタオルで水浸しになった髪と顔を拭い、制服に着替え終わる頃には、例の起こし方について文句を言う時間的猶予など無くなり(言い訳にしている、と指摘されればそれまでですが)、自分は黙って、ただ従者の如く幼馴染についていき、学校へと向かうのでした。
 朝食はありません。誤解を招かぬようあえて強く言い切りますが、幼馴染は自分に奉仕してくれる都合の良い存在ではありません(ここまでの流れを見ていれば分かりきった事ではありますが)。むしろ、自分を毎朝起こす事も、家族の夕飯を作るついでに隣人の分も作る事も煩わしいとさえ思っているはずで、ましてや数日前に起きた「あの事件」があってからというもの、夕飯さえ作らなくなりました。今や松屋とマクドナルドとジョナサンとすき屋を交代交代に行き来する、およそ人ならざる者の食生活を余儀なくされる原因となった「あの事件」については、後に語る事になるでしょう。


 とにかくここで自分が言いたいのは、世の中はそんなに甘くはないという事と、しかしながら、この幼馴染は嫌々ながらも自分の世話をしてくれている訳だから、そこそこ気があるのではないか、好きなんじゃないか、精子が欲しいんじゃないか、というそこはかとない恋の予感に自分は煌いているという事です。
 それともう一つ、なぜ先ほどから繰り返し、「幼馴染」という代名詞を使用しているのかという事について説明しなければなりません。これに関しては、上記のような回りくどい言い方をつらつらと連ねなくとも、一挙手一投足、わずかなやりとりで簡単に済ませる事が出来ます。
「一つ、尋ねたい事があるんだけれど……ねえ、くりちゃん」
「……その名前で呼ぶなと何度も」
 くりちゃんの片手鉤突きを左腕で防御し、すかさず入った左のハイを右腕で受け止めました。続く頭突きをモロに喰らい、ずっしり重めの脳震盪にくらくらとしながら、急激な震動でバラバラになったニューロンの所以か、昨日の出来事をふと思い出しました。
『相手の最大尿貯蔵量の三分の一を瞬時に溜める能力』
 と、書かれてあったあのページの事です。確か、触れれば発動するとも書いてありました。あの時は一笑に伏せた戯言でしたが、何かの気まぐれか、あるいは頭蓋骨にヒビが入ったのか、ほんの一瞬、本当の事のように思えたのです。
 くりちゃんは掴まれた左足を振りほどき、自分の胸倉を掴んで脅しました。
「いいか、2度と呼ぶなよ」
 説明がまだでした。幼馴染こと、木下くり。本名です。まだ小さかった頃は、「くりちゃん」と呼ばれると笑顔で答えるかわいらしい少女だったのですが、成長につれてその言葉の真意を知り、数十年来の付き合いになる人間に対しても遠慮無くCOMBOを決めるやさぐれ天女へと成長してしまいました。「くり」という名前を馬鹿にされまいと、イジメられまいと、ナメられまいと(いやらしい意味ではありません)頑張ったのかどうかは判断つきませんが、クラスの中では良くも悪くも、いえ、どちらかというと悪い意味で一目置かれる存在となっているのです。
 孤高。
 これ以上無く、くりちゃんを表すのにぴったりの言葉だと思われます。

       

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