世界は欠陥品だ。
長い歴史の中のどこかで、どこかが壊れてしまったんだ。
元々人間には、動物と同じように必要最低限生きるため、繁殖するための行動……行為だけが許されていたはずだった。
だが、木の遠くなるような長い年月を経て、人はいつしかその範疇を超えてしまった。
狩って、食べて、寝る。これらだけでは、人類は飽きたらなかったんだ。
そしていつの間にか世界は、一部の人間が他の人間と比べて遥かに得をする世界となってしまった。
人と人との間に、順位というものができてしまったのだ。
そして、その順位をわかり易く分ける物。
それは金だ。
単純に、金を持っている者が偉いのだ。
分かりやすい話だ。
それゆえに人は金を重視する。時には、人の命よりも、だ。
そりゃあ、確かに金という制度は必要だ。
なにせ、人は増えすぎた。金で物をやりとりしない世界など、もはや想像もつかない。むしろ、そちらの方が恐ろしいくらいだ。
だが。
それでも、金のせいで得をする人間、損をする人間が生まれるのは当たり前だ。
そして俺は、金のせいで人生がやばくなりつつある人間だ。
いや、もしかしたら既に、完全に崩壊しているのかもしれない。
「やばい……。やばいぞこれは……」
人気のない裏路地。
逃げるように飛び込んだその場所は、余計に自分の身を危険に晒していた。
追われている時は、なるべく人が多い所に行った方がいい。
次からはそうしようと、俺は心に深く刻み込んだ。
最も、次という機会があれば、だが。
ともかく、俺が助かるにはここからでないと駄目だ。まず話にならない。
ここなら、あいつらは多少派手な事をしようと、たいした問題にはならない。
「はぁ……っはっ……! くっそやろう……!」
息をぜいぜいと切らしながら、俺は後ろを一瞬だけ振り返る。
誰も追ってくるものはいない。
これは、ラッキーとかそういう話ではない。
もはや、追う必要がないのだ。
俺は、もう完全に袋小路に追い詰められているのだ。
その証拠に。
「――! こ、ここもかよ!!」
裏路地からの脱出を図り、ビルとビルの間にある横道へ入ろうとする。
しかし、その道に足を一歩踏み入れる事もなく、俺は再び元の裏路地へと舞い戻る。
僅かな時間を置いて、横道から二人の男が走り出してきた。
身長は二人とも180センチ程度。片方の男はサングラスをしている。そして二人とも、同じ黒いスーツ。
どこの悪の組織からやってきたのか、と聞いてしまいたいくらいだ。
そして気付けば、その二人の男の後ろにも、また何人かの黒服の男がこちらへ向かって走ってくるのが見える。
「いいっ加減にしろぉぉお!!」
俺はとにかく走った。
体力などとうに限界を超えていた。
それでも、ただ走るしかなかった。
道中には、ビール瓶が詰まったコンテナや、典型的な汚らしい青いゴミ箱などがあったが、それのほとんどを薙ぎ倒すように走ってきた。
そのせいか、下半身は傷だらけで、ズボンは所々が破れ、そして出血もしていた。
一応、なるべく黒服が走ってくるのを邪魔できるように、という意図はあったのだが、おそらくまるで意味がなかったのだろう。
「……ダメ、だ……もう、どうでもいい……」
精も根も尽き果てた。
もうどうにでもしてくれ、といわんばかりに俺は不意に立ち止まり、両膝をコンクリートの地面に付いた。
冷たい感触が、破れたズボンの上から見えている両膝に伝わってくる。
しばらくして、黒服は俺の周りを囲った。
その間、大して時間はかからなかった。
俺が四方を5,6人の黒服に囲まれるのは、一瞬だった。
「ったくよ……。たかだが5000万程度の債務者相手に、ここまでするか普通?」
冗談気味に俺はつぶやくが、黒服達は返事一つ返さなかった。
「なんで俺なんだよ……! 元はと言えば俺のせいじゃねえ! 借金残して消えた親が悪いんだろうが!! 俺の親を探して追い詰めろよ! お前らならできるだろうが!!」
ありったけの声を振り絞って、嗄れた声で俺は叫んだ。
だが、それでも黒服は何も言わなかった。
「なんで……俺なんだよ……」
そこまで言ったのは覚えている。
そこから先は、何が起こったのか全く分からない。
ただ、意識がいきなり薄くなり始めて、その事を理解する間もなく、ただ深い闇が俺を襲ったのだった。
……そこまでは覚えていた。